2006年11月

2006年11月30日

【端境(はざかい)】

からすうり、ウィンター・コスモス、ニシキギ















ひとつ仕事を終えて、夜更かししている…
一昨日、車で出かけたときに、久しぶりに外の空気を吸った気がした。
大げさに言えばそんな感じだ。

山の紅葉が一段と綺麗になった。
昨日夕方に出稿したので、少し開放感…
あとは印刷会社が納期を守ってくれれば終わり… お役御免。
ここ数週間、コピーしてペーストする作業ばかりやっていたわけだが、
やっぱり、自分で創ってゆく仕事でないとダメになるね…
議事録とか、記録写真の整理ばかりでうんざりした…

さあ、これから読みたい本を読みたいだけ読んで、本業に精を出すか…

昨日、生けた花二点。
いつの間にか、野には花の数も種類も少なくなった…
端境(はざかい)という。
本来は…
『古米に代って新米が市場に出回ろうとする時期。転じて果物、野菜など市場に出回らなくなる時期、広義にはさまざまな移行期をいう。(広辞苑)』

野や、庭の花が少なくなり、色あるものを探し回るのである。
そしてようやく得たものの、数少ない中でのとり合わせを考えてみる。


近況報告などをひとつ…
昨夜、久しぶりに『金縛り』にあった。 
自分が起きて見ているはずのない...
(寝ている姿勢のままだし、目を閉じているのだからねぇ...)
ドアが開いていて… 隣室の照明が射し込んでいるのがわかる。
ドアを閉めに行きたいと思うのだが、身体は動かない。
声を出そうと思うが、声も出ない。
意味不明の言葉を何か発す...
ひとが聞けばそれは魘されているか、寝言に聞こえたであろう。

学生時代から金縛りの経験は何度もあって慣れている。
一番ひどかったのは、部屋の隅に白装束のお遍路だか僧侶が三人並んで座って柄付太鼓を叩いていたのがあった。

金縛りをできるだけ早く解く方法をひとつ…
「経」を唱えるとこと。
昨夜、私は「般若心経」を唱えたが、「南無阿弥陀仏」でもよい。
「アーメン」でもよいのではないか?
もしくは「だるまさんが転んだ」でもよいかもしれない。
べつに宗旨や唱える文言にこだわる必要はない。
とにかく、自分の身体の自由が利かなくなったパニック状態に、慌てず騒がず、抗わず… 
自分の意思を「そうだ。念仏(もしくは何か文言)を唱えよう」という一心に集中すること。
頭の中で何度か諳んじることで、さらりと金縛りは解けてゆく。
またこの解けてゆく開放感がなんとも言えず、心地よく再び眠りにつくことができる。

さて、昨日の「金縛り」の原因について…
もちろん、くだんの原稿作りに追われた疲れのせいだと思うのだが…
思い当たることがもうひとつ…

それはここでは書かないでおこう…


椿、冬苺












myokasyo at 02:43|PermalinkComments(4)TrackBack(0) 妙花 

2006年11月22日

不思議の里の古寺巡礼

momiji















あれは前厄の年だったと思う。
頃は、今と同じ紅葉の時期。
年が明ければ本厄。
すでにいろいろ行き詰っていて問題は絶えない。
そんな時期…

「今年中に厄払い。行っておいたほうがいいよ…」
という忠告に…
「まじないなんて…」と耳も傾けず放っておいたのである。

ある日、紅葉で有名な寺に写真を撮りに行ったときのこと…
山門をくぐれば、唐突に「厄払い」という看板が目に入った。
放っておいたわりには、何かその頃の状況に、気にかかるものがあり、
渡りに船とばかり…
「あ、ここでやっとけばいいや」とお堂の中に入っていった。

厄除け祈願の飯箆、護摩木に願い事を書くのだが
布施が何百円か…
「しまった財布持ってこなかった… また出直すか…」
と、思って何気にポケットに手を入れたところ、
その日の朝、クリーニングに出すスーツの中から出てきた...
しかも体温で充分温まった五百円硬貨が指先に触れたのである。
おお… あった…!
それを賽銭箱に放り込み、飯箆、護摩木、蝋燭、線香を求め、
厄除け祈願文を書き合掌して帰った。
人生など、うまくいかなくて当たり前… と思うとき「家康」の言葉などを思い出すのである。

人の一生は重荷を負って遠き道をゆくが如し、急ぐべからず。
不自由を常と思えば不足なし。
心にのぞみおこらば、困窮したる時を思ひだすべし。
堪忍は無事長久の基。
怒りは敵と思へ。
勝つことばかり知りて負ける事を知らざれば害その身に至る。
己を責めて人をせむるな。
及ばざるは過ぎたるよりまされり。
人はただ身の程を知れ草の葉の露も重きは落つるものかな...

だが、この日の「厄除け祈願」ほどうまくいったためしはないな…などと思いながら…

さて数年後…
「厄」は明けていた…が、どうもうまくゆかない。
日々、不安が増す。
なにはともあれ「厄年」を無事のり切ったことも忘れていたのだが。

悶々とするうちに、ふと思い立った…
「あの古寺にお礼参り」に行かねばならないのでは?
今度は財布も賽銭も持ち、再びあの寺に車で走る。すぐだ…家から十分程度…

雨だ…
紫陽花が咲いていたので梅雨時の時分か。
雨に濡れたそう広くない境内を縦断し、くだんの毘沙門堂に入る。
何年か前の、あのときは気付かなかったのだが、
お祀りされているのは、
毘沙門天、不動明王、愛染明王、三宝荒神、大黒天、福禄寿…
真ん中に建つ毘沙門天から順に手を合わせ、最後に大黒天の前で、手を合わせ、
「…お願いします」と心の中で唱えたところ…
「よっしゃよっしゃ、いける。いける」
…と声がした。
ぎょっ!とした…
「大黒天が大阪弁で喋った?」

仏像の裏が社務所か何かになっていて、その裏に人がいるのかと思い、
お堂を出てから裏側に回ってみたが、堂は仏像の裏側はすぐに壁だけである。
深い谷になっていて川が流れている。もちろん雨の境内には誰もいるはずはなく、
雨降る白昼、妙に不思議な体験をした。
その後も、仕事や何かで苦境に立ったとき、何度かここにお参りしている。
そのたび、何度も、たすけられている気がする。

不思議の古寺巡礼








この日も、出かける前に降り始めた雨は、紅葉を写すときにはぴたりと止んだ。
そして境内の一角にある地蔵さんに雲間から一筋の光が射し込んだのである。
「しまった、撮り損ねた」と思っていると、もう一度光りが射した。
二度目の光は少し弱かったのだが、「今度は撮り損ねるなよな…」と言われているような気がした。

観音














私の中の『不思議の里の古寺巡礼』…
写真は仕事で撮りに行ったので、仕事用の使いまわしですがご容赦を…


梵鐘








myokasyo at 18:25|PermalinkComments(6)TrackBack(0) よもやまばなし 

2006年11月18日

【とうがらし、からすうり はななす...など】

とうがらし、からすうり はななす...など














風邪が治りかけては、雑用が入り、
また治りかけては、1日会議などあり。
なかなか体調が戻らない。
体調不良が、こんなに長く続くと「年齢かな?」と気も弱くなってくる。

なかなか手につかない仕事がひとつ...
あんなつまらない仕事はない、と断じて思う。
これからは、まっぴら御免蒙る。
とにかく、引き受けたからには今月末アップを目標とする。



先日、「花の会」でようやく生けた花。病み上がり花…






とうがらし、からすうり はななす...など_2



myokasyo at 06:58|PermalinkComments(4)TrackBack(0) 妙花 

2006年11月07日

秋の「いけばな」展見学

白鷺のいる風景







忙しい週末だったかも…
4日は仕事半分、ボランティア半分というところ。
5日は遊びが半分、やり出した責任が半分…という感じ。

連休前夜に突然、昨年お世話になった某流派宗匠から電話が入り、
宗匠の出展するいけばな展に「写真を撮りに来ませんか?」というお誘い。
もちろん誰の作品を、どう撮ってもよいというお墨付き付き…

花を撮るのは好きだ。

花を撮る…というのは、
生け手の手を離れて、撮るものの手にゆだねられる…とは以前にこのブログで書いた。

撮りにだけ行く…ということは、
生け手がどういう意図を持っていようが、相手が本来伝えたいというメッセージを、見透かしつつ、
その意思に反して自分勝手に撮ることができるのだから、これほど無責任で楽しい作業はない。
やや加虐性向の伴う作業でもある…

…と、ここまで書いたが、最初の白鷺の写真は本文とは関係がなく…
たまたま、その日の朝、出先で車を置いた駐車場の隣の干上がった池に降り立っていた白鷺たち。眠気まじりの休日の朝、飛び込んできた拾い物の情景に... 思わず目が覚めた...


さて… 花…


落ち葉あつめ‐1














以前は流儀花、格花、生花と呼ばれる型の花をよく稽古したが、写真に切り取ってみて、自分では、やはりもうだめだ.. と、あらためて感じた… 正面から見る花… 技術はあくまで技術で表現を超えられるものではない…? とか… 思う。
今では「迫り」...みたいなものを感じなくなってる。
それよりもむしろ、花の断片に生じる生け手の人となり...みたいなもの... 彷彿させるような... そんなのがいいな...


石榴













けいとうなど...















唐黍













柿 すすき














居並ぶ作品群の「型」を見ず、部分のエッセンスだけを戴くこと… 

「型」を見てしまってはだめ。 

…風邪みたいに、移ってしまうから…

気と… 迫り… だけを、ただ、じっと感じるようにしよう… 








瓜、石榴など...











myokasyo at 03:17|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 生け人しらず 

2006年11月03日

【ピンポン・マム/フウセントウワタ】

ピンポンマム・コギク















『やり』…出したらすぐできることを… 『やる』…ことは苦手だ…
ルーティングワーク… 機関紙の編集とか…(笑

型が決まっているからね。結果は曲がりなりにも予測可能で刺激がない。
よって、中々仕事にかかるとっつきが悪い…

もうひとつ...
調べればすぐに分かることを暗記するのは苦手だ…
県庁所在地とか… ふだん乗る沿線電車の運賃とか… 
ぜんぜん覚えてない…

仮定から推論を導き出し、何らかのアクションを起こして結果を導き出す…というのが学生にとっては「学問」であり、社会人としては「仕事」になるのだろう。
例えば、「過去」…に関して…一面的な、記述や証言を鵜呑みにしているだけでは、「未来」予測の判断を見誤る元ともなるだろう。
「過去」を、多角的に分析してみて、情報の真贋を見極め(これは骨董品の真贋を見極めることとも似ている)、100%とはいかぬまでも、その実相を見極めてこそ、未来への確信に満ちた判断ができるというもの… と、ここまで書いてみたが、文字にしてみるとなんと凡庸な理屈…

「ある」こと、「あるべき」ことは言えるし、暗記したものはすらすら出てくるが、「ではあなたはどう考える?」と問われたときにそれ以上の仮説や意見が出てこない… ということは、よく出くわす。

仮に… 有名な神社を散策したとする…
地形から見て、東側から婉曲して北側に向かって流れる大きな川と平野部。そして、南にもその川の支流を配す標高百メートル前後の山裾に神社は建っている。支流を跨いだ南側は中央構造線とよばれる険しい山岳、山系が連なり、天然の要害を成す...と考える。例えば寄せ手が攻めるとしよう... 南からの攻撃は不可能。もし攻撃するとなると、川を挟んだ、北側の平野部からとなるが、運悪く攻め落とされたとしても、南に向かって逃亡すれば、奥深い山岳、山系が逃亡を助けてくれるという絶好の位置に... その神社はある…

「ここは、きっと古代には城郭として使われていたのかもしれないね…」と語ったことに…
その神社のパンフレットの記述を指して、
「ここに、○○○年に○○○○によって『祀られた』と書いてある。『祀られた』というからには神社でしよう?」
…という発想とは、根本的になにかの回線がちがう…と思わざるをえない...




フウセントウワタ・コギク












myokasyo at 04:00|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 妙花