2007年12月

2007年12月21日

Merry X'MAS

X'mas






なにが「偽」だよ...
それならクリスチャンでもないのに毎年毎年「Merry X'mas」 だって騒ぐのも、
根拠もないのにバレンタインデーにチョコレート渡したりするのも、節分に恵方を向いて巻き寿司かじるのもぜんぶ「偽」じゃないか。

本来、この国の「仏教」だって、
肉食も妻帯も許されて、托鉢も出家もしない仏教を、本来のブッダの教えである「仏教」と言えるのかどうか。

「偽」が聞いてあきれらぁ。

少し早いけど、Merry X'MAS

myokasyo at 07:34|PermalinkComments(3)TrackBack(0) 妙花 

2007年12月10日

賽(さい)

境界の発生 (講談社学術文庫)


11月は行事と、渦のような雑用で矢のように去って、
やれやれ12月...と思ったら、バッチン!とヒューズが切れるように壊乱して寝込んだ。
なかでも丸々24時間ベッドから起き上がれなかった日を、いま思い出してみると12月4日だった。

なるほど... 鬼界から悪戯したな?  ...忘れていたわけじゃない。

最近、気になる調べモノをしていて、先週末、いきつけの本屋で買った本の話。

ときどき古書店も使うが、ほとんどは大きな本屋さんで新(品)本をまとめ買いすることにしている。で、くだんの本は、何冊か買ったうちの一冊で文庫本。タイトルは「境界の発生」

―あの世とこの世。生と死、村の内外などを分かつ境界は、今や曖昧となり、かつて自明であった死後の世界も消え、魔性のモノが跳梁跋扈する空間も喪失してしまった―

―あなたとわたしはたぶん、かぎりなく境界の曖昧な時代を生きている。人間やモノや場所がくっきりとした輪郭をもちえない時代、と言いかえてもよい―

※―(引用)

ところで、帰ってから気がついたのだが、なんとこの本、中古であった。
...というのも、新品を扱う本屋でありながら、棚から引き抜いたときには気がつかなかったことだが、頁の何箇所かに折り目が入っている。
つまり... 誰かが本屋での立ち読みで、自分の興味のある部分に折り目を入れて、気になれば毎回その書店に来て、その部分を開いて確認する... そんな具合の目印のように思われる。

これは、ふつうなら「不快だ」...と思う。 ちなみに書店では一度持って帰った場合、取り替えてもらえるという話は聞いたことがない、あくまで確認せずに買ったほうに責任が問われる...と、思う。...市民派消費者なら怒り狂うところだ。

だが、わたしの場合...、逆に...、枠組みを変えて考えれば、...同じテーマで、他人が気になる部分を、相手に知られることなく、こちら側が知ることができる... ということが可能で、他人の興味を覗き見したような感覚を...思いがけず拾ったようで... ...その折り目の頁に対して興味津々となる ...場合がある。


ちなみにその折り目の箇所を列挙してみると、見ず知らずの、ケシカラン立ち読み者が注目したのは、文節から考えてこんなところ...

―琵琶法師は何故に、旅わたらいの盲目の身にことさら危うげな足駄を履くのか。(略)生涯を旅に送る遊行の僧、ことに深山幽谷を行脚する役の行者や修行者らの履物としては、およそ実用的では有り得ない。(略)松田修が『陰の文化史』でのべているように、"あしだとは、「山」のはきもの、非日常・聖域としての「山」の住民の側に属する具、聖具であった"とする指摘のほうが、わたしにはよく僧形の者と足駄の関係ととらえているとおもえる―本書p114

―六波羅密寺の空也像は、鹿の皮をまとい鹿角を付けた杖をつき、胸間にさげた鉦を打ち鳴らし称名念仏する遊行聖の姿で形象化されている。通常の僧形とは異なる、明かな「異形」の聖であったことがわかる―本書115〜116

―境の民と杖:だれが杖を衝き、あるいは携えているのか。杖はなにかの標示なのか、それとも実用の具にすぎないのか―本書p132


どうやら、琵琶法師のファッションが気になったようで...







myokasyo at 06:56|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 読みかきのこと