2012年12月31日
年は暮れゆく
黒川さん、こんばんは。大晦日です。今年最後の日に、十四ヶ月つづいたこの往復ブログのラストエントリを書くというのも、なにかの因縁を感じます。というかずるずる引き延ばして今日になってしまっただけです、すいません。
無邪気に「好き」を開陳しつづけたこの場でしたが、いま現在オンエアされているテレビドラマを表立って批判、否定するのではなく、過去を賞揚することによって、何が失われてしまい、何が求められているかを浮き上がらせることができないか、というのが本意でした。それでも最後にひとつだけ。自分は現在演劇とアニメを主戦場にしていますが、表現としてはまるでかけ離れた両ジャンルの共通点は「受け手にもその文化に参加している意識がある」ということです。良きにつけ悪しきにつけ、彼らは前のめりになってジャンル自体を支えてくれている。それぞれにある程度の作品的成果があるのはそのせいだと思うのです。
一方でテレビドラマはどうかと言えば、そうした受け手は極少数になってしまったように見受けられます。「それで数字が取れるのか」とばかりに受け手の知性や集中力を信じない番組制作をつづけてきた報いですが、そのために両者のあいだにあるべきはずの信頼関係がすっかり失われてしまった。作り手は「視聴者のレベルが低いから面白い番組を作っても数字が取れない」と言い、受け手は「テレビは視聴者をバカにしているから見ない」と言う。あらたな信頼関係をゼロから構築する必要性を痛感する今日この頃です。
まあでも悲観は禁物です。なんだかんだで時代を先導する作品、先鋭的な才能は必ず産み落とされるものだからです。局の現実を知り、腐っていた自分に金子ありささんがくれた言葉は忘れられません。
「今年の私のテーマはテレビドラマを愛するということです!」
あれから十年以上経ちましたが、その後の彼女の活躍はまさにこの言葉、ポジティヴな姿勢こそが招いたものだと思います。すぐれた作品、すぐれた才能に出会えるかどうかは運命ですが、それはこうした姿勢が招く必然であるとも言えるのです。せめて前向きに、自分と受け手を信じるのをやめることなく、これからも真摯にものを創っていこうと思います。どうかご指導ご鞭撻のほどを。
それではまたいつかどこかで言葉を交わしましょう。良いお年を!
無邪気に「好き」を開陳しつづけたこの場でしたが、いま現在オンエアされているテレビドラマを表立って批判、否定するのではなく、過去を賞揚することによって、何が失われてしまい、何が求められているかを浮き上がらせることができないか、というのが本意でした。それでも最後にひとつだけ。自分は現在演劇とアニメを主戦場にしていますが、表現としてはまるでかけ離れた両ジャンルの共通点は「受け手にもその文化に参加している意識がある」ということです。良きにつけ悪しきにつけ、彼らは前のめりになってジャンル自体を支えてくれている。それぞれにある程度の作品的成果があるのはそのせいだと思うのです。
一方でテレビドラマはどうかと言えば、そうした受け手は極少数になってしまったように見受けられます。「それで数字が取れるのか」とばかりに受け手の知性や集中力を信じない番組制作をつづけてきた報いですが、そのために両者のあいだにあるべきはずの信頼関係がすっかり失われてしまった。作り手は「視聴者のレベルが低いから面白い番組を作っても数字が取れない」と言い、受け手は「テレビは視聴者をバカにしているから見ない」と言う。あらたな信頼関係をゼロから構築する必要性を痛感する今日この頃です。
まあでも悲観は禁物です。なんだかんだで時代を先導する作品、先鋭的な才能は必ず産み落とされるものだからです。局の現実を知り、腐っていた自分に金子ありささんがくれた言葉は忘れられません。
「今年の私のテーマはテレビドラマを愛するということです!」
あれから十年以上経ちましたが、その後の彼女の活躍はまさにこの言葉、ポジティヴな姿勢こそが招いたものだと思います。すぐれた作品、すぐれた才能に出会えるかどうかは運命ですが、それはこうした姿勢が招く必然であるとも言えるのです。せめて前向きに、自分と受け手を信じるのをやめることなく、これからも真摯にものを創っていこうと思います。どうかご指導ご鞭撻のほどを。
それではまたいつかどこかで言葉を交わしましょう。良いお年を!