2006年04月

2006年04月21日

ミスト グリーンな春の山々

ミストGな山々-1









Wordがこわれた。
誰か直し方を…

【反俗物主義】

としをとると、
俗物に陥らぬよう気をつけよう。
俗物への思考回路は生活習慣病や成人病のように、
音も無く、加齢とともに、知らず知らずのうちに進行する。
(若いうちから既往症のある方も多いと思うが...)
既成観念や、あまりに通俗的な価値観でしか、
ものごとを判断できなくなっていることに気づいたとしたら、
それは、生活習慣病や、成人病よりも、さらに恐ろしい病気… 俗物病だ…
人と話していて、
その人の言動や、自分自身の言動に「アレ?」っと、感じ出したら要注意。
俗物病の魔の手があなたに伸びる。
反俗物病 反俗物主義…



一方通行で作り出され、垂れ流される情報について…

TVで「美を紡ぎ出す…云々」という言葉を聞いた。
それが気持ち悪い…
厚顔、醜塊...男とも女とも、人間とも見分けのつかない、
屈折と倒錯に生きる化け物が、いとも軽々と口にする。

そのとき見抜いた。

これは「お笑いか」と。

インチキと虚構で、垂れ流されるままに、
簡単に、それを「美」と錯覚させる術。
それらが論じる「美」は、実は一握りの構成者や、売り手側の策略なのだが、
あたかもそれを「全体」のように感じさせる手法。
そのからくりは、要するに、
無差別に垂れ流される「一方通行」の方法にあるのだと気づく。

騙されぬよう。



ミストGな山々



myokasyo at 03:10|PermalinkComments(0)TrackBack(0) よもやまばなし 

2006年04月12日

春色無高下(しゅんしょくこうげなし)

太郎冠者









春、花は桜と決まっていますが、
椿もまた、この時期に咲く種類は多いのです。
今日はぶらりと庭に出て、いくつか手折ってきました。
桜の影にかくれてひっそりと咲きます。
ともすれば忘れられて、桜が終わる頃に椿も花期を終えます。

椿の木はある時期、毎年のように植えました。
そのどれもが、今大きくなってきました。
上の写真は、太郎冠者(たろうかじゃ)。

残念なのは、ある夏に妙蓮寺椿を枯らせてしまったこと...
またいつか出逢えますやう...




卜半












卜半(ぼくはんつばき)椿




玉之浦












玉之浦椿








みんな一緒に...










myokasyo at 21:26|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 妙花 

2006年04月11日

雨













高校生のとき、
数学の先生が授業中こう言った。

「よく降る雨だわね…。
こんな日は学校なんて出てくるのなんてヤメてさ、
家でポケーっと寝転がって、雨の音なんか聞きながら一日中、本でも読んでると、
本の中身は、脳みその隅々まで染み渡るでしょうよ…ね? フジモト!!」

この数学の先生は男で、
スーツはその当時のピエール・カルダンを愛用していて、
まさしくオネエ言葉を使っていた。
隠れ名物先生だった。
ちなみにフジモトは私の名ではなく、その頃の同級生のラグビー部のフジモトくんで、
授業の場面を変える合間に、フジモトくんかクロダくんが俎板にのせられる...
いわば上方落語で使うお拍子か、合いの手のようなキャラとして存在した。


とにかく...
その頃から、

>雨の音なんか聞きながら一日中、本でも読んでると、本の中身は、脳の隅々まで染み渡るでしょうよ…

という言葉がアタマから抜けない…

なるほど...
『晴耕雨読』という。

「雨」と「本」との関連は、今までずっとこの先生のオリジナルだと思っていたが、
考えれば四文字熟語にもあって、
あの遠い学生時代、雨の日の陰鬱な教室の中、
はじめて聞いて、突然降って湧いた関連のものでもないな...と、
今さらながら気がついた…


花は咲いたが、菜種梅雨…
それに花冷え…
天候がいかにもぐずぐずしている。
こんな時期は、モチベーションも運気も天候と同じように冴えない。

一喜一憂…?

そうそう… 
半年前に失くした2万円が戻ってきたかと思うと、1千万円の仕事を逃した… そんな気分だ。

雨のこんな日は、一日中、本を読む。

何を?

笑うから言わない…







myokasyo at 03:26|PermalinkComments(2)TrackBack(0) よもやまばなし 

2006年04月08日

よしなしごとかきつらめ

春の花いろいろ-2













「ヤマ場は越えた…」といいつつ、
また、たいへんな新たなことが降りかかってきて、
そいつを乗り越えて、
「よし、これでヤマ場を越えた!」
と…思うと、また新たなヤマ場がやってくる。
いったいこれで何度目になる。


■人生はハードルと同じ。
スポーツのハードルはこちらから走って行って次々と飛び越えるわけだが、
人生のハードルは、こちらが好むと好まずに関わらず、
向こうから勝手に飛んできて次々にぶち当たってくれるのである。
                      −ichi−(笑

だが、どれほどハードルがぶち当たって満身創痍となろうが、
確実に終結点に近づいていることはたしかなことで...
それは喜ばしいことだ。任期は残すところ3ヶ月を切った。

では、最近思うよしなしごとをかきつらめ...



■ある食事会での話…
「某国皇太子妃はパニック症候群だ」という。
数年前、当該の妃は、スポーツ競技会に皇太子とともに来賓として出席中。
万人の観衆の見守る中、いねむりをしたという。
それをTVで見たときにピン!ときたのだという。
私はまったく知らぬ話だったし、
誰しも、妃が幸せの絶頂にあると、信じていた頃のことである。
今日、話してくれた会のメンバーによると、
心的ストレスが最大になってどこにも逃げる場がなく、心の中で進退きわまったとき、
最後に自分の中に逃げ込み、本来あり得るべきではない状況と場所でのいねむりという行為となって表出したのだという。
話しの信頼性や説得性はともかく…
そういうTV画面の中の微細な部分を見逃さない見方をする人は好きだ。


■親の死に目に逢う…とは…
大切なことなのか?
これが分からない…
もちろん、その場に居合わせられればそれに越したことはないとは思うが。
やむをえない場合は仕方ないであろうし。
おそらく仁義忠孝礼とか、江戸、明治の儒教教育あたりからの出典だろうか。
そういえば、私は「孔子」に関するものを読んだことがない。

「夜、爪を切ると親の死に目に逢えない」というが、
爪などは風呂上りに切るのが最も柔らかくて切り易く、
よって、誰しも爪は夜に切ることが多くなるであろう。
ただし、爪を切るパチッという音は、ラップ現象の音によく似ていて、
そういう意味で、夜爪を切る行為を、昔から忌み嫌ったのではないかとも推測できる。

■春の嵐ともいうべき… 外はすごい風だ。
さすがに古傷ともいえる花粉症の再発が気になる。
ちなみに学生の頃から、20数年間にわたって私を苦しめていた花粉症は、
サバイバルゲームと塩水のうがいで、ある年とつぜん治った。


■以前勤めていた会社の先輩の名言

「人間関係で悩むのなんて、ばかのすることですよ」

(笑)



■TVを見ていて、いい言葉を聞いたのでふたつ。

>今度生まれ変わったらどういう人生を送りたいですか?

「どうせ生まれ変わったって、自分の思い通りにゃいかないんだから」
いまの自分を生きるしかないですよね・・・(笑」
                      −小野田寛郎さん−

芸は水に文字を書くようなもの。
書き続けないと消えてしまうんです
                      −藤山寛美さん−





春の花いろいろ





myokasyo at 19:42|PermalinkComments(0)TrackBack(1) よもやまばなし 

2006年04月06日

桜 ...咲いた。

sakura



  都より 十日おくれの 桜かな

               ichi





myokasyo at 00:26|PermalinkComments(0)TrackBack(0)

2006年04月03日

甘酒の甘み

甘酒







イリノイ州から来た米人4人を霊場K山に送り届けるため、
通訳役を引き受けてくれたウィスコンシン州の米人留学生らとともに電車に乗って向かった。
だが、しかし…
切符を失くしてしまったのである。
発着駅の券売機で人数分切符を買い、同行の米人に一人ずつ各人に切符を渡し、
みんなと同じように自動改札を通って電車に乗り込んだのに、
乗車中気づいたときには切符を失くしていたのである。

心ここにあらず。
最近おかしい。
完全にボケている。

私に話しかけるな。
ものを頼むな。
雑用はもうまっぴら御免にしたい。
みんな自分でやるべきだ。
下手くそでもなんでも…

やれば何でもできるが、
疲労困憊した器用貧乏には限度がある。

終着駅に到着し、清算所で事情を打ち明ける。
「○○駅で乗ったのですが、切符を失くしてしまって…」
「どうやって乗ったのです?」
「いや、券売機で切符を買って、自動改札を通ってここまで来たのです」
「あ、じゃどうぞ」
「へ」
「そこ、どうぞ通ってください」
訝る私に、駅員はわざわざ精算所の窓口を出てきて、
ここを通って外に出ろと手招きしてくれた。

こんなことははじめてだ。
てっきり沿線分のすべての料金を支払わねばならないと思っていた。
まるで「狭き門」を潜り抜けるように駅外に出た。
標高800m。天下の霊場の駅は最近出会うことのない慈悲にあふれているかのように思える。


米人4人をK山に無事送り届け、
帰りに、残った米人留学生と二人で駅前のレトロな食堂に入った。
昭和30年代の食堂はこんなだったにちがいない。

青い目の学生と一緒に弘法大師空海が唐から製法を持ち帰ったという、うどんを食べ、
その後、学生はぜんざいを、私は甘酒を注文した。

米人学生は「甘すぎる」と言って途中で断念したが、
私は懐かしくて、甘酒を最後まで啜った。
生姜の微かな香りがした。
甘さも微かなら、香りもこの微かさ…
こういう感度を取り戻したい。

3月のひと月間のどたばた劇はまだPTSDとして残っていて、
たった1日や2日では解消できるものではないらしい。

花を生けるほどの集中力や、心の余裕はなく、




myokasyo at 01:04|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 読みかきのこと