2009年08月

2009年08月27日

DNA配列読み取り技術(サイエンスZeroより)

DNAの配列、早く正確に読み取り技術が進歩している。ガンの治療にも革命的変化が起こっている、私達の未来が変わる、A(アデニン)、T(チミン)、G(グアニン)、C(ジトシン)、並び方によって配列を解読、理化学研究所林崎良英、
電気永動、電圧をかけると移動、軽いものほど遠くに移動、地道に繰り返し塩基配列を読めばヒトゲノムは30億個だから、今まで1985年は解読に8000年必要、1998年は9年でヒトゲノムが解読が可能、2005年は更に進歩、シークエンサー、小さい穴が300万個開いている、40マイクロメートルの穴、7億文字が出来る、5日で解読が可能になる、2010年、はるかに超えるシークエンサーが出てくる、正確にゲノムの精度を読む、当初約7億円の人件費が2009年には約300万円、近い将来2015年、1000ドルで可能、10万で自分のDNA情報が分る。早く安く読める、配列のわずかな違い、どのように病気になり易いか、薬の効き易さが分かる、診断に関係のあるところだけ取り出せば良い、現在は DNAの解読、30分で読める、ゲノムは医療改革の究極の実態、早期発見、予防医学予知、新しい医療のルール作りが必要になってくる。

myanchan at 09:04|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 最新科学技術 

2009年08月24日

日米電波戦争(ETV特集、第2回)

太平洋戦争中日本の短波放送の録音盤130巻アメリカに保管、日本放送協会、ラジオ東京、海外に向けて放送を流していた。若い女性、ゼロアワー、東京ローズと呼ばれる、傍受していたのはアメリカのちょうぼう局、宣伝放送を流していた、太平洋戦争3年8ヶ月の戦、海外放送傍受、日本語が分るちょうぼう員、ベアテシロタ(86歳)日本で育ち15歳でアメリカに渡る、1942年日本語力が見込まれスカウトされた。日本語放送を傍受、サンフランシスコを拠点、アメリカ各地に傍受施設を広げた。デンバー、ハワイなど、ワシントンの軍や政府関係者に送られた。1日1時間の短波放送15060KC,1939年、中国語、インド語、1日8時間になりました。1940年新聞メデイアを一元的に統一、大本営陸軍発表、1941年12月8日日本軍がハワイ本島を奇襲、強力な思想戦の戦費、姿無き爆弾と称された。東南アジアに進出、海外放送を拡張、アジア各地に情報網を張り巡らした、インドネシアジャワ島、対敵宣伝、B29爆撃機が東京、横浜、名古屋を空襲、日本の被害は少なくアメリカの戦闘機を打ち落とした。日本側に有利な情報を流す、どのようにニュース原稿が作られたか、住友公一(88歳)アメリカ生まれ、1943年日本放送局に入隊、召集が解除された。日本語を英語に書き換える作業、独自の記者がいなかった。同盟通信に頼っている。同盟ニュースは検閲を受けている。1942年6月ミッドウエイ海戦敗北以後劣勢、アッツ島玉砕、全員戦死、日本語による海外放送は日系人に向けられていた、秘密裏に傍受、1941年7月〜敗戦まで記録されている、日本軍に不利な情報はなし、当時アメリカ、イギリス、オーストラリア捕虜26万人いた。捕虜を利用、東京ローズが音楽番組を勤める、水庭進アナウンサー、アイバ戸栗、東京ローズと呼ぶ、アメリカの兵隊に受けた。アメリカのスタイルを使った、ラジオ東京の膨大な記録、ちょうぼう局、ゼロアワーにも分析されている。士気を低下させるよう計画されている。アメリカ宣伝工作開始、1945年、VOAで日本語放送が始まる、収容所から適した人間を選ぶ、ロバート山崎、当時大学生、私はプロパガンダをやらされた。山崎さんの家族は全員収容所に入れられていた。日本は短波放送を聞くことが許されなかった、1945年7月サイパン島陥落、日本本土爆撃が可能となる。北九州にB29爆撃機が空襲、攻撃目標は八幡製鉄、日本の損害軽微と放送、1945年5月7日無条件降伏を呼びかける。アメリカ海軍大佐ザカライアス、海軍ちょうぼう局、戦前日本に暮らす、放送を通じて和平を探っていた。井上勇同盟通信社の記者、鈴木貫太郎も戦争を完遂する姿勢を崩さず、大西洋憲章、ザカライヤス対日交渉を行う、アメリカは原子爆弾の実験に成功、日本の指導者に無条件降伏を求める、8月6日広島に原子爆弾、8月9日には長崎に投下される、人類の大量虐殺、無実の人々を抹殺。ロシアが中国東北部に侵入、ここにいたってポツダム宣言を受託する、天皇の体制が破壊されないことを条件に日本は降伏。8月15日昭和天皇の詔書が放送された。9月10日ラジオ東京はGHQにより放送を停止させられた。オーストラリアのチャールズカズン、オーストラリアで裁判に掛けられたが無罪となる。アイズ戸栗はプリズンに収容される、禁固10年、アメリカの市民権剥奪された。住友公一日本放送協会に残り記者として活躍、1976年引退をした。組織が戦争の道具となっていた。アメリカに残されたラジオ東京の録音、戦争の姿が浮かび上がってきた。戦時下の国際放送とは?

myanchan at 19:17|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 歴史 

2009年08月18日

放送は国民に何を残したか(ETV特集より)

高橋映一、戦時中の放送を録音できた、特攻隊出撃放送、敗戦の3ヶ月前に決戦を呼びかけていた、竹山昭子東京放送のアナウンサーでした。日本放送協会の内部で何が理解され何を放送しようとしていたか、満州事変勃発より、人々は日本の勝利に沸く、受信契約者100万人を超える、国民に戦争を如何伝えたか。1940年新聞、ラジオメデイアを統合、内閣情報局、日本放送局をその指導下におく、非常体制を整える、お国の為に力を捧げる、対戦の日を境に技法が変わっていった、大本営発表、戦時下ラジオ放送、政府が全責任を負う。夜11時過ぎまで戦時下ラジオ放送、日本軍の活躍を聞く、香港出撃、皇軍活躍第1報、戦場を生々しく伝えた、戦意高揚、ミッドウエイの戦局、空母4隻失う、アメリカ1隻を失う、敗北は伝えず、ガナルカナルは厳しい攻防、2万人以上戦死、大半が餓死、戦時中の情報統制、アッツ島日本軍守備隊全滅、1億国民の団結、困っていることは伝えなかった、国民の士気を鼓舞、国策を国民に浸透させる。竹山昭子、軍国メロデイーを流す、軍国歌謡、NHK放送博物館、敗戦時に焼却された。放送用に原稿などは手書きで修正して流す、同盟国の戦局も見方が有利のように書き換えている。サイパン1万人が犠牲、高橋映一はNHKにも残されていないものまで録音していた。大本営発表、サイパン陥落、サイパン陥落から3ヵ月後フイリッピンレイテ島特攻作戦開始、沖縄に向け飛び立つ、音がなくなった時は特攻隊員の死亡、戦時中の録音の処分、どんどん燃やす、黒煙もうもう、録音盤も打ち壊した、大本営発表は全て嘘だった、嘘っぱちなものは全て破棄、戦時放送は戦争への協力をもとめつずけた、放送は国民に何を残したか。


myanchan at 10:55|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 歴史 

2009年08月12日

日本海軍当事者の400時間の証言(NHKスペシャル3回)

陸海空軍合わせて軍令部が作戦指示、大本営の中核、海軍反省会、フィリッピンの首都マバラカット、最初の特攻隊が出撃した、昭和23年11月陸軍関係者6人が絞首刑、海軍島田繁太郎大将、後に軍令部総長終身刑、豊田隈雄元大佐、裁判にかかわる、海軍大学校主席で卒業、戦犯裁判をになう、裁判体制の実態が明らかになる、オランダロオーリング判事、嶋田繁太郎は絞首刑に処すべしと主張、講和条約までに死刑にならなければ釈放される、GHQ連合国とは水面下で進められていた、平和に対する罪、通例の戦争犯罪、中島親孝元中佐も裁判対策にあたっていた、S18~S19潜水艦が商船を魚雷で撃沈している、軍令部の支持があったかどうか、三戸寿少将は証人として出廷、命令はなかった。何者かが偽造、軍令部が指示、偽証して組織のトップを守った。最後まで本当の証拠は得られなかった。判決は終身刑、連合国の占領が終わった3年後には釈放された。BC級裁判、戦勝国の一方的な裁判、篠原多摩夫大佐、インドネシアのスラバヤで捕虜を処刑した罪を問われる。自分に責任を押し付けて参謀は嘘を言っている。篠原大佐はS26年に絞首刑、自分一人で罪を背負って行った、およそ200人のBC級戦犯、殆ど将校、や下士官、弁護の基本方針天皇に類を及ぼさない、現地司令官程度にとどめる、上の方を助けて、下の方をやっつける、日中戦争頃から日本軍が残酷になった、大井篤元大佐、艦隊参謀で中国にいた、三燥島に中国本土爆撃用飛行場を作った、中国島民を強制移住、島から出ることは禁止、軍極秘、一部掃討作戦を行った、捕虜の人権を無視している、海軍は組織の目的の為には手段を選ばなかった。
日本は残酷になった、GHQは天皇を利用して占領政策をやり易くする、豊田と頻繁に連絡、フェラーズ准将、天皇は無実であること、天皇に戦争責任はないとした、東京裁判の1ヶ月前、陸軍の強行姿勢を結論ずけていた。天皇を利用して占領政策をやり易いようにする、検事自身が海軍と接していた、海軍は陸軍によって巻き込まれたとし東条に全責任を取らせることだ、東条を始め陸軍関係者のみ6人が絞首刑、海軍は一人もいない、米内とフェラーズと接触している。個人をいとも簡単に押しつぶしてしまう、日本国民310万人の尊い命が失われた。全ての戦争裁判が終わる。平成7年、豊田元大佐は亡くなる、
私は学生時代天皇の戦争責任はあると思っていた、勿論あったとしても日本の混乱収集の為に利用されたいたとは全く知らなかった、海軍に責任がないとも到底思われなかったが、こんな水面下工作が行われたとは知らなかった、責任を被る人は一人でも十分と思わされた、戦争裁判の判決もいい加減といえばいい加減、責任を取らされた人間は少し可哀そうにさえ感ずる、これを将来の為に残されていった証言が日本の将来又は現在にどのように生かされて行くだろうか?人間は生きる為に人を利用して生きている、

myanchan at 17:57|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 歴史 | 軍事問題

2009年08月10日

日本海軍当事者の400時間の証言、第1回

誰が何の為に戦争を始めたか、当事者は沈黙を守り真相は明かされなかった。海軍将校の遺品の中から昨年テープが見つかり、誰にも語っていない心のうちを打ち明けた、軍令部が参加、勝算のないまま開戦へと突き進む、三代元大佐、軍令部の実像、何故戦争を始めたか、当事者の告白記録、日本海軍400時間の証言、東京原宿の一角にあった、平成3年まで参加、海軍団体水交会、反省会月一度130回行われた、元大尉から中将まで70代から80代まで、戦争の真実を残しておこうとして始まる。次の時代に繰り返さない、平塚清一(94歳)、非公開記録、出席した殆どの人が亡くなってしまった、今は客感的にものが見える時代、昭和55年3月、9人、軍令部かっての中佐から小将、野本為輝、佐雉毅元大佐、以後11年130回以上議論が積み重ねられた、225巻400時間、海軍反省会の議論、当事者でしか知り得ない事実に耳を傾けたい、戸高一成館長、軍令部、統帥権の独立、東京霞が関にあった、海軍兵学校から成績優秀、功績により軍令部に配属、作戦室が特に厳しく制限、わずか10人程の参謀、佐雉毅、軍令部作戦課に配属、開戦の4ヶ月前軍備を急いでいた。昭和16年7月、インドシナに進出保科中将、軍務局長に直談判、昭和17年1月8日、アメリカの戦争に不安があった、軍令部が開戦、永野修身総長、三代一就中佐に真意を打ち明けられた。昭和12年から日中戦争、今更撤退出来ないと主張、統制が効かなくなる、陸軍のクーデターの恐れ、戦争は避けられた、野元為輝空母の艦長として戦う、伏見宮博泰王、昭和天皇より26歳上、軍令部の総長に就任、皇室に対しブレーキをかける、昭和62年没、野元総長、反省者、末国正雄元大佐、伏見宮総長に仕える、軍令部が謀略で通す、兵力量、海軍省から軍令部に移る。米英の軍縮に不満を持っていた。
軍令部の暴走は現実となる、戦艦大和など軍備拡張、アメリカ、イギリスとの対立は深刻、もともと軍令部は政治とは一戦を隔していた、政治への介入、強大な権力を手に入れる、軍令部の作戦課、国家の中枢機関、第一委員会は政治への影響を強めていった、永野修身大将は天皇に開戦申告、軍事予算を獲得、軍令部は長期的作戦を考えていなかった、ほころびは開戦の半年後ミッドウエイー敗戦、軍令部兵士の命も預かる立場、この敗北で連合艦隊に駄目だと言えたはずだ、軍令部は誰も責任を取らなかった。その後海軍は敗北を重ね制海権を失う、太平洋の島々には兵士のみが取り残された。

myanchan at 11:04|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 歴史 | 軍事問題

2009年08月03日

クレオパトラ(NHKスペシャルより)

トルコのエフェソスからクレオパトラの妹アルシノエの墓を発見、人骨が大量に発見された、妹の死の原因を調査、その結果は突然死、最近の科学で分析、2000年の時を越え意外な素顔、そこからクレオパトラの実像に迫る。アルシノエはエジプトの悲劇の女王。エジプトのアレクサンドリアはクレオパトラの都、紀元前アレクサンドロス大王によって建設、ギリシャがエジプトに変わって統治、当時地中海周辺はローマ帝国、未統治はエジプトのみ、カエサルを味方につける為じゅうたんで現れカエサルを虜にする。クレオパトラのエピソードは後世の人が書いたもの、しかし生きている時代の物証は殆どない、クレオパトラコインのみ、宮殿が海に沈んでしまったからか、水深7m、明らかに人の手で作られたものが見えてきた。スフインクス、エジプトの象形文字の石碑、ファラオを表す、徐々に明らかになってきている。クレオパトラ自身は謎に包まれている。エジプトから800km離れたトルコのエフェソスでクレオパトラの妹の墓が見つかる。幅10m、高さ15mの巨大な墓、大理石の柩、墓をコンピューターで復元、ピラミッドの屋根と8本の柱、8角形の建物、当時妹アルシノエとクレオパトラは争っていた、アルシノエは身長154cm、大変細くきゃしゃ、すらりとした姿、頭蓋骨から鼻の付け根が高い、ヨーロッパ系、後頭部から額までが長いアフリカ系、ツタンカーメンも額から後頭部までが長い、いわゆるヨーロッパ系とアフリカ系の混血でした。クレオパトラも混血、常識が覆された、後世の人が描いた像とは随分違っていた。古代エジプト末期、どんな運命をたどったか、ローマと盛んに交易していた。ローマ人とエジプト人は激しく争っていた、エジプト国内ではローマと融和を図るクレオパトラと反対勢力側に妹のアルシノエとの戦はローマを味方につけたクレオパトラ側の勝利、ローマ軍に捕らえられたのがアルシノエ、ローマ帝国の支配下の街エフェソスに幽閉された。そこで彼女はアントニウスを利用して毒殺させた、死んだ時の年齢は15〜17才の時であった。幽閉されて数年後亡くなる。クレオパトラの残酷な一面、エジプトは混乱に陥る、このことがローマに付け入る隙を与えた、ローマに追い詰められクレオパトラは自らを毒蛇に噛ませた。古代エジプトの滅亡は姉妹の対決であった。がクレオパトラの墓はいまだに謎のまま、古代エジプトの遺跡の7割が海や砂に埋まったまま。

myanchan at 16:43|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 考古学 
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