好きな花

2010年07月01日

ねむ

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まだ小学校にも上がらない頃の、遠い遠い頃の話...
遠い、遠い... 霞んでゆくような記憶..


「この木は眠るんやで...」

「眠るから[ねむの木]っていうんやで...」

姉が教えてくれた。

「ほら...」

姉がねむの木の葉に手を翳すと、ねむは、おもむろに葉を閉じてゆく...

まるで魔法を見る思いがした。


ねむの木... 今年も花を咲かせます..




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2008年10月08日

花で人間をいけるので... 草月の花

sogetsunohana


私の花の友人ともいえる、草月流のK先生は...と、いっても私より、ふた回り近く年長で、花歴は言うに及ばず、人生においても大先輩なので、とても私の口から、なれなれしく「友人」と呼べる方ではないのですが...
草月流の創始・勅使河原蒼風名で出された許状と花号を持ち、どうやら流派の中でも古格の方らしいです。ところが、そういう風は一切見えず、おくびにも出さず、年齢の差を感じさせず、とてもざっくばらんにお話できて、お話していても大へん楽しい方です。

ずっと、花の道を歩んで来られ公的な文化活動にも幅広く貢献し、若い人たちの育成に取り組んでらっしゃいます。
今回、私たちの『花の会十周年花展』に、茶室一軒を二日にわたり数々の花を協力出展していただきました。


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昨日、「花にたずさわる人は花語を話せる...」という話を書きましたが、この先生との出会いも、もう何年も前、たまたま或る花展で、私が木賊を大量に生けていて、本数が足りなかったところ、対面でブースを構えて生けてらっしゃった先生が、「同じ花材持ってるから...」と言って、ご自分の花材であった木賊を分けてくださった...というのがご縁のはじまりです。

それ以来、何かの行事などで、私と出会うと必ず長い立ち話がはじまり、「ichiさん何かしようよ..」というのが口癖で(笑)、会うたび毎に「花」に対する新鮮な刺激を受けます。
そんなわけで、今回の花展を催すにあたり、私が師事を受けた師匠以外で、すぐさまこの方の顔が浮かんだというのも、日ごろからのそういう理由です。


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花で人間をいけるので、
人間が花をいけるのではない。 

...とは、私の好きな言葉で、勅使河原蒼風『花伝書』の中の言葉ですが、それまで文化としての様式美であった「いけばな」を、芸術の域に高めたのは勅使河原蒼風氏だと、私は思っています。

今、DVDが日本では未発売というのも惜しいのですが、勅使河原宏氏が撮った映画『利休』も、そういう意味では象徴的な時代背景だと思っています。利休は戦国時代末期に活躍した人で、いわば下克上の時代。形式や様式、制度が、がんじがらめに整った江戸時代とは一線を画しています。安土桃山の自由闊達な時代に、茶の立て方ひとつ、花の生け方ひとつで、商人であっても、浪人であっても、自分の才覚と創意で新天地を切り開いていける時代、機会に恵まれていた時代。
勅使河原宏氏が撮った「利休」の中に、宏氏が父である蒼風氏の姿を投影して見せたと考えるのは、考えすぎでしょうか。


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いま、戦後、日本に強い影響を与え続けてきた、アメリカ(欧米)というひとつのステータスや価値観が崩れて行くとき、大げさな話かもしれませんが、また新たな価値観を持った日本文化「いけばな」の時代が始まるのも知れませんね。
なんだか、書いてるうちに、ずいぶん、間口の広い話になってしまいましたが...



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2008年10月07日

「未生の花矩(はなかね)」その3

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花にたずさわるものは花語を喋る...

フランス人がフランス語を喋り、ドイツ人がドイツ語を喋るように、「花にたずさわるものは花語を喋る..」と思うのです。

かといって、特別な言語や文法があるわけではなく、「花」を中心に、「花」を媒体にして、
コミュニケーションできる...という意味です。
これは、外国語をひとつマスターするのと同じくらい、コミュニケーションの幅が広がります。

「花にたずさわるもの」とは、「いけばな」なり「フラワーアレンジ」なり、「ガーデニング」なり、道やカテゴリーは違えど、「花」が好きで「花」と付き合い出した人にほかならず、「花」を通じて知り合った人同士は、「花」を中心にして、その魅力や美意識について語り合える。
仮に、苦労や壁にぶつかったときは、花にたずさわるもの同士の経験や価値観において問題を共有し、ともに啓発し合い、やがてひとつの問題を飛び越えていくことが出来る...と、信じています。

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今回、私たちの花展に、ゲスト出展していただいた『未生陽風会』家元との最初の出会いも「花人は花語を喋る...」が、きっかけです。或る場所に私が生けていた、池坊の葉蘭の生花を見て、「これ、誰が生けたの?」と問われたのが出会いのはじまりです。
やがて、私が呼び出され、「はい、私が生けました...」とご挨拶し、いろいろお話させていただくうちに、未生陽風会の御家元だということを知ったのです。驚きました。
2001年に私が生けた「竹」も、この御家元から譲り受けた熊本の竹です。


その後、私みたいに華道から逸れた者でありながら、懇意にしていただき、2005年には、未生陽風会の45周年記念花展にゲスト出展までさせていただくことになったわけです。その人がらの、懐の深さと広さには「花」を軸にして磨き上げられた「人」を、思わず感じてしまうわけです。

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今回、私共の『花の会十周年・花展』に対しても、作品の出展は言うに及ばず、強力にバックアップしていただきました。

花にたずさわるものは花語を喋る..
花のご恩は、花で返す... と、花展が終わった今は、自分自身の肝に銘じています。

今回、『花の会十周年・花展』は、「花と生きる...花で生きる...」というテーマを掲げたわけですが、花に「気」をもらい、花の魅力にたずさわった者が持つ共通の心情であろうと思っています。
さまざまな流派やカテゴリー、組織の垣根を外して、「花」をひとつの軸として、人も花も、ともに成長していくことが出来ればいいですね...


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「未生の花矩(はなかね)」その2

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今回、花展を催した会場は大阪南端の旅館の大広間をメイン会場にして私たちが花を入れさせていただき。ゲスト出展していただいた、私の元の師匠、池坊、寧楽未生流の先生方に大広間の隣室の客室二室。
離れの茶室は一軒まるごとを使い、日ごろお世話になる草月流の先生に花を生けていただいたわけです。

寧楽未生流の先生は、私が長い花の道に足を踏み入れるきっかけをつくることとなった最初の師匠です。初めて「華道」の面白さや、楽しさ、厳しさ、ルール、マナーを教えていただき、さらなる「花」への興味を啓発していただいた意味でも、たいへんご恩ある方だと思っています。

寧楽未生流は、万葉集に歌われる、「あをによし 寧楽の京師(ならのみやこ)は咲く花の にほふがごとく今さかりなり」の、『寧楽』と書いて、なら(奈良)と読み、奈良を本拠に持つ、「全国に三百未生流」といわれる未生流分派の中のひとつです。


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さきに未生流については「未生の花矩(はなかね)」の中で少し触れたのですが、江戸、旗本の武家に育ったともいわれる未生流の始祖・未生斎一甫は、三〇年近くに及ぶの流浪の未に眼を患い、晩年には失明しますが、あとを不濁斎広甫が継ぎ、文化八年には大津の南護寺で百瓶会、文政四年には大坂の大蓮寺で還暦記念の六十一瓶花会が門弟たちによって盛大に催されるなど、関西以西を中心に当時から爆発的な人気を博していたようです。
その後、文政七年、一甫は、山村凌雲斎ら二、三の供とともに、大和巡歴に出かけて檪本の地で没したといいますから、奈良・大和が未生斎一甫の終焉の地といえます。

奇しくも、私がはじめて花の世界で頂いた門標の花号が「一甫」ですから、なにか花の世界との不思議な縁を感じざるには得ないのですが...、まあ、考えすぎですね...(笑



上の写真はアングルが低すぎて「用」の枝に窓ができて写ってしまっていて、撤花された後から写真の不備に気づいたのですが、正座した真正面では、だいたいこういう角度になります。

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三管筒・三才の組み方の中でも、わずかな枝数で役枝を作るのは、ほんとに難しいのすが、横姿の朝鮮槙、立ち姿の黄菊なら、私にもなんとかなりましょうが、この桜の枝の使い方は、私ではどうにもなりませんね。撤花後、脱帽しました。いい仕事してますね〜...
よって、元師匠の花の撤花を任された私の役得で、組み方の技巧をWeb上初公開です。元師匠には内緒です。

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2008年10月05日

不立文字・池坊の花

ikenobounohana


今回、私の花展に、私が花を習った二人の師匠と三人の花の友人が協力出展に応じてくださいました。中でも「池坊」のM先生は、私が「立花を学びたい」と、明確な目的を持って門をたたいた、花の世界で二人めの師匠です。

立花も、私が習った頃とは、多少、風体が変わっています。役枝...たとえば胴は、トルコキキョウ一輪に省略されています。

「上部の伸びをおおらかに、下部は比較的花数を省略して重心を水際で締める...、いま、そういうふうに立花も変わってきてるのよ...」

修行の頃、私が稽古で生けた立花も、師匠が少し角度を変え、少し挿し口の位置を変えるという、ほんのわずか変更や手直しが入る毎に、なにごとか風体が締まってゆくのを覚えています。
さまざまな花展への出展も、この師匠のときに経験させていただいたのです。

今回、久しぶりに師匠の花を見せていただき、

不易流行(ふえき-りゅうこう)

不立文字(ふりゅうもんじ)

              ...という言葉が頭の中を過ぎりました。

いくらマニュアルや写真、図版を見ても、言葉や文字でいくら伝えたって、決して自分のものにはならない。
その場で師匠の花を生ける手先を見て、一枝挿し口が変わることによって変わるその場の空気の変化や、師匠が次に花の姿のどこに視線を向けているか、それをその場で自分の眼で追って覚えていく以外に、ほんのわずかのニュアンスの違いを覚えてゆくことはできない。花を習うとはそういうことだと思います。

新しい姿でありながら古い。
室町時代から脈々と繋がる「池坊の花」が作り出す空気には、あらためて、日本の「花文化」の奥深さ、花の先人がずっと紡いできた花への思いや歴史の重みを感じざるにはいられませんね...



ikenobounohana


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2006年02月12日

「かもめ」の赤い薔薇

今にして思えば「薔薇」という花を意識させたのは、
浅川マキが歌う「かもめ」の歌詞の中の<赤い薔薇>だという気がする。
歌を聞いたのは小学生の頃だと思う。
何度も聴いた...という覚えがないのに、そのフレーズは大人になっても消えることはなかった。
その頃の自分がたとえ言葉に出来ないとしても、
「花は無邪気にしていられるだけの代物ではないのだ…」ということを最初に宿らせた。


「かもめ」
(寺山修司 作詞 山本幸三郎 作曲)

おいらが恋した女は 港町のあばずれ いつも
ドアを開けたままで着替えして 男達の気を引く浮気女
かもめ かもめ 笑っておくれ

おいらの恋は本物で港町の真夜中いつも
ドアの前を行ったり来たりしてる
だけどおいらにゃ手が出ない
(※おいらは文無しマドロス 薔薇買うゼニも無い だから
ドアの前を行ったり来たりしても 恋した女にゃ手も出ない)
かもめ かもめ 笑っておくれ

ところがある夜突然 成り上がり男が一人
薔薇を両手一杯に抱きかかえて ほろ酔いで女のドアをたたいた
かもめ かもめ 笑っておくれ

女のまくらもとにゃ薔薇の 花が匂って 二人
抱き合ってベッドにいるのかと思うと おいらの心はまっくらくら
かもめ かもめ 笑っておくれ

おいらは恋した女の 部屋(※まくらもと)に飛び込んで ふいに
ジャックナイフをふりかざして 女の胸に赤い薔薇の贈り物
かもめ かもめ 笑っておくれ

おいらが贈った薔薇は 港町にお似合いだよ たった
一輪ざしで色褪せる 悲しい恋の血の薔薇だもの
かもめ かもめ 笑っておくれ
かもめ かもめ さよなら あばよ

(※)はアルバムによって変わる、おそらく浅川マキさんのアドリブか?





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2006年02月11日

サルバドール・ダリの水仙

ダリの水仙













<ナルシスの変貌>から

どうしてこんな水仙が描けるんだろう…
この絵を見るたびに、ダリの花を見つめる視点が尋常ではないのに驚かされる。
花の何を見ているか… 毎日花を見つめていてもこの花の表情を見出すのは至難のことだ。ダリの描く水仙を見るにつけ、デザイン・造形といったことはどこまでいっても、ものの真性を見抜けずある枠から抜け出ることが出来ないように思えてくる。
ダリの描く水仙は自由に飛ぶ蝶のような錯覚を覚えさせてくれる。どこまでも空想の際限のなさ。怖さ。得体の知れぬ視点。決して暴力的ではなく巧妙に理性を破壊してゆくこととか...




ナルシスの変貌









ナルシスト[自己愛]の語源ともなった水仙の学名ナルキサス [narcissus]は、ギリシャ神話のナルキサス[Narcissus] の物語に由来する。

…ナルキサスはたいへん美しい青年。彼の姿を見ると、どんな娘も心を動かさずにはいられない。ところがナルキサスはどんな美しい娘がいても見向きもしない。美しい妖精エコーはナルキサスに出会い恋をしてしまう。あまりにナルキサスに夢中になってしまい、女神ネメシスの言葉さえ耳に入らなくなったエコーは怒りをかい、話す自由を奪われてしまう。それでもナルキサスが忘れられないエコーはナルキサスの後を追うが、話しかけることもできず、まして相手の心をひきつけることなんて出来ない。
「ナルキサスはきっとほかの誰か美しい人に恋をしているにちがいない」
ある日、エコーはナルキサスがいつも同じ時間に出かける後をつけた。やがて森の泉水に来たナルキサスは水面に自分の姿を映し恍惚とする。驚いたエコーは思わず息を呑んだ。人の気配を感じたナルキサスは「誰かそこにいますか」−「いますか。いますか…」
「出ておいで…」「出ておいで…出ておいで…」エコーはナルキサスの言葉を鸚鵡返しに繰り返すことしか出来ない。エコーはナルキサスの前に姿を現すが、ナルキサスはエコーをひと目見ただけで再び水面に映る自分の姿に見とれている。エコーは悲しみに閉じこもり、どんどんやせほそってやがて声だけになってしまう。
その一部始終を天上から見ていたネメシスは「ひとを愛せぬものは自分を愛するがいい」とナルキサスを水仙の花にかえてしまった。










myokasyo at 06:42|PermalinkComments(0)TrackBack(0)