読みかきのこと

2011年03月03日

昔映画で過ごす…(その2

タクシー・ドライバー【ワイド版】



性懲りもなくDVDばかり観てます…(いや… ました。)

ずいぶん前に観た映画…
もちろん上映ではなく、
まだあの頃はDVDじゃなくて、
レンタルビデオだったと思う…

今年、年が明けた頃から2月頃にかけて、wowowやSCで頻繁にやっていて、
もう何度も見ているのに、放映されるたびにまた最後まで観てしまう…

何回見ても、何かやりきれん…

でも、こう何度でも繰り返して観ることのできるディティールの映画って… 
最近はない…
ほとんど使い捨て… みたい…


最後、血だらけの指でピストルを真似て
自分のこめかみを撃つとき、
指先から二滴の血が滴り落ちる光景を…
あなたは何度も確かめたことがあるか…


『TAXI DRVER(タクシードライバー)』

マーティン・スコセッシ 監督
ロバート・デニーロ   主演
バーナード・ハーマン  音楽


あんたとそんなに話した事ないけど…
あんたは大先輩だ…

歳の功さ…
悩み事か? 話せよ…

完全に落ち込んだ…
ここから飛び出して何かをやりたいと思っている…

商売変えか?

でも… よく… 分からん…
 
飛び出して…
何かをやってみたい…
いろんな考えはあるんだが…

こういう事を考えてみろ…
男が仕事を選ぶ
彼は… やがて… 仕事を身につけ…
そのことしか考えない

俺のタクシー稼業は17年…
10年間は夜だが未だに自分の車がない…

いらないし…
買う必要もない…

夜勤では他人の車に乗る… 分かるな?
人間なんてなるようにしかならんよ…

貧乏人、金持ち、弁護士、医者も同じだ…
死ぬ奴、病気が治るやつ、生まれて来る奴もだ…

お前は若い…
女を抱け、好きな事をやるんだ…
どうせ俺たちは… 負け犬さ…
どうにもならん


こんなバカげた忠告は初めてだ…(笑)


俺たち運転手に何ができる?
お前が何を言いたいのか?
俺にはさっぱり分からん…

自分でも分からん

あまり気にするな…
のんびりやる事だ…
色んな奴を知ってるが、それが一番だ…

ありがとう…

大丈夫、心配するな…



どこにいても
俺には淋しさがつきまとう…
バーや車、
歩道や店の中でもだ…
逃げ場はない



6月8日
また人生の転機が来た
だが時は規則正しく過ぎて行く
漠然とした毎日が
長い鎖のように続く…
               タクシー・ドライバー【ワイド版】

 




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2011年02月28日

最近観た映画の名セリフ集(その1

パブリック・エネミーズ  [DVD]



昨日に続き、印象に残る映画のセリフ…
ジョニーデップ主演の『パブリックエネミーズ』の中から…

みんな私を見てるわ―

美人だから…

高級なお店なのに―

安物の服を着てるからよ―

いいか…
人は来た道ばかりを気にするが、どこへ向かうかが大切だ…

あなたはどこに―

望むままに…

             パブリック・エネミーズ  [DVD]


  … んなことは、一回、美人の前で言ってみたい(笑)


ところで、このセリフもいいですが…
ジョニーデップがアカペラで歌う「牛集めの歌」もサイコーです(ところが、残念ながらこの歌、サントラ盤に入っていない…)。このシーン… 実在した稀代の凶悪犯ジョン・デリンジャーの本質に迫るジョニーデップの演技に、妙な迫力感じるのは私だけか?




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2011年02月27日

Q・タランティーノ映画名セリフ集

パルプ・フィクション [DVD]


いよいよ2月ももうすぐ終わり…
2月は、殺界でいう停止なんですよね…
いよいよ停止の年の停止の月が明けます。

べつに信じてるわけではないけど、
以前に経験があるからね…
経験は自己暗示より説得力がある。

ということで、2月は散財、…と、始まってからずっと体調不良…
眼精疲労や風邪っ引きが続いて、一冊の書物も完読できず…

きさらぎあけ… 自分だけの造語。
東京にいた頃の、苦しい苦しい「きさらぎあけ」を思い出す…
上司と一緒にスタンディングバーに飲みに行って、雪がちらちら降ったよな〜…


こんなときはじたばたしない… 

するけど…

そこで、もっぱらCD聴いたり、映画やDVDばかり見ていたのですが、
その中から…
クェンティンタランティーノ映画の名セリフ集…


聖書を読むか?

いいや あまり…

暗記してる文句がある。

エゼキエル書25章17節

“心正しい者の歩む道は―”

“心悪しき者の利己と暴虐で阻まれる―”

愛と善意で暗黒の谷で弱きものを導く者に祝福を

彼こそ兄弟を守り 迷い子を救う者なり

私は怒りに満ちた懲罰をもって―

兄弟を滅ぼす者に復讐をなす

彼らに復讐をなす時 私が主である事を知るだろう

人を殺す時 おれはいつも この文句を聞かせた

よく意味は考えず―

殺す場にふさわしい冷血な文句に思えたからだ

今朝いろいろあって

初めて その意味を 真剣に考えた

貴様が心悪しき者で おれが正しい者

銃を構えてる そいつが―

悪の谷間で おれを守る羊飼い

あるいは貴様が心正しい者で おれが羊飼い

世の中が悪で利己的なのかも

そう考えてぇ

だが真実じゃねぇ

真実は―

貴様が弱き者

おれは“心悪しき者の暴虐”だ

だが努力はしてる

羊飼いになろうと一生懸命 努力してる

            パルプ・フィクション [DVD]





ヨットを買えたのは俺のお蔭だろ!

こういう時に、誰が本当の友人か…

ハロー?ハロー?

切りやがった!

信じられるか?

恩知らずめ!

リッチにしてやっても バカはすぐ恩を忘れやがる―

            ジャッキー・ブラウン [DVD]





賭けは実行する―

斧を持つのがメキシコ人のメイドでも、街のホームレスだろうとね―

600ドル数える平均時間を?

分かりません―

700ドル数えるより短い時間だ…

人生は経験の積み重ね…

だが、些細なことはすぐ忘れちまう―

一方、生きている限り、忘れられない経験もある―

我々の頼みはフツーじゃない―

あまりにも異常だから、絶対に忘れられない―

君は一生ずっと、この思い出から逃れられないわけだ

どういう思い出にしたい?

これから40年の人生、プラスマイナス10年として―

1秒で千ドルになる仕事を断ったか、承知したか―

どっちを記憶したい?

―時間切れ―

テッド どっちだ?

            フォー・ルームス [DVD]




彼らについて何か話を聞いたかね?

噂だけ…

噂は大好きだ―

事実は時に作為的だが、噂は本質をのぞかせる―

            イングロリアス・バスターズ [DVD]




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2010年05月14日

伝統の逆襲

伝統の逆襲―日本の技が世界ブランドになる日
伝統の逆襲―日本の技が世界ブランドになる日
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さきごろ、
赤プリ新館が取り壊され、旧館は保存される...
というニュースを聞いて、
以来、始終ふつふつと考えていたのですが..

手仕事の...
「念が多くこもった...」ほうが勝つな...と、


今を遡る...バブル全盛の頃、乃木坂あたりで仕事をしていたので、
仕事に詰まってくると、勤め先のビルの非常階段に出てタバコ一本。息抜きをしながら、
よく夕日に輝いて聳え建つ赤プリを眺めました。
距離的には、近くにも見え、遠くにも見えるその姿は、学生時代に読んだカフカの「城」を思わせたものです。


新館が取り壊され、旧館は残される...
年代の差はあれ、いずれも時代の英知と技術の推を結集した建築であるにはちがいない。
いったい。何が残るものと、破壊され消えてゆくものを分けるのか?興味は深い..
機能を目的とされて創られたたモノは、目的を終えたところでモノ自体も御用済みとなるのか?
だが、それならば壊されるほうも残されるほうも条件は同じこと。
つまるところは...

人間(ひと)の手仕事の、「念」が多く入ったほうが勝つな...と、





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2010年04月08日

サラサーテの盤



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何かの前ぶれ?
でも、悲観的思考に陥らないのは、良い兆候?
それとも生来の楽天的無警戒さ?

今年は、何か変調してるんじゃないか?
というか...、思いはじめました。
猫の目のように変わる天候の不順、変調もさることながら、
自分自身も...

というのも...
何かばたばたとして混乱します。
こんなときに、内田百けんの小説などを読んでしまうと、
さらに、考えにまとまりはつかず。混乱は増すばかり..


...その学生は帽子をかぶった儘、丁寧にお辞儀をしてそれから私の真向こうに席を取った。
絣のある襟巻をして、外套の胸のかくしから藍色のハンケチを覗かせたりしているが、顔も様子も無骨で、
柔道部か拳闘部かの学生の様な気がしたのは、昔私が私立大学の教師をしていた時、そんな顔を見た様な気がしたのだけれど、
その頃からもう二十年近くも過ぎているので、当時の学生が今でも学生でいる筈がない。
何を勘違いしているのだろうと考えかけると、今向こうに座った学生が急に卓上の花の陰から、麦酒壜を差し出して、私のコップに注ごうとした。(東京日記)


...また子供を外に立たしているのではないか思って聞くと、「いいえ」と答えたきりで取り合わない様な風である。

「どこかに置いて来たのですか。あれからまだ家まで帰る時間はなかったでしょう」

「よろしいんでございますよ」

そう云えばさっきのレコードをくるんで行った包みも持っていない。

「さっきのお客様はもうお帰りになったので御座いますか」

「ええ帰りましたよ」

なんだかこちらを見返している。

「レコードはその内また気をかえて探してみましょう。今の咄嗟には僕も見当がつかないから」

「左様で御座いますか」

少しもじもじして、何か云いたげな様子でその儘帰っていった。
春先の時候の変わる時分で玄関の硝子戸の開けたてに吹き込む風が、さっきよりは温かくなっているのが、はっきり分かった。
襖の陰から顔を出さなかった家内が襟を掻き合わせる様な格好をしている。
「外は暖かくなったらしいよ」と云っても「そうか知ら」と云って頸を縮めた。(サラサーテの盤)


...行列は向こうを向いている。
みんな押し黙って何かを考えているのだろう。
壁際の行列が一番長い、尻尾の端が私の起っている案内所の前の通路まで伸びて来ている。
その列の真中辺りの顔が一つ、こっちを向いた。
辺りのもやもやした中に、こっちへ向いた顔のまわりだけ白けている。
何だか気になるので、そっちを見ていたら、その顔が列を離れた。
和服の着流しの男が、すたすた歩いて、私のほうへ近づいてくる。
こうしていては、いけないと云う気がし出した。

私の前に立ちはだかって、いきなり云った。
「栄さん、大きくなられましたな」
私の名前を云ったが、この品の悪い、中年の男に見覚えはない。
「どなたでしたか」
「いちですよ」
「いちさんと云うのは、思い出せないが」
「いちという名の犬がおったでしようが」

何を云ってると思う。しかしいやな気がしてきた。(由比駅)


...いつの間にか腰を掛けていた。
椅子の具合が大変いい。
女が円い卓子の向こうから、向き合っている。

「ほんとに暫くで御座いました」
「僕は思い出せないのだが」
「でもあまり古い事が、中途までそう思った儘で、その儘になっていると、いろいろいけませんですわねえ」
「それはどう云う事です」
「この窓の外の、あの松の木が重なり合ったうしろは崖が御座いますのよ。もう一つ山になって、その上に榛の木が繁って、木のまわりを白い蝶蝶が」
「白い蝶蝶じゃない、黒いのだ。真っ黒な」
「まあ」と云って人の顔を見据えた。「そんな気がすると仰るのでしょう」

そうかもしれない。自分で見たわけではない。見える筈がない。そう云われてそっちを見たけれど、蝶蝶なぞ飛んではいなかった。
父がそう思って、そう云っただけだ。(由比駅)



サラサーテの盤―内田百けん集成〈4〉 (ちくま文庫)サラサーテの盤―内田百けん集成〈4〉 (ちくま文庫)
著者:内田 百けん
販売元:筑摩書房
発売日:2003-01
おすすめ度:5.0



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2010年03月22日

波長

桃 (中公文庫)


読者それぞれに、波長の合う、言い回しや視点を持った作家というのがいるもので、
つい、その人の作品や文章に、あらゆる人生の節目、節目で出会うことになります

つい二週間ほど前、「待庵」の資料を血眼になって探していて、ふと開いたスクラップブックに、
その昔、どうにも気になって取っておいた月刊誌の中の切り抜きのエッセイが目にとまり..

ふと、著者の名をたしかめると、久世光彦さんだった...
そうか、あの頃から知らず知らずのうちに、何かそういう視点を追いかけていたのかもしれない。



末期(まつご)の視野・久世光彦(演出家・作家)

薄闇の中に、ぼんやりと白い障子だけが浮かんで見える。明るさとも言えず、かと言って暗いというのでもなく、
その白さに見入っていると、そこに秋の蛍のようなものが取りすがって、かすかに瞬いているのが見える。
それは私の、あるいはあなたの、いのちである。
どこから飛んできて、いまそこにいるのか、これからどこへ行こうとしているのか、
問いかけようとしたとき、いのちは、最後にボーッと薄紫に光って消える。

(略)

半世紀前、子どもだった私は、こんな薄闇の中に、こんな風に心細く、高い熱を出して寝ていた。病弱な子だった。薬と熱の匂いのする部屋で、いつも潤んだ目で白い障子を見ていた。
家族たちは、私にこっそりどこかに行ってしまったのか、さっきから家の中は物音一つしない。そして私は、戸外がまだ桜吹雪の春だというのに、蛍が一つ、戸惑い顔で私の病気の部屋に居るのを、その日見たのである。

五歳の子供だって、行方知れないいのちを見ることがある。五十年経てば、尚のことである。昔の人は、いつもこうやって枕の上から、ぼんやりいのちの姿を見ていた。
何も病気の日とは限らない。電灯を消して眠る前、庭先の小鳥の声が聴こえはじめる暁のころ、季節外れの蛍は、いつだって、ぼんやりと白い障子戸の隅にとまっていた。

深い深い眠りの底にいまにも落ちていこうとするとき、最後に目に残るのも仄白い障子である。
昨日のこと、明日のこと、あの人のこと、思いあぐねて浅かった眠りの果てにけだるく開いた目に、まず映るのも蛍の障子である。
それは、あのころ、一つの部屋に一つ置かれていた、自分を映す鏡なのかもしれない。障子は、いのちの鏡である。

いま、みんな白い病院で死ぬ。
乾いた白の、壁や天井を見ながら死ぬ。
スベスベ光っていて、蛍なんかどこにも止まれない。
昔、人は、自分の家の六畳の部屋で、薄闇にぼんやり浮かんだ白い障子に、蛍がゆらゆら飛んで瞬くのを目で追いながら、死んだ。
どっちにしたって、死ぬのに変わりはないのだが、ずいぶん違った風景ではある。日本の家は、寝ている人間の視点で作られているのではなかろうか。

―作り物のテレビのセットで横になって寝ていると、そんなことを考える。
日本の家は―
白い障子戸も欄間の翳りも、仏壇の黒い輝きも天井板ににじんだ染みも、釘隠しの鈍い光も床の掛け軸の小さな揺れさえも、
この視点から見るとき、いちばん美しく、いちばん落ち着きがあり、いちばん悲しい。それは末期の視野である。



かれこれ十年以上前に読んだ頁の切り抜き(※現在、『むかし卓袱台があったころ (ちくま文庫)』に、このエッセイは収録されているらしいです...)を読み返していると、
おそらく「自分たちが死ぬ頃には、いい木色の味が出るだろう」などと...大工さんたちと笑い話している...古い建物の復元工事に関わっていた自分とが、オーバーラップして、その後に読んで、ずっと長い間考え続けていた「早く昔になればいい」という、長い間どうにも解せなかったタイトルの意味も、何気なく分かってきたような気がするのです。

つまり、「早く昔になれば...」とは、自分が自分の生きた過去に戻るということや、追憶すること...(だけ...)ではなく、
今、自分が生きていたことも、やがて「今は昔...」の過去に「なってしまう」。
または誰の記憶の片隅にも残らない...過去に「なってしまえばいい」...
自分が死んで、遥か昔の話になってしまっている...という意味や視点が含まれているのだと...
「何を...?今更...?」と思われるかもしれないけど、そういうことなのだ...と。

その頃には、今は芳しい白木も落ち着いて、いい木色が出ているのだ...と...



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2010年01月20日

エディプスの予感

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早く昔になればいい


最近、「エキサイティングな日々が続いています」...って、
なんてベタな出だし...(笑

「仕事」のこと、 ...なのですが、

ここのところ、思うことは、
つくづく... 性別でいうところの「男」...っていうのは、
フロイトの言う、エディプスコンプレックスの影響下にあるものだな...と、

つまり
父親を否定してゆく...
父親の成した仕事を否定してゆく... 
破壊してゆく... 

そして、この快感...

そして、もうひとつの「つくづく」...

三つ子の魂、百まで...というけれど、
三〜四歳の頃の記憶がよみがえってくる...
あの壁... あの天井... あの柱...
小さい子どものころって、注意深く自分の住んだ環境や建物の細部を記憶している...
色、形、匂い... 

よくぞ残ってくれていました、ということに感謝...
生涯の中で再び出会えることの喜び... 
遠い、遠い... 
この世に生を受けて、まだ何も知らなかった頃の、
記憶、記憶、記憶...

蘇れ! 記憶...
蘇れ! 過去...


とっくに時代の中で、
消滅したもの...と思っていた、
邂逅... 懐かしさ... 
あたたかさ...

早く昔になればいい...




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2009年10月11日

「カミの発生」


神樹―東アジアの柱立て




■花の源流

どうやら、古層の「カミ」の概念があるのだ...と、考えはじめたのは、
五来重の「石の宗教」を読み終えた頃からで...

石の宗教 (講談社学術文庫)石の宗教 (講談社学術文庫)
著者:五来 重
販売元:講談社
発売日:2007-03-09
おすすめ度:5.0
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その後、萩原秀三郎の『神樹』『カミの発生』『稲と鳥と太陽の道』へと続く...

神樹―東アジアの柱立て神樹―東アジアの柱立て
著者:萩原 秀三郎
販売元:小学館
発売日:2001-03
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カミの発生カミの発生
著者:萩原 秀三郎
販売元:大和書房
発売日:2008-02-16
おすすめ度:4.0
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稲と鳥と太陽の道―日本文化の原点を追う稲と鳥と太陽の道―日本文化の原点を追う
著者:萩原 秀三郎
販売元:大修館書店
発売日:1996-07
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古層の『カミ』の概念を求める読書の連鎖は、
まるで、動物の食物連鎖のように絡み合い、もつれ合い...
エリアーデの『聖と俗』『祖形と反復』に続く...

聖と俗―宗教的なるものの本質について (叢書・ウニベルシタス)聖と俗―宗教的なるものの本質について (叢書・ウニベルシタス)
著者:ミルチャ・エリアーデ
販売元:法政大学出版局
発売日:1969-10
おすすめ度:4.5
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永遠回帰の神話 - 祖型と反復永遠回帰の神話 - 祖型と反復
著者:エリアーデ
販売元:未来社
発売日:1963-03
おすすめ度:4.0
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そこで、その反復する祖形とは何か?(もちろんエリアーデはそれについて論及しているが...)
という疑問を深く探るために、J.C.フレイザーの『金枝編』に行きつく。

金枝篇―呪術と宗教の研究〈1〉呪術と王の起源〈上〉金枝篇―呪術と宗教の研究〈1〉呪術と王の起源〈上〉
著者:J.G. フレイザー
販売元:国書刊行会
発売日:2004-07
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『金枝編』全巻読破には、かなり時間がかかろうが...

また、ふと「何のために?」という自問が湧き上がる衝動を抑えつつ...

日本のいけばなの概念「立花」の「柱立て」「芯と直列」の思想は、この国への仏教渡来以前、もちろん釈迦もキリストもモーゼも及ばない、遥か遠く...

およそ、世界中で、論理と文字によって支えられる信仰が誕生する遥か遠く以前に古層の信仰が存在する。
人類の歴史が、石器から樹木にかわる頃...

もしかしたら、文明が石器から樹木に移りかわる頃の神話が、東アジアに残る「咲くや木の花」や「バナナ神話」なのかもしれない...などと... 思いつつ...

ともあれ...


文化人類学的考察からも、DNAの解析からも、人類はアフリカ大陸に発祥し、何万年もかかって東へ東へ移動した。

文明崩壊 滅亡と存続の命運を分けるもの (上)文明崩壊 滅亡と存続の命運を分けるもの (上)
著者:ジャレド・ダイアモンド
販売元:草思社
発売日:2005-12-21
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日本人になった祖先たち―DNAから解明するその多元的構造 (NHKブックス)日本人になった祖先たち―DNAから解明するその多元的構造 (NHKブックス)
著者:篠田 謙一
販売元:日本放送出版協会
発売日:2007-02
おすすめ度:5.0
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だが、なぜ「東」に向かったのだろう。
もしかしたら、人類は、没しては再生する太陽を追い求めたのではないか。

北辰信仰はいつ頃生まれたのか?
古代、北極星は夜の海上で一点の方向を示す数少ない定点であると...
そして海上の移動にとって、鳥は陸地の近いことを意味する...と..

四方を海に囲まれる...という、自然条件に恵まれた日本という国は、古代から直接的な侵略を免れ、古層のY染色体DNAハプログループDをもっとも多く集積するという..

「謂うなれば、日本列島は東漸する文化の吹き溜まり...」というのは、写真家・土門拳の言葉...

なんとなれば、今日超ハイテク国家といわれ、携帯電話は、ガラパゴス携帯と呼ばれるほど、この一国でしか使いこなせない複雑な操作をいとも簡単に操作し、またはマイコンピューター付の炊飯器で米を炊く。
進取の気風に富みながら、近代的なビルの建設であっても、かならず地鎮祭を行い、超高層ビルの屋上には、似つかわしくないお社(やしろ)が祀られる。
ニューヨークの高層ビルの最上屋に十字架がないところを見ると、ここ日本では、現代を生きる一人ひとつの心の中に、「進取」と「最古層」の両面が並立し、同時進行していると考えてもいい..

彼は今日なおわれわれの間にいる。教養ある世界を革新した知的道徳的なもろもろの大勢力は、ほとんど農民を変えることはできなかった。彼はその秘められた信仰において、ローマやロンドンがいまある場所を大森林がおおいつくし、リスがたわむれて遊んでいた時代の、その祖先たちとなんら異なるところがないのである。
                                  金枝篇 (1) (岩波文庫)











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2009年09月19日

オフィーリア

ラファエル前派―ヴィクトリア時代の幻視者たち (「知の再発見」双書)


大阪に出かけると、
必ず寄るのが、書店のジュンク堂ですね。
今まで、ここに立ち寄って、インスピレーション貰える書籍に出会うこと数知れずです。

Amazonでは、ひとつの興味を、深く掘り下げてゆくのには有効で、
かたや書店というのは、店内をうろうろ歩き回って、さまざまなジャンルにわたって見聞を広めることに有効です。
どちらも一長一短で、併用するのが理想的ですね。

そこで、
先日、つい書店で衝動買いしてしまったのが、創元社の世界文化シリーズ(...このシリーズ、ちょっとした調べものするのに便利なので気に入ってます...)の『ラファェル前派』なんですが、
目当ての本の探し物をしていて、振り向いた瞬間に、背後の棚にあった「オフィーリア」の表紙が目に飛び込んできたのです。

「セザンヌの林檎はプラトニックな食べられないゴツゴツしたものであるが、「ラファエル前派」の描いたそれは水々しく、形態的にも真に重力と弾力をもった感性的な林檎である...」(サルバドール・ダリ)
                              (シュルレアリスムのために)


サルバドール・ダリはを「(ラファエル前派の...)美は可食的」である...と、そのことばが、学生の頃に読んだ本の中で、妙に印象に残っていて、その後、幾数十年...
「ラファエル前派」の画家たちの作品を、一挙にまとめてある本に出会えるのは奇遇です。


中でも、表紙にもなり、とりわけ鬼気迫る、ジョン・エヴァレット・ミレーの「オフィーリア」について、テオフィル・ゴーティエの評...

子供のように自然にどこまでも忠実に従ったために、この絵には妙な雰囲気が漂っている。狂ったオフェーリアにこれほどまで時間を費やした例はかつてなかった。しかし描写に、いわゆるロマンティックな感じやシェイクスピアらしさがあると思ってはいけない。この作品は忍耐が作った空想の世界なのである。
どんな緻密な植物学者でも、この草むらの中に不正確な葉っぱ1枚、葉脈1本、花びら1枚、めしべ1本見つけられはしまい!
             (テオフィル・ゴーティエ『ヨーロッパの芸術』1855年:本書より

私たちは、つい錯覚しがちですが、じつは、狂気は狂気を描き出さない。
むしろ、徹頭徹尾、理性的で、巧緻で完璧な技術によって、しかも忍耐強く裏打ちされたものの中に、真の狂気が潜む..
ミレーの「オフィーリア」の怖さはそんなところにあるのではないか、と思うのですが..




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2009年09月06日

カルロ・クリヴェッリ画集

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カルロ・クリヴェッリ画集 (ピナコテーカ・トレヴィル・シリーズ)

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最近、クリヴェッリの画集を手に入れたのですが、
ちょっと、見ていて飽きない...

とくに惹きつけられるのは、
クリヴェッリの描く、
マリア、イエスの「眼」なのですが、
少なくとも...
愛、や、慈しみに満ち足りた清らかさ...など、不思議なほど感じさせない..
むしろ、憂い、諦観、虚無...
一歩進めれば冷酷、猜疑... 疑心、無気力、無関心、無表情...

また、司教や司祭、天使たちの、「眼」からみえる、
媚、へつらい、追従、無慈悲、疑念、愚鈍、愚直... 俗物的...など...

本書、吉澤京子の解説によれば、
クリヴェッリの名前が歴史上、
最初に登場するのは、1457年3月7日、
ヴェネツィアにおける裁判の記録から...
船乗りの妻を誘惑、数ヶ月同棲したという罪...
禁固2ヶ月と200リラの罰金を科せられる..
この事件から逆算すれば、生年は1430〜少なくとも1435年...と..
その後は、故郷を追放され、生涯放浪の画家となる..

生年は、ダヴィンチに先んじる二十年余前、
ほぼ同時代に、ラファエロ、ミケランジェロら、
華麗で、荘厳で、力強く、教会や聖職者を称える画家たちがいる一方、
独特な眼差しでそれらを捉えるカルロ・クリヴェッリ。
晩年の『受胎告知』ともなると、暗喩は巧緻な技巧によって巧妙に隠され、不思議さを増し、容易には図りがたい..



マルティン・ルターの生まれるのが1483年。
歴史はその後、宗教改革、異端審問、魔女裁判などへと続き、その後のヨーロッパ中を、血で血を洗うことになる...

教会への信頼が失われはじめ、
聖職者の堕落、腐敗、迫り来る恐怖感漂う歴史の前段階..
そう考えれば、クリヴェッリの描き出す人物の「眼」は、
その時代を生きた人たちが聖職者たちを見る、真の姿だったのかもしれない...ね...





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myokasyo at 07:41|PermalinkComments(4)TrackBack(0)