2009年04月

2009年04月30日

高野山の華

konpondaito


ふしぎなことに、
こういうときに物事は重なるもので、
武澤秀一氏の『空海と塔のコスモロジー』という著書が、つい最近届いたところで、
昨日、私が一応籍を置いているクラブの遠足は「高野山」だったわけです。
なお、女性参加者を除いて、
男子は、私一人だけがノーネクタイ...というのが、やや気恥ずかしかったです。

以前、訪れたときには拝観させていただいた根本大塔内陣には、今回は時間の都合で入りませんでした。
外側から眺めただけです。

遠足は、半年前から分かっていたスケジュールなので、
何がどうというわけではありませんが、
ただ、共時性という意味では、「何かが知らせてくれているな」...という予感はあります。
ベクトルとベクトルが互いに近づきつつ、また離れては近づく、そんな感じです。

ついでに言えば、もうひとつ。
別の団体で毎年行われる総会の場所に、「奈良」を候補に挙げたのは私です。
ほぼ、私の意見どおり、飛鳥、吉野あたりのコースに決まりそうです。
今からすでに楽しみです。

kongobuji_sanmon

sugi_stûpa

ところで、

金剛峰寺の門には杉の塔?これも何かの記号なのでしょうが、ガイドに聞く暇がありませんでした。
形はストゥーパに似ていますね。

金剛峰寺玄関の「いけばな」。
この流派の華も、「立って」いますね。

kado_kouyasan


kouyasan_fuji

昼食をとった宿坊の前庭には樹齢100年は下らないといいわれる藤...
高野山は寒冷の地なので、藤もまだ蕾のままです。
...ついでにそこで食った精進料理も載せておきましょう。
総持院というところですが、材料の風味や持ち味の生きた料理でした、旨かったです。

syojinryori



空海 塔のコスモロジークチコミを見る』...さきほどはじめて手にとってペラペラと見ましたが、前著作よりも、塔と柱、伽藍配置のこと、かなりページを割いて書いているみたいです。

ただ、目下、
長屋王家木簡と金石文クチコミを見る』:大山誠一
言霊と他界 (講談社学術文庫)クチコミを見る』:川村湊
馬・船・常民―東西交流の日本列島史 (講談社学術文庫)クチコミを見る』網野善彦/森浩一 

  ...の、以上三冊同時並読中なので、

『空海と塔...』に至るまでは、まだ少し時間がかかると思われ...




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myokasyo at 03:23|PermalinkComments(2)TrackBack(0) よもやまばなし 

2009年04月28日

「藤の性(しょう)」

fuji


日本の気候というのはよくできていて、
春風というのは名ばかりの、まだ肌に冷たい立春を過ぎたあたりから、
ぼつぼつと黄色い花が咲き始めます。
この頃の、長い冬の間、立ち枯れた緑少ない野に咲きはじめる黄色い花の色は、
長い寒さに耐えてきた人の心に希望の春の灯を点けてくれる。
春の黄色花は心も晴れるのです。

やがて、季節は廻って五月の声を聞き、風の温度が変わります。
真昼には、汗もにじむような季節ともなれば、
ちゃんと、里には菖蒲、杜若...が若々しい翠を見せてくれ、

活力を取り戻し始めた陽の光を和らげるかのように、
山のそこかしこに、桐花や、そして藤の花の淡い薄紫色が咲きはじめ、
清涼感漂う色彩が、見るものの目を和ませてくれます。

ところで、不思議な話なのですが、
私は、藤の花について、生けようか、やめとこうかと...
なぜかためらい、毎年悩むのです。
悩んでいるうちに、花期が過ぎてしまうということがよくあります。
その花の持つ「性(しょう)」とでもいいましょうか。
ちなみに、桜もそうです。
ソメイヨシノ、ヤマザクラとなると、どうも生けにくい。
かつては、その「生けにくさ」は、
「やはり野におけ蓮華草...」のように、
野で見るほうが美しく、室内ではその美しさが矮小化されてしまうからか?
...と、考えたりしていたのですが、

どうも、最近思うことは、
生ける技巧や、野の姿を室内に持ち込むことや、ほかの何より...
昔から、これらの花をふつうの日常に生けることをじゃまする...
「何か霊的なものかがあるな...」
                   ...そんな気がするのです。

fiji_no_syo


藤原氏は、昔、中臣の姓であった。
鎌足は死ぬ直前まで中臣鎌足であった。
しかし、死の床において鎌足は、大職冠の位と藤原の姓を賜る。
大職冠の位を賜ったことは、人臣最高の位を賜ったことを意味する。
しかし、藤原の姓を賜ったということは、どういう意味を持っているのであろう。
鎌足はこの二つを賜って大へん喜んだというが、大職冠の位を賜ったことは嬉しいにちがいないとしても、なぜ藤原という姓を賜ったことがそんなに嬉しいのか...

...天皇親政の世も、せいぜい天智、天武、二代の帝の時代のみであり、
持統晩年から新しい氏族、藤原氏の支配の時代が始まる。
神道と共に物部氏は滅び、仏教と共に蘇我氏とは全くちがった性格をもった氏族であるように思われる。
藤原氏の氏神である春日大社へゆくと藤が植えてある。
一本の藤は楓の木と並びその木にまきついているし、他の一本の藤は、他の木に寄生し、また、その元木には、さまざまな木が生えている。
この藤を己れの氏族のシンボルとして選んだ藤原氏はいかなる氏族であろうか。

藤は、一言にしていうならば、雑草の生命力をもっている木である。
それはむしろそれ自身の性を持たず、他の木にまきついて、その他の木を枯らしつつ、自己を成長させていく木である。寄生が、この木の本性である。
この木を自己の姓に選んだ藤原氏とは、大した氏族だと思う。
それは鎌足の意思かもしれないが、その意思通りに藤原氏は繁栄したのである。

藤は自性を持たない木であると私はいった。
松や梅や桜は、いい意味にも悪い意味にも、松であり梅であり、桜である。
松の性、梅の性、桜の性を失っては、もはや松でも梅でも桜でもない。
しかし、藤はちがう。
それは他者によって生きている。
それは固有の自性をもたない。自性をもつとしても、変幻自在な自性というべきであろう。

                       隠された十字架―法隆寺論 (新潮文庫)


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myokasyo at 22:16|PermalinkComments(2)TrackBack(0) 娑婆の花 

小野妹子の謎(続

ononoimoko

[※小野妹子画像:写真「池坊由来記」]


日本の「いけばな」文化において...

最古の体系を持つ「池坊」の祖「小野妹子」を追いかけて行けば、
世界の中でも特異な花の文化を持つ、日本の「いけばな」文化の基層を知る手がかりになるかもしれない..
..と思って調べ始めたのです。
ところが、教科書でも遣隋使として名を知られる小野妹子の史料は意外に少ない。

・小野妹子を大使とした遣隋使が成功に終わり、妹子は大徳冠という冠位十二階の最高位に上りつめる...
・妹子の子である毛人も、天武朝には太政官兼刑部大卿に任じられ大錦上(正四位)まで昇格している...

・ところが、唯一、小野妹子を知る手がかりとなる『日本書紀』には、妹子が隋の煬帝から預かった国書を紛失した記事を記すのです...

・これに対し歴史学者坂本太郎氏は「総じて、このことはありそうもないことで充たされている。(略)私はむしろその事実性に疑いを持つ」という...

・「(略)造り事は妹子ではなく、『書紀』の編者またはその原資料の筆者だと思う。その人は妹子の偉大な功績にも落ち度があったことを示そうとして、こうした文をつくったのではあるまいか。(略)なお、もっと憶測を施せば、小野氏に何等かの反感を持つものが、こうした記事を作ったのではあるまいか。」...ということを、さきに書きました

今回はその後編...

『日本書紀』の記述に対して、肯定的な態度をとる坂本太郎氏においてすら疑問を呈している部分が、先に書いた「小野妹子が隋から持ち帰った国書紛失事件の謎」なのです。
同じ著書で、もうひとつ坂本氏が小野妹子についての疑問を呈する箇所があるので引用しておきます。
妹子は推古一六年四月に帰国する。『書紀』には、隋の人は妹子を名づけて蘇因高と言ったと記す。小野妹子はどうして蘇因高と呼ばれたか。『日本書紀通釈』は、小妹子を字音に換えたものと解し、『日本古典文学大系』本の『日本書紀』も、その説を頭注に記している。しかし、これは不審である。小を蘇にかえたのは字音のもとづくものであり、妹子を因高にかえたのは字訓にもとづくものである。
氏は字音で、名は字訓で称したという前提がなければこの説は出てこない。妹子は先方でショウ・イモコと称したであろか。

判信友は小野はサヌと訓んだのであろう。サヌを約すればスとなるから、かの地の人はサヌを蘇と訳し、イモコを因高と訳したのであろうと解する(『人名帳考証』)。これは筋が通っているが、小野はあくまでヲノであって、サヌと訓んだ徴証は全くない。野の音にシュというのがあるから、野妹子を訳したという説もあるが(岩井大慧氏「支那史書に現はれたる日本」第一次『岩波講座日本歴史』)、これは音訓混用の点で小妹子と同断である。

私は、蘇は小野とは関係なく選ばれた文字ではないかと、ひそかに想像する。中国では蘇は氏名としても、地名としても、よく使われる好字である。その好字を用いたという推測は無稽ではあるまい。なお、隋の人がこのように称したというが、実は妹子自身がそのように書いたのが元ではないかと考える。

聖徳太子 (人物叢書 新装版)
著者:坂本 太郎
販売元:吉川弘文館
発売日:1985-05
クチコミを見る


重複になりますが、書いておきます。

・小野妹子は、遣隋使として一年間の外交交渉を行うのですが、その間、隋人との交流の中で、中国呼称の「蘇因高」と呼ばれたと「日本書紀」は記す...

・吉士雄成(きじおなり)は、中国風に乎那利と字音で記されている。

当時の外交儀礼として、中国に行っては、先方に分かるように、自らの氏名を中国風の書き方をしたというのです。

坂本氏が疑問を呈すのは、オノノイモコを音写して中国語で書いた「因高」は理解できるが、中国呼称の姓である「蘇」は、なぜ「蘇」としたのか?ということ。

名「因高」が「イモコ」の音写となるならば、姓もまた「オノ」の音写とならねばならない。ところが、これを「蘇」とするのは...

・「『蘇』は、小野とは関係なく選ばれた文字ではないかと、ひそかに想像する」と坂本氏は言い。

・「...実は妹子自身がそのように書いたのが元ではないかと考える」というわけです。

さて?

日本書紀は「...隋の人がこのように称したと」というが、坂本氏は、小野妹子は自らの姓に『蘇』という字をあてたと推測する。歴史学者は、確実な証明がない限り不用意なそれ以上の推測を避ける。
しかし、ではなぜ「小野」が「蘇」なのかという疑問は残ったままであるといえます。




ikenoboyuraiki


■『池坊由来記』

『池坊由来記』には、
敏達天皇の御子、春日皇子の王子が臣戚降下し近江国志賀小野郷を領し小野姓を賜った(一説に考昭天皇の皇子天足彦国押人命から出たともいう)
...とあります。

また、『諸氏本系帳』市橋氏系図から紐解き、池坊氏はどう見ても藤原姓公家の名門西園寺家の支流であった...とする説も、どうやらありますね...

しかし、もし室町時代以降の確実な系図で分かっているならば、当時の名門である藤原姓公家の名門西園寺家の系統を公称すればよいところ、それでもなお池坊が、「小野妹子始祖」説にこだわって伝承するところには、私はそれなりの意味と根拠があるのではないかと考えています。

私自身、とくに身近な例で、口承伝承が、後々に当時の文献資料が出てきたことによって実証された例を知っています。
よく口承伝承を、でたらめだとして一蹴し、思考停止を決め込む人がいますが、口承伝承を、あながち粗略にできないことについて、梅原猛氏が『飛鳥とは何か』の中でこんなことを述べているので引用しておきます..

...どんなところでも、古い時代のことを語る同時代の文献資料はとぼしい。
そしてその文献には、必ずそれを書いた人に都合のよいことしか書かれていない。
そして史料を残すのは、たいてい権力者である。
権力者は、己に都合の良いことしか、文章に残そうとはしない。
たとえうそを書かないにしても、都合の悪いことは一切触れない。
それゆえに、歴史の暗部のようなものは公式文書には出てこない。
その暗部は、ひそかに口でもって、人から人へと伝えられる。
そしてその事件が起って、何十年何百年とたった後に、この口承伝承が書きとめられるという場合がありうる。

...口承伝承の多くは、何故かということが分からない。
ただ、これはこうだということのみが伝えられる。そしてこの口承は、時を経ると必ず不正確になる。
そこに多くの誤謬が入ってきて、そうなると、時代も場所も合わないものになってくる。
しかし、そうかといって、この口承伝承を全面的に否定することはできない。
そこには何か否定すべからざる真実が隠されていることが多い。

飛鳥とは何か (集英社文庫)飛鳥とは何か (集英社文庫)
著者:梅原 猛
販売元:集英社
発売日:1986-06






ところで、
『新選姓氏録(田中卓著作集9「新選姓氏録の研究」)』によれば、
「小野朝臣 大春日朝臣と同祖、彦姥津命五世孫、米餅搗大使主命之後也。
大徳小野妹子、近江の国滋賀郡小野村、因(よ)る以って氏を為す、日本書紀に合… 」とあります。


また、梅原氏の著書『隠された十字架』に、新選姓氏録の中で同祖といわれる春日氏と、その後の小野氏の末裔についての記事があるので抜粋して引用しておきます。
...春日氏は、実は和邇氏と名乗る古代日本の隠れた豪族の一族らしいのである...

...和邇氏は物部、大伴とならぶ古代日本の豪族であり、その一門から多くの皇妃を出している...

...ところが皇妃を出すのも下限は敏達帝までで、例の物部と蘇我の宗教戦争以来、この一族は衰えたらしい...

...この本家、和邇氏にかわって、分家である小野氏や大宅氏粟田氏などが、この後隆盛する...

...奈良遷都後、活躍がめざましいのは、小野毛野(おののけぬ)と小野馬養(おののうまかい)である...

...小野毛野は阿部宿奈麻呂とともに、藤原不比等の腹心であり、不比等政権を助けて従二位まで昇進する...

...小野馬養は慶雲元年(704)五月十日、西楼の上に現れた慶雲をはじめて見て三階級特進した人で...

隠された十字架―法隆寺論 (新潮文庫)隠された十字架―法隆寺論 (新潮文庫)
著者:梅原 猛
販売元:新潮社
発売日:1986-02






ikenoboyuraiki_keizu

大正十三年刊『池坊由来記』によれば...
小野妹子は、聖徳太子薨去とともに、

...ひたすらに太子の冥福を祈って立花供養を朝夕に絶やすことがなかった...

...ここに至って趣味の人専務師として供花の傍らにはかつて支那で見聞習得したところの華法に
 日夕親炙した...

...故上宮太子(聖徳太子)の知己に深く感じて
 その御遺志を継いで仏の道に精進し...

...大和飛鳥の帝都を遠く離れて、
 ここ山背愛宕の土車の里なる六角堂雲林寺境域太子浴泉の辺に
 草に庵(すなわち池坊)を結び...

...ひたすらに太子の御持仏如意輪観音を護り
 且つ旦暮に荘華をつくって太子の遺霊に献り...華道は胚胎した...

...栄爵を捨て極冠をかけて塵の世の火宅の煩わしきを遁れ
 一個の専務法師として此の未開の森林中に居ること五〇余年であって、
 天智天皇八年己巳の秋も置く露滋き真萩が花の散り方なる九月半ばに八十八歳を一期とて... 大往生を遂げ、
 ...遺骸は河内国磯長(しなが=科長)なる聖徳太子御陵の辺に葬った... 



...とあります。


話が拡がるだけ拡がって、とても中途半端なところなのですが、
あまりに長くなりそうなので今日はこのへんで。
だらだら、とりとめのない、地味でヲチのない長文ですね...
続き、また書くことにします... 




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myokasyo at 00:08|PermalinkComments(2)TrackBack(0) よもやまばなし 

2009年04月27日

【ウマノアシガタ・セリ】

umanoashigata_seri



先週末...

山に湧き出る名水を採りに行ったのですが、
そのとき摘み取ったウマノアシガタ(キンポウゲ科)。
もうひとつは、

「お、これがノニンジン(セリ科)か?」
           ...と思って摘んできたのですが、

「ノニンジンの根は食べられる... 」

「しかも極めて美味... 」

...というのを、後から聞いて

「そりゃしまった。根も採ってくればよかった...」

...と、思ったのですが、

どうやらよく調べてみると、これはふつうのセリですね。
野芹...
まあ、セリも食べられますが、私の野草に関する知識はそんなもんです。

ノニンジンねぇ..


生けた器は木製で、鉢カバーに使ってます。
本来はアフリカ、タンザニアだったっけな?
穀物か何か入れる容器でしょうね...
黒地にシンプルな線彫りのストライプ文様が気に入ってます。











umanoashigata_seri^

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myokasyo at 19:40|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 妙花 

2009年04月23日

花友だちの花

hanatomodatinohana


今日、夕方六時から会合兼飲み会だったのですが、
飲み会終了後、なんと、知る人ぞ知るチルチンびと。
庭師の古川氏と、路上でばったり出会い、
花友だちと共に三人で二次会行きとなってしまいました。

で、ついさっき帰ってきたのですが...

前に紹介した、鄙(ひな)の茶席探訪の、あの露地と、私がこよなく好んで、密かに真似したいと目論んでいる、あの蹲(つくばい)の石組みを造った人ですね。

いちおう書いておきますが「学ぶは真似ぶ...」。

その人の影響を受けるということは、単純にいって真似することである
そして、その人の絵の世界を知って、また別のものを求めて脱却してゆく。
その脱却したあとに何かが残る。それが影響である。
                         千利休―無言の前衛 (岩波新書)

まず、ヘタクソでも自分なりに真似できないと、それを自分のものにして脱却できないのです。

さて、
なかなかおもしろい話が聞けましたよ。こんな具合です。

ふつうの庭師さんとは逆のことをやるんですよ...

そこの庭を見て、何百万もする植木があるとするでしょ、
でも「ああ〜ダメだな(似合わないな...)」と思ったら切っちゃいます...

庭木は切り詰めてはダメです、放っておくこと...

まあ切るとしたら下枝を取ること...そして透かすこと...ぐらい

掛け軸や、生け花は取替えが効くけど、庭は取替えが効かない...
だから、何年か後の(植栽)育ち具合をイメージして造らなきゃいけない...

庭は、水の取り込みと逃がしに半分以上コストをかけます。それは仕込んだ(多分、地中の排水パイプのことか..)ところで、埋めてしまえば、表にはぜんぜん見えない部分です...

他にもいろいろ聞いたのですが、
ドライマティーニ四杯が効いているので、思い出したらまた...

ついでに...と、言うと失礼ですが、
私の花友だちの抛入れを紹介...
花は、白花鯛釣り草、黒百合、姫檜扇、...で、なんだっけ?
ああ利休草...、淡紫の都忘れ...
器は李朝時代の偏壷、乾漆...

ichiの花とは、またひと味ちがうでしょ..






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myokasyo at 02:15|PermalinkComments(2)TrackBack(0) 生け人しらず 

2009年04月20日

【八重山吹(やえやまぶき)】

yaeyamabuki~


昨日...
あまりいい天気だったので、
四天王寺に出かけたのですが、
四天王寺〜一心寺〜安居天神〜茶臼山と廻るうちに、
右頸部から右後頭部にかけて痛み。偏頭痛...
暑かったからかもしれませんが、
たった少しの距離なのに情けない話です。
夕暮れに帰宅して、アイスで冷やすも、なかなか治らず、
偏頭痛、首筋の痛みで目も開けられない状態。頭痛薬飲んだり、風邪薬飲んだり...

なんで四天王寺?かもしれませんが、
現場に行ってみれば、コンクリート製であっても、いろいろ確信の持てるコトはあります。
「正しい五重塔の見方」... また書きます。

若い頃は、大阪に住んでいたのですが、
今では田舎暮らしのほうが長くなって、
さすがにうちの最寄り駅に降りたときには、ほっとしますね。
空気が澄んでる。
出迎えてくれたのは、夕暮れどきの帰り道に黄金色の八重山吹。




yaeyamabuki_

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myokasyo at 21:46|PermalinkComments(4)TrackBack(0) 妙花 

2009年04月19日

【二輪草(にりんそう)】

nirinso


二輪草は、先日木曜日の「花の会」で風露さんから調達した花材。
以前私も育てていましたが、手入れが悪く絶えました。
こういう花材は、いまでは風露さんから以外は、なかなか入らないですね。

器は沖縄の抱瓶(だちびん)です。
ずいぶん前、沖縄へ旅行に行ったときに、花瓶に...と思って抱瓶を求めましたが、
今回使ったのは実家に所用で帰ったとき、亡父の書斎から勝手にもって帰ってきたものですね(笑
こっちのほうが、おそらく私が買ったものよりずいぶん上等でしょう。
亡父は書道家だったのですが、家族のほかの誰も書道に縁がないもので、
父の書斎は生前のときそのままになっていますが、
まだ紙を広げたままの書斎の机の上にぽつねんと...
この抱瓶はどうやら硯の水差しに使われていたようですね...

まあ、何か花生けに使えるいいのがあれば、また勝手に失敬してこようかと..

不孝もの、親がなくても不孝もの...



nirinso_

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myokasyo at 03:50|PermalinkComments(2)TrackBack(0) 妙花 

2009年04月17日

木の花咲くや、咲くや木の花...

konohanasakuya


古事記によれば、
邇邇芸命(ニニギノミコト)は、高天原から日向の高千穂峰に降臨し、笠沙の岬で美しい乙女に出会う...
大山津見神の娘である神阿多都比売(カムアタツヒメ)、
またの名を木花之佐久夜毘売(コノハナサクヤヒメ)という...

邇邇芸は、見初めた木花之佐久夜を娶りたいと思い、姫の父神である大山津見(オオヤマツミ)に許しを乞うと、大山津見は喜び、木花之佐久夜の姉、石長比売(イワナガヒメ)も一緒にどうか?と邇邇芸に勧める...
邇邇芸は、木花之開耶とは一夜を共に過ごすが、姉の石長比売は、器量が悪いので大山津見の申し出を断り送り返した...

このへん、いかにも古代の神話といいながら、けっこう現実感漂わせるような話なのですが。

姉妹を二人とも一度に嫁がせようとして、顔をつぶされた父、大山津見は、「わが娘を二人奉ったのは、石長比売によって天津神の御子の命が常石に堅石にゆるがぬようにという思いからであり、木花之佐久夜によって天孫が木の花の栄えるごとく栄えませと祈ったからである。石長比売が返されたからには、天津神の御子の命は木の花のあまい(咲いている間)のみとなろう」と呪詛した... といいます。

ところで、この神話...

「バナナ型神話」といって、「もし人類が石から生まれたら不死であったのに、木から生まれたばかりに死ななくてはならなくなった」という型の神話がインドネシアにあるそうです。このタイプの神話を、イギリスの民俗学者J・フレーザーという人が「バナナ型神話」と名づけたといいます。

たとえばセレベス島中部のポソ地方では...

「ある日、創造神は石を下した。われわれの最初の父母は『この石をどうしたらよいのか、他のものを下さい』と神に叫んだ。神は石を引きあげて、バナナをかわりに下してきた。われわれの最初の父母は走りよってバナナを食べた。すると天から声があって『お前たちはバナナを選んだから、お前たちの生命はバナナの生命のようになるだろう。バナナの木は、子どもをもつときには親の木は死んでしまう。もしも、お前たちが石をえらんでいたならば、お前たちの生命は石の生命のように不変不死であったろう』と」

東部ニューギニアのフォーン半島では、つぎのようにいう...

「昔、ある老人が若者に森から竹をきり出してくることを命じた。若者が竹をもってくると、その中に石をつめさせた。けれども不器用にやったために大きな音を立ててしまった。そこで老人は石をつめるのを中止させ、かわりに血をそそぎこむことを命じた。人間が死ぬようになったのはこのときである」

これらの「木の花咲くや姫型(バナナ型)神話」は、アイヌ、日本、タイヤル族(台湾)、メントラ族(マレイ)、ニアス島、アルフール族(セレベス島)、セラム島、ミューギニア島東部に分布するらしいです。

おもしろいことは、ここでとりあげたモティーフの神話や習俗が、だいたい東南アジア、ことにインドネシアに色濃く分布しているが、日本神話のほかの部分、ことに天地創造神話と密接な類似を示すポリネシアには及んでいないことである。この木花佐久夜毘売の物語はおそらく、日本神話の素材の大部分を提供したと思われる華南からポリネシアにかけての文化とは異なった、ある種の古い農耕文化に属していたものであろう。
                     日本の歴史〈1〉神話から歴史へ (中公文庫)


石から植物へ、そういえば古代の環状列柱石がやがて環状木柱列にかわってゆくわけですが、石=永遠から樹木=再生に変化するこれらの神話とは、何か関係があるのかもしれませんね。
また最近イネの遺伝子が南方起源ということも解明されてきて、「木花之佐久夜」型神話の分布にも興味深いところです。

しかし、バナナから花... 木の花の姫という、
麗しい女性に変わったところが、いかにもこの国らしくて...

木の花咲くや 咲くや木の花の国の... 桜...




konohanasakuya_

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myokasyo at 22:32|PermalinkComments(2)TrackBack(0) 妙花 

2009年04月15日

[keyword]語り...【大島桜】

oshimazakura


伊豆七島、伊豆半島、房総半島に分布するが、伊豆七島のみが自生で、他は野生化したものとみられる...                      『原色樹木大図鑑』


ほぼ、桜の原種と考えられているようです。

今日、自分勝手に作ったテーマは、[keyword]語り..というんですが、
あるキーワードをもとに、個人的に連想するものを、のべつまくなし思いつくまま書いてみたい。

まず、そのキーワードなのですが、

ソメイヨシノがほぼ散り去ったあと、
ちょうど今ごろに満開を迎える「オオシマザクラ」についてです。
毎年この時期、「オオシマザクラ」を見ると、
植物の話とは関係なく、
私の場合、つげ義春さんの「海へ」を思い浮かべるのです。
「やもり」と続けて「海へ」を読んでゆくうちに、どうも泣けてくる。

「大島桜...」「大島...」 つげ義春の、「海へ...」

私が子どものころは、大阪地下鉄には「たちんぼう」ってのが居たし、
「サンドイッチマン」ってのも居た。
氷屋が居て、ランニングシャツ一丁でノコで氷を挽いていた。

そんな情景は、いつのまにか見当たらなくなって、
そのうち、街は、どこもかしこも綺麗になって、
生活臭さをどこにも感じさせなくなった...

以前は、街も都市も、もっと生活臭かったし、猥雑だった。
でも、いまよりもっと活力があったと思うのですが... なんとなく。

今も、行くところに行けば、猥雑かもしれないけど、何が違うのかと考えてみると、
どうも大人が働くその背後に「子ども」の存在感とか、「子どもに懸けた」生活感ってのが薄くなった気がする。
猥雑が、なぜか綺麗になってる。 

綺麗な猥雑... 生活臭のない猥雑... もしくは、活力のない猥雑。
...デカダンス、荒廃、破綻... 薄っぺらい綺麗さ...

話がだいぶ逸れてきて、けっきょく「大島桜」とは、似て似つかない、ぜんぜん違う方向の連想繋がりになってゆくのですが...

「ぜんぜん違う方向ついで..」に言えば、

たとえば、
年長者(年寄り...)と付き合う機会の多い私は、
よく、その人の過去の自慢話を延々と聞かされるハメになることが多いのですが、
そんな人が突然...、「うちの母親はね...」と語りだして、なにかふ..と間が空く。

ふだん、人の話をぜんぜん聞いていないことで有名な私ですが、
どういうわけか、人のそういう「ふと空いた間...」の瞬間だけは見逃さない。
そういう意味では、私にはヘンな「いやらしさ」があるんですが、
でも、そんな瞬間に、その人の「生い立ち」って、見抜けるものだと思うのですね..

「生い立ち...」



船員になって
大島に行くとは
大島に何かあるのかね

小さいときに住んでいたから

誰か知り合いでもいるのかな


大島にはぼくが、
四歳のときに
死んだ父が

まだ元気でいるような

なんとなく
いつもそんな
気がしていたのだった

義男の青春・別離 (新潮文庫)




「必殺するめ固め」も、そこはかとなくいいのですが、
「やもり」「海へ」「別離」... お奨めします。
ただし、大人のマンガなので、そのへん多少、配慮のうえ..



oshimazakura_

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myokasyo at 23:24|PermalinkComments(0)TrackBack(0)

2009年04月14日

「皮留久佐乃皮斯米之刀斯(はるくさのはじめのとし)」?

harukusa_no_hajimenotoshi~


まえにも書いたのですが
大阪・難波宮跡で発見された、
日本最古の万葉仮名、「7世紀半ばの木簡...」とあります。

国語学の専門家は「はるくさ(春草)のはじめのとし」と読む可能性が高いと指摘。「春草の」は万葉集で枕詞(まくら・ことば)として使われており、文は五・七音を重ねた韻文の可能性が高く、和歌とみられる


まくらことば

修辞法[修辞:美しく巧みな言葉で飾って表現すること...]などといわれると、「ふ〜ん...」、強調のため、慣例的に使われるような言葉か〜..と、妙に納得してしまいますが、じつはさっぱり分からない。

「春草の始めのとし...」

好きな言葉です。
木々が芽吹いて、草花がどんどん成長してゆく。
この言葉の、その次にどんな言葉が続くのか...
千数百年の時間を超えて、とても想像をかきたてられます。

でも、よくよく考えてみるとヘンだな、と常々思っていたのですが、
最近、八木荘司氏の本を読んでいて、はは〜ん..、もしかしたら..って思ったことがあります。

八木氏によると、『魏志倭人伝』の中に、「魏略にいわく、その俗、正歳四節を知らず。ただ春耕秋収を計って、年紀となす...」とあり。つまり倭人の習俗では、中国で古来用いられている、正月から四季をめぐる暦法でなく、春の耕作のはじまりと、秋の収穫をもって年数としていたというのです。
つまり、魏志倭人伝が書く頃の日本列島は、今みたいに1月から始まって12月に終わりっていう暦ではない。
もしかすると「春の始めのとし」とは、「春の耕作のはじまり」を告げる年のはじまり..
とすれば、秋は?
秋の収穫が、「秋草の始めのとし」?
もし、そんなふうな意味の枕詞を見つけられれば、何か所以が分かりそうですね..







harukusa_no_hajimenotoshi_

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myokasyo at 23:18|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 妙花