2007年09月

2007年09月15日

後ろの正面だあれ...

デルフィニュウム トラノオ














このブログでは、政治なことはあまり触れないのだが、
<夢々うらないごと>の行きがかり上、書いてしまおう。

去年7月、誰もが「この人なら…」と思う方が「美しい国」のリーダーになった。
そのときの姓名判断による<夢々うらないごと>がコレである。

ところが、浮世というものは皮肉なもので、
時の勢いは、本人が生来にして持つ地金を晦ませてしまう。

この頃、時を得て出版された本は、世の趨勢に乗って民衆に幻想を抱かせるに充分な「美しい」言葉で綴られた。
だが、実際、権力を掴んでみると、本を書いた「頭」と、実際、物を掴み、歩を進めるべき「手足」の動きがバラバラで、
「この本ホントにこの人が書いたのか?」と疑い始める始末。
数理の持つ霊動とは正直なもので、まさに水が高きから低きに流れるような真理をもって現実として姿を現すことになる。
すなわち一年前にみた霊数の持つ「霊動」とは「中途挫折」の相であったのだが。
考えと行動がバラバラのことを、…することも、させられることも、じっさい疲れるし、身体を痛め神経も病むのである。


で… 
今回のこの人…
さてこれも恐い… 

天格19画
人格16画
地格15画

総格34画
外格8画

<三才の配置>




すなわち…

◆人格16画 凶より吉に反るの象
頭領となり人の上位に立ち、重厚の雅量ありて、よく衆望を荷い、衆よく之に服従し、大事大業を成就す。至富栄達期して待つべし…云々

◆地格15画 福寿円満の象
順和、温良、雅量に富み、上位より恵沢を受ける。徳望を得て大業を成就し富貴栄誉に時めく。家を興し栄を致し、有徳、慈祥自ずから得たる最大の吉運とする。

幼年期を司る地格、生涯を司る人格の霊数は申し分がない。
とくに「凶より吉に反る」とは、人生万事「塞翁が馬」であり、今回はライバルの失脚という本来「有り得ぬ」状況や逆境から、頭角を現すという本性をよく物語っている。

ただ、気になるのが、晩年を霊動する総格が34画。ホリエモンと同じである。

◆総格34画 破壊乱離の象
「波乱乱離の象。一度(ひとたび)凶来(きた)るとき、凶は大凶を生じて大困難。大失敗を招き内外破乱、諸事齟齬し惨憺悲痛限りなく、多運との関係によりては病衰、短命。または男女互いに配偶者を失い、子女に死別し刑傷殺伐、もしくは発狂、剛過等極度の不幸に襲われることあり。破家亡身の運なり」

◆三才の配置 
水・土・土… という配置をどうみるか?
地味であることには間違いない。
鉱(金)も生ぜず、木も育たない。「水と土と土…」の世界を想像してみるがよい。
泥々ではあるが、本来自ら欲を出さねばそのまま無難に人生を乗り切れる運であるとも思える。

<総格>とは、人間の仕上げの部分であろう。
平均寿命も伸びた昨今。71歳という年齢がどういう意味を持つかは意見の分かれるところだ。
だが本来、「自分から勝負をかける」という年齢ではないとは思う。
もし、リーダーとして選ばれたならば、父親がリーダーとなったのと同じ年齢というが、そのときと状況がよく似ている。血は争えない。
だが、変わっていることがひとつある。



今となって、書き出せばきりがないのだが、今回、先月の内閣改造時に党の中で、真空のように無役であったこと、次席のサラブレッドが党の幹事長という役職であったこと。

本来、人間はこの年齢になっては、川の流れに逆らわぬことが肝要である。
権力欲や名誉欲… 欲や願望が人間にとって大事なことに間違いはないことは否定しないのだが、敢えてそのために「無理」をすると、必ずやそのしっぺ返しが来る。
この氏が「川の流れのままに…」担ぎ出されたと(自らはそう装っているが…)

…そう思えぬところが今回のミソだ。







かごめ、かごめ、籠の中の鳥は、いついつ出やる。
夜明けの晩に、鶴と亀がすべった。後ろの正面だあれ。







myokasyo at 05:16|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 夢々うらないごと 

2007年09月14日

石上神宮(いそのかみじんぐう)

isonokamijingu








先週日曜日、会合のメンバーには申し訳なかったのだが、体調がすこぶるすぐれず棄権した。
皆と別れて、朝のうちにそのまま帰る予定だったんですが、
ふとした思い付きで、一人で運転する車は帰り道とは違う方向に…
…不意に手に入れた数時間。
ゲームを最終まで戦う体力は残念ながらないが、一、二時間の遠回りのドライブなら耐えられる体力。これを使わぬ手はない。
そして、映画『サイコ』で云えば、誰もがあり得る悪魔の気まぐれで、
仮にそのまま失踪した場合、この日の私の消息を追いかける者がいれば、理解しがたい「変心」の行動を裏付ける一瞬でもあるわけです。

石上神宮は、大木の杜に囲まれ、まさに神域。
古代神への参拝は、荒ぶる霊性を微塵も感じさせず。穏やかであった。
が…
…帰宅するや、もののけに憑かれたか、神あたりしたのか。

二、三日は、階段を昇り降りするにもぐったりするほど疲れ果て、ほとんど床からも起き上がることもままならず… 
…これはいったい何だ?
いまようやくBlogに向かう。




myokasyo at 07:10|PermalinkComments(2)TrackBack(0)

2007年09月02日

風船蔓(ふうせんかずら)

風船蔓














朝、涼しい風が吹く。
二年前の放電中の時期には、積もり積った本をただひたすら読みたいと願っていたが、
今、その願が叶えられ、有難いと思いつつも、「言葉」や「文字」が頭を廻り、今度は逆に迂闊に書けなくなってきた。
自然、ひとり黙り込んでぼんやり考え込んだり、頭の中で今読んだ本の内容を反芻したりする時間が増えて、人とすらりとした会話ができにくくなる。こんなことは学生時代にもあった。

とくに、近代史と古代史の二正面作戦となった今は、たびたび文化的、民族的な関連性などを推測してみたり、考えがまとまらなかったりすること夥しい。
それに、読むだけでは人に説明できず、決定的に重要な言葉をたびたび抜かしてしまっていることが多いので、説明しても説得性がなく、やはり三島由紀夫ではないが、「書きつつ固め、固めつつ書く…」という行為が必要なのだろう。
こんなとき、パソコンのキーパンチを基本から習得していない私にとってはたいへん辛いものがある。

ずいぶん読んだよ…
もう秋になる。













myokasyo at 07:53|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 妙花