エナガ先生の講義メモ

野鳥撮影がきっかけで鳥から教えてもらったこと、興味をもって調べたことをメモしていきます。 

福原遷都

長田神社の参道⑩荒田八幡神社(神戸市・兵庫区・永沢町)

長田神社の参道⑩荒田八幡神社(神戸市・兵庫区・永沢町)に関する記事です。

荒田八幡神社は地下鉄西神線の大倉山駅の湊川公園駅の西670m、
有馬街道を挟んで神戸大学付属病院の西側に位置します。

神戸市北部マイマップ

神戸市北部マイマップ


境内には「安徳天皇行在所」・「平頼盛山荘」の標石が立てられ
幻のような福原京の形態を伝える史跡の一つです。


荒田八幡神社の道標
荒田八幡神社の道標


荒田八幡神社は平清盛の15歳下の異母弟の平頼盛の邸宅があった場所です。

平頼盛の通称は池大納言で、六波羅池殿にいた母の池禅尼に因みます。

池禅尼は平清盛に捕えられ処刑される源頼朝の命を助け島流しにした人物です。
池禅尼の縁により,頼盛は平氏一族西走のときも頼朝の庇護を受け、
壇ノ浦の後も清盛の男兄弟の中で唯一生き残った平氏となります。


荒田八幡宮全景
荒田八幡神社全景


荒田八幡神社は安徳天皇の行在所となった場所でもあります。

安徳天皇は高倉天皇の第一皇子で、母は平清盛の娘の徳子です。

清盛の主導で満一歳で安徳天皇として即位し、
福原遷都による福原行幸が行なわれましたが、半年ほどで京都に戻りました。


安徳天皇行在所趾(平頼盛山荘趾)
安徳天皇行在所趾(平頼盛山荘趾)


安徳天皇は、治承4年(1180)6月2日に三種の神器と文武百官を従えて
福原の地に着きました。


安徳天皇は、まず平頼盛の屋敷を行在所(皇居)とし、
6月4日には父の高倉上皇と交替して清盛の雪見御所に入られました。


福原遷都八百年記念之碑
福原遷都八百年記念之碑


荒田八幡神社は高田神社とも称されました。
鎮座地は旧荒田村字一町田で、熊野権現を祀っていたことから、
境内の森は権現の森と呼ばれていました。

明治に入り神仏分離令が出たとき、
西隣にある宝地院の八幡社を合祀して荒田八幡神社と改称し、現在に至ります。

祭神:応神天皇、安徳天皇


荒田八幡宮の拝殿
荒田八幡神社の拝殿

荒田八幡宮の本殿
荒田八幡神社の本殿

宝地院は安徳天皇の福原行幸の百年後の弘安2年(1279)に、
安徳天皇の御菩提を弔うために創建された寺です。

安徳天皇はわずか4歳で壇ノ浦で平知盛らとともに
祖母・時子に抱かれたまま入水したとされます。
しかし壇ノ浦の合戦の前日に平知盛が、ひそかに安徳天皇を逃がしたとの説もあり
西国各地に伝承が残ります。

宝地院
宝地院(左は宝地院保育園)




生田神社の参道⑦熊野神社(神戸市・中央区・中山手通)

生田神社の参道⑦熊野神社(神戸市・中央区・中山手通)に関する記事です。

熊野神社は宇治川左岸160m
阪神神戸線・西本町駅の北700mの丘陵に鎮座します。

走渦と呼ばれた宇治川は改修されて水量は少なく嘗の面影はありません。


宇治川と宇治川公園
宇治川と宇治川公園


宇治川は熊野神社の南400mで暗渠化され、
商店街の下を潜り、ハーバーランドの海へ流れ込んでいます。


昭和13年の阪神大水害の教訓で、暗渠廃止の六甲山ですが、
宇治川は暗渠をやめられず暗渠前に水門があるのかも知れません。

暗渠前の水門
暗渠前の水門


熊野神社の鎮座する台地は、古くは宇治野山と呼ばれ、
法隆寺の747年の古文書によると、
その付近は摂津国・雄伴郡・宇治郷と称されています。


宇治郷は菟道稚郎子の名代の宇治部が宇治川流域から会下山あたりに住みついた場所です。
宇治部は宇治物部氏だったと考えられています。


注)雄伴郡は、淳和天皇の時代、天皇の諱「大伴」に発音が近い為、八田部郡と改名



熊野神社の鳥居
熊野神社の鳥居


紀記によると菟道稚郎子の母は宮主宅媛で、
宮和珥氏の祖,日触使主(ひふれ)の娘とされます。


しかし先代旧事本紀では菟道稚郎子の母は香室媛(かむろ)で、
伊香色雄命の曾孫の物部多遅麻(たじま)の娘とされています。
香室媛は物部山無媛とも称され、
応神天皇との間に3人の子息・息女(兎道稚郎子・矢田皇女・雌鳥皇女)を成しました。


矢田皇女は仁徳天皇の妃八田皇女で、
八田部郡の地名は八田皇女の名代が付近にあったためともされます。


熊野神社の二の鳥居
熊野神社の二の鳥居


熊野神社は宇治物部氏が創建したしたもので、
その後、福原遷都の際に藤原邦綱が再建したものです。


祭神:伊弉諾命、伊弉冉命

熊野神社を中興した藤原邦綱は五条大納言とも称する平清盛の友人で、
福原遷都の時は新都造営役を担当していました。


熊野神社の拝殿
熊野神社の拝殿


藤原邦綱は、頭を痛めて福原京の町割り案を多数出し、
早期に熊野神社の付近に宇治新亭と呼ばれる邸宅を建てました。


福原遷都が廃案になり、安徳天皇が、京都に戻る時にその宇治新亭に滞在したことが
源頼朝の友人・吉田経房の日記「吉記」に記載されています。


熊野神社の本殿
熊野神社の本殿





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