河俣神社の参道⑨入鹿神社 (橿原市・小綱町)に関する記事です。

入鹿神社は近鉄橿原線の大和八木駅の西600m
北流する飛鳥川と曽我川の間、
東西の幹線である横大路と南北に走る太子道が交差する小綱(しょうこ)にあります。 


飛鳥川右岸
曽我川の東を北流する飛鳥川

小綱町の地名の由来は壬申の乱の時、
高市許梅に神託があった場所の金綱井からです。
「金綱」がコウツナ→コツナになり、さらに音読されて小綱となったと思われます。

江戸時代には、伊勢詣が盛んとなり、小綱町にも遊郭が出来、
商業も盛んとなりなり、多くのかご細工職人が住みつき、
高級竹ざる「小綱いつかき」の製造が行われました。 


道標
蘇我入鹿と大日如来の道標

途中、蘇我入鹿と大日如来の道標がありました。
正蓮寺大日堂は廃寺普賢寺の本堂で、大日如来はその本尊、
入鹿神社は廃寺仏起山普賢寺の鎮守社で神体は蘇我入鹿の木造坐像です。

祭神:蘇我入鹿、素戔嗚尊

鎮座地は蘇我氏ゆかりの地で、
小綱町の隣の曽我町には、蘇我馬子が創建した宗我都比古神社があり、
蘇我氏の始祖を祀っています。


入鹿神社の鳥居
入鹿神社の鳥居


入鹿神社あたりに幼少時の入鹿の住まいがあったとか、
入鹿の母が身を寄せた家があって、蘇我入鹿はそこで育てられたとか伝承されます。

入鹿神社は全国で唯一蘇我入鹿を祭神とする神社で、
小綱町は昔から入鹿びいきの土地柄で、鎌足を祀る談山神社にはお参りしなかったそうです。 


<蘇我入鹿の出来事>
643年 33歳 蝦夷が独断で入鹿を大臣にする
643年 33歳 入鹿が斑鳩宮に軍事介入し山背大兄王他23名死去
645年 35歳 板蓋宮で入鹿暗殺(乙巳の変)
645年 35歳 蝦夷も焼死し蘇我本宗家が滅亡


入鹿神社の拝殿
入鹿神社の拝殿


入鹿神社の本殿
入鹿神社の本殿

明治の神仏分離の際に普賢寺は廃寺となりましたが、
建物と本尊の仏像は残されて正蓮寺の管理となり、
「大日堂」という名称で現存しています。 

普賢寺の創建年代は判りませんが、
仏壇地下の発掘調査で鎌倉時代以前の建築と判明しました。
 

 大日堂
正蓮寺大日堂