2007年02月

2007年02月26日

【失せもの...その後】

失せもの...その後













先月、日記に書いた「失せもの」ひとつ見つかる。
掃除中の息子の部屋から発見された。これはいったい!「ン年ぶりの快挙!」といえるか?

本のタイトルは『ビジュアル版・現代の高僧・知識と「智恵経典」を旅する―般若心経(プレジデント社)』だった。
「般若心経」についてはさまざまな著者によって書かれていて、ここにも他に何冊かあるが、経文にサンスクリット語からの理解を与えてくれたのは、よほどの専門書でないかぎり、私にとって、この本が最初。説明とか説得力というのは知識や語彙の多さ複雑さではない。直感で感じられること。

昨日、ここで、そんなことを書いていたところなので、思わぬ共時性ともいうべきか。人手に渡ったと思っていたのでたいへんうれしい。
なお、本書には「撮影‐永坂嘉光」という方の風景、情景が、経文とともにセットインされていて、経文の理解と心の平穏を助けてくれる。

Amazonではセカンドハンズしかないが、興味のある方は、昨今出ている般若心経本よりも深い理解を得られることまちがいなし。おすすめ...


myokasyo at 23:23|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 読みかきのこと 

2007年02月25日

【ふきのとう】

ふきのとう















「かく、あれかし…」と言われる。
すなわち「俗説」、「通説」を、そのまま受け入れよという欺瞞に、反逆の血が騒ぐ。
しかし、「俗説」、「通説」を、実際、行動に起こして淡々とやってゆくのは骨が折れるものだ。
まずその「通・俗・説」そのものの起源が信用に足るものなのかどうかが問題だ。
原理主義の私としては、「通説はこうだが、本当はこうなのだよ」とぶちまけたいところだ。
だが、ふつうの世間ではそうはいかない。
世の中では「通・俗・説」を常識として勘違いしたまま、罷り通っている(ことが多い…)。

「墓」の起源は諸説あるが、貴人はさておき、凡そ庶民が「墓」を建て、先祖を供養するようになったのは江戸時代とされる。
江戸幕府は、島原の乱以降、宗教による倒幕活動を恐れ「宗門改め」を行い、菩提寺を檀那とする檀家制度をつくった。
現在、家々に残る「宗派」は、概してこの制度や、宗門人別帳の名残りであり、いわば時の為政者がつくり出したシステムである。
桃山時代の日本人の宗教観や境界は今よりもっとおおらかだったし、過激に変動したと思える。
明治初年の廃仏毀釈を経て、改宗の自由が認められたが、今でも、年寄りは、この江戸時代のマインドコントロールの呪縛から逃れられない。
ふつう。マインドコントロールは、それが解けるのに呪縛された年月だけかかるというから、日本人がこの風習の呪縛から解けるのはあと百年先のことになるか?

昨年、亡父の初盆に、宗派の僧が来て『盂蘭盆会』の由来を語るとき、釈迦の弟子であるモッガラーナとアーナンダーを間違え、たどたどしい講釈を垂れた。
以来、ばかばかしくなって月命日にも行かなくなった。

昔、家では、鬼門にあたる社で、年に一度、護摩焚きをするのが風習として行っていた。
うやうやしく白装束の神官が祝詞をあげ、護摩焚きになると「般若心経」を称えることに、どうも違和感を覚えていたのだが、
日本には本地垂迹説があるから、まあまあ…と思っていた。
しかし。そのうち、その神官が称える般若心経の経文のうち数行が抜け落ちていることに気づき、何年か前から、ずっと続いていた家の風習をやめてしまった。
世に、これらの僧や神官を捉えて「売僧(まいす)」というのではあるまいか。
むろん、僧も神官たちも、生きているものは皆、修行中なので、いちがいにそれを責めることはできないともいえるが…と言って、逃げ道を残しておいてやろう。

…で。
話は、ずいぶん脱線したが、そんなことを書こうとしたわけではない。
つ… 「通・俗・説」のことについてだ…


myokasyo at 22:40|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 娑婆の花 

2007年02月22日

【夢の中二景】

引っ越した家












一昨日、夜早い時間に眠ってしまい。
深夜に鮮明な夢を見て、一度起きた。
その後、また眠り。朝方までにもう一度、別の夢を見た。
夢の中の情景を絵に描いているうちに、
ストーリーも、早や忘れかけているが、だいたいこんな感じか...


【引っ越した家】

ある夜。友人が、私の引っ越したさきの家に訪ねて来る。
久しぶりに会った友人と夕食を共にし… 
 …と、これが、ものすごく豪華な家…
大きく丸く分厚いダイニングテーブルは、中二階のような場所に据えられ、居ながらにして階下と階上と窓の外が見渡せる。
テーブルの上には燭台があり、蝋燭の明かりで食事する。
テーブルクロスはなかったが、高級なマホガニーのテーブルだった。

二人でワインを飲み、食事が終わり、帰ろうとする友人に、私が声をかける。

「風呂でも入って帰れば?」

「それでは…(お言葉に甘えて)」

というふうで… 
私が友人を風呂に案内する。

だがそこで、「しまった!」と思った。

じつは、私が引っ越したばかりのその家は中古で、
元の主は以前、私の取引先だった鄯氏の邸宅である。
よって、私は譲り受ける前に、何度かこの家を訪問しており、風呂にも何度か入れてもらったことがある… 

と、いうのも…

...以前にも、この同じ家の夢を見ている。
(この家の夢を見るのは今回で三度目…)


とにかくデカい風呂だ… 
壁、床は大理石。柱はエンタシス… 
ロダンやミケランジェロもどきのスタチューが至る所に立ち並び、
さながら、ローマやフィレンツェの美術館(行ったことはないが...)にでも迷い込んだような浴室...
浴槽だって形も細工も、とりどりに十通りくらいはある。

さて…

ただし問題がある…
この家は、その浴室へ行くまでが未完成なのだ…ということを思い出した。

では、どうやってその浴室に行くかというと、浴室の本来の入り口から入らず、裏側から入る。
そこは階段を上がり、どういうわけか、私が独身時代の一時期暮らしていたアパートで使っていたプラスチックフレームの洗面鏡(タテ50センチ、ヨコ40センチぐらい)を外し、
その洗面鏡を外した裏側の壁面に開いている四角い穴から浴室内に入らねばならない...

友人を誘ってしまったからには仕方がない。

「え〜っと、まだ工事中でねぇ…」

などと言いながら、かつて見た夢の中で鄯氏が私にやって見せたとおりに、中空に浮いたその壁面の四角い穴に頭をもぐり込ませる。

前に見たの夢の中では、鄯氏に続いて、私も四角い穴から浴室に入っていった。

「おっ!」

私が前にここから浴室に抜けるときはまだ痩せていたが、いまはあの頃に比べると、なにかと余計な肉もついている… 

果たして通り抜けられるのか…(汗、汗...




【湖畔を走る】

夢の中で、私は子どもの頃に戻っている...

そして、「湖畔に建つ、とある旅館(?)または大きな民家(?)の生垣を抜けて、連なる看板(?)の後ろを通れば駅に近い…」と思っている。 

ある夜...

駅まで近道をするべく、その生垣を通ると内側から男女の話し声がした。

何気なく、そっと、生垣の内側を覗くと、屋敷の中の部屋が見え、浴衣姿の女の足が見えた...
何か悪いことをしたような気がして、誰にも気付かれぬよう、朽ちかけた看板の背後を、踏み切りに向かって走った...


湖畔を走る



















myokasyo at 18:07|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 夢々うらないごと 

2007年02月16日

【水仙・キブシ・檀黄梅(だんこうばい)】

水仙・檀黄梅・キブシ







たとえば、個別の具体論に対し、
まったくそれに反論できないこと、
または対案ともいうべき具体論が示せないこと。
または思考停止してリアクションすらできないこと。

これら個別の具体論に対して罵倒や中傷でしか言い返せないとしたら、これらはいくら攻撃的に見えても、やがて拠るべき存在理由を失うのではないか。

しかしまた... 理由を説き、論述を尽くしてもなを、中傷、罵倒で塗り替えられた歴史があることもまた事実... とも...



「学問」って...



「疑問」から始まるわけだろ?



「(たとえば通説はこうだが...)もし仮に...」という「仮定」があって...ひとつの「推論」または「仮説」が成り立つとする。



この「推論」「仮説」を実際に検証、実験、探求、研究してゆく行為が「学問」「学業」の道というのではないのか?



myokasyo at 06:34|PermalinkComments(0)TrackBack(0)

2007年02月15日

【田園の鍵】

田園の鍵












体の調子がいまいちすっきりしないが、毎年、この時期の同じことだ。

思い起こせば星霜の中学生時代、「不登校」という言葉も無かった時代に、
三学期の大半を、理由不明のまま不登校したのも、ちょうど今と同じ時期だったことを思い出す。


悶々鬱々。どこまでいっても、ある地点で思考停止せざるを得なかったあの頃に比べると、今は格段に面白い。
何が面白いかといえば、探り当てられる情報量が、いうまでもなくあの頃とは格段に違うということ。
いままで「タヴー」とされてきたことだって、もう誰にも「全てを覆いつくす」ということはできなくなった。
興味ある「本」だって、自宅にいながらにしていくらでも手に入る。

この日記は「観念」の話に終始すべきだと考えているが、私自身は、学生の頃からリアリストだと思っている。
「世間」というものを、家業である親の後姿から見つめて育った私には、その頃から「学校」も「教師」も「大人」も、信用に足るものには思えなかった。
耳にする「言葉」は、「タテマエ」と「欺瞞」に糊塗されたものだと、その頃から気付いていたように思う。
だから、学生時代に見たルネ・マグリットの『田園の鍵』にとても衝撃を覚えた。


さて、いまそれらが捲れ始めている。
窓の外の風景そっくりに描かれた窓が割れてしまい。その向こうに、本当は何が見えるか。興味津々というところだ。



田園の鍵_1










myokasyo at 08:51|PermalinkComments(0)TrackBack(0) よもやまばなし 

2007年02月10日

【街影】

街影_2













「まちかげ」と打ち込むと、
「街影」と、Wordではすぐに出たが、
広辞苑には残念ながらこういう言葉はないな…
勝手な造語だ。

先月、と或る街で、と或る歴史的な石碑を探していて、
その街の、得体の知れない空気と迷宮に吸い寄せられた。
懐かしいようで、何か魔がさすような、不思議な引力。 
「昭和」とか「レトロ」とか…? 
それだけじゃないな。
この頃、考えが過去へ、過去へ… と、帰りたがってる。

すぐに思いついたのは 、
そうだ、こんなタッチ… どこかで見たことがある。 あっ!滝田ゆうさんの漫画だ… 
連想ゲームのようなのだが、それからずっと気になっていて、昨夜、「寺島町奇譚」を読んだ。
なるほど… その街の持つ「魔」の正体も、「影」の正体も謎が解ける。
気になる、不思議な「街影」。

ぬけられますか


滝田ゆう「長崎丸山町」












街影_3






街影




myokasyo at 04:37|PermalinkComments(0)TrackBack(0)

2007年02月03日

【白梅】

白梅















ここでは、できるだけ観念的なことを書くようにする。
現実は天候と同じくFreezeしている。
年初からショックなこと一件。
一言メッセージを伝えたいが、それも果すこと叶わず。

「勝敗は天運…」これも【Samurai】語だ…
地の利は、人の和に如かず、人の和は天の時に如かず。
『孫子』を戦いの規範にした戦国時代の【Samurai】は、
いかに周到鉄壁な堅陣も、いかに勇猛果敢な強兵も、
天が利するにあらずば、敗れることがあるを知っていた。
あなたにもあてはまるかもしれず、無論、私にもあてはまるのかもしれない。
「勝敗は天運...」


白梅‐2















いまは、停滞、遅滞、うまくゆかず、一言発せば人を傷つける。
こういうときは、以前務めていた会社の副社長の言葉を思い出す。
「敢えて話さず、騒がず、逃げず… 故意に、精神的に自分で自分を、どん底まで落とし込め。
そうすれば、ちょっとした些細なことも、喜びにかわる時が必ず来る」

ほんとか…?



あじさい芽吹き












「花」に関して…

今年はどうやら独立してから9年目に入る。
最初の頃のテーマは「ゆらり、ふらり、しゅ〜っと」。
何年前かは忘れたが、
2度目のテーマが「抑制、統制、統御、自制(Discipline)」。
今回が3度目の自分なりの境界に入る。
言葉で… みつからないのだが、
あえて言うなら、コントロールされた「乱れ」とか「崩壊」とか… そんなものだ。
言葉にまとまったら、また報告したい。
偏執狂的に、「乱れ」、「崩れ」、「壊れる」ものを…構築していきたい。
「壊れ」を… 構築する… コントロールする… というところがボキャブラリーの不足で、どうしても言葉にならないのだが、
例えば、上手に切り揃えられた髪を、手櫛でバサバサバサ!とやってみる。そんな感覚に近い。
もっと周到に、カットの段階から偏執狂的な細心さで、決して気付かれぬことなく「壊し」、「崩れ」、「乱す」作業。
例えば、襟を立てつつ折ろうとしている描写が、(確か...)サルトルの文章の中に出てくる。
理性の奥底、常軌の芯の部分で秘かに「崩壊」し、「破滅」する。
これからしばらくは、そんな花を… 

ここを、たまたま覗いた人は、
好むと好まざるに関わらず、そんな「花」にお付き合いいただく羽目になる…



あじさい芽吹き_2










myokasyo at 01:33|PermalinkComments(4)TrackBack(0) 妙花