2008年06月

2008年06月25日

中古家電バーコードで追跡


中古家電などのリサイクル業界団体(日本リユース機構JRO)はテレビ、冷蔵庫、洗濯機、エアコンの家電4品目をバーコードで管理するシステムを7月から導入する、不法投棄の防止、流通経路を追跡、現在は3割がリサイクル業者に持ち込まれる、




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2008年06月24日

バングラデシュ、ダッカ豊かさへの挑戦(NHKスペシャルより)

この5年6%近い経済成長、主役は貧困層、ダッカに行けば豊になれる、
この国の人々が貧困から抜け出そうとしている、朝の通勤ラッシュ、起業も続々誕生、高層ビルも出現、人口1200万人、40%が貧困層、10年で10%減少、繊維産業、雑居ビルに同居、輸出総額の7割、雇用全体の半分を占める、ダッカの人権費、中国の1/3、安さ故シェアーを奪っている、
50軒/月で増えている、社長のイスラームさん、14歳で故郷を離れて
20年間縫製工場で働き、独立、80万円銀行から融資を受けて縫製工場を始める、特別な銀行、NGOが設立した銀行、500億円/年、スタッフ11万、ブラック銀行(アベット会長)、零細企業向け、担保を取らない、得られた資金は投資にまわす、ブラックはデパートも経営、寄付は2割のみ、残りは自己資金、
ラジャハリ村にインターネットの普及、農産物の価格をネットでダッカの情報がつかめるようになる、通信会社ブラックネット(チャードリー会長)、ダッカ市内でインターネットシステムを始めた、ビジネスとして大成功、アメリカとの合弁会社、イスラームさんの縫製工場3ヶ月で16人から152人に増えていました、売り上げは90万円/月、4倍に増えた、
アメリカ向けが急激に入るようになった、ブラック銀行への返済も順調、
ミシンは52台に増える、屋上に更に工場の建て増しをする、毎朝ダッカには南部の農村から20隻の船が到着します、ダッカに働きに来た人達です、10年後にはダッカの人口は2200万人に膨れ上がる、9割がイスラム教徒、トルコを目標にしている、
日本の貸し渋り銀行とはえらい違い、ダッカのブラック銀行では担保も取らずどんどん貸し出している、東京都の場合は同じことをして資金が焦げ付いてしまった、日本との違いは歴然、この取材は良いところのみ抜粋しているが実態は果たして?

myanchan at 19:14|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 現代社会(海外) 

マネーの暴走が止まらない(NHKスペシャルより)

石油価格が史上最高値を更新、たった6時間で7ドル、石油の供給に不安が
起きると噂一つで騰貴、マネーが一斉に動く、原油高騰が止まらない、
原油価格は1年前の2倍、人々の暮らしを脅かしている、マネーは穀物の価格も吊り上げた、食べ物を買えない人々があふれている、今原油に襲いかかっているマネーは別の舞台でも暴れまわっている、サブプライムローン(住宅ローン)世界を暴走していった、遂にバブルがはじけた、わずか一日に、巨大証券会社から1兆円ものマネーが逃げ出した、多くの人々が家を失った、暴走するマネーを制御出来なかった、
ウイルバーロス氏、40年にわたってマネーを操ってきた、運用額1兆5000億を超える、10兆円の金がアラブ首長国(UAE)に流れた、
ロス氏、中東の膨大なオイルマネーで企業買収をもくろんでいる、
アブダビ投資庁(ADIA、大統領が会長)100兆円にのぼる、ロス氏はADIAとの関係を始めたのは6年前、4000億を調達し経営、苦難の会社を
買収するつもり、この国は金余り、どこに投資するか最大の課題
1京7000兆に膨れ上がった、マネーは利益を生む所に襲い掛かる、
サブプライムローンのバブルがはじけ、世界はその後遺症に苦しんでいる、ベアースターンズ、アメリカ5位の証券会社、2008年3月13日突然の経営危機に陥った、巨大金融機関が破綻した、1兆円がわずか一日で引き出されてしまった、ベアースターンズはJPモルガンに吸収合併される、
2001年ブッシュが持ち家政策をかかげ優遇策をかかげた、住宅ローン会社のジョンダウリオ、メキシコからカリフォルニアに移住してくる人に目をつけた、毎年ヒスパニックを中心に20万人を超える、所得が低く住宅ローンが借りれなかった、住宅価値が上がることを条件にした、担保価値が上がることを予測したローンを組めば返済が可能、そしてサブプライムローンの貸し出しを加速して行った、2005年1月2期目のブッシュは
持ち家制度を更に促進していった、サブプライムローンは65兆円を突破した、ウオール街では金融商品として買われ、リスクも世界中に広まって行った、2006年7月、砂上の楼閣が突然崩れ始めた、住宅価格の下落、10年近く上がりつずけたが2007年をピークに下降し始めた、
ローン借り換えのマジックは崩壊した、担保価格が下がりローンを返すことが出来なくなる、サブプライムローンに手を染めた金融機関が
一斉に逃げ出している、アメリカの景気の冷え込みが深刻になっている、
今は石油金融商品を含めた投資が進められている、
ロス氏、中東アラブ首長国連邦に原油の高騰でアメリカ企業の買収を進めようとしている、彼らはオイルマネーを私に預けて増やしてくれと言っているんです、サブプライムから原油へ暴走つずけるマネー、その動きを誰も止めることが出来ない、

myanchan at 15:32|PermalinkComments(0)TrackBack(1) 経済、金融 | 現代社会(海外)

今日は弘法さん参拝者が家の前をぞろぞろと


家の前をお年寄りがお参りの為に沢山歩いていく




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夕食後パソコンに向かうと


夕食後パソコンに向かうと必ず眠くなる、いただいた

コメントに返事を書くと頭の中が空回りして、

頓珍漢なことを書いてしまう、




myanchan at 09:09|PermalinkComments(0)TrackBack(0)

2008年06月23日

ツカツクリ(ダーウインがきたより)

オーストラリア熱帯の森、東部の港町、ケアンズ、周辺には熱帯雨林が広がっている、ヒクイドリ、人間の背丈ほどもある、ちょっと違った子育て、
落ち葉を1っか所に集めている、数日後盛り上がってきました、巨大高さ1m直径6m、2〜4トン、集めた落ち葉、メスに卵を産んでもらう為に作った、落ち葉には微生物が分解する時に温度が上がります、中に卵を産んで中を暖めてもらう、今度は穴を明け始めました、更に喉を膨らませてなき始めました、森の奥からメスが来ました、孵化の温度ダチョウは36℃、キングペンギン37℃、ツカツクリ33℃が適温、微生物が活発に働くように落ち葉をよくかき混ぜる、数日後雨が降り始めました、微生物が働くには
酸素と微生物と水が必要、何とツカの表面から湯気が出てきました、
温度は33℃、丁度いい、遂に交尾、数日後卵を産みに来る、2日後メスがツカに大きな穴を掘り中に卵を産みました、産卵に5分、大きさはニワトリの3倍、孵化に50日かかる、塚には20羽のメスが来ることがある、
ツカの中から雛が誕生、産卵から45日オスはツカを守っている、
落ち葉から雛が誕生、生まれてすぐ飛んだり、走ったりする、
一羽で生きていける、天敵が少ない、

myanchan at 21:00|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 動物生態 

2008年06月20日

ブラジル移民100年(その時歴史は動いたより)

今日の100年前、ブラジルに781人が渡る、豊かになりたいと夢を描いた
人々、ブラジルで150万人が暮らしている、ブラジルの様々な分野で活躍、
ブラジル航空会社副社長は日系二世、彼等の祖先を送り出した水野龍、
何故取り上げるようになった、農民達の重い税、海外への移民、この時点で日本は国土が狭く人口ガ多い、農業での生計はありえないと考えていた、付加価値の高いハイテク工業製品を目指すなら兎も角、付加価値の低い農業生産では高度の発展は不可能、狭い国土で割に合わない農業による
食糧の自給自足はとんでもない話だと思われていた、農業はある程度の国土が必要、当時は多額の借金地獄、法外な手数料を取っていた、異議をとなえたのが水野龍、
コーヒー農場の労働力不足、移民を歓迎、共存共栄の移民事業、
100年前の水野龍の移送の行方を追う、1908年6月18日、笠戸丸がブラジルのサントス港に着いた、その日から子孫を含めて150万人が生活している、彼等の理念はどういう意味であったか、移民事業のいきさつ、
明治時代、欧米列国に追いつこうと強兵制、税金で賄われた、地租改正断行、農民が打撃をこうむる、36万人が土地を取り上げられる、貧困から逃れる為、海外への移住、25万人豊かになる、誰もが考えていた、借金をかかえるケースが後を絶たない、移民会社の原因でした、移民を苦しめる移民地獄、絶対許すことが出来ない、思想の背景には若い時代の体験、高知県、自由民権運動、国民一人一人の人権がかなえられ豊にならなくてはならない、
明治38年1月1日、移民会社の経営に乗り出す、多額の手数料を半額にした、多くの移民がハワイに渡った、移民事業、日露戦争勃発、アジア大陸
の進出を加速させる足がかり、戦後凱旋軍人があふれ、移民事業、
水野の思いはある出来事でくじかれる、アメリカで移民排斥運動激化、
ハワイを諦め新たな移民先、コーヒー栽培が盛んなブラジルサントス、ブラジルは労働力不足に悩んでいた、この内容は本当か自分の目で確かめるしかない、明治38年12月21日、横浜から南米行きの船に乗りブラジルに向かった、チリ経由でブラジル、一人の青年鈴木克次郎、南米チリに渡ろうとしていた、この男と一緒に事業ができないか、鈴木、行き先をチリからブラジルに変更、明治39年9月ブラジル、サンパウロに到着、コーヒー農場を視察、広大さに目を奪われる、ブラジルがもってこいの場所と考えた、
天然資源も豊富、国土も広く、歓迎している、韓国、満州は移民を受ける
余裕はない、水野1年後再びブラジルに渡り日本から送り出す移民契約を結ぶ、家族での移民が条件、明治42年1月移民送り出しの準備、移民船の手配、ロシア戦役のロシアの病院船、笠戸丸、4月12日と定める、
10万円に増額を外務省に通達、1億2千万円の額になる、明治41年4月12日
全国から165家族781人が集まってきた、しかし水野は保証金の10万が用立てできなかった、移民達から所持金を集める、4月28日神戸を出航、
6月18日はじめての移民がサントス港に到着、がこの時期コーヒー収穫と時期がずれていた為、コーヒー農場を去り鉄道建設で食いつなぐ、
第2回、900人が集まった、コーヒーの収穫時期に間に合う、第3回、1400人、第4回、1500人次々と数を増やす、ブラジル定住を選ぶ道も現れた、水野も妻子と共にブラジルに移民、2000haの移住地を得る、
2世リュザブロウ、ミズノ、満州の場合、武力で土地を奪うのに対し、ブラジルは才能を活かした共存共栄、植民地政策とは違う所である、昭和16年12月太平洋戦争勃発、日本の植民地拡大政策失敗、貧困のどん底に突き落とされる、戦後も工業化を目指し再出発、ブラジルでは共存共栄成功、水野は昭和26年8月24日ブラジルで亡くなる、享年91歳、
現在は日本に31万の日系ブラジル人が製造業で働き暮らしている、
まさに共存共栄、こうした人達も日本の技術を習得しいずれは中国と同様、母国の発展に寄与していくことは間違いない、一方日本では
国土が狭く、人口の多い日本の生きる道は工業しかないと言うことを痛切に感じた、未だに日本の自給自足の食糧をとなえる評論家が出てくるが
日本のいきさつが分かっていないとつくずく感じさせられた、日本が戦争に敗れたからブラジル移民が始まったと考えていたが、戦争以前から移民が行われていたということは戦争に関係なく、戦争以前から日本の危機的な問題があったということを示している、
ブラジルではブラジル移民100周年の記念式典が21日、サンパウロの
カーニバル会場で開かれた、日系人ら市民約4万人が参加、ブラジル全土から集まった1200人による和太鼓とサンバで新たな世紀の幕開けを祝った、和太鼓壮観 新時代を祝う、日本の皇太子さまも参加、州知事主催の晩餐会では演奏会に自らもビオラで演奏、拍手喝采を浴びる、

myanchan at 18:56|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 歴史 

芝生を刈った匂いは良い匂い


河川敷の芝がせっせ刈られている、刈っても刈っても

次から次ぎへと生えてくる、河川敷の芝生は成長が

ことのほか早い、上流から肥えた養分が雨の度に

流れ着く、子供の頃故郷で家の祖母がよく刈っていたぼたの芝生

の匂いと同じ匂いを嗅ぐと懐かしさがこみ上げてくる、

もう亡くなった祖母も33回忌、昔がしのばれる、




myanchan at 08:58|PermalinkComments(2)TrackBack(0)

2008年06月18日

道路を横切る生き物達、


道路で車にはねられたカメ(動きがのろいから道路に出たら絶対轢かれる)、へび、皆カラスさんの
餌になってしまう、カラスさんも車から恩恵を
受けている、最後の死骸はカチカチのせんべい見たいになって
しまっている、雨が降って残ったへびの皮を見ればマムシであった、こんな所民家近くにもマムシがいるなんて噛まれたら大変、
ウシガエルさんも成仏、又カラスさんが狙っている、
すずめさんの場合飛んでいて衝突し血を出して成仏、
子すずめでもないのに可哀そう、車が見えないんだろうか?
わんちゃん、ねこちゃんもよく交通事故にあっている、
ねこちゃんちゃんは勝手に動き道路で止まることがあるから
余計に危ない、わんちゃんは離す人がいるが絶対止めて欲しい、
交通事故に合いますし、所構わず、勝手に糞をします、糞は飼い主の責任、あとかたずけをしましょう、皆が見ています、
子持ちのカメさん、子を産むために川から上がって来たとおもう、
又被害腹から卵が飛び出している、




myanchan at 06:10|PermalinkComments(0)TrackBack(0)

2008年06月17日

アンジェイ.ワイダ監督(ETV特集より)

アンジェイ.ワイダ監督82歳、ポーランドの巨匠、カチンの森、
ソ連によるポーランド将校の大量虐殺、2万2千人、半世紀に亘って認めなかった理由があった、1939年9月ソ連軍に捕らえられ、1940年カチンの森で処刑された、父はカチンの森の犠牲者でした、ポーランドで語ることは許されなかった、戦後この国を支配したのがソビエット、戦後言論統制が行われた、反政府組織の若者、検閲との攻防があった、検閲官の厳しい
反思想的な映画をとらせるわけにはいかない、国の許可なしで撮れなかった、よその国で撮る事は考えられなかった、1939年9月1日ナチスドイツがポーランドに侵攻、ソビエット軍ポーランドに侵入、ポーランドは国を失った、父ヤコブ.ワイダ戦地に赴く、父が家を出るとき金属製のお守りを渡した、鷲の腕章、母が軍服の左ポケットに入れました、この時が父の最後でした、事件が発覚する、1941年ドイツ軍突如ソビエット領に侵入、カチンの森でポーランド将校の遺体を見つける、ドイツは遺体と共に将校の身分証明書を発見、殺された将校の収容所の日記、5月を最後に途切れている、虐殺がこの時期に行われた、私の父ヤクブ.ワイダの名前が違うからと別人と思われていた、母マニエラ49歳で亡くなる、1945年第2次世界大戦終結、ポーランドは社会主義国家となる、ソビエットはドイツの仕業だとしていた、ソ連が駐留する間はカチンの森は
撮ることができなかった、70年の歳月が必要とした、
その後アンジェイ.ワイダは映画監督の道を進む、映画、地下水道、灰とダイヤマオンド、大理石の男、鉄の男を発表するがいずれも検閲を受ける多難の道、ようやくパリからポーランドに戻ってきた、1989年悲共産政権誕生、ソビエットも社会主義政権の幕が下りる、カチンの森事件の真実の年号、1940年が刻まれる、ソ連の最高機密文書スターリン、捕虜は射殺すべきであると書かれていた、父の様子がつずられていた、1939年ソ連の戦車部隊に囲まれ降伏、ワレダ大尉を見た最後であった、ワイダ監督は父の姿を映画に映した、去年完成した映画カチン、今年3月上映がモスクワで行われた、クリステイナ夫人、この痕跡は父が生きていた痕跡です、今では父の遺体を見つけることは出来ません、父が戻って来る事はなくなっていた、母の映画を撮りたかった、この映画で両親の務めを果たせたと思います、祖国ポーランドを追いつずけたアンジェイ.ワイダ監督、自分自身の物語でした、映画はあの時何があったかを伝えるものです、ずっとそんな気持ちで撮ってきました、ポーランド将校はどのようにして殺されたか、映画を見れば分かります、映像で表現しつずけなければいけない、

myanchan at 10:58|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 歴史 
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