November 11, 2006 02:26

国会における教育基本法改定の論議が大詰めになってきた。最近、教育関連のエントリを書いているついでに、私のこの問題に対する立場を記しておきたい。

まず、なぜ政府・自民党は教育基本法を改定しようとしているのか(以下、引用(「 」内)は自民党HP内教育基本法改正Q&Aより。引用者が適当に要約)。

(問1)
1. 教育基本法は、「連合国占領下で制定され」「GHQの影響を受けている」ものであり、「我が国の伝統や文化に根ざした真の日本人の育成のため、教育基本法の改正は、憲法改正と並んで自民党の結党以来の悲願」

2. 「教育基本法が前提としていた経済社会や国民生活の状況が、大きく変わ」った。




この改定の理由からして突っ込みどころが満載である。まず、教基法がGHQの影響を受けている、と述べているが、GHQの影響があるから問題ならば、憲法のみならず、現行の法体系全てを問題とするべきである。憲法や教基法だけでなく、 労働三法も独占禁止法も地方自治法も公職選挙法も・・・・・と、日本の現行法のなかでも極めて重要な法が占領期に制定されている。もし、GHQの影響を受けていることが問題ならば、なぜこれらの法律を問題にしないのか。わざわざ立法趣旨にこんなことを入れることの意味がさっぱりわからん。

さらに、教基法が前提としていた社会や国民状況が変わったことと、「自民党の結党以来の悲願」は矛盾する。当然のことながら、教基法制定当時と現代とでは、社会状況や国民状況は大きく変化しているが、それらの変化の要因となったのは1950年代半ばから70年代前半までの高度経済成長によるものである。しかし、ご存知の通り、自民党結党は1955年である。高度経済成長のまさに入り口という時期に自民党は結党されたのである。ということは、当然、自民党結党時と現在とでは大きく社会状況、国民状況は変化しているのである。にもかかわらず、高度経済成長以後の社会・国民状況に対応するための改定ではなく、「結党以来の悲願」なんてものを持ち出している。50年前の悲願が現在の社会・国民状況に対応できないことなど、考えなくてもわかる。ならば、両者はどういう関係にあるのか、ということを説明しなければならないはずだが、今までにそのような説明を見たこともきいたこともない。


(問1)
3. 「近年、子どものモラルや学ぶ意欲の低下、家庭や地域の教育力の低下」「若者の雇用問題も深刻化」 などの問題。

4. 「戦後社会や教育現場においては、個性の尊重や個人の自由が強調される一方、規律や責任、他人との協調、社会への貢献など基本的な道徳観念や「公共の精神」が」「軽んじられ」、「その結果、ライブドアの決算粉飾事件や耐震偽装建築問題に代表される拝金主義やルール無視の自己中心主義が、日本社会や日本人の意識の中に根深くはびこ」った。



この部分は全く意味不明である。「子どものモラルや学ぶ意欲」「地域や過程の教育力」「雇用問題」が教基法を改定すれば、なぜ向上するというのか?
いままで勉強しなかった子どもが、「教育基本法が変わったから、僕勉強するよ」なんていいだすとでも思っているのか?
地域や家庭の教育力の教育力が低下しているのかどうか、ということ自体が論点であるし、もし低下していたとして、それらを回復させるために必要なことは、子どもの親の厳しい労働環境や、日本の人口の都市への集中を緩和することではないのか。「若者の雇用問題」も含めて、これらの問題に対する対策として必要なことは、労働法制やその運用を改めて時間的なゆとりを作り出し、子どもの教育や地域の活動に様々な人々が参加できるようにすることではないのか。東京や都市に集中した人・物
・金を地方や過疎地域にも配分されるように、日本社会の構造を変えていくことではないのか。

また、ライブドア問題にしても耐震偽装問題にしても、90年代後半からのネオ・リベラリズム的経済・財政政策を抜きにして語ることは不可能である。ましてや、ライブドアのほりえもんを昨年の衆議院選挙の際に熱烈に応援したのはどこの誰か。

戦後教育のせいで拝金主義や自己中心主義がはびこった、なんてのも本当かどうかわからんし。なぜなら戦前にもそういう議論はてんこ盛りだから。例えば河上肇は、1916年に書いた『貧乏物語』のなかで、当時の人々が「極端なる個人主義、利己主義、唯物主義、拝金主義にはしる」と記している。ジニ係数などをみれば、戦前のほうがはるかに経済的不平等度が高く、人々が経済的利益を追い求めた行動をする社会的土壌があるのだが、それでも自民党は戦後教育が原因で上記の問題が起こったと考えているらしい。

自民党がいう教基法改定は、社会問題や労働問題として考える問題を教育問題としてすり替え、教育悪玉論をでっち上げているだけである

改定理由にあるような問題が教基法の改定によって改善される、ということは論理的にありえないが、このようなめちゃくちゃなことを行う政策的意図がどこにあるのか、を考える必要がある。巷では、愛国心を強要するかどうか、が重要な論点となっているが、私はそれよりももっと重大な政策的意図があると思う。それは以下の文章を読めば見えてくるであろう。


(問14)
1. 今回の教育基本法の改正により、一部の教職員団体による「教育権は教師にのみあり、校長等の指示や指導は不当な支配である」という主張は根拠を失うこととなります。したがって、今回の改正を機に、国及び地方を通じて、教育の正常化の取組を強化していく必要があります。(全文引用)

2. 今後とも、文部科学省に対して、学校において適切な管理・運営がなされるよう教育委員会への指導の強化を求めていきます。

(さらに、問16の項には、「教職員団体の不当な介入の根拠を与える規定の一掃」と記されている)


上の文言や、最近の中川昭一幹事長の「日教組の一部活動家は(教育基本法改正反対の)デモで騒音をまき散らしている」「下品なやり方では生徒たちに先生と呼ばれる資格はない。免許はく奪だ」(http://www.mainichi-msn.co.jp/seiji/feature/news/20061023k0000m010115000c.htmlから、政府による教基法改定の意図を読み解くならば、生徒以上に現場の教師に対する締め付けの強化であり、学校教育における日教組教員の追放であろう

一部には、日教組やそれに属する教員こそが、日本の教育をダメにした、という「日教組悪玉論」が存在することは確かである。しかし、この議論は、日教組の組織率が年々低下しており(http://www.mext.go.jp/b_menu/houdou/16/12/04121002/001.pdf)、それに伴って日教組の教育や政治に対して影響力が低下している、という点や、戦後一貫して政権を握り、文部行政を推し進めてきた自民党の影響力を全く考慮に入れていない、という点で大きな問題がある。

私もバイトで塾の先生として働いているため、中学生や小学生から様々な学校の先生の話を耳にする。その際、いい先生がいるという話もあれば、これはひどい、と思うような先生の話もある。当然のことであるが、重要なことは、子どもの発達段階や理解力に応じて、丁寧にわかりやすい授業をするかどうか、子どもの状況や性格に応じて適切な指導やアドバイスができるかどうか、であって、日教組に所属しているかどうか、ではない。日教組に属してようが、属していまいが、教員としての適性を欠いた先生にはやめてもらい、より教員としての技術と適性をもったものを集められる仕組みを作ることが重要なのである。そのように観点からするならば、教育行政として必要なことは、教員としての高い技術と適性をもった人を学校現場に派遣するために、教員の待遇改善こそが求められるのではないのか少人数の学級にして、教員がきめ細かな指導ができる環境を整えることではないのか

最後に、一言。私は、教基法改定は何でもかんでも反対ではない。例えば、先日の朝日新聞に、教基法は国民に対してのみ教育の機会を保障しているものであって、日本に在住する外国人の子どもにはそれを保障していない、として改定を求める意見が掲載されていた(例えば3条には次のように記されている「すべて国民は、ひとしく、その能力に応ずる教育を受ける機会を与えられなければならないものであつて、人種、信条、性別、社会的身分、経済的地位又は門地によつて、教育上差別されない。」)。
日本で生活している全ての人々が、等しく教育を受ける機会をもち、教育を受ける権利を行使できるように教基法を改定するならば、私は両手を挙げて賛成する。政府にはそのような改定を望みたいと思う。

October 31, 2006 02:56

このブログの前回のエントリで、大昔の入試問題を取り上げたと思ったら、世間ではいつの間にか、入試に必要のない必修教科の不履修が全国の高校で行われている事が発覚していて、自殺する校長まで出たそうな。http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20061030-00000160-jij-soci

巷ではやれ文科省の責任だ、いやいや学校の責任だ、教育委員会の強化だ、ルール違反は許せない、受験生の間で不平等が・・・・・などといった話が出ているが、はっきりいって、私にはそんな話には関心がない。というよりも、この問題の重要なポイントはそこではないだろう、と思うわけです。私には、現在の学校における知のあり方を考え直す重要な問題が潜んでいるように思うわけです。

そもそも、不履修の問題が起こることとなったのは、学校の週休2日制の導入による授業時間の減少と、同時に、公立・私立を問わない学校間の競争、すなわち、卒業生の大学進学業績の競争が激しくなったことが大きな要因となっている。いかに、少ない授業時間で、高い業績を上げなければならないのか、が学校現場に対するプレッシャーとなっているからこそ、今回の問題は起こっているのである。

しかし、少子化により受験生の絶対数が減少しているにもかかわらず、学歴競争が激化しているのはなぜか。それは、私が考えるには、日本の産業の構造が極度に都市のサービス業や機械を利用した製造業が肥大化する一方なのに対し、農林水産業や手工業といった経験や技術の熟練を必要とする産業が縮小の一途をたどった結果として、学歴ないしは学校で得る知識が、その人の人生に決定的な役割を果たすこととなったからなのではないか。普通の公務員・サラリーマンの子どもは、当然、成人したら自動的に継ぐことのできる家業や就労手段を持たない以上、少しでもいい学歴や知識を得て、「いいサラリーマン」になることを目指すしかないのである。

少しでもいい学歴を得るために、入試に必要なことだけ勉強し、必要のないことは勉強しない。勉強に対するこのような姿勢は、少しでもいい大学への合格だけを真剣に考えれば考えるほど、必然的に導き出されるものであるとすらいえる。

その意味では、多摩地区で公立高校としてはきわめて高い進学実績を誇る八王子東高校で、校長が生徒に対して不履修問題に対して謝罪した席で、生徒の一人から「文科省のカリキュラムに問題はないのか」という質問が出ていたが、これは極めて的を得た質問であるといえる。理系の生徒は入試に世界史の知識は必要ないし、大学入学後も必要とされることはほとんどない。なぜ、そのような不要な知識を得るための勉強をしなければいけないのか、という生徒の意見は検討に値する重要な指摘である。

しかも、問題は大学入試を目標とした高校だけにとどまらない。経済のグローバル化により、激しい国際競争にさらされている企業は、即戦力として使える知識をもった学生を求めている。即戦力として使える、ということは、すなわち、業務に必要な専門的な知識やスキルをある程度は備えている、ということである以上、ほとんどの場合、古代ローマや中国の変わった人名や歴史的な事件の年号を覚えていることではないのである。経済成長による景気回復、財政健全化を政府が目指しているならば、なおのこと、世界史の知識のない学生がいることよりも、専門において深い知識を身につけていない学生が存在することを問題とすべきなのではないか。そのように見ると、文部科学大臣をはじめとした閣僚が「ルール違反はダメ」という立場からだけ発言しているという事態は、彼らの無能っぷりを示しているようにも見える。

なぜその知識が必要なのか、の説明責任を欠いたルールの押しつけとしてなされる教育などは、その教育を受ける方の立場にとって見れば、迷惑以外のなにものでもない。美しい日本をつくるだとか、日教組が全て悪いとか、なんだかわけのわからない居酒屋教育談義しか語れない政治家に欠けているのは、現実の社会構造や社会情勢(の展望)から導きだされる知のあり方に対する構想である。



とまあ、色々書いては見たのだが、しかし、しかし、である。就職に必要のない知識は本当に必要のない知識なのか、という疑問は私には根強く残る。少なくとも、私自身は、歴史学という就職には一切訳の立たない学問を勉強し、大学院にまで進み、もう30歳が見えるところまできてしまっている。(抽象的な)知識がないことに対する漠然とした不安というか、知識がないことに対する強迫観念みたいなものが、10代後半から20代前半までの私のなかには存在していて、同世代のほかの多くの人と比較すると圧倒的に多くの、様々な本を読んできたという自負もある。私は、『資本論』を全巻読んだり、『丸山真男全集』をもってはいないものの、いわゆる教養主義者の端くれであることは間違いないと思う。読書をすることで人格が完成するとも思わなければ、スポーツ嫌いでもないし、ましてや東大生でもない。教養主義者としては傍流も傍流であるにしても。

しかし、就職や人生に何の役にも立たないものであったとしても、読書をして知識を身につけることは、私にとってはなくてはならないものであったし、それなしには今の私たりえなかったことも間違いない。そういう私の立場からすれば、役に立たない知識をつけることは、人生のなかでまんざら悪いものではないように思うのである。ただ、それが学校で単位として必要か、と問われればそれに対して、堂々と「yes」と答えることもできないのであるが。

まとまりのない終わりになってしまうが、今回の不履修問題は、学校における知のあり方を、就職や経済構造の観点から見直す必要を提起しているものであると同時に、教養というものをどのような知として考えるのか、学校教育で教えるべき知の体系のなかでどのように位置づけるのか、ということを突きつけているように思う。私はまだその答えを見出せていないのだが・・・・

October 19, 2006 18:01

私、ただいま訳あってすごく古い入試問題をみております。

貴様らにこの問題(とその出題校)が解けるかぁーーーーー!?

○国語

下線部の漢字を読みなさい。

1.彼は純忠義烈醇厚清廉、真に我が武士道の権化なり。
2.飛行機が新鋭の武器として、殊勲偉績てたことは、世の遍く知るところであるが、鹵獲した敵機を利用して、かも捕虜の敵将に操縦させ、以て重囲を脱してるは、空界の一記録である。

○英語

次の文章を英訳せよ

「日本海海戦ノ写真一葉御送リ申上ゲ候ニ付御受取下サレ度候」

次の文章を和訳せよ

Across the sea, far away in such places as Australia, New Guiea, Borneo, and Ceylon, there live even to this day creatures so wild if you saw them you would scarcely believe that they were human beings and not wild animals in the shape of men, covering themselves with mud, feeding on roots, and living in roughly made huts or in woods under the shelter of trees.

○地理

下記の県内にある県庁所在地及師団司令部(番号共)所在地名を記せ

1.青森県 2.神奈川県 3.宮城県 4.島根県 5.福岡県 6.石川県 7.岡山県 8.茨城県 9.香川県 10.滋賀県

○歴史

1.蝦夷人を征服同化シタル始末ヲ記セ
2.一例をあげて御歴代の天皇の御仁徳に就いて述べなさい。
3.次の神社は誰が祀ってありますか
  1.御王神社 2.談山神社 3.霊山神社 4.北野神社 5.建勲神社




















解答例と出題校

○国語(昭和5年度 陸軍幼年学校)
1.じゅんちゅう、ぎれつ、じゅんこう、せいれん、ごんげ
2.しんえい、しゅくん、いせき、た、あまね、ろかく、し、ほりょ、そうじゅう、じゅうい

なんたって例文がすごい。鹵獲なんてのが入試問題に出てくるところが幼年学校らしい。

○英語(昭和5年度 海軍兵学校・海軍経理学校)

英作

As I sended you a picture of Battle of Tsushima (straits),I'd like you to receive it.

やっぱり海軍は日本海海戦が忘れられないらしい。

和訳

「海を遠く渡ってオーストラリア、ニューギニア、ボルネオ、セイロンなどに行くと、現代においてもなお、体に泥を塗り、ガツガツ食事をし、荒っぽく作られたあばら屋や、樹の陰に住んでいる人々がいる。彼らを見たとき、人の形をした野生動物ではなく、人間だと信じることはほとんどできない。」

よく国際問題にならなかったな!この英文すごすぎ

地理と歴史は解答例なし。知らないし答え方がわかんねえええ!!!
出題校は、

地理は昭和5年度陸軍工科学校。

歴史の1は、昭和5年度の第一高等学校。そう、かの有名な一高。軍事関係の学校じゃないんですよね。しかし、「征服同化」なんて堂々といえるとは・・・・同じ権利を持つ人間として扱ってない、というのがありありと伝わりますわ

歴史の2と3も軍事関係の学校ではなく、東京府立6中(現、新宿高校)。出題年度も異なっていて、大正14年度です。

全部できた人はいましたか?地理と歴史の解答を作ったという気まぐれな人は、わたしに教えてください!!!

October 13, 2006 03:02

日付が変わってしまったが、今日、北海道日本ハムファイターズが25年ぶりにリーグ優勝を果たした。不遇な年月を過ごした東京ドームから思い切って北海道に移転して3年、地域密着の営業努力の上に、新庄の移籍、八木とダルビッシュという新戦力の活躍という幸運も重なって、地域とチームが一丸となったすばらしい優勝だったと思う。

しかし今回、私は始まって3年のプレイオフについて考えてみようと思ってみた。来年からセ・リーグでもプレイオフがはじまることが決まり、NPBでも本格的なプレイオフ時代(?)を迎えることもあるし、何より今回のプレイオフのやり方に私自身が強い疑義をもっているからである。

スポーツのルールというものは所詮「決め事」であることから、完璧な方法があるわけではない、ということを念頭におきつつも、いくつか私案を出してみたいと思う。キーワードとなるのは「平等性」「正統性」「インセンティブ」であると考える。

私が今回のプレイオフに疑義をもっているのは、なによりもその平等性に問題がある、と考えるからである。ご存知の通り、今年のプレイオフの方式は、レギュラーシーズンの1位通過チームに、3勝戦勝のうちの1勝が与えられていた。これは、過去2年間、1位通過チームが敗退したことにより、レギュラーシーズン1位通過、という成果に対するインセンティブが疑問視され、それを高めるためになされたルール変更であった。

しかし、対戦が始まる前から1勝が与えられている、ということは、両チームが平等な条件で戦わないことを意味する。アレン・グットマンがいうように、近代スポーツの重要な原則のひとつとして、平等性が重要な意味を持つ以上、この原則に反するようなルールに対して私は疑義をもったのである。現在のような2リーグ制を前提として、リーグチャンピオンを決めるためにプレイオフを行うということは、当然のことながら、レギュラーシーズン1位のチームが敗退する可能性というのは常に存在するし、1位チームが負ける可能性があるからこそ、それ以外のチームと対戦するプレイオフもまた盛り上がるのである。最初から平等に争わず、レギュラーシーズンの1位チームを日本シリーズにどうしても進めたい、とすら思えるようなルールにするならば、最初からプレイオフなどやらなくてもよく、1位チームをそのまま日本シリーズ進出チームにするという、旧来の方法にすればよい。繰り返すが、プレイオフは、1位が負ける可能性があるから盛り上がる、ということを忘れてはいけないと思う。

ただ、同時に問題となるのは、日本シリーズに進出するチームが、果たしてその価値のあるチームであるのかどうか、という正統性の問題である。先日、豊田泰光が朝日新聞にプレイオフ批判の文章を書いていたが、「レギュラーシーズン1位のチームを日本シリーズに進めよ」という彼の批判は、まさしくその正統性を問題としているのであり、同時にレギュラーシーズン1位のインセンティブとして、日本シリーズを位置づけよ、というものであった。たしかに、現行の制度では、3位チームがプレイオフに進出できる以上、レギュラーシーズンの勝率が5割を切ったようなチームでも日本一になる可能性があるため、「短期決戦にだけ強いチーム」「最後だけ調子のよかったチーム」が日本一になる可能性が常に存在する。しかし、そのようなチームが年間の最高のタイトルにふさわしいチームなのか、という正統性に対するは疑問はでざるを得ないであろう。

そもそも営業的な観点からプレイオフが導入されたのだから、どう制度を設計しようが、どこかに無理は出ざるを得ない。だから冒頭に述べたように、完璧な案などないのであるが、ここは私の立脚点として今回のような「不平等な制度」ではなく、平等にプレイオフを行うことを前提としつつも、「正統性」と「インセンティブ」も両立しうる制度がありえるのか、を考えてみた。


○正統性の観点から


1.アメリカのようにリーグを「東地区」「西地区」に分け、地区優勝チームがリーグチャンピオンシップを戦い、両リーグのチャンピオンで日本シリーズをする

これは正統性とインセンティブの両方を一番満たす理想的な方法だと思う。地区優勝しなければリーグチャンピオンシップに進めないし、リーグチャンピオンシップに進出できることがインセンティブになるからである。ただし、日本はアメリカに比べてチーム数が少ないため、3チームしかない「地区優勝」にどれだけ価値があるのか、さらには、リーグ内での各チームの対戦試合数を同じにすれば、実質「4位」のチームが「地区優勝」となるという正統性における疑義がある。同地区内の対戦数を多くすれば、「地区優勝」の正当性はかなり確保されるが、この方法を導入する際の最大の問題は、巨人との対戦が少なくなるセ・リーグのチームが賛成しない、ということである。


2.交流戦優勝チーム(リーグ内最高勝率チーム)とレギュラーシーズン1位チームでリーグ優勝チームを決定

せっかく交流戦というものが行われているのだから、そこで最も高い勝率を収めたチームと、レギュラーシーズン1位チームがプレイオフを行う、という方法も考えられる。しかし、この方法の問題点は、レギュラーシーズン1位チームと交流戦最高勝率チームが同じ場合にプレイオフを行うのか、ということである。もし同じ場合、「交流戦で勝率がリーグ内2位のチーム」と対戦する、という方法もあるが、最悪の場合、「交流戦8位」のチームが日本一を争う、ということになり、正統性に大きな疑問がでることがありうる。
また、交流戦優勝チームは、残りのレギュラーシーズンが「消化試合」になる、という恐れもある。


3.「セ・リーグ1位」vs「パ・リーグ2位」、「パ・リーグ1位」vs「セ・リーグ2位」がプレイオフを行い、それぞれの勝者が日本シリーズを戦う

これは以前虎哲さんが提唱していた方法だが、同一リーグ内で日本シリーズ進出チームを決めるのではなく、普段とは枠組みを変えた対戦でプレイオフを行うというものである。2位チームは他方のリーグの1位を破ってから日本一を争うため、それが正統性を担保することになる。しかしその場合、一方のリーグからは日本一を争うチームがない、という点に疑問が出る可能性がある。


4.レギュラーシーズンを前期・後期に分け、それぞれの1位チームがプレイオフを行う

これは以前パ・リーグやJリーグで実施されたものであるが、2の交流戦を採用するものと同様に、同一チームが1位になった場合の問題と、「消化試合」の問題がある。


○インセンティブの観点から


レギュラーシーズン1位チームには、プレイオフの1勝とは違った次元でのインセンティブを与える、という方法も考えられる。


1.ドラフトで優遇

例えば、レギュラーシーズン1位チームには、ドラフトで優先的に指名権を与える、などのインセンティブを与えることも考えられる。ただ、この方法は、ドラフトのそもそもの理念である「戦力均衡」に真っ向から対立する。強いチームにいい選手が入るわけですからね。また、ドラフトでいい選手が入るために、現在のチームの選手ががんばる、というのもおかしな話だと思う。


2.金銭的に優遇

交流戦やプレイオフの放映権料の何%かをNPBかリーグの収入とし、1位チームに大きなメリットがあるように分配する、という方法もひとつだと思う。例えば、サッカーのヨーロッパチャンピオンズリーグは、本大会出場チームに2億円程度の分配金があるが、優勝チームには与えられる分配金はおよそ50億円、とけた違いに大きい。10億単位の金額ならば、相当額が選手の給料に反映されるだろうし、チーム力強化やチームの採算に寄与する割合も高いと思われる。


3.プレイオフで優遇

例えば、リーグチャンピオンシップの試合を全試合1位チームのホームスタジアムで行う、という方法である。これならば、プレイオフ開始時点の平等性を担保しつつ、収入の点でも、試合中の選手に対する影響の点でも、レギュラーシーズン1位のインセンティブになりうると思う。また、ファンにとっても1位の恩恵を与えるものとなると思う。



今日、私が考えてみたのは以上のぐらいである。それぞれにメリット、デメリットが存在するし、色々組み合わせることも可能だと思う。ただ、これからNPBで本格的にプレイオフが導入されるならば、やはり両リーグで同一の方法を採用するのが望ましいと思う。何度も言うが、私は平等性は近代スポーツの重要な立脚点のひとつである、と考えるからであり、それがまた(見る)スポーツの面白さを保証するものと考えるからである。この問題に興味ある方からは、ご意見にただければ幸いです。

September 22, 2006 12:03

6090b9a2.jpg7月になくなった前高野連会長、牧野直隆氏のお別れ会が開かれ(http://www.asahi.com/sports/update/0921/132.html)、それに行ってきた。場所は大阪・梅田にあるリッツ・カールトンホテル。

2時開始、ということだったので1時半には会場に着くように家を出て、電車に乗って徒歩で会場へ。梅田駅からは10分くらいでした。行くまでは、高野連関係者だけが集まる小さな集会だと思っていたのですが、なんのなんの。会場に行ってみるとなんと人の多いこと。「三田倶楽部」「報道関係」「野球団体」「高校野球関係」「一般」とそれぞれ受付があり、ざっと見渡しただけでも1000人くらいの人でごった返していました。

会場のいたるところで、旧友や野球関係者らしき人たちが「ひさしぶり」だの「お世話になりまして」などの挨拶をかわしていて、一人だけで参加した私はかなりの居心地の悪さを感じました。

通路から会場に入る人たちがたくさんいたので、その人たちの列に着いていくと受付もせずに会場入りすることに。入り口付近には警備の関係者らしき人たちもいて、これから外に出ると怪しまれるかと思い、そのままなかで待機することに。すると、1時40分くらいから現高野連会長、脇村春夫氏の挨拶が始まり、その後、太田房江・大阪府知事や森喜郎・体協会長の弔電紹介があり、来賓からの献花が始まりました。

私としては、この機会に牧野氏の親族だけでなく、脇村会長や田名部和裕参事とも顔見知りになりたかったのですが、来賓はさっさと献花を済ませて会場を退出してしまったため、捕まえることができませんでした。

私は一般の参列者なので、献花が始まってから10分ほどして、ようやく献花。献花を済ませるとロビーに出て誰か関係者を捕まえることにしました。

ロビーに出ると、同じ場所でプロ野球の選手会とオーナー側とのドラフト問題の話し合いも行われていたらしく、ヤクルトの宮本と巨人の小久保がドラフト関連の質問を記者から受けていました。私はすることもないので、それを見に行くことに。小久保はテレビで見るよりも背も高くて、さすがホームランバッター、という風体だったんですが、宮本は背も私と対して変わらない。これぐらいの身長の選手でもプロでやっていけるんや、とつくづく自分の才能のなさを思い知らされました(っていうか、宮本と比べること自体が間違ってるんやけれどw)

そうこうしているうちに、親族控え室に戻ってきた方がおられたので、声をかけ、名刺を渡すことに成功。その方は牧野氏の娘さんの旦那さんという方で、牧野氏の史料などについては、三田倶楽部か高野連に直接聞いてもらったほうがいいのではないか、という返事をいただきました。

それを受けて、今度は三田倶楽部の受付にいた方に声をかけて名刺を渡すと、慶応大学野球部のOBで、高校野球の審判を30年務めたあと、今は高野連の常任理事を務めておられるN氏という方を紹介していただきました。N氏との交渉の結果、色々私に話をしていただけるということなので、近くの喫茶店に行き、話を伺ってきました。

N氏は牧野氏よりも20歳以上年下(といっても70歳を超えているわけだが)ということで、戦前の学生野球のことについては伝え聞く程度、ということでそれほど新しい情報を得られたわけではないのですが、戦後の高校野球についてはいろいろと興味深い話を伺うことができました。特に、女子の高校野球参加には脇村会長は積極的であるという話は興味深かった。ただ、高野連内部としてはまだ3割程度しかそれに賛同を示している人はなく、コンセンサスを得られていないこと、試合や練習中の怪我が訴訟に発展する場合があるという問題をどうクリアーするか、この2つが女子の高校野球参加のネックになっているという。

また、N氏の口調からは、現在高野連は野球留学の問題に強い関心をもっていることをうかがい知ることができた。特に、金銭が介在した「人身売買」のような野球留学(100人以上も全国から部員を集めている四国の強豪校のような)は、ネタをつかんではいるが、どのようにすればやめさせることができるのか、を内部で検討しているという。

そのほかにも、プロとの関係の雪解けやドラフトの問題、投手の連投制限のルール化など、突っ込んだ話も聞くことができて、非常に興味深いものとなりました。取材を受けてくださったN氏には心から感謝の意を示したいと思います。

September 17, 2006 17:24

今日は何の日でしょう?

まあ、こんなことを書くぐらいですから、我輩の誕生日であることは、賢明な皆さんのことですから、すぐにお分かりになったことでしょう。

今日は、wikipediaを使って、自分の誕生日の出来事を調べてみました。結果はこちら(http://ja.wikipedia.org/wiki/9%E6%9C%8817%E6%97%A5


まずは出来事から。


1631年 - 三十年戦争: ブライテンフェルトの戦い。
1945年 - 枕崎台風上陸。
1952年 - 明神礁出現。
1964年 - 東京モノレール開業。
1968年 - 江夏豊(阪神)が甲子園球場での対巨人戦で王貞治から日本記録となる354個目の奪三振を記録。
1988年 - 第24回夏季オリンピック、ソウルオリンピック大会開催。10月2日まで。
1996年 - LAドジャースの野茂英雄が対ロッキーズ戦でノーヒット・ノーランを達成。
2002年 - 日本国の小泉純一郎首相が訪朝、朝鮮民主主義人民共和国の金正日総書記が拉致事件を公式に認める。
2004年 - 日本プロ野球選手会がプロ野球史上初のストライキを決行。

さすが、「野球の神様の子供」と呼ばれているだけあって、野球にまつわる出来事が多いのなんの。江夏の奪三振記録、野茂のノーヒットノーランに加えてプロ野球のストライキ決行の日でもあります。


続いては誕生日。


1552年 - パウルス5世、ローマ教皇(+ 1621年)
1826年 - リーマン、数学者(+ 1866年)
1857年 - コンスタンチン・E・ツィオルコフスキー、宇宙工学者(+ 1853年)
1867年 - 正岡子規 、俳人、歌人(+ 1902年)
1903年 - 男女ノ川登三、第34代横綱(+ 1971年)
1907年 - 東野英治郎、俳優(+ 1994年)
1914年 - 金丸信、政治家(+ 1996年)
1931年 - 曾野綾子、小説家
1935年 - 杉浦忠、プロ野球選手、監督(+ 2001年)
1941年 - 橋爪功、俳優
1944年 - ラインホルト・メスナー、登山家
1948年 - ちあきなおみ、歌手
1959年 - 大島智子、女優
1960年 - デイモン・ヒル、1996年F1ワールドチャンピオン
1963年 - 蝶野正洋、プロレスラー
1969年
ビスマルク、サッカー選手 
三瀬真美子、タレント(シェイプUPガールズ)
1971年 - 田之上慶三郎、プロ野球選手
1974年 - 徳山昌守、プロボクサー
1976年 - 小島可奈子(こじまかなこ)、グラビアアイドル、女優
1978年 - なかやまきんに君、タレント
1985年-北山宏光、ジャニーズ事務所のユニットKis-My-Ft2のメンバー
生年不明 - 安孫子真哉、銀杏BOYZ
生年不明 - 虎、ミュージシャン(アリス九號.)

なんだかよく知らない人も混じっていますが、やっぱり「神の子」だけあって、かの正岡子規と誕生日が同じじゃないですか!!!
「のぼーる」ですよ、「のぼーる」。ハンパない。俺様も正岡子規を見習って、「ベースボール」を「野球」と翻訳したのはこの俺だ、とデマを流してみるか。

これまでは「なかやまきんに君」と生年月日が同じ、といわれ続けてきましたが、これからは「のぼーると誕生日が同じ」であることを主張していきます。

September 13, 2006 00:38

私が塾のバイトを始めた初年度に、英語の授業のなんたるかを見させていただいたエンジェル先生。茶目っ気あふれる会話とシメることの両方がうまくて、ほんとに参考にさせていただきました。私の授業はまだまだエンジェル先生レベルまではいってなくて、生徒をうまく操りながら授業をすることの難しさを痛感している今日この頃です。

そんなエンジェル先生からバトンがまわってきました。タイトルは「印象バトン」(?)。いっちょやってやりましょう。

●回してくれた方に対しての印象をドウゾ

大胆かつ繊細。柔と剛を併せもっていて、その使い分けがとてもうまい。

●周りから見た自分はどんな子だと思われていますか?

難しいけれど、インテリ(風)だとは思われているハズ。あとは、酒好き、麻雀好き、変態ぐらい?

●自分の好きな人間性について5つ述べてください。

「人間性」というカテゴリーにはいるかどうか、はよくわからないけれど、好ましいと思う特徴をあげてみます。

・ 主体的に思考・行動する
・ 悩んでいたり、矛盾を抱えている
・ 複眼的な思考、物の見方ができる
・ 言いたい事、言うべきことを言う
・ 巨乳(女性に限る)

●では反対に嫌いなタイプは?

・ 「え〜、わかんな〜い(はぁと)」が口癖の人。
・ 考えが全く読めない行動をする子ども
・ 下ネタを一切受け付けない人(嫌いというか、苦手。その考え自体は尊重しますが、長くお話しするとなると厳しいですね)
・ 24時間テレビを見て感動して泣く人。
・ ネット右翼(オトタケ君のブログをフレーミングさせて喜んでる人)

●自分がこうなりたいと思う理想像とかありますか?

・ 論文が学会内で高く評価されて、著本がバンバン売れる大学教授。
・ 点5の麻雀で場代を払ってもトータルプラスになる人。
・ 即興の議論に強い人。
・ テクニシャン。
・ ダシを上手にきかせた和食の料理人。

●自分の事を慕ってくれる人に叫んでください。

そんな奇特な人がいるのか!? もしいるならば・・・・・

愛想を尽かさない程度にほどほどに見守っていてください。

暇があるならば、ハルちゃん、あにーた、しろくま、TM、酔いどれの修論軍団、やってみたまえ。


バトン作成者の意図に反して、あんまり精神性に重きをおいた答えにはなりませんでしたが、いかがでしょうか?こういう答えでもいいのでしょうか?
好きなタイプとか、嫌いなタイプとか、一言で語るのは難しいですね。やっぱり人それぞれいろんな特徴があるし、私との相性もありますからね。おそらく、嫌いな特徴のどれかの特徴が当てはまってても、嫌いじゃない人もいるやろうし、特徴に当てはまってなくても、嫌いな人もいると思うし。好きな特徴についてもまた然り・・・・
そういう難しさというか、いろんなところが人間の面白さやとも思うので、・・・・・やっぱり難しいなあ・・・・

September 08, 2006 14:57

京都で開かれた現代スポーツ研究会という研究会に参加してきました。研究会は2泊3日で、1本のシンポジウムと6本の個人発表が行われ、個人発表のうちのひとつが私の発表でした。

1日目は「トレーニングは『なにを』トレーニングするのか」と題したシンポジウムで、運動生理学的な観点から、高いパフォーマンスを生み出すためにはどのようなトレーニングが有効なのか、ということを中心に議論が行われました。私には極めてなじみが薄い分野なので、完全に門前の小僧状態。
自分がプレーをしていたときには全く持って疑問を持たなかったトレーニングというものが、けっこう複雑な仕組みや理論形態をもっていること、実はどのようなトレーニングが有効か、ということはあまり明確な理論体系ができているわけではないこと、「あいまいな」トレーニングこそが実践ではけっこう有意義なことなどが理解できました。

2日目が個人報告。

1.熊谷修司「野球の技術・戦術指導について」
2.近藤雄一郎「アルペンスキーの技術指導について」
3.西谷憲明「球技の教科内容研究の方法論について」
4.草深直臣「スポトロジーとスポーツ教育学の狭間―ルールから見たスポーツの文化特性を手がかりに―」
5.ダメ院生「『野球統制令』下における学生野球の自治運動」

5番目が私の発表でした。1日目のシンポ終了後、夕食→飲み会といつもどおりの流れで12時ごろまで他大の院生や先生方と歓談し、1時ごろに寝たわけですが、部屋についていたクーラーにやられて、2日目には風邪がぶり返すという最悪の体調。のどが痛くてしょうがないし、タバコもまずいので、のど飴をなめながら研究を聞くハメになりました。

こんな体調だったんですが、研究発表自体はまずまずの反応でした。だいたい、これまでの博士課程入試や研究会発表でいわれたことと同じことが質問された程度で、あまり厳しい指摘を受けることはありませんでした。ほっと一安心ですね。

2日目は焼肉屋での懇親会。しかし、体調が悪いので、ビールは2杯で打ち止め。肉をがんがん食べましたが、体調が好転するわけもなく、2次会は辞退してホテルの部屋に直帰。早々に風呂に入って就寝しました。

3日目は久保健「体育教育実践における『身体の生活台』の違いについて」という研究発表が一本、それから今後のシンポの方針などが話し合われました。

昼過ぎには全日程が終了し、京都駅から帰路につきました。

今回の研究会で何より痛かったのが体調を崩したこと。酒は飲めないし、話にもあまり参加できないし、でほとんどいいことなし。研究発表以上に重要な飲み会にあまり加われなかったのが残念でしょうがない。なんてこった。ちょっぴり悔いの残るものとなってしまいました。

August 29, 2006 15:17

年度当初の予定では、6月末までに書き上げるはずだった投稿論文。修士論文の一部を直し、再構成し、調べものし、などという作業をバイトの合間にするも追いつかず、延び延びになっていたんですが、今日やっと編集委員会に原稿を郵送しました。

2回も草稿を読んでくれたS氏、つたない英文のアブストラクトをすごくわかりやすく手直ししてくれたQP氏(呼び捨てだったのが「氏」に昇格)には大感謝です。m(_ _)m

原稿が掲載されるかどうかは、レフリーの判断がありますのでまだわかりませんが、順調にいけば来年3月に発行される『スポーツ史研究 20号』に掲載されることになるはずです。あくまで、「はず」ですけどね。

うまくいきますように♪

August 10, 2006 03:01

b0b93e02.jpg2日目はなぜか6:00に起床。酒が回ってころっと寝たのが良かったのか、はたまた何かの気まぐれか、とにかく遅刻しなくて良かった。

朝一で温泉に入りに行くと、なんとそこには発表者の山本和重氏が。挨拶をすると、「レジメはできたんですけど、これから発表の原稿を作らないと・・・」とおっしゃっていました。サマーセミナーのような場で発表することは名誉なことなんだろうけど、同時にすごい重圧なんだろうと思います。矛盾や論理展開のおかしさはすぐに突っ込まれますからね。発表者はほんとに大変です。

2日目の発表は9:00から始まりました。タイトルは、「方法としての<兵士の視線>―『岩波講座アジア・太平洋戦争5 戦場の諸相』を素材として」として、Y先生が編者の一人でもあるこの講座の第5巻の合評会となったわけです。

山本氏はそれぞれの論文を評する前に、この本を研究史に位置づける。それによると、これまでは国家同士のできごとと考えられていた戦争を、「兵士の視線」でみることで、これまでのものとは異なる戦争像を描き出そうとする。旧日本軍の加害を強調する議論を展開した江口圭一を批判し、内地に生活の基盤を持ち、後ろ髪を引かれながら戦争に赴いた個々の兵士が、戦地でどのように振舞い、なにをまなざし、どのように死んでいったのか。このような生活史にのっとったかたちで戦争を描き出すこととなったのが本書であるとする。レジメに書かれているものでは黒羽清隆や鹿野政直などが共通する問題意識をもった先行研究として挙げられている。

80年代以降、近代の戦争研究で最も強調されたのは日本軍の加害の問題であった。この視点があったからこそ、中国や東南アジアでの日本軍の残虐行為や、沖縄での日本軍の住民虐殺、従軍慰安婦問題などが、明らかになったのであるが、その一方で、加害が強調されることによって、日本軍の実態の解明は停滞を余儀なくされたといえる。そのため、日本軍のことについては、兵士がどのように戦場に赴き、どのように死んだのか。そのことすらほとんど明らかになっていなかったのである。本書は、加害の問題をふまえつつも、こうした研究上の問題点を克服するために編まれている、という。

ただ、兵士の視線への共感を示すことは、同時にナショナル・アイデンティティをあおり、下手をすれば加害の問題を意識の外に追いやる機能をももちうることが、質疑においても指摘された。「兵士への共感」と「兵士の対象化」というふたつの視角を両立させるためには、微妙なバランス感覚をもっていなければならない、ということなのであろう。

およそ以上のような議論が交わされ、12:00ちょうどに散会。参加者は帰途に着くことになったわけですが、われわれYゼミ生と信州大のO氏のゼミ生とで、せっかくだから、と松本にある朝鮮人の強制連行によって作られた地下工場跡を見学に行きました。トップの写真はその入り口のものです。

長野から松本まで自動車で移動し、工場跡の入り口へ。工場跡のなかには一切の明かりがないため、それぞれが懐中電灯を手に持って中へ。中は外の暑さとは全くもって違う温度。だいたい11度らしいのですが、湿度が常に100%なので、そこまで寒さも感じない、という不思議な場所でした。

写真に写っているの地元の高校の地学の先生で、今回、この遺跡の中を案内していただきました。最初は地学的な関心(中には様々な岩石が落ちているし、断層が明確に見られる場所もある)から工場跡の内部に入ったらしいのですが、次第にこうした戦争遺跡の保存運動にかかわるようになったらしい。

この工場跡は、三菱の飛行機工場が空襲を避けることを目的として、1944年の秋ごろから掘り始められたらしい。飛行機工場といっても、山の中腹にあるので、もちろん大きな飛行機を洞窟のなかで組み立てることはできない。飛行機の設計や簡単な実験を行うことができる施設を作りたかったらしい。計画段階では洞窟の総距離が3キロほどあったらしいが、1945年8月15日までにできたのは、その約40%にあたる1.2キロほど、とのこと。中には崩落してしまって行けなくなっている箇所もあり、実際に移動した場所でも、土砂が崩れて山になっているところが何ヶ所かあった。

中に入って、一番印象に残るのは、洞窟の中の環境の悪さ。実際、工事中に洞窟の中に入るのは朝鮮人の工夫と親方だけで、日本人はほとんど入らなかったらしい。洞窟の中で外界の光がまともに届くのは、最初の20メートルほどだけで、それより先は、懐中電灯がないと完全な暗闇になる。東京などでは体験できない漆黒の闇である。しかも、湿度が高いため、洞窟の壁や地面は常に水分を含んでおり、手が触れると泥が付着する。そのうえ、このあたりの岩盤は硬くてもろいものであるため(その石の説明も聞いたが、名前は忘れた)、サンダルの足に鋭くとがった石の感覚が伝わってくる。こんなところをほぼ裸足で作業していたというのだから、その経験がいかにつらいものか、は容易に想像できる。

今回のサマーセミナーでは南京事件や戦場など、日本軍の戦争の暴力的側面が中心なテーマであったが、戦時期にはそうした戦場以外にも、人間に対する暴力というか、加害が行われているのだ、という当然の事実を改めて思い返すものとなった。

August 08, 2006 00:55

サブゼミとしてとっているYゼミが中心になって行っている「現代史サマーセミナー」に行ってきました。これまでも毎年開催されていたのですが、開催日程がバイトの夏期講習とかぶっていたため、参加できなかったんですよね。今年は運よく日程が重ならなかったので、参加することができたわけです。

開催地は長野県の上山田温泉。ゼミ生7人を乗せて、私がレンタカーを運転して行ってきました。行きしな、関越道でバイクで事故を起こして、血を流しながら倒れている人がいて、かなりビビリましたが、なんとか無事故で上山田に到着。昼食に名物のそばを食べて、15:00から研究会が始まりました。

初日の発表は西ミシガン大学の吉田俊氏による著書の紹介です。タイトルは、「The Making of the "Rape of Nanking" History and Memory in Japan, China, and the United States(日・中・米における南京事件の歴史と記憶のできるまで)」。吉田氏は、日本国籍とアメリカの永住権の両方をもち、アメリカで教鞭をとっている歴史学者。今年の5月から、外国人特別研究員としてYゼミ(とその後の飲み会)に参加していたので、当然、顔見知りなのですが、研究発表を聞くのは初めてでした。

吉田氏の研究の目的は、日本国内でも、「あった」と「なかった」、「30万虐殺」と「殺されたのは多くても数万」、「中国の外国カード」と「歴史的事実」、など、様々なかたちで大論争(?)を巻き起こしている南京事件に関する研究や言説が、日・中・米の3カ国でどのように変化したのか、変化した国内的・国外的要因は何か、を明らかにし、同時に、3カ国で共通の歴史認識を作り上げることは可能か、を論じることである。(「南京大虐殺論争」についてのウィキペディアの叙述はこちらhttp://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8D%97%E4%BA%AC%E5%A4%A7%E8%99%90%E6%AE%BA%E8%AB%96%E4%BA%89#1971.E5.B9.B4.E3.81.BE.E3.81.A7

吉田氏は南京事件の意味づけが変化してきたことを強調する。例えば、現代の中国政府の公式見解では「南京事件では、30万人の中国人が虐殺され、それは日本軍の残虐性を象徴」するものとされるが、日中戦争中においては、そのような位置づけは与えられていなかった。むしろ、日中戦争中に中国政府が日本軍の非人道性をアピールするために用いたのは、日本軍の毒ガスの使用であった。

終戦直後も、国民党政府の「寛大政策」により、南京事件関係で死刑にされたBC級戦犯は4人だけであった。これは、日本軍に協力した「奸漢」として逮捕された中国人が3万人以上、死刑も369人いたことを考えると、極めて「寛大」といいうるものであった。中国が共産党政府になってからもこの傾向は変わらず、日本軍の残虐行為のシンボルは、「三光作戦」や「毒ガス」であった。

これは、国民党政府にとっては日本政府との関係を重視した結果であり、共産党政府にとっては、国民党政府の首都であった南京での事件を強調しない、という両者の政治的思惑が重要であった、と吉田氏は指摘する。

このような中国共産党の姿勢が変化するのは、文革に失敗し、国民の共産党離れが憂慮される情勢がうまれた1980年代になってからであった。共産党は1980年代から、抗日戦争の教育を通じて党への忠誠を育む愛国主義教育を推し進めた。そのため、南京大屠殺紀念館や抗日戦争紀念館がこの時期に建設された。現在の中国政府の公式見解である「30万人虐殺説」がうまれたのは、このような愛国主義教育の結果であった。

しかし一方で、中国の若い研究者の間では「30万人虐殺説」を支持しないものも現れてきている。その代表がジョージ・ワシントン大学で教鞭をとる楊大慶である。しかし、政府の公式見解をくつがえすことは、国内の政治状況がそれを許さない。研究者のレベルで認められることが、政府では認められないのである。その意味で、中国国内の政治体制は、日中両国の歴史和解を進めるうえでの大きな障害であることは間違いない。

日本においても、南京事件の評価は大きく変化している。南京事件が国内で広く知られるようになったのは、終戦直後に全国紙で連載された「真相はこうだ」であった。「真相はこうだ」はGHQのプロパガンダであることは否定できないが、多くの大陸引揚者がいたため「南京事件のまぼろし」派の代表、田中正明ですら、著書において日本軍の残虐性を認めていた。日本国内において、日本軍が南京事件のような残虐事件を中国で行ってきたことは、実感を伴った共通認識であったのだが、一方で、当時は天皇や東條ら、戦争指導者の責任追及や、ヒロシマ・ナガサキの原爆の非人道性の強調に保守派も革新派も関心を集中させていたといえる。

日本国内で、このような「被害者」としての戦争認識が転換するのが1970年代以降であった。本多勝一や洞富雄らの南京事件研究や、1982年の教科書問題をきっかけとして、日本軍の加害が重視されるようになったのである。そして同時に、このころから、南京事件否定論が現れはじめたのである。南京事件論争は、1985年の元陸軍将校の親睦団体の機関紙「偕交」ですら、「少なくとも1万人はくだらない数の中国人を虐殺した」ことを認め、決着をみたかに思われたが、ご存知の通り、「つくる会」をはじめ、現在も「あった」「なかった」などの論争が続いている状況である。ナショナル・プライドをかけた歴史記述をめぐる論争は、学術の体裁をとりながら、学術とはかけ離れた次元で続いているといえよう。

吉田氏は、このような不毛な論争を回避する視座として、被害者の視点に立った歴史叙述を提唱する。被害者は国家ではなく、あくまで個人なのだ、と。また、南京事件をめぐる言説は、あくまで学術的なものに限ることも強調する。アメリカで出版されてベストセラーとなり、南京事件の国際的知名度を高めたアイリス・チャン「Rape of Nanking」や中国政府の「30万人虐殺論」は学術的根拠に乏しいものでしかないが、東中野修道「南京虐殺の徹底検証」も同じくらい、学術的著作とは認められない。事件の被害者の数は、「南京」の地理的・時間的な範囲の定義によって、いくらでも変わりうるが、だからといって、なかったことにもならない。低次元の「論争」を終え、これまでとは異なる視座からの南京事件論の登場こそがまたれるのであり、それが終わらない限り、他国とも共有しうる歴史認識は生まれ得ないのである。私の主観がかなり混じったように思うが、吉田氏の報告は以上のようなものであった。

この発表に対して、Y先生司会のもとに議論が進められ、Yゼミのドクター・S氏や、YゼミOBのO氏、そして、私も質問し、まるでYゼミ状態。もちろん、他の参加者の方も発言されましたけども(^^;。 厳しい質問に対して、真摯にそれを受け止め、冗談交じりに意見を話す吉田氏の姿勢は、学問の一端に携わるものとして強い感銘を受けました。

発表終了後、1回の食堂で夕食。長野に来たにもかかわらず、夕食はなぜか中華。私はYゼミOBのO氏、2日目の発表者の山本和重氏、専修大院生のK氏と同席し、研究の話しなどをしながら夕食をいただきました。この後は、研究会とかいて「のみかい」と読むとおり、通例の飲み会。50人以上の参加者がいたため、全員と話すことはできなかったのですが、様々な先生や院生の話を伺うことができました。こういうフランクな話の場が研究の刺激になることは間違いないんですよね。ほんとに貴重です。

1時前まで「越乃寒梅」をがぶ飲みし、そのうまさに酔いしれ、部屋に帰って爆睡しました。

長くなったので、2日目編に続く。


July 20, 2006 03:34

6f2b3779.jpg高野連の元会長、牧野直隆が死去した。戦前の東京六大学野球リーグ全盛のころの唯一の生き証人であり、高野連の副会長・会長と長く高校野球に携わっていたため、私がインタビューしたい人の筆頭だったのだが、それもかなわぬこととなってしまった。

牧野の死を各メディアは一斉に報道したが、特に関係の深い朝日と毎日の記事を見ると、牧野礼賛一色。まず朝日から。

「選手の体」気遣い貫く70年間 故牧野前高野連会長

 自らも球児だった牧野前日本高野連会長は選手の体を気遣い、さまざまな取り組みをしてきた。それら高校野球の運営には、60年に日本高野連の理事になったのをはじめ約70年もかかわり続けた。プロアマ球界からは長年にわたる高校野球への功績をたたえ、死を惜しむ声が上がった。
 牧野前会長は81年の会長就任時に目標とした「選手の健康管理」に一貫して取り組んできた。
 93年、日本高野連に投手障害問題特別委員会をつくり、委員長に就任した。この年の第75回全国選手権大会から、甲子園に出場する投手を対象に肩・ひじの関節機能検査を導入。投手に対する問診とレントゲン検査を実施した。
 出場校全投手130人のうち、70%が過去、あるいは検査時にも障害を経験していることが分かった。この数字を重視した牧野前会長が「周囲の理解を得るためにも予防対策を徹底していく必要がある」との強い意思を示し、設けた委員会だった。
 当時、阪大医学部教授で専門家の立場から協力した越智隆弘・国立病院機構相模原病院院長は「常々、牧野さんは『選手の才能を花開かせるのが指導者の仕事』とおっしゃっていた。その信念があったからこそ、実現できた事業だった。あれから高校だけでなく、少年野球でも障害予防の意識が高まった」と振り返る。
 95年の選抜大会からは、障害予防の一環として理学療法士による試合後のクーリングダウンのメディカルサポートも始まった。「大会では必ず我々の活動ぶりを見守り、話しかけてくださった。何より現場を大事にする方だった」と語るのは取り組み当初から携わる小柳磨毅・大阪電気通信大医療福祉工学部教授だ。
 前会長はことあるごとに週1日は完全オフとするよう呼びかけた。03年に日本高野連と朝日新聞社が実施した全加盟校へのアンケートでは「週の練習日は6日以下」と答えた学校が6割を超えた。
 複数投手制も甲子園大会では現在、主流を占めるようになった。3投手の起用で00年の第82回大会を制した智弁和歌山の高嶋仁監督は「継投は指導者にとって勇気がいること。勝利にこだわれば一人のエースばかりに投げさせがちだが、複数投手制を訴えた会長の言葉は私の背中を後押ししてくれた」という。
 00年、延長戦の回数制限を18回から15回に短縮したのも選手の体調維持を第一に考え、決断したからだ。
 02年11月6日に開かれた全国選手権の運営委員会で、03年夏の甲子園大会から準々決勝を2日間に分けることが決まった。この後、選抜大会でも同じ方式になった。連戦による選手の負担を軽くするための変更だった。この日、牧野前会長は会長職の辞任を表明。最後の仕事も「選手の健康」を念頭に置いたものだった。

http://www.asahi.com/sports/bb/TKY200607190443.html

続いて毎日。

牧野直隆さん死去:将来見据え、数々改革…評伝
 薩摩の剛毅(ごうき)さ、江戸の粋(いき)、浪速の洒落(しゃれ)を併せ持つ人だった。
 鹿児島市山下町生まれの牧野さんは、美術商の父直吉さんの直と郷土の偉人、西郷隆盛の隆をとって直隆と名付けられた。直吉さんの仕事の関係で3歳で上京したが、毅然とした態度は生まれ故郷、鹿児島の風土と無縁ではない。
 「野球」とは言わず、やや巻き舌のべらんめえ調で「ベースボール」と言っていた。こだわるところに慶応商工−慶大と進んだ慶応ボーイの粋を感じたものだ。
 慶大では遊撃手として、同期の故水原茂さん(元巨人、東映監督)と三遊間コンビを組み、東京六大学野球で在学11季中、5回優勝を経験しているが、2年半の補欠生活と腰本寿監督との出会いが、後の人生に大きな影響を与えた。
 1930年秋の早慶戦。ようやくレギュラー遊撃手にと思ったものの、新人にその座を奪われかけた。新人の不調で出番が回ってきたが、二つのエラー。0−3で迎えた四回裏、1点を返して2死満塁で打順は9番の牧野さんに回ってきた。てっきり代打と思い込んでいた牧野さんに、腰本監督は「何しているんだ。打ってこい!」。期待に応えて同点打を放ち、逆転勝ちの原動力になり、翌日の連勝に結びつけた。後日、腰本監督が雑誌のインタビューで「普段の練習を見ていてチャンスを与えた」と話しているのを知り、感激したという。97年の選抜高校野球大会初戦で、トンネルで逆転サヨナラ負けした郡山高(奈良)の遊撃手に「くじけるな」とメッセージを送ったのも、自らの体験からだった。
 牧野さんにとって選抜大会は二つのエポックメーキングになっている。阪神大震災直後の第67回大会(95年)。開催か中止かをめぐり世論も割れた。自宅を被災した牧野さんは40日間、1人でホテル住まいして陣頭指揮に当たり、「中止するのは簡単。多くの人たちを励まし、勇気を与え、伝統の大会を守らなければ」と開催を主張し、後世に残る大会開催にこぎつけた。
 もう一つは、青春時代のほろ苦い思い出だ。慶応商工時代の第3回大会(26年)。「甲乙つけがたい」として慶応商工は早稲田実業とともに東京から選抜されたが、先輩たちが「2校選抜」に納得せず、勝った方が甲子園切符を手にすることになった。しかし、苦杯を喫して甲子園出場は果たせなかった。「あれだけは残念だった」と、選抜大会が近づくと決まって話していたものだ。
 強烈な個性とリーダーシップから「天皇」とささやかれた佐伯達夫元会長死去の後を受け、81年から第4代会長になり、ソフトで将来を見据えた現実路線を歩んだ。連盟時報「はつらつ」を創刊して全国の加盟校の架け橋にした▽投手の関節機能検査を実施して障害予防を図った▽複数投手制の推奨▽「ゆとりと休養の日」設置の提唱▽指導者講習▽高校野球の国際化の推進▽朝鮮高級学校など外国人学校の加盟承認−−などだ。
 明治、大正、昭和、平成を生き抜き、座右の銘にしていた禅宗の「随処作主」(何事にも主体性を持ち、それになりきる)を貫き通した牧野さん。白球となって天空高く飛んでいった。【元運動部編集委員 相馬卓司】

http://www.mainichi-msn.co.jp/sports/ama/news/20060719k0000m050143000c.html

ほんとに新聞は死んだ人間の悪口を書かないもんだ。まあ、そういう心がけもいいかもしれないが、色々と検証は必要だと思う。少なくとも、功罪あわせて論じる必要がある。どこもそんなことはしてないので、私がやってみよう、ということになるわけです。

まず功の方から。私の牧野に対する功績の筆頭はなんといっても、外国人学校に対する高校野球の門戸開放である。以前にも紹介したことがあるが、「日本学生野球憲章」はその制定当初、「われらの野球は日本学生野球として日本人たることと学生たることの自覚を基礎とする」と強烈なナショナリズムに基づいた野球観を提示していた。日本社会の国際化の自覚などから、「日本人たること」の文言は1970年代には削除されたが、それ以後も依然として、外国人学校の高校野球への参加は閉ざされていた。日本人学校に通う外国人は大会に参加できたのだが、外国人学校に通う生徒は参加できない状態が続いたのである。
これを改正したのが牧野であった。国籍や学校にかかわらず、高校生年代の野球選手は全て甲子園を目指すことが可能となったのであるこれは、依然として国内に残る外国人差別を考えれば、画期的であった、と評価しうる

外国人学校に通う生徒には門戸を開放する一方で、門戸を閉ざし続けたのが女子の野球部員に対してであった。アマチュア野球である以上、参加資格の制限は極めて寛容なものとするべきであると考えるが、牧野は会長時代に女子部員の参加という問題に対しては「ノー」を貫いた。しかも、高野連が女子の参加を拒否する理由は、女子は身体的な能力が男子に比して劣るため、怪我の危険がある、というものであった(これは牧野個人の見解ではなく、高野連の見解だが)。
しかし、野球人気の低迷が叫ばれた90年代中ごろ、高野連は部員不足の学校を2校集めての連合チームの結成を認めているし、普段野球の練習をしていない他部の部員や、帰宅部員であっても、夏の大会への参加は承認し続けた。牧野の考えでは、普段練習をしていない男子なら誰でも女子よりも野球が上手とでも考えていたのだとしか言いようがない。また、女子マネージャーのベンチ入りを認めたのも牧野であったことを考えると、牧野はドメスティックイデオロギー、ないしは、ジェンダー規範にのっとった強いジェンダーバイアスの持ち主であったと評することができる

さらに、朝日・毎日両紙で取り上げられている選手の健康管理と上意下達の改善については微妙である。

選手の健康管理については、牧野の会長時代にそれを推し進めたと言うことはできるが、この改革については、当時の高校野球全体におけるずさんな健康管理に対する社会からの批判を念頭におく必要がある。甲子園優勝投手はプロでは活躍できないことは半ば常識だった(である、ともいえるだろう)のだから。200勝投手はこれまでプロ野球で23人いるが、甲子園優勝投手は一人もいない。それだけ、高校時代の連投は後々まで選手の身体に負荷を残すのである。桑田真澄は170以上の勝ち星を挙げているが、近年の様子ではあと30勝つことは絶望的である。松坂大輔はプロ生活7年で90以上の勝ち星を挙げているが、あと10年間も故障なしに活躍し続けることができるかどうかは、未知数である。
確かに、牧野による甲子園出場選手の健康診断の実施と、健康管理の強化の意思表示は現場にかなりの影響力を与えたことを評価できるが、徹底には欠けた、といわざるを得ない。選手の健康管理を徹底するならば、投手の投球数の制限をルールにしなければならなかった。例えば、1試合で100球以上、3試合通算で150球以上投げた投手は、次の試合には登板できない、というようなルールである。ルールでない以上、必然的に監督に対する拘束力はなく、選手の健康管理はあくまでチームの勝利に比して二次的な位置におかれ続けた

もう一つの上意下達の改善についてはさらに怪しい。もちろん、「佐伯天皇」と比較すれば、牧野は会長独裁からは程遠い高野連運営を行ったと思うが、「下意上達」などと誇るべきものではない。少なくとも、高野連や野球協会の中央集権的な体制の改革やは一切行われていないし、上述した女子の参加の下からの提案などは却下し続けた。昨年の「静粛な時間」実施の決定までの過程における高野連の態度を見れば、「下意上達」などと言い張るのはチャンチャラおかしい。せいぜい、牧野は佐伯よりも人のいうことを聞くパーソナリティーだった、という程度のものでしかない。死んだ人間のパーソナリティーを評価することと、業績を評価することはきっちり区別する必要がある。

私の牧野評は以上のようなものです。これから、牧野の日記などの史料がないか色々関係者をあたってみる予定です。もちろん、私がこんな風に牧野を評していることは黙っているつもりです。こんなことをいうと、史料が手に入りませんからね!!!

July 16, 2006 23:38

美月から回ってきた本棚バトン。前にやったブックバトンと似たような感じですが、まあやってみましょう。

★あなたの本棚にある恥ずかしい本は?

八木秀次『国民の思想』や『嫌韓流』は恥ずかしい人が書いてる本ですが、俺が恥ずかしくはない。
『ウンコな議論』はタイトルはやや恥ずかしげだが、中身は全うだし。
『トンデモ レディースコミックの逆襲』はけっこう笑えた気がする。
『眼球譚』は見た目はなんともないが、中身はかなりエロい。ただし、これで議論するとなると、エロティシズムとか近代とか難しい話になりそうなので、恥ずかしいかというとこれもちょっと違う気がする。
昔、JUDY AND MARYのヴォーカルをしてたYUKIがフジテレビのキャラクターのピンカというの魚の声優をしたことがあって、そのときに出た『ピンカのハッピーブック』という、何が書いてあったか全く覚えていない本を買ったことがある。でも、今その本は本棚になかった。これが見られればかなり恥ずかしい気がするが、ないので恥ずかしい本はなかった。

★あなたの本棚にある自慢できる本は?

特にない。古本屋にもっていったら一番値段がつくのは『飛田穂洲選集』全6巻だと思うけど、自慢したとしても人から全くうらやましいと思われないのが一番の問題。

★あなたの本棚にある、手放したいのにいつまでもある本は?

手放したい本などないです。スペースの問題で、手放さなければならなくなる本が出てくるようになるかもしれませんが・・・・

★あなたの本棚にある、あなたがひんぱんに読み返す本は?

やはり、何度も読み返すのは専門書ですね。特に、論文を書くときは先行研究として頻繁に読み返します。そういう意味では、高津勝『日本近代スポーツ史の底流』、坂上康博『にっぽん野球の系譜学』『権力装置としてのスポーツ』、有山輝雄『甲子園野球と日本人』などですね。あとは本になってない論文などが多数。

★あなたの本棚に足してみたい本は?

本気で欲しいのは、『野球界』『ベースボール』『ベースボールマガジン』『アサヒスポーツ』などの昔の野球関係雑誌を全部。でも、置く場所がない上、管理は大変、値段はバカみたいにするはずです。『アサヒスポーツ』を1冊古本屋で買おうとしましたが、35ページくらいのぺらぺらのやつが¥3500でした。
手元に常にあればいいなと思うのは、『社会体育スポーツ基本史料集成』全21巻、『戦後体育基本資料集』全44巻、などの資料集と、『国史大事典』。調べ物に便利。でもやっぱり高いし場所がないので無理。

★あなたの本棚にあって、買ったのを後悔した本は?

圧倒的に『国家の品格』。「はじめに」を読んであまりの内容のひどさにくじけそうになったが、なんかと最後まで読み終えた。

★あなたの本棚にあって、是非これは読んだ方がよいという本は?

そりゃあ、『ぼくんち』をはじめとする、西原理恵子の作品かな。はじめて『ぼくんち』を読んだときの感動は忘れられない。衝撃すぎて言葉にならなかった。『できるかな』シリーズとか、『まあじゃんほうろうき』『毎日かあさん』もいいね。
専門書では、『越境するスポーツ』はすごい本です!!!!
なんつって。指導教官のK先生などが書いてて、売れなくって困ってたので、金と暇をもてあそんでいる人は、買ってみてください。K論文では現在のスポーツとグローバリゼーション研究の水準を知ることができますし、鬼丸論文のグットマン批判はすごいです。グットマンを知っている人は、ぜひ読むべきでしょう。(グットマンなんて知らねえ、なんてことを言うな)
http://www.soubun-kikaku.co.jp/sports/14.shtml

★本棚の中を見てみたい5人にバトンを渡してください

川瀬先生、ともぞー、しろくま、あにーた、とくめいの5名の皆様、よろしくお願いします。

July 13, 2006 15:24

昨日、バイト先の塾で300問の漢字テストをやりました。中学3年生レベルの。

所詮中学レベル、なんて思ってたら大間違い。

とにかく、度忘れしまくり。書けないのだ。

読みや同音異義語なんかはかなりできたと思うんだけども、全然書き取りが思い出せない。なんせ、途中には「愛」すら書けなくなっちゃってましたから。

で、昨日かけなかった漢字一覧。

自信「ソウシツ」
多くの「ケッサク」が生れる
「キョウジュン」の意を表す
「キュウクツ」なイス
「ブジョク」
「ヨウリョウ」よく行動
「ユウフク」な家
「カンダカ」い声
船が「テンプク」した
「キュウケイ」所
「クッタク」のない笑顔
職務「タイマン」
「ソウサク」隊
「フンガイ」する
山で「ソウナン」する
敵の「シュウゲキ」
「セイレンケッパク」
「ボウジャクブジン」
「ヨウイシュウトウ」

かなり多い・・・・。中学レベルの漢字なんて簡単と思っていたのに、全然書けなくなっちゃってる。逆に中学生では読めないような「陶冶」とか「彌縫」とか「贖罪」とかを出してくれればできたのに・・・・

このままでは生徒との対決で負けてしまいそうだ・・・・

ああ〜〜〜、情けない・・・・

これを見てる人も今すぐペンを持って、レッツトライ!!!(解答は下に)

















解答

「ソウシツ」喪失
「ケッサク」傑作
「キョウジュン」恭順
「キュウクツ」窮屈
「ブジョク」侮辱
「ヨウリョウ」要領
「ユウフク」裕福
「カンダカ」い 甲高い
「テンプク」転覆
「キュウケイ」休憩
「クッタク」屈託
「タイマン」怠慢
「ソウサク」捜索
「フンガイ」憤慨
「ソウナン」遭難
「シュウゲキ」襲撃
「セイレンケッパク」清廉潔白
「ボウジャクブジン」傍若無人
「ヨウイシュウトウ」用意周到続きを読む

July 11, 2006 03:15

FIFAワールドカップ2006ドイツ大会は、大番狂わせもなかったが、優勝候補の本命が崩れ去ったという不思議な大会だったような気がする。

まあ、優勝予想をフランスとしていた(各所でオランダでないことを非難された)私の夢は、マテラッツィに見事に粉砕されてしまいましたが、フランスの予想以上の躍進によって、最後まで熱くワールドカップを見ることができた。これもひとえにジズー、マケレレ、ヴィエラ、テュラムらベテランのおかげなわけです。ジズーとともに テュラムも現役を引退するそうで、ほんとに最後の花を咲かせてくれたと思う。

さて、今回の大会はFIFAが人種差別撲滅キャンペーンを大々的に行った大会として重要な意味を持つようになるかもしれない。ベスト8のそれぞれの試合前に、各チームのキャプテンが、反人種差別の宣言を読み上げたのはその象徴である。オリンピックが平和を象徴し、オリンピック休戦などの取り組みを行っているのに対して、サッカーのワールドカップは、反人種差別のシンボルとなる取り組みを始めたといえる。

オリンピックが平和への取り組みを始めたのが第一次世界大戦の衝撃であったとするならば、ワールドカップの反人種差別への取り組みは、世界中から優秀な選手たちをヨーロッパに集めるようになったという、サッカーのグローバル化による軋轢がきっかけといえるだろう。特に、アフリカ出身の選手の増加が決定的な契機となったのだろう。

レヴィ・ストロースを引くまでもなく、人種差別の「本場」ヨーロッパでは、カラードの選手に対する差別が極めて日常的に行われている。そのプレーのすごさからアフリカを代表する選手となったサミュエル・エトーは、同時に、人種差別に基づいた最悪の扱いを受ける筆頭ともなった。私が去年見たスタンフォードブリッジでのチェルシー対バルセロナの試合は、終了後に選手同士で小競り合いが起こっていたが、その原因となったのはチェルシーの選手によるエトーへの侮辱だった(翌日の新聞報道でエトーを「猿」と言っていたことがわかった)。エトーは国内のリーグ戦でも観客から人種差別のブーイングを受け、ショックのあまりピッチを出ようとしたことすらあった。

もちろん、このような人種差別的待遇を受けるのはエトーにとどまらないであろう。詳しく調査をしたわけではないが、有形・無形の人種差別がヨーロッパサッカーにはびこっていることは疑い得ない。80年代のフーリガン騒動によって、サッカーがその人気を地に落とした後、イメージアップ戦略を計ってきたUEFAなどのサッカー団体やサッカー中継で莫大な利益を上げるメディアにとって、「人種差別のはびこるサッカー」というイメージは、再び致命的な傷をサッカーに負わせるかもしれないものであるであろう(現在、サッカー中継や国際試合で流されるアンセムなどは、サッカーを高級な文化というイメージのもとに人気回復を図った90年代以降に作られたものである)。

また、クラブレベルにおいてもチームの強化にカラードの選手の力は不可欠となった現在、反人種差別の動きはクラブにとっても大きなメリットがある。白人だけでチャンピオンズリーグを制覇するチームは作れないのである。そのため、サッカーのスタジアムなどでは日常的に反人種差別のキャンペーンが行われている。例えば、アンリ、ヴィエラ、ヴィルトール、トゥーレ、エブエ、キャンベルなど、中心選手に黒人選手を多く持つアーセナルのハイバリースタジアムでは、巨大なスクリーンに「サッカーから人種差別を蹴り出そう Kick racism out of football」というメッセージが頻繁に映し出されていた。

こうした一連の流れの上に、今回のワールドカップの取り組みがなされた、といえるであろう。

しかし、残念ながら、反人種差別の動きが浸透するにはまだまだ長い時間が必要なようだ。一部の報道では、マテラッツィはジダンに対して「アルジェリアのテロリスト」と言ったとされている。今回、ネオナチは警察のにらみでおとなしくしていたようだが、ヨーロッパ全土における極右の台頭は大きな社会問題であることに変わりはない。

かつて、スポーツは非政治のシンボルとして社会貢献を果たそうとしていたが、現在においては、積極的に政治的シンボルを掲げることによってその役割を果たそうとしている。サッカーが近代スポーツである以上、いくら反差別を掲げようと、その表象が差別を再生産する、という批判は絶対に免れ得ない(例えば、フェミならばサッカーの男性的表象を問題とするし、ポスコロならばヨーロッパ中心主義と搾取の構造を問題とするだろう)。所詮、トップレベルのスポーツがアピールしうる社会問題への取り組みなどは、弱点を抱えたたわごとにすぎない、と評価することもできる。しかし、テレビやスポーツがメディア研究で言われるような、ステレオタイプを生産する力があるとするならば、いくら通俗的ではあっても、同じくらいに差別に反対する力を育てる役割も果たしうるのではないかとも思う。その意味で、今回のワールドカップはそのような形でのスポーツの政治的利用の出発点になりうるのではないか。あまりにナイーブ、あまりに楽観的な観測であることを自覚しつつ、今回のワールドカップの意義をそこに求めたいと思う。

July 04, 2006 02:37

今日も不安定な天気の中、学校→バイト→学校、と移動して、帰宅。ただいま投稿論文を執筆中なので(年度初めには6月中に書き上げる予定だったのに・・・)、普段よりもやや忙しい感じになっています。

日付が変わってしばらくしてから帰路につく。家の前に自転車を止めて、アパートの1階にあるポストを開けてみると、珍しくハガキがある。差出人はバイトをしている某塾。

用件は「時間講師登録のご案内」。以下原文。

時間講師の皆様におかれましては、益々ご活躍のこととお慶び申し上げます。さて、この度「某塾」ではご希望の方について登録制として集約し、データベース化いたします。
ご登録していただいた方には、指導形態(集団・個別・家庭教師)・所属校舎を超えて、仕事を紹介することが可能となります!!

(赤字も下線も原文ママ。当然、「某塾」だけは違うけど。)

要するに、私のような時間講師の人は登録すると、バンバン働かしてがっぽがっぽ儲けられるようにしてあげるから、登録してね〜、というお誘い。

私はこれ以上働く気はないから当然無視。しかし、これってよく考えるとひどい話。このハガキは、某塾の慢性的な人手不足を、時間講師(なんていってるが、要するにバイト)を使って補っていきましょう、という会社の方針を示している。

本当によく目にするのだが、某塾は慢性的に人手が足りていない。だから、専任職員は、残業も休日出勤も当り前。某塾の正社員が1年間、定時に帰宅して有給を全部消化する、なんてのは夢のまた夢。しかも、会社から必ず定時にタイムカードを切るように専任社員は指示されているから、サービス残業が日常化している。

こんな状態ならば、専任職員を増やして社内の労働環境を改善するのがスジってもんなのだが、今回のハガキが示しているのは、その人手不足を相対的に安価なバッファー労働力であるバイトの労働量の増加と効率的な利用によって補おう、ということである。新卒から役職もちまで、相当疲弊している様子を見ると、バイトの身ながら「それはないだろう」と思わざるをえない。

奇しくも今日の朝日新聞のオピニオン欄には、「年収400万円以上の労働者には、労働時間の規制を取っ払いましょう」(=残業代はゼロにしましょう)という経団連理事の見解が掲載されていた。年収400万といえば、労働者の平均給与よりも低いのだから、この経団連の方針が意味することは、実質的に日本中のほとんどの正社員にサービス残業を課すということであり、給与水準を引き下げるということである。経済のグローバル化の進展にあわせて、多くの労働者の労働環境は悪化する一途をたどっていくことになる気がしてならない。

日本で労働運動や労組の活動が空洞化して久しいが、派遣やバイトまでをも含めた労働環境の整備の必要性を痛感した。「小泉後」の政治の論点として一向に浮かび上がる気配がないのは大きな問題だろう。

July 01, 2006 00:52

2月に出した日本学生支援機構の奨学金返還免除申請の結果が返ってきました。



結果は・・・・・半額免除



200万の借金が100万になりました。まあ、いずれにしても今すぐ返すわけじゃないんですがね。

選考基準が成績ということだったので、授業の成績でBが1つあったのがまずかったのか(グローバリゼーション研究で有名なIの授業だ。あの爺め)、はたまた論文のデキがややまずかったのか、業績をもう一つ作ればよかったのか・・・・・
ともかく、全額免除を勝ち取るには少々学力と努力が足りなかったようです。うーむ、無念。

June 27, 2006 01:59

我が愛しのオランダ代表が敗退してしまいました。我が家にはBSが見られないため、残念ながら試合を観戦することはできなかったんですが、いろんな意味で熱い試合だったようです。4年後には必ず我が家にBSを導入しようと思いました。

ファン・ボメルやコクーの惜しいシュートがありながら、マニシェに決められた1点をどうしても返すことができなかったそうな。両チームでイエローカード16枚、レッドカード4枚という大荒れの試合だったそうな。レフリーのジャッジングも良くなかったそうな。情報は色々伝わってきますが、BSがないのは致命的でした。

今回のオランダ代表の最大の収穫はなんといってもファン・ペルシー。私のなかではアーセナルの控えのフォワード程度という認識しかなかったんですが、この1年くらいでめちゃくちゃ成長している。去年ハイバリーで見たときとは大違い。ドリブル、シュート、パスとどれをとってもオランダ代表にふさわしい選手に成長しました。左のロッペンと合わせて、オランダ代表はあと10年くらいはウィングに困らないでしょう。さらに若い選手ではバベルなんかもいるし。

今回のワールドカップ開始前に懸念されたのは守備だったけれども、これもまずまずの及第点を与えることができるもの。コートジボワールとポルトガルには1失点したものの、アルゼンチンとセルビア・モンテネグロは完封。ディフェンスが成長したと結論づけることは早いとは思いますが、一定の成果を見せたことは間違いないでしょう。

今回のワールドカップでコクーはおそらく代表を引退するでしょう。オランダの中盤の底を長年にわたって支えた彼の最後を有終の美で飾ることができなかったのは心残りでしょう。これから数年は、ファン・ボメル、スナイデル、ファン・デル・ファールトが中盤の要となることでしょう。

今大会、もうひとつ残念だったのがファン・ニステルローイ。結局、コートジボワール戦の1点しか挙げることができませんでした。彼にしては明らかに不満な結果でしょう。シーズン後半の不調を最後まで引きずってしまいました。2年後のユーロでは彼らしいゴールラッシュを期待したいものです。

ここ数年、オランダ代表の懸念だった世代交代。それにひとまずの成果をみせることができたといえるでしょう。若手の成長が見込まれる2年後が楽しみです。

June 13, 2006 02:16

日本代表の試合は・・・・まあ、あんなもんかと。前半にラッキーなかたちで先制したからあまり問題にならないのかもしれないが、やはり決定力不足の深刻さは変わっていない、というのが感想。後半にあったいくつかのチャンス(柳沢のループ?シュートのシーンとか、駒野からの2,3本のクロス)をものにできないことが、あの結果を招いたように思う。

懸念だったディフェンスは、ビドゥカとケネディーにヘディングでやられなかっただけでもよくやったほうなんじゃないかと思う。小野を入れたジーコ采配は・・・・どうなんでしょうねえ?俺はあそこは稲本と思ったんですがね。

それはともかく、今大会はすばらしいミドルシュートが多いような気がする。報道によれば、ボールが変化しやすいボールに変わったということだが、そのためかどうか知らんけれどもすごいミドルが目立つ。

開幕戦のラーム、フリンクスにはじまって、今日のケーヒル、ロシツキーと、すばらしいシュートばかり。もちろん、ワールドカップなので、レベルが高いといえばそれまでなのかもしれないけれど。過去のワールドカップでも、94年のハジの超ロングシュートとか、98年のオリセーの地をはうような弾丸シュートもすごく記憶に残るものだけれど、今大会はいいミドルが目立ってるように思う。

いいミドルが多いのがボールのおかげだとすると、イングランドなんかは一発で流れを変える可能性を多分に秘めたチームになりそう。ランパード、ジェラード、ベッカムがフリーでボールを持つとすごいのが見れるかもしれない。

優勝国予想もいいが、ワールドカップならではのレベルのプレーも大きな楽しみだ。

June 12, 2006 15:26

やりましたねオランダ代表。

守備の堅い難敵、セルビア・モンテネグロをロッペンの一発で粉砕ですから。

しかし、この日のロッペンはやばかった。キレキレ。セルビア・モンテネグロがほぼ常にロッペンに対して2人もマークをつけていたが、それをものともせぬ働きぶり。さすがですね。

その分ファンペルシーが使われなくて、印象が薄かったのですが、唯一のゴールのさいにすばらしいアシストを見せてくれたので、まあ、仕事はしたというべきでしょうか。

しかし、不安なのがファンニステルローイ。ほとんど見せ場を作ることができなかったといっていい。今年はリーグでもよくなかったが、不調をワールドカップにもひきずっているように見える。ロッペンがよくてもファンニステルローイがよくないと、勝ち上がりは厳しい。なんとか復調してもらいたい。

また、課題のディフェンスも問題点を露呈。前半、セルビア・モンテネグロの左サイドからの突破と、ミロシェビッチにオランダの左のセンターバックとサイドバックのあいだのスペースを使われたシーンは危なかった。何とか無失点で乗り切ったのは好材料だが、コートジボアール、アルゼンチンはセルビア・モンテネグロ以上の攻撃力を持つ。何とか乗り切ってほしい。

両方に引き分けることができれば、グループリーグ突破は確実なんだから。

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