2006年09月05日

祖父の戦場を知るを見ての感想

戦場で人を殺したとは日本に帰ってからでもとても人間の心理としてはいえなかったと思う、今世の中の情勢も変わり、自分が死に直面しているから遺言としていえるのではなかろうか、当時は敗戦国日本のことであるから、降伏したとは言え占領軍に処刑されるのではないかと怯えてみえたのではなかろうか?テニス仲間にも戦争体験者はみえましたが、人を殺したという話はされなかった、いたとしてもいえなかったと思う、戦地ではお金を出して順番待ちでセックスしてきたと言う人はいました、また敗戦時現地で首実験されたと言う人も見えました、逃亡時現地の住民に荷車の草の中に隠して助けてくれたという人も見えました、お互い戦争体験者同士では自分達が何をやってきたかわかっていたと思うが、私達には話されなかった、今では体験者は全部なくなられたと思います、又私の父(大正2年生まれ)は卒業と同時に岐阜歩兵68連隊に入隊し満州国境警備に出兵しました、翌年甲種幹部候補生として除隊、日米開戦前夜昭和16年11月軍の召集を受け、名古屋砲兵部隊で名古屋造兵庁鳥居松製造所に陸軍中尉として配属された、終戦間際外地へ物資輸送を命ぜられたが、もうその時点で出航不可で取りやめとなり敗戦を迎えた。外地でなくなった戦友のことを思い毎年太平洋戦没者の墓参に加わり出かけていきました、春日井市の慰霊祭には毎年出席していました、今ではもう十分動けず介護の助けを受けています、

myanchan at 11:36│Comments(4)TrackBack(0)

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この記事へのコメント

1. Posted by yumi   2006年09月15日 10:46
後半の記事には驚きました。よくそのことを覚えていたね。それともおじいさんが今もそのことを詳しく覚えていて聞かせてくれたのでしょうか。これは私も大切に覚えていたいと思います。またおじいさんのおじいさん。先祖のことも何でも知りたいと思うようになりました。自分のルーツになるからね。
2. Posted by myan   2006年09月15日 19:48
5 おじいさんは偉い人でしたよ、指揮官だよ、サーベル(指揮棒)も家にあったよ、亡くなった母が教えてくれました、おじいさんは何も言わなかった、おじいさんは手記を書いて東京の兄に渡していました、それを兄が私に送ってくれました、自分が死んだら始末をして欲しいと兄に託していました、お父さんのお父さんのことは早く(66歳)亡くなり、余り記憶にありません、お父さんの母は84歳までいたからよく覚えているよ、
3. Posted by ゆみ   2006年09月22日 12:39
すごいねおじいちゃん。びっくりです。でもおじいさんもまた戦争の頃のことはよく覚えていても誰かに話し伝えることはしなかったんだね。そっと記録を残していてくれて本当に良かったと思う。おじいさんのお父さんは早く66歳でなくなったってあるけど、江戸生まれなんだよね。これを想像してもすごいです。士農工商のどれだったのだろう?あまりにも歴史が変化した頃を生きてこられてそれだけですごいことに思えます。
4. Posted by myan   2006年09月23日 09:10
5 この前のテレビでも言っていましたが、おじいちゃんのことを知りたいのは孫たちの世代と言っていましたが、そうい面でも共通点があるね、大学の卒業テーマにおじいちゃんのことを選ぶとか、だから孫達は戦争のことを知らないから、実際に経験ないから、よけいに興味がわくものとおもわれます、子供では戦後の苦労を知っているから、多少なりとも分かっています、戦争も忘れたい気持ちを持っています。

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