2006年09月

2006年09月30日

コスタリカの自然保護区(探検ロマン、世界遺産から)

熱帯の森は命の宝石箱、中央アメリカの小さな国、1500k屐香川県より小さい、17万8千種の動物がいる(日本列島はおよそ6万種類)、国土の25%が自然保護区、グアナカステ保全地域(コスタリカ共和国の北西部に位置する)、(入場料6$)標高2000mの山は今もガスを噴出している(1967年に最後の噴火)、山を境に熱帯湿潤林(カリブ海側)降雨量4000mm/年、熱帯乾燥林(太平洋側)に分かれている、グアナカステ全体を見渡せる展望台から眺める、出くわした動物、ハナジロハナグマ(昆虫が大好物、落ち葉の下を捜しまわる、木登りも得意、群れで暮らす、10匹前後)、オオハシ、トゲオイグアナ、マントホエザル、ココノオヒアルマジロ、クモザル、ウミガメ(数万匹が産卵にやってくる)、サンショクキムネオオハシ(綺麗な鳥)、マルムネカマキリ(木の葉にそっくり)、ドウイハチドリ(美しい羽と長い舌を持っている、赤い色を見るとやってくる、ヘリコニアの密を吸いにくる)、ノドシロオマキザル、アグーチ(体長30cm、大型のねずみの仲間、主食は木の実)、ニッケイハチドリ、ブルーホーンアカシア、アカシア蟻、蟻は棘の中で子育てをしている、すなわち共生している、その他、−−−養生植物(他の木に寄生する)300万年前はアメリカは北と南に別れていた、火山の噴火、土地の隆起などによりつながってしまった、その結果、北からの動物、南からの動物がやってきたためこんなに種類が多い、森の移動にケーブルを使っているのはスリルがあり面白い、竹中三佳レポーター、語り三宅民夫、

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2006年09月19日

地球最古の哺乳類(サイエンス ZEROから)

哺乳類の進化の謎に迫る、恐竜時代に哺乳類も共存していたが、恐竜は巨大化するが、哺乳類は10cm足らずのねずみの姿、哺乳類は2億2千万年前には出現していた、アデロバデシウス(最古の哺乳類)の化石が発見された、恐竜コエロフィシスの糞の中から見つかる、恐竜が哺乳類を食べていたことになる、恐竜スーパーサウルスの時代の哺乳類は15cm程度のラオレステス、恐竜テイラノサウルスの時代は哺乳類はキモレステス、又哺乳類が生き延びるには子孫の残し方にあった、シノデルフィスは袋骨を持っていた、哺乳類も胎盤を持つようになってから、進化した、哺乳類のパートナーの化石から、セルダンの房がついている花、被子植物アーケフルクトウスが発見された、原始的な花、原始的なめしべ、恐竜時代の中ごろまでは花は存在していなかった、当時の植物はシダ、裸子植物であった、スーパーサウルスはシダや裸子植物を食べていた、花こそ哺乳類の進化に欠かせないパートナーであった、花が出来ることにより昆虫が多様化した、昆虫を食べる哺乳類が多様化した、哺乳類の種類が増加した、花をつける被子植物が増えることにより酸素濃度が高まった、恐竜時代の終わりころ18%まで増加した、高い酸素濃度が哺乳類の胎盤にも影響を与えた、胎盤の進化は大きな子供を産むことができるようになった、被子植物が炭酸ガスを吸収して、酸素を多く作った、これはいまでは仮説であるが真実となるような気がする。

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2006年09月14日

ダビンチ捜査官、消えた名画を追え(地球ドラマチック より)

ダビンチ(1452〜1519、イタリアのルネサンス期を代表する画家、67歳でフランスで没、フランソワ一世の後援の下で余生を過ごす、生涯独身)の作品、アンギアリーの戦い(高さ3m、横5m)(51歳の時の作品)、東方三博士の礼拝(ウフィツツイ美術館蔵、未完、イエスキリストの誕生を祝いにきた三人の博士を描いた絵、29歳の時の作品)をマウリッツオ.セラチーニ科学者が電子工学、医学などを応用した科学的手法にもとずいて解明するストーリーである、フィレンツエ出身のセラチーニは23歳の時、ダビンチ研究の一人者、カリフォルニア大学のカルロ.ペドレッチイ教授の研究チームに誘われる、彼のもとで建設的に名画を捜しだすことを学ぶ、アンギアリーの戦いは17世紀半ば姿を消す、現存の東方三博士の礼拝はダビンチの作品ではないことが判明、1504年レオナルド.ダビンチはアンギアリーの戦いを完成させた、が1563年に失われる、当時の権力の座にいたメリチケが6つの戦闘シーン(自分達の戦を賛美する為に画かせていた)をハザーリに命じた、1975年に現存のヴェツキオ宮殿(500人の大広間)の東の壁絵に医療用の超音波、レーザー電磁波を当てたらその下に隙間があることを発見、そこを調べたらにダビンチのアンギアリーの戦いの絵あるだろうと睨んだ(まだ議論の余地がある)、が調査の続行は壁に小さな穴を明け内視鏡カメラをいれなければならない、ハザーリーの絵を傷つけることで却下された、今度はセラチーニに東方三博士の礼拝の調査依頼がくる、名画の修復計画、この絵は1481年フィレンチェでダビンチが描き始めるが一年で止め、従って未完成、その後は18年間ミラノで活動しつずけた、調査結果、絵の質が低い、油絵の塗り方が違う、ダビンチの筆使いと違う、この絵はダビンチの絵ではないことを証明、無名画家が戦闘シーンを修正したものと結論ずける、一枚の絵に下絵が二つあり、最初の下絵がダビンチの絵と判明する、その絵を赤外線カメラとスキャナーでパソコンに取り込んだところ、下絵にはダビンチの29歳の時の自画像、アンギアリーの戦い原形(二頭の馬がぶつかり合うリアルな躍動感を持って描かれている)が現れる、当時何故アンギアリーの戦いが修道院に受け入れられなかったかは、依頼主が戦闘シーンを消し去りたかった、絵が祭壇にはふさわしくなかったんだと推測、下絵は現代のコンピューターで当時のままに再現する、セラチーニは業績を認められウフィツツイ美術館にダビンチの作品をメイン企画として公開される。又セラチーニはヴェキョ宮殿にあるダビンチのアンギアリの戦いの絵画もハザーリーの絵を傷つけることなしに取り出すことを計画中。また名画モナリザもダビンチが描いたものではないと睨んでいる。これは推測。

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2006年09月13日

イラク戦争の混迷

イラク戦争が始まる、バクダットの主要施設がまたたくまに破壊される。爆撃は一般市民の住宅にも及ぶ、ここでも無実の人々の犠牲者がどんどん増える、もうここでは権力者と圧制に耐えていた人々の立場が逆転、フセイン政権時代に要職にいた者は命を狙われる、物資不足、失業者が街にあふれ出る、まったく無法状態、略奪、小さな子供達が靴を磨いたり、鉄くずを売ったり、ひまわりの種を売ったり、自分の着ていた服まで売ろうとして泣き帰った少年は印象的、フセイン時代銃の所持は禁止されていたが、今はどうどうと街角で100ドルで売られているとは、イラクで働く場合の必需品、略奪されたものが公然と道で売られている、治安は急速に悪化、市民は自分自身で身を守る必要がある、フセイン時代に国外亡命していたひとが親族を探して、処刑された人を土を掘り起こしたり、命を落とした人が書かれた殉教者の表を見つめたり、武装勢力に礼拝中のモスクが爆破さる、アメリカへの憎しみが増すばかり、フセインに弾圧されていたシーア派の中にも反米機運が高まる一方、アメリカアーカンソー州では州兵までも招集令状が届く、拒否すれば軍法会議で処罰される、イラク行きを命ぜられた人に悲劇が届く、本当に我々にも理解できないことが現代社会でも起きており、将来の不安はいつまでたっても残る、日本のたどったきた道が過去のこととは決して思われない、一握りのテロリストがこんなに多くの人々に犠牲を強いるとは、もとをたどればテロリスト、アルカイダの組織が出来たのはイラクとイラン戦争、イラクとクエート戦争による湾岸戦争から発端である、アメリカはこのあたりからテロの攻撃の目標になってしまったのではなかろうか、いずれにしても犠牲が大きすぎる、まだまだ長期化するように思えてならない。

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9.11からイラク戦争を見て

9.11のニューヨークの世界貿易センター、米国防省爆破からイラク戦争までの取材活動から犠牲者36人を選んでその後の生きる様子を報道、本当に罪のない人々が犠牲となり苦しんでいる、その後のアメリカ政府の報復行動、テロの背後にいる人々への攻撃、アフガニスタンの首都カブール空爆、アメリカでテロにあった犠牲者も平和を望む、何の罪もない人への攻撃は止めるよう反対、今の痛みは他の人に味わってほしくない、私達の悲しみを戦争の目的にして欲しくない、peaceful tomorrowを結成し、新聞などにも投書、懇願、それに対して反戦者に対する嫌がらせ、この国から出て行け、テロリストの国に行って住めなどと言われる、日常生活にも嫌がらせがつずく、政府のやることを疑うものは愛国者ではない、そういうことを決め付けることは国を愛することは反対のことです、アメリカの建国の精神にも反する、そうは言ってもアンバー(犠牲者)さんの子供にも影響を与え始め、又地域でも仲間はずれにされ全ての活動をやめる、peaceful tomorrowは他のメンバーに引き継がれる、yellow cap ニュウヨークの名物タクシー、4万人のうち8割がイスラム教徒、イスラム教徒というだけで疑いの目を向けられる、治安当局からも厳しいチェックをうけるようになる、テロリストの背後はイラクがあると大量破壊兵器(化学兵器、生物兵器)があると口実をかけられ攻撃開始、テロリストと独裁者が我々の生活を脅かしている、テロリストは根絶やしにしなくてはならないと、サダムフセインを排除しなくてはならない、peaceful tomorrowのメンバーはだんだん増えてしまう、私達の未来、世界の未来にも影響を与えようとしている、

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2006年09月05日

祖父の戦場を知るを見ての感想

戦場で人を殺したとは日本に帰ってからでもとても人間の心理としてはいえなかったと思う、今世の中の情勢も変わり、自分が死に直面しているから遺言としていえるのではなかろうか、当時は敗戦国日本のことであるから、降伏したとは言え占領軍に処刑されるのではないかと怯えてみえたのではなかろうか?テニス仲間にも戦争体験者はみえましたが、人を殺したという話はされなかった、いたとしてもいえなかったと思う、戦地ではお金を出して順番待ちでセックスしてきたと言う人はいました、また敗戦時現地で首実験されたと言う人も見えました、逃亡時現地の住民に荷車の草の中に隠して助けてくれたという人も見えました、お互い戦争体験者同士では自分達が何をやってきたかわかっていたと思うが、私達には話されなかった、今では体験者は全部なくなられたと思います、又私の父(大正2年生まれ)は卒業と同時に岐阜歩兵68連隊に入隊し満州国境警備に出兵しました、翌年甲種幹部候補生として除隊、日米開戦前夜昭和16年11月軍の召集を受け、名古屋砲兵部隊で名古屋造兵庁鳥居松製造所に陸軍中尉として配属された、終戦間際外地へ物資輸送を命ぜられたが、もうその時点で出航不可で取りやめとなり敗戦を迎えた。外地でなくなった戦友のことを思い毎年太平洋戦没者の墓参に加わり出かけていきました、春日井市の慰霊祭には毎年出席していました、今ではもう十分動けず介護の助けを受けています、

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2006年09月04日

祖父の戦場をしる(ETV特集)を見て

この満州事変、日支事変、から太平洋戦争まで外地で戦った祖父の戦争体験、人を殺してしまった苦悩、祖父が自分の家族にも言われなかったが、もう自分も死ぬ時期がまじかとなり、自分の行ってきたことを孫達に語っている、今憲法9条が改正されようとしている、こんな時期に二度と戦争の過ちを繰り返してはならないと、戦争体験者はいいたかったに違いない、家族からは夫が出征前と出征後では性格が変わってしまった、人間の気性まで変えてしまう戦争とは何であったか?、19年前から戦争体験を募集したら、大阪の小さな出版社、福山琢磨さんのもとに自分誌が戦争体験として一万2000通集まってきた、証言集、毎年夏に出版、今年で19冊目発行、戦争体験を後世に伝えたいと、平井誠さん、祖父住田勇三郎(58歳で死去)のことば、自分は畳の上では死ねないの意味は何であったろうか?祖父は戦争のことを話さず亡くなる、南京攻略、敗残兵を虐待、祖母から聞く、坂本裕美さん、祖父堀江留吉さん(87歳)農家の三男に生まれたため生活の為に徴兵を志願して戦場に行き、愛国心もあるけれど、自分の出世の為に出征して行った、中国東北部満州に出征、昭和19年、フィリッピンに転戦、敗戦投降、捕虜となる、フィりッピンのモンテンルパンに非戦闘員を殺した罪でBC級戦犯として収容されるが、昭和28年特赦で釈放される、戦友の処刑を生生しく語られる、土林由美子(60歳)父馬籠弘さん、中国人捕虜を殺害、自分も砲弾で右手を失い帰還、、谷村文三郎さん(88歳)、中国で抗日勢力の対策にあたる、拷問殺害、自分も中国人にこういう悪いことをしているから、中国人が怒ることを知ってもらいたい、戦争の悲劇は将来の為に残さなくてはならない、東京で暮らす28歳の孫娘がいる、磯清十郎さん中国の東北部で国境守備隊員、中国人殺害、自分も自警団の捕虜となり処刑されたが、穴の中から蘇生、奇跡的に生還、戦争体験者は戦争は二度繰り返してはならない、それを伝えるのが、生き残った自分の責任である、憲法9条改正の話しを聞くと黙っておれない、体験者はみなそう思っている、ただ言わないだけ、後世に心配だ、

myanchan at 16:36|PermalinkComments(0)TrackBack(0)
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