ミノルスレより


592 :中日スポーツ4/10のコラム「ターフビジョン」より :2007/04/10(火) 13:57:25 ID:e+RaWDM4
吉田稔 あきらめぬ夢のJRA騎手

コース改修により、スタート直後の”ごちゃつき”が緩和されたリニューアル桜花賞が終わった。
もしも05年、このコースで桜花賞が行われていたら、一人の騎手の運命も変わっていたのかも。
 
その年、今は存在しない2コーナーで急カーブでもまれ込み、位置取りでハンディを負ったシー
ザリオは、直線で追い込むも痛恨の頭差2着。その手綱を取っていたのが吉田稔だった。「来年
は中央の騎手として参加して、この屈辱を晴らしたい」。しかし、名古屋競馬のトップジョッキー
として脚光を浴びてきた彼の人生はその後、暗転する。1次免除で望んだJRA騎手試験には
06年、07年と連続で不合格。失意に暮れ、一時は騎手を辞め佐賀への帰郷も考えたという。

「でも、自分にはこれ(騎手)しかないですから。それに、厩舎の人やファンの声援がうれしかった。
こんなボクにでも、こんなにたくさんのファンがいるのかと思ったら勇気が出てきて」。中央の厩舎
関係者にも”稔シンパ”は多い。「いつまでも待ってる」と、あちこちの調教師から声が掛かり、橋口
調教師からは「合格するまで何度でも挑戦したらいい。その気持ちはいつか通じる」とメッセージが
届き、吉田稔は目頭を熱くした。

「不合格になった理由を自分なりに考え、自分のできる範囲で結果を出していくだけ。名古屋で
がむしゃらに乗って、中央でもチャンスがある限りアピールしたい」。それが、高松宮記念直後、
最終レースの好騎乗Vであり、先月末の中日新聞杯名古屋大賞典だった。地元馬ムーンバレイ
で果敢に逃げ、中央の砂王ブルーコンコルドに先着しての2着。

「この夢だけは絶対にあきらめません」。05年、吉田稔の本紙での連載手記のタイトルは『夢ミノル』
この熱い思いがある限り、夢は必ず結実するだろう。来年の桜花賞では、もしかすると・・・。



橋口先生はやさしいね。やっぱり佐賀つながりだからだろうけど。でも、ミノルが合格しても、先生のとこには先客がいるから騎乗依頼できませんね(笑)
来年は、ウリのダンスパートナー05でダービー出走してくださいね。
ミノルも勉強がんばれ。
橋口はしっかり調教しろ。
俺はしっかり金貯めとけ。


じゃあの