87665b36.jpg写真は三瓶東の原スキー場近くの栗林の中の菜の花です。






三瓶に移住して4ヶ月が過ぎました。
先月からやっと車にも乗れるようになり、私の行動範囲は広く、自由になったのです。これは本当に画期的な進歩と言えることでしょう。20数年ペパードライバーできたので、私はどこかに行きたいと思えばすぐにいけるような状態になったのです。
ですが・・・今までの私はスケジュールが許す限り、海外はどこにでも一人で行けるような人でした。そんな自由もありましたが、私は本当に自由なのか・・・とここ最近自問自答します。いろんな思いが湧き上がってきます。もちろん私たちは自由意志によってどんな時も、どのような結果になろうとも、それら全ては自分で選択した結果を享受していることには違いありません。
しかし・・本当に自由なのかというと・・・考えてしまいます。
自由な中の「孤独」を常に感じずにはいれません。
人といるにもかかわらず「孤独」を感じる時があります。
私たちは決して一人ではないことは重々わかっていることです。ですが・・時々やってくるこの「孤独」という感覚は、私がひとつであるところからわかれ「個」になったときから持ってきている元始の感情です。この感覚が来た時はひたすら「孤独」を感じきります。大いなる存在も、高次の存在も、全てが私とつながり見守っていてくれることを知っているからこそ感じきれる感情なのかもしれません。この感情をごまかす気もありません。ただ感じるのです。
先日、ワークを受けました。
来ている情報からどうしても、過去のある体験を解放し、具体的に何なのかを知る必要があったのです。私の先生は来日していないので、うちのスタッフに頼んでその時代その次元に戻っていきました。有史以来の女性の感情の集合無意識における感情です。たくさんの涙を流しました。嗚咽のように泣きました。何年も前からやってきている情報だったので、意味はよく理解できました。去年から言われている、私が三瓶に移住することに対する出来事の一つ一つもつながってきました。今まで行動や、出来事の一つ一つは全て意味あることと後になってわかってきます。
これから私はどこに進んでゆくのだろう。今はまだわからないけれど、全てお任せの人生です。完璧に用意されているようです。
この週末はゆるりと過ごすように言われていても、、、、
あれこれ考えてしまいます。考える必要が無いのだといわれても、、、考える自分がいます。これら全ても自分に受け入れようとしています。
三瓶の磁場と私の波動の調整には、これらの感覚全てもまた・・・必要なプロセスなのかもしれません。
今日は、姫逃池で瞑想し、午後は三瓶自然館のプラネタリウムで星を見、三瓶の季節ごとの自然映像を見ました。自然には叶わないな〜とつくづく思いました。自然は厳しい冬をひたすら耐えて春を迎えます。そこに愚痴も憤りも無いのです。ただ淡々とその時の移り変わりを体験しているだけなのです。叶わないな〜。
私はここ三瓶で本当に次に進む用意をしているようです。三瓶の自然が教えてくれるそれら全てを吸収しようと私の中を浄化しているような気がしてなりません。

言葉にするとしても、うまく全てを伝えられないけれど、三瓶の偉大な教えに感謝することしきり・・・です。