孝霊神社の参道⑤但馬杵築神社(磯城郡・三宅町・但馬)に関する記事です。
但馬杵築神社は近鉄田原本線の但馬駅の南200m、
西道寺という浄土宗の寺の南側に接し、境内入口に石鳥居が建つ神社です。
但馬マイマップ
但馬杵築神社の社叢
祭神:素戔嗚尊
杵築神社は奈良を始め全国に沢山ありますが、出雲大社の古代の名称です。
中世には神仏習合で祭神を大国主命から素戔嗚尊に替えますが、
明治4年(1871)に出雲大社と改称した際に本来の祭神の大国主命に戻しました。
しかし全国の多くの杵築神社は素戔嗚尊をそのまま祭って現在に至ります。
但馬杵築神社の拝殿
本殿の向かって右に雨乞いの神として信仰されている多度神社があります。
かつて社の下方にあった二つの孔に長い棒を通してかつぎ出し、
村を巡り、お社に盛んに水をかけて雨乞いをしたそうです。
祈願がかなって雨が降ると、境内で祝いの相撲大会を催したともあります。
但馬杵築神社の本殿と多度神社
境内池畔に立つ石造十三重塔は、元応元年(1319)の築造で、
三宅町の石造物としては一番古い貴重な石塔です。
但馬杵築神社の石造十三重塔
三宅町は古代の大和国城下郡三宅郷の地であり、倭屯倉が置かれた場所です。
倭屯倉は、垂仁天皇や景行天皇が自ら設置したものと記・紀に記載されています。
5世紀頃に、周辺の低湿地を開発して田地とし、
微高地に蔵としての屯倉を置き、倭屯倉を造りました。
三宅古墳群マイマップ
三宅町には五世紀後半~六世紀前半にかけての三宅古墳群があり、
倭屯倉の管理のために大和朝廷から派遣された倭国造家の墳墓と見られています。
島の山古墳を北端として南の黒田大塚古墳までの間に沢山の前方後円墳、円墳が見られます。
<三宅古墳群①ひょうたん山古墳>
三宅中央公園の真北にある墳丘に石碑・祠が建っている古墳です。
形状 :前方後円墳
サイズ :全長35m,後円部径13m
築造時期:5世紀後半
出土品 :無し
被葬者 :倭国造家の首長
ひょうたん山古墳
ひょうたん山古墳の石碑
<三宅古墳群②アンノ山古墳>
アンノ山古墳は全長40mの前方後円墳ですが、大分削られてしまい畑になっています。
形状 :前方後円墳
サイズ :全長40m
被葬者 :倭国造家の首長
アンノ山古墳
<三宅古墳群③茄子塚古墳>
太子道から川西・三宅式下中学の南側の狭い路地を西へ真っすぐ行くと
十字路に説明版があったのですぐに分かりました。
現在は畑となり墳丘は不明です。
形状 :前方後円墳か円墳
築造時期:5世紀終わり~6世紀初頭
出土品 :須恵器
被葬者 :倭国造家の首長
茄子塚古墳
<三宅古墳群④寺の前古墳>
三宅古墳群の中で墳形がもっとも整った形で残った古墳です。
明治時代には石室内に石棺や多数の須恵器があったとされます。
形状 :前方後円墳
サイズ :全長34m、後円径20m
築造時期:5世紀後半
出土品 :須恵器、埴輪
被葬者 :倭国造家の首長
寺の前古墳
<三宅古墳群⑤黒田大塚古墳>
三宅古墳群の南端に位置する古墳です
形状 :2段築成の前方後円墳
サイズ :全長86m
築造時期:6世紀初頭
出土品 :埴輪、木製品
黒田大塚古墳(全長86mの前方後円墳)