2007年03月20日

岡崎嘉平太(NHKスペシャルより)

日本人のラストメッセージ、明日への言葉、信念を貫き、命をかけていった人々、大切なものは何か、国交のない時、日本と中国をつなぐ岡崎嘉平太、民間人、周恩来首相と掛け合う、100回に及ぶ中国への旅をつずけた、日中友好をかけた人、岡崎嘉平太、解説、国井雅比古NHKアナ、
歴史的調印式、35周年、田中首相と周恩来首相、わざわざ特別にねぎらった、人間的な魅力に惹かれた、何連涛(かれんとう)岡崎と周恩来の通訳をした、信は縦糸、愛は横糸、織り成せ人の世を美しく、何連涛夫妻は中国と日本がうまくいってないことに憂慮していた、1949年国民党は台湾に逃れた、1952年アメリカの意向に従い台湾と国交を結ぶ、岡崎は全日空の社長を勤めていた、
隣国といつまでも敵対しているのはおかしいと思った、松村謙三、日中をつなぐことに意気投合、貿易交渉、プラント輸出をつなぎ交流が生まれ、
向こうの技師と交流、岡崎は岡山県吉備中央町、1897年農家の長男として生まれる、1922年東大卒後、日銀入行、1938年から上海に駐在、華興商業銀行理事として敗戦までの7年間を暮らす、戦後は公職追放を経て、1949年公職復帰、1961年から1967年まで全日空の社長となる、日本國際貿易促進会の設立に参画、日中貿易の発展に積極的に関与した、1962年けい承志(日中友好協会初代会長)と高橋達之助(岸内閣通産相)の間で調印された日中覚書貿易協定にもとずく覚書貿易事務所の日本側代表に就任、(LT貿易)日本の将来、わが国の利益になることを常に考えていた、右翼団体の嫌がらせにも屈服しなかった、岡崎さんは政府の代表の立場ではなかった為、思いきったことが出来た、逆に政府に働きかける立場であった、
日本と中国は2000年に渡る友好があるが、戦争の歴史は数十年しかない、岡崎は中国のことをよく知っていた、旧通産省渡辺弥栄次、中国の重要性を理解し中国に派遣する、高向巌、中国と向き合え、岡崎(周総理より一つ年上)と周恩来二人は兄弟と呼び合う信頼関係であった、最大の危機1967年9月、佐藤総理が台湾を訪れ中国の敵視政策をとる、1972年アメリカ、ニクソンが中国訪問、中国は国連加盟、台湾は辞退、戦争賠償金(500億ドル〜800億ドル)は国民負担となる、中国は賠償金はとらないと明言した、佐藤内閣から田中内閣になり訪中決定、日中友好条約成立直前二日前の中日国交正常化祝典で周恩来に岡崎は水を飲む時に井戸を掘った人を忘れないといわれ感激する、戦後27年目にして日中友好条約成立、周恩来は日中国交成立4年後78歳の生涯を終えた、岡崎は1989年100回目の中国の旅を迎えた、3ヵ月後自宅で転倒92歳の生涯を閉じた、今もなお周恩来の故郷、淮安市と岡崎の故郷、岡山県吉備中央町は交流をつずけている、現在でも大国の利害関係がある為、政府間ではぎくしゃくした面があるが民間レベルでは旨くいっている、日中間では産業をはじめ、学問の分野(留学生)他、様々な分野で盛んに交流が行われている、日中間では岡崎をはじめ様々な人達が井戸堀に参加されたことを伺い知ることが出来ました、又同じアジア人として、互いに共通する所が多分にあるように思えます、

myanchan at 19:36│Comments(0)TrackBack(0)

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