相撲

片埜神社の参道②東参道(枚方市・牧野阪)

片埜神社の参道②東参道(枚方市・牧野阪)に関する記事です。

表参道の続き

嘗ては片埜神社の境内だった表参道~東参道を巡ります。
表参道は京街道、東参道は前島街道に繋がっています。

片埜神社参道

片埜神社参道マイマップ

片埜神社拝殿前から東門に出ます。

東門は室町時代に作られた棟門で、
武家や僧侶の屋敷に使用された門です。

江戸時代以前は表参道より東参道が主流だったように思えます。

片埜神社東門
片埜神社東門

東鳥居前からの参道は府道17号線に合流します。

府道17号線(枚方高槻線)は前島街道と呼ばれた道で、
前島渡しで淀川を渡り、長尾で宇治街道につながっています。

府道17号の北側には境外社の朝倉神社と瘡神社があります。

東鳥居

片埜神社の東鳥居(東参道)

片埜神社の境外社の朝原神社の祭神は猿田彦神です。

猿田彦は道祖神・塞の神と同一視されて
日本全国の道祖神で「猿田彦神」が祀られています。
道祖神とは悪霊の侵入を防ぐため村境・峠・辻などにまつられる神で、
旅の安全を守る神でもあります。

朝原神社
朝原神社覆屋と本殿(東参道・前島街道)

瘡神社は皮膚病の守護神の瘡神と火災除けの神の火酢芹命が祭神です。

瘡(くさ)とは皮膚にできる、おできや発疹のことで
天然痘などの恐ろしい病気を疱瘡とも呼びました。

菅原道真が左遷され大宰府へ向う途中、
道真の馬が病気で倒れ路傍に埋葬されました。


地元の人が馬の墓に沢山の草を供えたことから草神様と呼ばれ、
この草が同音の瘡に変わり、瘡神社となりました。

瘡神社
瘡神社(社殿と道真人形)


片埜神社の参道①表参道(枚方市・黄金野~牧野阪)

片埜神社の参道①表参道~東参道(枚方市・黄金野~牧野阪)に関する記事です。

嘗ては片埜神社の境内だった表参道~東参道を巡ります。
表参道は京街道、東参道は前島街道に繋がっています。

片埜神社参道

片埜神社参道マイマップ

黄金野の阪今池公園南に京街道から分岐する
片埜神社表参道入口があり2基の常夜灯が置かれています。

常夜灯(片埜神社参道)
表参道入口(京街道分岐点)

常夜灯は享和元年(1801)に建立されたもので
石鳥居残骸は阪神大震災で倒壊したものです。

江戸時代はここから参詣するのが主流でした。

享和常夜灯
享和銘常夜灯と石鳥居残骸

表参道を進むと左手に阪今池公園が現れます。

昔は片埜神社の境内地にあった御池跡で
大勢の人がゲートボールを楽しんでいました。

阪今池公園
阪今池公園(表参道)

穂谷川に架かる馬場前橋を渡ると小倉村(黄金野)から阪村(牧野阪)に入ります。

牧野阪は昔は阪村と呼ばれたので、阪と標記される建物が多く残ります。

馬場前橋(穂谷川)
馬場前橋(穂谷川)

片埜神社の南鳥居に到達します。

片埜神社は天覧相撲に勝った恩賞に河内の領地を拝領した野見宿禰が、
須佐之男を祀って創建しました。

片埜神社南鳥居(表参道)
片埜神社の鳥居と南門

豊臣秀吉が大阪城築城(1583)にあたり、 片埜神社を鬼門鎮護の社と定め、
大阪城石垣にも鬼の顔を刻んで当社と対面させました。

片埜神社は大阪城の鬼門除けの神社とされたことから、
現在でも厄除の神として信仰されています。

片埜神社の拝殿
片埜神社の拝殿


東参道へ続く

片埜神社(大阪府・枚方市・牧野阪)

片埜神社(大阪府・枚方市・牧野阪)に関する記事です。

片埜神社は京阪牧野駅の東250m
淀川支流の穂谷川の右岸にあります。

牧野阪マイマップ

牧野阪マイマップ

表参道は京街道、東参道は前島街道に接続しています。

京街道からの参拝客を迎えるため
南向きに鳥居・南門・社殿が一直線になっています。

片埜神社南鳥居(表参道)
南鳥居(表参道入口)

片埜神社は河内国・交野郡・鍬靫とされる片野神社に比定される式内小社です。

天覧相撲で大麻蹴速に勝った野見宿禰が、恩賞に河内の領地を拝領し
須佐之男を祀って創建しました。

祭神:須佐之男、菅原道真

片埜神社の拝殿
片埜神社の拝殿

社家である岡田家には土師家鎮守(野見宿禰)と伝わりますが、
神名帳考証には饒速日命、特選神名牒には交野忌寸祖神と記載されています。

饒速日命は哮峯に降臨した交野郡の開拓神、
交野忌寸は交野郡倉治・津田に機織りを普及した渡来人です。

片埜神社3
片埜神社の拝殿内部

平安中期、野見宿禰の後裔である菅原道真が天神として祀られるようになると、
天徳4年(960)に当社でも菅原道真が配祀されました。

片埜神社の本殿
片埜神社の本殿


豊臣秀吉が大阪城築城(1583)にあたり、片埜神社を鬼門鎮護の社と定め、
大阪城石垣にも鬼の顔を刻んで当社と対面させました。

片埜神社は大阪城の鬼門除けの神社とされたことから、
現在でも厄除の神として信仰されています。

片埜神社の鬼

境内に置かれている鬼面

中世には境内に宮寺があり、神仏習合の社として信仰されてきました。

鎌倉時代に製作された石造り燈篭の火袋の四面には
金剛界四方仏の陰字が刻されています。

明治の神仏分離で帝釈天堂が北の清岸寺に預けられました。

鎌倉燈篭&子供神輿
梵字燈篭と子供神輿


境内の依姫社の祭神の玉依姫は初代天皇である神武天皇の母であり、
山彦の恋人だった豊玉姫の妹です。

玉依姫が黄船で遡ったとされる貴船川は
穂谷川から淀川・鴨川を介して繋がっています。

依姫社1
依姫社

境内には式内久須々美神社や一宮牛頭天王の標石があります。

久須々美神社は飛鳥時代に建立された九頭神廃寺の氏神でしたが
現在は片埜神社に合祀されています。

また江戸時代までは交野郡の一宮で’一宮牛頭天王’と称していました。

一宮牛頭天王&久須々美神社
牛頭天王&式内久須々美神社の標石


境外には朝原神社(猿田彦)と瘡神社(瘡神&火酢芹命)があります。

朝原神社&瘡神社
朝原神社&瘡神社

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穴師坐兵主神社の参道①相撲神社(桜井市・穴師)

穴師坐兵主神社の参道①相撲神社(桜井市・穴師)に関する記事です。

穴師マイマップ

穴師マイマップ

相撲神社は穴師坐兵主神社の境内摂社で、兵主神社の鳥居を潜った先にあります。

相撲神社1
相撲神社の鳥居

祭神:野見宿禰

相撲神社は野見宿禰と当麻蹴速による
日本初の天覧相撲が行われた、相撲発祥の地です。

相撲神社2

日本書記によると、垂仁天皇7年7月7日、
天皇の前で野見宿禰と当麻蹴速が力比べをし、
野見宿禰が勝利しました。

その取組を行ったのが同神社とされ、
境内には野見宿禰を祭る社殿と神聖な土俵があります。

相撲神社3
神聖な土俵

昭和37年には、大鵬・柏戸の両横綱による土俵入りも奉納されたそです。

相撲神社4
野見宿禰を祭る社殿

そして今年の平成25年7月7日には
「勝利の聖 野見宿禰」記念碑が完成し除幕式が行われました。

相撲神社5
野見宿禰の記念碑「勝利の聖」

当麻蹴速は大和に住む蹴りの得意な力士で
向かうところ敵なしとの噂されました。

この噂を耳にした垂仁天皇が
「誰か蹴速と互角に戦える者はいないか」
と尋ねたところ、野見宿禰の名前があがり、
出雲から呼び出して試合をさせました。

この天覧相撲は壮絶な蹴りあいとなり
野見宿禰が当麻蹴速のあばら骨と
腰骨を折って蹴り殺してしまいました。

このあと野見宿禰は天皇に使えて、
皇后の死にあたっては殉死の変わりに
埴輪を創案したとあります。




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