2008年08月

2008年08月31日

ドラゴンズ、清水昭信投手


広島戦でプロ初デビュー、勝利投手となる、
○中日7×3広島、4回までノーヒット、ノーラン記録達成、
7回まで投げぬく、殆ど完投目前でマウンドを降りる、
受ける捕手が谷繁ではなく田中であった、これもすごいと思った、
主軸も良く打った守った、ウッズは5打点、先発ローテーション入
り確実、大物の片鱗を見せる、26歳、プロ2年目、
ピッシイとストライク先行、ランナーを出しても次打者をどんどん
三振にとれる、投げるのを見ていると打たれるような気がしなかった、球速も抜群、実際殆ど打たれていない、大先輩顔負け、実際は1点しか取られていない、救援の小林正人がヒットを打たれ2点が入った、結局7回1失点のみ、最後まで投げれば9回1失点で終わっている、




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三宅島の自然調査(サイエンスZeroより)

よみがえる三宅島の自然、2000年の夏、大規模な火山噴火から
現在の様子を伝える、周囲32km、中心雄山、標高770m、噴火で陥没、2000年から2005年まで4年5ヶ月避難生活、6割の森林が
被害を受ける、
コメンテーター黒崎政男東京女子大教授、専門家樋口広芳東大大学院教授
1、三宅島の自然は今
2、生物界に異変、
3、貴重な生態系を守れ
1、3000人が暮らす、暮らしは徐々に戻りつつある、自然はどのように変わったか、タマアジサイ、葉が大型、スタジイ、照葉樹、温暖湿潤な気候、標高300mの地点、立ち入り規制されている、木々が枯れたまま草で覆われている、時間が経ってからも被害が広がりつずけている、島全体に植物、噴火直後、噴火の4年後、植物が減っている、更に10分登ると標高500m、火山灰の被害を受けた、照葉樹が広がっていたが植物が全て枯れてしまった、山頂の地形に影響、雨が降ると地表が削られる、新しい草木がガリーという谷のような地形、植物がかぎになる、樋口広芳教授600回行っている、2000年の噴火時も行っている、15回の噴火があった、1983年の噴火、山の中腹から大量の熔岩が出ている、300の家々が熔岩の下、1日で終わる、今回は島の火口部から噴火、2000年に1回のもの、
2、生物界に異変、島の再生を読み取る、昆虫を捕まえる、10箇所、
環境の異なる所にトラップを仕掛ける、夜ブラックライトの光に引き寄せられてきた、翌朝トラップを回収、30匹、種類も様々、次に山の中腹、
イズアオドウガネ2000匹、草地で大発生、イタドリやススキの草、
これらの植物、餌となる草が増えている、フタオビミドリトラカミキリ、
枯れ木を餌にする、別のノコギリカミキリ腐った所を食べるカマキリ虫、
木が腐り、自然が再生に向かっている、自然のサイクル、下から植物、昆虫、鳥、へびはいない、哺乳類もいない、種類は多くないが種類の密度が高い、一部は死滅し、一部は他に移った、イイジマムシクイが枯れ木の先端にいる、国の天然記念物、本来は照葉樹林の中、噴火後では違った環境で生息する、草や木、餌が豊富にある、鳥も森作りに一役かかわっている、
3、貴重な生態系を守れ、人の手によって後押しする取り組みが始まっている、島にある植物で緑化を行う、オオバヤシマブシ、ハテジョウスキ、
ハテジョウイタドリ、緑化試験、標高55m、平均の50倍、火山灰が集まってくる、人が手助け、



myanchan at 11:18|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 地球科学 

2008年08月29日

広島×中日戦、3位4位争い


デラノサの一振りで勝ち越し、勝利投手高橋聡文、セーブ
岩瀬仁紀初球を2塁打されるが東出送りバンド失敗、赤松はピッチャーゴロ、アレックスはライトフライで李ががっちりとりました、これでゲームセット、
今日のヒーローは決勝タイムリーのデラノサ、皆さんありがとうございました、
勝負してやろうでバッターボックスに、この勝利は大きいと
思いますが、チームが勝つ為に頑張りました、
ドラゴンズの勝ちパターンゲーム、完勝でしょう、
結果は○中日4×3広島




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2008年08月28日

原爆投下予行訓練パンプキン投下(その時歴史は動いたより)

今から63年前巨大爆弾が昭和20年7月〜8月に49発落とされた、アメリカの狙いが極秘資料から明らかになった、謎の爆弾の正体、通常の4倍以上、大きさは原爆の大きさファットマンと同じ、パンプキン(かぼちゃ)爆弾、原爆投下の予行練習を行っていた、模擬原爆パンプキンの存在からその舞台裏に迫る、昭和20年3月10日東京が焼夷弾で焼き払われた、無差別爆撃、ルーズベルト大統領が死去、トルーマンが大統領に変わる、一つの爆発物の開発マンハッタン計画、1942年ルーズベルト大統領の決断で開始、20億ドル巨費を投じた、ウラン型、プルトニウム型、ウラン型リトルボーイ、確実に爆発、量産は困難、プルトニウム型、ファットマン、威力が大きく、量産が可能、1944年9月人里離れた場所で投下の訓練が509混成航空団、B29戦闘部隊、自前で使える特殊部隊でした、B29で行うことが決められていた、原爆投下は明らかにされていなかった、テイベッツ大佐、エノラゲイの機長、1つの要求、原爆投下に先立ち日本本土を爆撃したい、特製の大きさファットマンと同じ大きさに火薬だけ詰めたもの、模擬爆弾、パンプキン、普通の大型爆弾の4倍、並外れた威力がある、日本を早く降伏に追い込みたい、1944年6月出来る限り速やかに事前の警告なしに原爆実験が行われた、投下出来る事が判明、原爆投下の3週間前であった、テニアン島(サイパン島から海峡を隔てて3マイル半の所に位置する)、1945年6月、テイベッツ509混成航空団実践訓練に入る、高度9000mから目標に向かって落す、富山市の上空からパンプキンを落とした、3発のパンプキンで50人が犠牲となる、名古屋市に1発のパンプキンが落とされる、5人が死亡、
任意の市街地にどこでも構わず投下せよ、白昼視野のいい所で人間の目で
確認できる日を選んだ、富山が天候が悪く名古屋などを臨時に爆撃して行った、静岡県島田市の民家に1発、47人の住民が犠牲、こんな田舎に落すとは思わなかった、住宅街にパンプキンを落す効果は隊員達に心理的高揚を高める為、最終目的が明かされないままに訓練がつずけられた、
延べ49発400人の命が奮われた、指揮官のテイベッツはパンプキンの
投下は大いに役立った、原爆開発の爆弾実験、太平洋戦後を見据えていた、原爆投下のサインを出す、ポツダムに集まり日本の処理が話し合われた、トルーマン大統領はソ連が参戦する前に降伏させたい、最初の特殊爆弾を8月3日までに投下せよ、2発目も投下せよ、509混成航空団原爆を8月6日午前8時15分広島に投下、ソ連の対日作戦が迫る中で予定より2日繰り上げられる、テニアン島では急ピッチで準備が進められた、8月9日午前11時2分長崎に2発目が投下される、史上無差別の投下、
その後もパンプキン爆弾が春日井市に4発投下、7人が犠牲になる、
終戦の謎、極秘資料、フレーズ1、原爆の予行演習、フレーズ2、パンプキンが通常兵器として使えるかテスト、欠点がある、爆撃の効果はなし、
8月15日終戦まだ66発のパンプキンが残されていた、全て海に沈めた、死者400人、死傷者1200人の犠牲が払われた、日本の戦争の幕引きとなった、その後核開発競争となった、

myanchan at 10:38|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 歴史 

2008年08月26日

罪に向き合う時(ETV特集より)

BC級戦犯裁判、シンガポール法廷5700人が裁かれた、8割が有罪、
934人が処刑された、1948年クアランプールで処刑、橋本忠、
29歳の時に処刑、飯田進さん戦犯として問われる、戦争とは一体
何であったか、橋本和正の叔父橋本忠、何がどのように裁かれたか?
橋本忠、下士官、学校を卒業後、中国、マレーを転戦、1945年広島に復員、造船所に就職、戦犯の逮捕がつずいていた、ある日駐在所から警察が来てすぐ連れて行かれた、1947年クアランプールに送られる、イギリス軍に裁かれることになる、容疑、マラヤのスンガイルイ村で350人を戦時法規に違反して殺害、橋本忠陸軍少尉、周辺の治安維持に当たっていた、
日本軍は中国人住民を敵対視していた、1942年3月以降中国系住民の
粛清が行われた、バハウ駅からスンガイ駅でマレー人が中国系住民に殺害された、それの討伐に参加、近くに金鉱山があり、中国人が食堂、理髪店を経営していた、スンガイ村で虐殺が行われた、銃殺、又は銃剣又は焼き殺された、そこを逃げ延びた人の証言により逮捕された、判決は絞首刑、
連合国7カ国が裁いた、非戦闘員に対する残虐行為が最も重かった、
5700人、大半の場合、命令の実行、祖国の為に尽くした結果であった、
飯田進さん、勝者の裁判、日本に対する復讐心、正義、人道にもとずいた裁判ではなかった、ニューギニアでの処刑の罪に、18万人の日本軍兵士、15万人が戦死、18歳、インドネシア語に明け暮れていた、
アジア民族の解放の一翼を担って戦地におもむきます、1942年3月
ニューギニア島に、連合軍は反攻強めていった、現地人も優勢な連合国に協力するようになった、海軍民生部資源探査にかかる、抗日ゲリラが増えていった、ゲリラ部隊にかかわり、ある事件にかかわる、ワイベン村、現地人ダンチを銃剣で刺殺、裁判もせず命を奮った、起訴事実はパプア人の
証言、連合軍側に寝返る、祖父が日本軍によって処刑された、
飯田進さんの尋問調書、オランダ人の軍法会議が準備したもの、私がダンチの首に刺しダンチが即死した、私がダンチを苦しみから救う為独断でやった、この状況では殺されても当たり前と思っていた、法定的手続きに
感心を払わなかった、飯田さんがとどめをさした、処刑は免れない、
討伐隊の指揮官は既に死んでいた、1944年連合国の攻勢が続いていた、日本軍の動けないものは自殺、アメリカ軍によってドラム缶が投げ込まれた、マノクワリ、ピアクを諦めソロンに向かった、ソロンにたどり着いたのは500人に満たなかった、1944年のボロックの抗日ゲリラを
裁判を経ずに処刑した、住民は日本軍に恭順していると思われていた、
アメリカとオランダ兵がムガ村を占領しました、住民部隊を編成しました、ムガ村で起こった日本人殺害は騙まし討ちに等しい、日本軍が滅多討ちにされている、帝国軍人の尊厳、名誉のかけらもない、何とも言えない感情をいだいた、復讐の思いで連合軍基地を撃滅することが狙い、
日本軍の遺体が道しるべ、現地人を数人従えて偵察にでました、
巡邏中にボロックで殺害が発生、6名のパプア人、アスバッケンの小屋で
逮捕、連合国との連絡があることが判明、飯田さんは命令を受け、宿営地に戻りボロックを殺害しました、ボロックが違った道に連れて行った為
銃剣で刺し殺すことにしました、私は刀でボロックの右肩につけた、
私と同じ立場の時に貴方はどうする、戦争に行った人間は背理敵な立場に立たされる、私はアジア民族を解放する為に生涯を捧げようとした、
そのアジア民族を殺したことで戦犯に問われた、連行した婦女子も殺されていた、戦争の中では殺すか殺されるかの立場にある、敵に味方したものは殺害される、婦女子の殺害は許せないし人間としてやるべきことではない、戦争に対する疑念が頭をもたげた、どこか根本的に狂っているのではないか、8月28日銃に弾をこめて乱射、オランダ人に拘束される、連合国裁判は犯罪が行われた場所でジャプラ旧ポーランデイアで裁かれた、
公判が行われないまま2年半が過ぎた、公判は1946年6月23日、
求刑は死刑であった、飯田さんは遺書を書けなかった、私は心の中で価値観が崩壊していた、ただ絶望感をいだいて銃殺されるだけ、実際判決は21年の刑期であった、死刑にしなかった理由は若く、部隊の指導的立場になかった、俺も罪の子だ、誰かによって償われなければならない、それなくして国民的英雄視は悲しむ、犯罪者として冷遇されることを好む、1949年インドネシアはオランダから独立、オランダによって裁かれなくなった、1951年横浜港に着いた、ニューギニアに向かって7年後であった、アメリカ軍のジープやトラックが何十台と並んでいた、殆ど戦災で焼かれていた、1時間ちょっとで巣鴨に着いた、アジア各地で収監されていた戦犯が巣鴨に連れて来られた、飯田さんは巣鴨で5年過ごす、朝鮮戦争勃発2ヵ月後警察予備隊結成、警察予備隊は旧日本軍の将校が採用されている、俺たちは奴等の命令で使われていた、手先にいた人間がGHQの手先で動くとはどういうことだ、明らかに警察予備部隊はアメリカ占領軍の予備部隊、それは事実、憤りを感じた戦犯達、自身の営みを否定する、
彼らは学習を重ねた、飯田さんもその中心にいた、戦争の実態を赤裸々につずった、飯田さんも手記を書いていた、憎しみに満ちた国、日本の戦争目的の実態、憎しみの坩堝にあって、日本軍隊が憎しみに値する、
戦に負けた為ではなかった、壁厚き部屋、BC級戦犯が見つめてきた獄中の作である、飯田進さんは1956年に釈放された、85歳になった現時点、ニューギニアの全貌を本に書いた、事実のままに伝えなければならないと考えた、処刑された人間を無駄死にと思いたくない、今日の繁栄をもたらしたとどう考えても納得できない、それは事実に目を向けようとする勇気がない、何となくあいまい、歴史をごまかしてはいけない、真実に目を向けなければならないと俺は思う、

myanchan at 11:40|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 歴史 

2008年08月24日

中日×巨人戦、17回戦


東京ドーム、6時プレーボール、山本昌先発、
○中日9×1巨人、山本昌完投、無四球試合で10勝目、
対ジャイアントに2試合完投勝利、史上最高齢二桁勝利、
9回2安打1失点に抑える、流石山本昌ならでは出来ない、




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2008年08月22日

アヘンで戦費をまかなった(NHKスペシャルより)

阿片で戦費をまかなった、日本軍と阿片、中国東北部瀋陽(かっての奉天)巨大な阿片工場の跡地、今は国営の薬品工場の跡地、5年前に経営難で閉鎖)満州国時代兵士が常駐、終戦時日本から撤収、年間30tの阿片を製造していた、莫大な量の麻薬、昭和7年満州国、日本関東軍の傀儡国家、満州国の建国に関与していた、木村明(86)当時軍の特務機関で働いていた、軍の情報活動、政府指定の阿片窟、少しずつ与えて救済する名目、阿片を売った金は政府が吸い上げていた、大蒙公司、阿片に関する関東軍の指示が残されていた、板垣征二郎、田中隆吉関東軍参謀が関与、
内モンゴルに栽培、116haの地にけしを栽培、日中戦争昭和12年に勃発、軍中央を無視して戦場を拡大、阿片は傀儡政権の財源、軍が自分達で調達できる機密費、中央部が統制取れていなかった、日本が国際孤立に追い込まれる、スイス、ジュネーブの国際連盟、阿片にかかわる公告書が公開される、日本と阿片とのかかわりが問題、満州国の阿片収入が28%増加、阿片で不当に利益を得る国を監視していた、昭和13年6月外交で大きな打撃、阿片諮問機関が設置された、日本外務省は孤立を避ける為、麻薬栽培を否定、アメリカ国務省ハル国務長官が情報をジュネーブに送っていた、昭和13年9月、中国は日本の侵略を提訴、日本は国際連盟を脱退、孤立、日中戦争、国家予算の7割を越す、日本軍の阿片への依存が加速、阿片で兵器の購入、終戦時は機密文書は焼却された、山西省吉県で阿片を敵から奪い調達していた、手段を選ばない、補給が欠乏、民間人からの略奪、阿片に頼るしかなかった、阿片は死活の問題だった、
日本の戦地拡大とともに阿片は蔓延して行った、上海にもかっての阿片窟があった、南京40万のうち5万人が中毒、里見甫、役割を担っていた、
里見甫(中国名李鳴)が運営していた宏済善堂、戦争期間中阿片業務を行っていた、陸軍の特務部も置かれていた、里見が阿片王と言われていた、楠本中佐は里見を阿片売買に引き込んだ、国家規模の宏済善堂、アメリカは具体的情報をつかんでいた、戦犯容疑で捕まった里見は阿片の収益は陸軍特務部、南京政府に金を流したと告白、興亜院、阿片流通の中枢、日本の国家機関である、昭和16年東条英機が総理大臣となる、阿片行政が行われた、太平洋戦争が激しくなったが戦費の自給自足の狙い、阿片政策、これは中国と朝鮮の国境で栽培されていた、大東亜共栄圏の掛け声、
8月9日100万に及ぶロシアの大群満州国に侵入、大量の阿片の隠蔽が行われた、阿片を埋めてしまった、東条と板垣の起訴に阿片も上げられていた、日本の指導者が阿片条約に違反、しかし我々の戦争は阿片なくしてできなかった、里見は人の迷惑には一切振れなかった、日本の侵略は阿片によって与えられていた構造の一端が浮かび上がった、阿片とのかかわりは私達の記憶には残らなかった、

myanchan at 10:34|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 歴史 

オリンピック女子ソフトボール


北京オリンピック、女子ソフトボールは感激、特にピッチャーエース上野由岐子(26)は3連投すごい迫力、自分は負けないんだと言う気迫、女性のすごさを、精神的にも、肉体的にも負けていない、打たれても動揺しない、20秒以上ボールを投げなくてボールの宣告、きわどいジャッジにも動揺は少しも示さない、冷静な判断、ボールを振らせる、ボールを詰まらせてフライで取る、自分の判断で投げていたと思う、打たれても捕手の所為にしない、自分で被る、あれほど投げているのに疲れたと一言も言わない、今日もいけると判断、監督との信頼関係抜群、監督も選手にどうしても金を持たせたかったという、選手も監督に答えた、
テレビから眼が離せなかった、その他良い選手が日本代表として選出されている、金メダル獲得は今回最大の朗報、オーストラリア戦の苦しい戦い(勝ったり負けたりまるでドラマのよう)をものにしたから優勝できたのではないだろうか、そしてアメリカ戦(予選では7回まで0対0、延長で敗れる)への雪辱、日本は何度も負けている、絶対アメリカ(過去3連覇)戦には勝って欲しかった、結果は日本のフアンに夢をかなえてくれた、次回ロンドンでは正式種目から外されている、また正式に採用されても8年後、年齢的にも8年後はおそらく日本代表とはなっていないでしょう、最後のチャンスだったかもしれない、今回の選手達は勝てるべくして勝ったと思う、斉藤監督の胴上げ、上野選手の肩車、勝利の瞬間何度見てもいい感じ、
これで大いに胸を張って日本に帰れる、今まで個人プレーの金であったが、何と言っても団体競技の金、沢山の選手が金をぶら下げて帰って来れる、これは圧巻、日本では大勢の人々が祝福を待って出迎えてくれるでしょう、




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2008年08月19日

中日×横浜


18:00より神奈川県平塚市で開始、中日先発中田

7回2失点、ナイスピッチング、7月20日以来の7勝目を挙げた

打っては中村紀、ウッズ、和田、李の猛打爆発、

○中日4×2横浜、8回、平井は2死満塁をぴしゃりと押さえ、9回

には小林がサヨナラの場面をぴしゃりと抑えた、




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2008年08月18日

フィリッピンレイテ島(NHKスペシャルによる)

フィリッピン中央部レイテ島、今から64年前血なまぐさい戦、
日本軍消滅、97%、8万が命を落とす、生きて帰ることが出来た
数少ない兵士に戦場の記憶を語ってもらう、元米兵、死体、死体ばかりが
眼に浮かぶ、物量に勝るアメリカ兵に飢えと戦う、戦つずけることを
命じられた、万歳、万歳の叫び、万歳攻撃は自殺行為、思い出しただけで泣けてくる、日本、アメリカ、フィリッピンが語る戦場の現実、1944年10月アメリカ軍の艦船が押し寄せる、レイテ島に向けて艦砲射撃が始まる、4時間に及ぶ、陸軍16師団1万6千人、山下留義さん、壕から一歩も出れない、米軍急降下爆撃、劣勢に追い込まれる、アメリカ軍6万人一斉に上陸、日本兵は生き埋めにされた、日本軍兵士8割失う、通信が破壊され東京には伝えられなかった、大本営は日本が勝っていると思いつずけていた、
陸軍第1師団が送り込まれる、進軍を開始する、優勢と考えられていた兵士が撤退してきた、これは可笑しい、台湾沖の勝利全くの誤報、リモン峠に
向かう小高い丘、もっとも過酷な部隊となる、何もかもが焼き尽くされてしまう、物資を送る船1隻もなし、レイテ島日本軍は孤立、密林をさまよい始める、生きている兵士は何でも食べ始める、ヤドカリ、イモリ、カエル、赤痢にかかる、現地の村々から食料を調達するよう命令を受ける、始めは食料物資を強制的に買い占めたが次は略奪が始まる、アメリカ軍は島民に武器を渡し島民をゲリラに仕立てた、ゲリラは道を熟知しており、日本兵の居場所を米軍に報告、補給も途絶えたリボン峠、山下奉文司令官、
決戦の中止を命令、1944年12月10日日本軍オルモックは米軍の手に落ちた、大本営もレイテ島放棄を命じた、敗残兵セブ島に逃れる、米軍敗残兵の掃討を命じられる、日本兵も次々ゲリラにより殺害されていった、長峰恒雄大隊長、600人の部隊を率いた、64年前10万の命が奮われた、何故兵士達は絶望的な戦を強いられたのか、果て無き消耗戦、

myanchan at 15:36|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 歴史 
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