椿百話

2012年03月22日

魔界への道

001



二日間昏睡状態が続き、
三日目の朝、意識を取り戻した。

老いた母が云う。

「私わな。
 おとうさんがしんだときも、
 弟を亡くしたときも、まさえが亡くなったときも、
 これっぽっちも、自分が死ぬなんてことは考えたことはなかったよ。
 生来が、呑気なんやねぇ… 
 
 今年、正月。
 たしかに風邪はひいてたよ。
 でも、いつもの半分しか作らなかったおせち料理、
 三日になってもほとんど食べずに残ってたからねぇ…
 もう、魔界への道を歩んでいるんやねぇ…
 はじめてわかった気がするよ…」




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2012年01月12日

春はあけぼの

035


春は、あけぼの
やうやう白くなりゆく山ぎは 
少し明りて紫だちたる雲の細くたなびきたる

枕草子



花 曙(あけぼの)椿
器 竹




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2011年03月22日

胡蝶の夢

no title



ある日、荘周は自分が胡蝶(異国の蝶)となって、
空を飛んでいる夢を見る。
楽しくて、心ゆくばかりにひらひらと飛んでいる。
むろん蝶は、自分が荘周であることなど知る由もない。
ところが、俄然はたと目覚めれば荘周であった。
荘周である自分が夢の中で蝶になったのか、
蝶が荘周となっている夢を見ているのか、どちらともつかず…


かつては、漢詩の抒情として感じていたものだけど…
いまとなっては、固定的にとらわれていたパラダイムに気づく。

現世こそ、蝶が見ている夢なのかもしれぬ… とも思う。
荘周の見た胡蝶の夢ではなく、胡蝶の見た荘周の夢。



花 胡蝶侘介
器 唐子燭台



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2010年02月17日

藪椿(やぶつばき)

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さて、先日の某「大ホール」の竹生け花ですが、
今日、コデマリも瀕死の状態なので藪椿に生け替えてきました。
明日、コデマリが届く予定なので、それまでのピンチヒッターですね。

しかし...
竹に藪椿...ハマリ過ぎ。
じっさいに野の竹薮でも見かける情景で...
制作の花材選びの段階で「あれだけはやめとこうな〜」って申し合わせていたのですが、やってしまいました...(><)

でも、どうあがいてみたって、日本人の色彩感覚って、身近な野山で見かけるような情景から育まれているんだな〜って思います。


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2010年02月15日

隣家の白玉

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この時期、隣家の庭先に白玉が咲くのですが、
隣家の住人は、家の東向きの斜面に植わっているこの白玉椿の木が、よほど家の採光の気に障ると見え、、
何年かに一度、わざわざ白玉が大きな蕾を付け出すこの時期に、ばっさり枝を伐り落してしまいます。
伐られた枝の白玉は所在なげ... 
咲くことも叶わず、かろうじて氷雨の雫で命脈を保つ。
雨があがれば命の終わり。
そんな白玉を拾ってきて、先日の竹の残材に入れてみました。

軸は、私の好きな村上白山の書。

歌は...

しみじみと 今日降る雨は如月の 春のはじめの 雨にあらずや
                                  若山牧水






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2010年01月22日

乙女椿の誘惑

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朝は...

相変わらず寒いとはいえ、
一昨日から続く暖かさの余韻のせいか、
予報に反して、いささか凌ぎやすい...
冷気漂う朝の庭を歩いてみる...

暖冬なので年末から早々と、ちらりちらり乙女椿が花を咲かせています。
いつかは生けなければ...と思いつつ、年末年始は庭の花を切りに生けず、
ひたすら松や梅や柳や千両など、花屋さんで仕入れたハレの花を生けていました...
そろそろ庭の花に戻る...
花の世界も平常運転に戻ります。

ところで、乙女椿ってどうして八重なんだろう...とか、考えてみる。
楚々とした一重の椿が乙女の名にふさわしい気もしますが、
よくよく考えてみたら、振袖を着られるのも、
けらけらとはしゃいで笑える、屈託のない笑顔も乙女の特権か。
...と思えば、それもまた妙に納得。
華やかさと淡さの二面性...



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2009年11月02日

初嵐(はつあらし)


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まあ...ここのところ、
従来、有効だったモデルや価値観が、
ここ数年の間で続々と勃興しては終息、反転していったのだから、
何を有効とすべきかは... 
もはや、誰しも判断つきかねるわね...
もしくは、有効なもの...というもの自体が、
あるのかもしれないし、ないのかもしれない...

ただ...
いまの状況で、
溜めておけばいいんじゃないかな?
...あらゆる意味で。
...日本人は脅迫神経症的に真面目すぎる。



...ここまで述べてきた私の考え方とは正反対に、
日本人は昔から、自分を束縛してくれる教えを好む傾向があります。
私の言葉でいえば「奴隷の思想」なのですが、
歴史的にもずっと日本人は「お上」のいうことを聞くのをよしとしてきましたので、
民族的に「奴隷の思想」が骨肉化しているのかもしれません。

...自分を束縛する考え方といえば、
たとえば「受験戦争」もまさにその一つです。
受験勉強に代表されるように、多くの人が子どものころからいつも目標を与えられ、
何かをやっていないと不安に苛まれるように育てられます。

...彼らと話してみると、「スケジュール帳がいっぱいになっていないと不安だ」というのです。
自分のスケジュールが予定で満タンであることが、日々を有意義に過ごしている判断基準になっているのです。
その予定が合コンであろうが何だろうが問題ではありません。
スケジュールの中身はどうでもよいのです。

...学問というのは、すっからかんの時間がないとできないのです。
だれにも会わずに考えているのが学問なのですから、
だって学者にとっては、スケジュールが空っぽのときがいちばん生産的なのです。
世界中の学者が、そのように生きているはずです。
ところが、学生たちは違いました。
だれかに会ったり、どこかに行ったり、予定でスケジュールがいっぱいだと、
「生産的に過ごしている」気分になれるというのです。
そのとき私は「これが日本の受験生の姿なんだ」と感じました。

...上をめざすこと自体はよいことです。
問題は、子どものころから自分の行動を、何らかの価値に合わせて徹底的に束縛することがよいことである、
そうでないと不安になるような教育を受けつづけていることです。それは「奴隷の思想」です。
                            テレビは見てはいけない (PHP新書)


...ただ彼らとつき合っているときに、ふと違和感にとらわれることがある。
それは、彼らがもっていることの多い、「絶対の真理がすでに誰かによって説かれている」という感覚だ。
ふとしたことばの裏に潜むそのような感覚に出会ったときに、私はいつも無限の距離を感じてしまう。
「絶対の真理がすでに誰かによって説かれている」。
そういう感覚を、私はけっしてもつことができない。

...もう一度確認しておこう。
この世に生きている意味とはなにか、死んだらどうなるのか、正しい生き方とは何なのか。
そういう問いから目をそらすことができず、それに全身全霊をもって向かっていこうとするとき、そういう人間の前に「宗教」の扉しか開かれていないという、この我々の社会は貧しすぎる。

...そういう問題に立ち向かうためには、「誰かによって説かれた絶対の真理」とそれに対する「信仰」を核とする「宗教」に帰依するか、あるいはそういう問題を考えること自体をやめてしまって、この管理社会のなかで日々の楽しみだけを消費しておもしろおかしく生きていく道しかないという、この二分法の社会こそがおかしいのだ。

...その第三の道の可能性がもしあるとすれば、それは次のようなものであると思う。
そては生と死や「いのち」や存在の問題に目隠しをする唯物論の社会、科学主義の社会に異議申し立てをしつつも、それらの問題に対する解答をけっして宗教の「信仰」に求めず、そしてどこまでも思考放棄せずに、自分の目と頭と身体とことばを使って自分自身でそれらの問題を考え、追求し、生きていくという道である。

...神秘体験を得ることと、そういう体験を核にすえる宗教の「宇宙論」が正しいということのあいだには、なんの必然的関係もない。神秘体験は、宗教や修行なしでも得ることができる。宗教の説く「宇宙論」は、神秘体験があったからといって、実証されるわけでもないし、反証されるわけでもない。      
                             宗教なき時代を生きるために


...苦行というものは、苦しみに対して心理的に耐える力を飛躍的にアップします。
しかし、だからといって、苦行は、そもそも、苦しみや迷いを起こす心のメカニズムを解体できるわけではありません。
ゴータマ・ブッダは、苦しみや迷いを起こす心のメカニズムを本当に解体するものは「智慧」であり、
それは徹底的に考え抜く作業から生まれるのであって、苦行によってはけっして生まれないということに気がついたのです。
以後、ゴータマ・ブッダの仏教の最大のキー・ワードは「智慧」となります。

                                 わかる仏教史



いつか、庭師の古川氏と話したときに、
彼が、こんなことを云いましたね...

「若い頃はね...自然っていうのは、滅茶苦茶なものだと思っていましたが、
いま思うのはね...(人間より)自然のほうが、正直で規則正しいんですよ... 川は地形に沿って、川石は川の流れの理屈に沿って配置されている... よくできているなと思います...」

なるほど...

林の中で、縛られていない鹿が
食物を求めて欲するところに赴くように、
聡明な人は独立自由をめざして、
犀の角のようにただ独り歩め。




初嵐は正確に口切の季節にあわせるように、たった一輪だけ花を咲かせた...

明日から寒くなるというね...



花 椿・初嵐
器 伊羅保釉 一重切



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2009年04月09日

椿百話【黒椿(くろつばき)】

kurotsubaki


このあいだの記事を書いてから、

「あ、そうそう...」と、思い出したことがあります。

あのとき、法隆寺で「古瓦紋皿」というのを買ったおぼえがある...

...そこで、探してみると、ありました。
ふだん使う食器の中に紛れて、損傷一つせず...
調べてみると、私がそのとき買った皿の紋は、斑鳩宮跡から発掘された「忍冬紋軒丸瓦」というらしいです。
斑鳩宮とは若草伽藍のこと、現在の法隆寺の南大門の東側に広がる寺域のことをいうのだそうです。

『日本書紀』には、聖徳太子の皇子である山背大兄一族滅亡の状況を記しています。

皇極二年(643)、山背大兄皇子の事件、この皇位継承権を失った失意の皇子を、「蘇我臣入鹿、独り謀りて、上宮の王(みこ)等を廃(す)てて、古人大兄を立てて天皇とせむとす」として、巨勢徳太と土師娑婆を、山背大兄の斑鳩宮にさしむけて襲わせたと...

不意を襲われ、到底叶わないと見てとった山背大兄皇子は、馬の骨を屋敷の中に置き、斑鳩宮に火をつけて一族が自害したように見せかけて、ひそかに生駒山に逃れる。
巨勢徳太らは斑鳩宮を焼き、灰の中に骨を見つけて皇子は死んだと思い、包囲を解いた。

ところが、山背らを山中に見た者があり、これを入鹿に伝えた...

入鹿は大いに恐れ、高向臣国押に「速やかに山に行って皇子を探し捕らえよ」といったが、国押は「私は天皇の宮を守らねばならないので行けない」と応え、入鹿は自身で出かけようとする...

そこに山背大兄の皇位継承のライバルである古人大兄皇子が息せき切って現れ、不思議なことを言う...

「鼠は穴に隠れて生きているが、穴を失ったら死なねばならぬ」

「入鹿を鼠にたとえ、もし本拠を離れたらどんな難に遇うかもしれないとの意か...」と解釈されているんですが、入鹿が謀って起こした事件であるとすれば、これはおかしな話...

山背大兄らは四、五日の間、生駒山に潜伏していたものの食べる物もなく、やがて斑鳩宮にもどってくる...

兵らはふたたび斑鳩宮を取り囲み、山背大兄は子弟妃妾らとともに一族自害して果てた...

この山背大兄一族滅亡の一件を、書紀は不明な童謡(わざうた)で記します。

「岩の上に 小猿米焼く 米だにも 食げて通らせ山羊の老翁」

岩の上で小猿が米を焼いたというのは入鹿が斑鳩宮を焼いたことであり、「米だにも 食げて通らせ山羊(やましし)の老翁(をぢ)」とは、山背が生駒山で食うものに困った話であるというんですが、はたしてそうか?

また...

「小林に 我を引入れて 姧し人の 面を知らず 家も知らずも」

...山林の中の強引な姦淫のように、この山背は誰にとも分からず殺された。そしてその後入鹿もまた、誰にとも、さとるひまもなく惨殺された。無体な強姦ならぬ無体な殺人の連続である。『日本書紀』は一面、入鹿一人を悪人のようにしようとしているが、どうにもならぬ真実への恐怖のようなものが文間に散見されるのである。
     『隠された十字架』(新潮文庫)


kurotsubaki^


若草伽藍跡から出土した忍冬紋軒丸瓦を模した平皿。
これに何か花を生けるべきか?
なかば強迫神経的に生けたのは黒椿...

黒椿...

これもまたなんと地味な花です。
うちの裏庭に咲くのですが、寒い季節に咲けばまだ人目にも可愛がられましょうが、
ちょうど桜満開の頃と同じ時期に咲くものですから、あまり人目も惹かない。
黒椿の赤は、太子の末裔、山背大兄一族が流した不吉な血のにじんだ色のようにもみえ..



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2009年03月20日

椿百話【つらつら椿の秘密】

IMG_0018^^



忘れていたわけではありません。
この話の続きです。


というのも、
銀行員が、
妙なことを言い出すものですから。

 巨勢山(こせやま)の つらつら椿 つらつらに 見つつ偲はな 巨勢の春野を

 ...って、
 あれ、九月に詠まれた歌なんですよ。
 不思議だと思いませんか? ...って話です。

そのときの話は、それだけで終わりです。
もともと、私の好きな万葉歌なので、何か、なぜか気になっていたのですが、

この歌は、大宝元年(701)九月、すでに皇位を孫の文武天皇にゆずった先帝持統の、紀伊行幸に従った坂門人足(さかとのひとたり)が、大和国巨勢で詠んだ一首であるといいます。
そもそも私は、この歌を九月に詠まれた歌とは知らなかったのです。

てっきり、春の初めか、寒中の椿が未だ満開にならない時期の歌だと思っていました。
だから、椿満開の春を待ち焦がれて「春の巨勢の野」が瞼に浮かぶ... というふうに思っていたのですが、九月とはあまりに意外です。
旧暦九月といえば、暦で秋とはいえ、残暑の日差し真っ只中...
そんな時期に「椿」の歌を詠むとはね?

どうやら、この歌には伏線があります。

河上の つらつら椿 つらつらに 見れども飽かず 巨勢の春野は(巻一−五六 春日蔵人老)

これは河上って言って曽我川という川です。曽我川の上のほとりのつらつら椿っていうのは、いろいろ説があるが、点々と連なり、咲いている椿の花、いま咲いているんですね。それをようくようく、つらつらに、ようくようく見ても見ても見飽きないよ。巨勢の春野は何ていいところだろうという歌がある。で、この歌はどちらが先かといえば正確なところは分からないが、僕は「河上の つらつら椿 つらつらに 見れども飽かず 巨勢の春野」が先でしょう、と思います。(わたしの万葉百首上巻 犬養孝)

「河上の つらつら椿...」を詠んだ春日蔵人老という人について、誰なのかは分かりません。
ただ、「見れども飽かず..」ということは、じっさいに椿が満開に連なって咲いている情景を見て詠んでいるということはなんとなく分かります。

「巨勢山の つらつら椿...」についても、詠み人の坂門人足という人については分かりません。

もし、人足が、春日蔵人老の歌を知っていたとすれば、「河上の つらつら椿...」の、暗喩ではないかと思うのです。

春日蔵人とは、後の藤原、当時の中臣の一族の誰かを指すのではないか。その返歌、もしくは痛烈な諧謔皮肉の意図ではないか。

人足の歌で、「巨勢の春野を」は、原文では「許湍乃春野乎」となっています。
歌の始めに「巨勢山乃」とあるので、「同じ地名に、わざわざ別の字を当てるのは不自然である..」というのは多くの方が指摘されていて、いろいろな解釈がなされているのですが、私はこの地に本貫地を置く豪族「許世(こぜ)氏」のことを言っているのではないかと思うのです。

許世(巨勢=許勢)氏で思い出すのは、許世徳陀高(こせのとこたこ)という人物なのですが、

『法隆寺資材帳』によれば、法隆寺に最初に食封を下されたのが大化三年(647)。孝徳天皇に願い出て、この最初の食封三百戸を寄進した人物が、許世徳陀高(こせのとこたこ)であり、『日本書紀』においては、巨勢徳太(巨勢徳陀古)と書かれている人物。
梅原猛の『隠された十字架』によれば、巨勢徳太(巨勢徳陀古)とは、じつに聖徳太子の嫡子とされている山背大兄皇子(やましろおおえのみこ)殺害の現場部隊長だったというのです。

『日本書紀』には、「蘇我臣入鹿、独り謀りて、上宮の王(みこ)等を廃(す)てて、古人大兄を立てて天皇とせむとす」とあるのですが、そもそも、聖徳太子は蘇我氏の一族でり、その息子である山背大兄皇子は蘇我蝦夷にとっては甥、入鹿にとっては従兄弟にあたります。山背大兄皇子と蘇我氏は濃い親戚関係にあり、血縁だけでなく、いずれも飛鳥に仏教を推進する勢力の代表でもあるはずなのです。ところが、『日本書紀』では、なぜか蘇我一族同士が内紛を起したこととして描かれている。
そして、このとき入鹿は山背大兄皇子殺害に直接手を下していない。

「蘇我臣入鹿、独り謀りて..」というわりには、じっさいに直接行動したのは巨勢徳太と土師娑婆(はじのさば)であり、土師娑婆はこの事件で死ぬのですが、巨勢徳太はその後、孝徳朝において左大臣に昇格するのです。

そして、梅原猛の言葉を借りれば、「太子の子孫をここで殺したその殺害者たちが、汚れた手をも洗わずに、太子を祭った...」のが、『法隆寺資材帳』の記録からみる「法隆寺」であるというのです。


話は、ずいぶん逸れましたが、

「つら」は連なる。たくさん並んで咲く椿の花の意..

「つらつら...」つらつらと考える...の意..

「つら」とは「面(つら)」...という意味もあるでしょう。

椿とは、海石榴(つばき)でもあり、海石榴市(つばきち)といえば、推古十六年( 609年)四月、小野妹子が遣隋使の大任を果たして帰国し、隋の使者裴世清と下客十二人を、飾り馬七十五匹を遣わして海石榴市の路上に出迎えたという『日本書紀』の記述に従えば、遠路隋からの使者に飛鳥朝が国を挙げての歓待を奉じた国交成功の記念の場所でもあるともいえます。

坂門人足という人物の素性が分からないかぎり、どうしようもないのですが、夏に「椿」の歌を詠むというのは、何か尋常ではない他の意図があるようにしか思えないわけです。

蛇足を承知で書き記せば、「面に唾(つらにつばき)」の意味も捨てきれない。
山背大兄皇子殺害で手を汚し、その後、代々の栄達を果たした唾棄すべき殺害者とその隠れた首謀者への嫉視か軽蔑か嘲笑。「おれは本当のことを知っているぞ」の心理が隠されているのではないか、という推理も捨てきれないのです。



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2009年03月02日

椿百話【太郎冠者(たろうかじゃ)】

tarokajya


太郎冠者は、侘介椿の仲間に属し、
建仁寺近くの織田有楽斎の屋敷に植えられていたから、
関西では「有楽(うらく)」とも呼ばれている...らしいです。

名は正月に咲くので、狂言の中から、太郎冠者の名をつけたといいます。

狂言の「太郎冠者」も、
どこかでおもしろい記事を見つけたのですが、
今はその読んだ本が見つらず、たしかなことは言えません。
話のアウトラインは、主人より小利口な従者の話だったと思うのですが..
そこに狂言独特の滑稽さがあって、
既成の権威を庶民が笑い飛ばしてしまおう..
という意図が見えるような...そんな話だったと思います。

この名前がいかにもおかしくて、
茶道を習っている頃に植えたのですが、
いまや私の背なんかとっくに追い越して、ずいぶん成長しています。



「脇役、主人(公)を喰う」

と考えれば、
どこにも書いてないのですが、
どうしてこの椿に「太郎冠者」と名づけられたか、想像してみるのもいいかもしれません。

理由のひとつ。
この椿、生けるべき「器(うつわ)」が難しいです。
筒咲き小型の椿のわりには、侘びの茶室にそぐわぬ、この鮮やかなピンク色。

だからこの椿、主人の思いの意のままにはならない「剽げ者(へうげもの)」...としての「太郎冠者」だと、私は勝手に想像しているのですが..どうでしょう?



tarokajya^


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