2006年09月14日

ダビンチ捜査官、消えた名画を追え(地球ドラマチック より)

ダビンチ(1452〜1519、イタリアのルネサンス期を代表する画家、67歳でフランスで没、フランソワ一世の後援の下で余生を過ごす、生涯独身)の作品、アンギアリーの戦い(高さ3m、横5m)(51歳の時の作品)、東方三博士の礼拝(ウフィツツイ美術館蔵、未完、イエスキリストの誕生を祝いにきた三人の博士を描いた絵、29歳の時の作品)をマウリッツオ.セラチーニ科学者が電子工学、医学などを応用した科学的手法にもとずいて解明するストーリーである、フィレンツエ出身のセラチーニは23歳の時、ダビンチ研究の一人者、カリフォルニア大学のカルロ.ペドレッチイ教授の研究チームに誘われる、彼のもとで建設的に名画を捜しだすことを学ぶ、アンギアリーの戦いは17世紀半ば姿を消す、現存の東方三博士の礼拝はダビンチの作品ではないことが判明、1504年レオナルド.ダビンチはアンギアリーの戦いを完成させた、が1563年に失われる、当時の権力の座にいたメリチケが6つの戦闘シーン(自分達の戦を賛美する為に画かせていた)をハザーリに命じた、1975年に現存のヴェツキオ宮殿(500人の大広間)の東の壁絵に医療用の超音波、レーザー電磁波を当てたらその下に隙間があることを発見、そこを調べたらにダビンチのアンギアリーの戦いの絵あるだろうと睨んだ(まだ議論の余地がある)、が調査の続行は壁に小さな穴を明け内視鏡カメラをいれなければならない、ハザーリーの絵を傷つけることで却下された、今度はセラチーニに東方三博士の礼拝の調査依頼がくる、名画の修復計画、この絵は1481年フィレンチェでダビンチが描き始めるが一年で止め、従って未完成、その後は18年間ミラノで活動しつずけた、調査結果、絵の質が低い、油絵の塗り方が違う、ダビンチの筆使いと違う、この絵はダビンチの絵ではないことを証明、無名画家が戦闘シーンを修正したものと結論ずける、一枚の絵に下絵が二つあり、最初の下絵がダビンチの絵と判明する、その絵を赤外線カメラとスキャナーでパソコンに取り込んだところ、下絵にはダビンチの29歳の時の自画像、アンギアリーの戦い原形(二頭の馬がぶつかり合うリアルな躍動感を持って描かれている)が現れる、当時何故アンギアリーの戦いが修道院に受け入れられなかったかは、依頼主が戦闘シーンを消し去りたかった、絵が祭壇にはふさわしくなかったんだと推測、下絵は現代のコンピューターで当時のままに再現する、セラチーニは業績を認められウフィツツイ美術館にダビンチの作品をメイン企画として公開される。又セラチーニはヴェキョ宮殿にあるダビンチのアンギアリの戦いの絵画もハザーリーの絵を傷つけることなしに取り出すことを計画中。また名画モナリザもダビンチが描いたものではないと睨んでいる。これは推測。

myanchan at 15:48│Comments(0)TrackBack(0)

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