2021年12月31日

はじめに

bennei117shinai3























はじめまして。
マイケルです。
いまだ未熟者ではありますが、求道の志を持つ者です。
いかなる宗教や組織にも属さず、独学で、
試行錯誤を繰り返しながら、手探りで進んでいきます。
≪少しでもマシな自分≫への探究はどうしても暗中模索になると思います。

独りよがりで自己満足的な悟りではなく、本当に自他を救いうるような≪智慧≫と≪力≫とをもたらしてくれる真の解脱・悟りを目指していこうと、志だけは大きく持っております。

K大師をはじめ、山崎弁栄や黒住宗忠、中村天風、本山博、五井昌久、山本健造、亀田一弘、塩谷信男、ジョセフ・マーフィー、ジョージ・アダムスキー、そしてパラマハンサ・ヨガナンダ、スワミ・ラーマ、ニーム・カロリ・ババなどのヒマラヤ聖者を心から敬愛しています。その他にも尊敬する導師はたくさんいます。

禅、密教、真宗、日蓮宗などの仏教、原始仏教、キリスト教神秘主義や古神道などの宗教の勉強をもっと広く深く進めていきたいと思っています。

このブログは、そんな私の備忘録です。どうぞよろしくお願いします。

※ブログタイトルにあるK大師とは、私の父が尊敬している神人というか大霊能者です。
※上の写真は、千年に一度の聖者、山崎弁栄上人の絵です。



mysticart at 22:16|PermalinkComments(21)

2019年02月08日

ヨガナンダの優秀な弟子 

Only Love - Japanese
Sri Daya Mata
Self-Realization Fellowship
2012-05-18



この本は必読の良書だと思います。
読んでいるだけで、心の軸がしっかりと形成されてきて、安定してきます。
スリダヤマタはヨガナンダから直接教えを受けた優秀な弟子で、この本には、側近の弟子だからこそ書けるヨガナンダの言葉やエピソードなどが書かれていて、非常に参考になります。スリダヤマタの経験した驚異的な体験なども記されていて、買って後悔はしない本だと思います。エゴから離れ真理に生きることを躊躇してしまうとき、本書を読むことで、その一歩を踏み出す勇気と生きる指針がもたらされるでしょう。そして読み進むにつれて新しい力と心の静けさが自分を満たしていることに気づくと思います。この本を読むこと自体が一種の瞑想と言えるでしょう。

以下、例によって引用させていただきます。

【引用開始】

P114
私たちがヨガナンダに悩みや問題を相談するとき、長い話し合いなどは一度もなく、たった一つの簡単な答えがあるだけでした。
「心を常に神におきなさい。」
この叡智の言葉に、私はどれだけ感謝しているでしょう。



P106
 霊的なサーダナにおいて、あるいは日常生活において、どんな困難に出会っても、神を求める人はたった四つの原則を守るだけで、うまく対処することができるようになります。
 第一の原則は、神への信仰です。どのような試練にあっても信仰を求めて努力しなさい。信仰は、神を北極星〈道標〉に据えることによって培われます。瞑想の時、また心に問題が浮かんで来たらいつでも、このように祈りなさい。「私の神よ、あなたはここにおられます。あなたは私を助けて、この大きな試練を切り抜けさせてくださることを私は知っています。」
神はあなたに必要なものをご存知ですし、神にとって不可能なことはありません。信仰はあなたの必要とするものと、神の無限の力を結び付けます。
 第二の原則は、深く瞑想すること、そして神に導きと助けを祈ることです。あらゆる悩みから自分を解き放とうと努力しながら、実行してください。神はあなたを助けたいと
望んでいます。あなたの受け入れる準備ができたときに、あなたは神に導かれるでしょう。
 第三の原則は、全託です。「神よ,あなたのご意志がなされますように。」神のご意志に全託することは、霊的な道においては最も重要です。何が起ころうとも、それが肉体に関することでも、仕事に関することでも、その他の関心ごとに関することでも、神のご意志がなされるように神に祈りなさい。なぜなら、神のご意志は、叡智に導かれているからです。〈後略〉

【引用終了】



mysticart at 10:35|PermalinkComments(2) 読書日記 

2019年01月22日

『栄養』『運動』『脱力』が健全な精神をつくる。





心の病は脳の傷―うつ病・統合失調症・認知症が治る
田辺 功
西村書店
2008-12-01

健全な心(スピリチュアリティ)を養うのは『栄養』と『運動』と『脱力』だった。

 

我々人間は、自分たちのことを精神的な存在だと思っています。

スピリチュアルが好きな人だったら、人間は霊的な存在であると思いたがります。

人間は単なる『肉体』や『物質』であるという考え方を極端に嫌う人が、特にスピリチュアル系の人には多いと思いますが、実際はどうでしょう。

 

実は、ことの真相はどうであれ、とりあえず唯物主義に立ったほうが、人間を正しく理解できると個人的には思っています。

 

例えば、こういうことです。

青酸カリを一定量飲んだら、心の中で何を念じようが、肉体を持った人間である以上100%死にます。

この事実をよくよく熟考するなら、人間という存在は、きわめて物質的な存在ということになります。

「人間は肉体的な存在ではなく、霊的な存在である」と言える人がもし存在するなら、その人は、眠る必要も食べる必要もなく、青酸カリを飲んでも死なない人です。そしてどんな病気にかかっても、心の持ち方ひとつで治してしまう人です。しかし、そんな人間がどこに存在するというのでしょう。

 

人間は霊的であるということの根拠に、人間は考えることができるから、というものがありますが、その「考え」自体が、実はとても物質的なものだとしたら?想念や感情の動きの正体が、すべて脳内の化学反応に過ぎないとしたら?

 

人間の思考や感情を形成するのは、霊性ではなく、単なる栄養素だとしたら・・・・

 

すなわち、「心を形成するのは、栄養素だった」ということなのです。

「心=脳」と考えれば、これはとても当たり前のことなのですが、この考え方に拒絶反応を示す人は多くいます。かつての私もそうでした。

 

我々は、自分たちが霊的な存在であるということにプライドを持っているのです。

我々は、「物」とは違うぞ。というわけです。我々を体を構成するものは「物」であるにも関わらずです。

スピリチュアルな人々は、目に見えない「宇宙エネルギー」によって生きるという考えに憧れますが、ミネラルやビタミンやω3脂肪酸などの「栄養素」によって心が養われるという考えを好まない人もいると思います。

 

長年の精神的な苦悩が、栄養ごときで解決するとしたら、今までの精神的な問題だと思い込んでいた長年の苦悩は何だったのか。

ということになってしまいます。よって、深刻な鬱病が、栄養ごときで治ってたまるかという結論に至ってしまうのです。

「精神的」という言葉は我々のプライドを満足させますが、目に見える物質的なものに依存している存在であるという事実を受け入れることは、我々にとってどちらかというと苦痛なのです。それが仮に病であれ、精神的な病と言われる方が、栄養不足による脳の化学反応の異常と言われるより、より高次の問題というような感じがして嬉しい場合があります。

 

これはスピリチュアルな向上を志す人にも言えることです。

スピリチュアルな向上には内省や自制、瞑想や祈りなどの精神的努力が必要だという考え方は、賛同してくれるのですが、スピリチュアルな向上には、まず栄養と運動だという考え方には賛同してくれない場合があります。なぜならそれは物、肉体であるからです。

 

ですから、中途半端な精神論者やスピリチュアリストよりも、唯物主義者や無神論者、科学者などのほうが、よほど正確に人間を理解することができると思うわけです。

 

ヨガナンダというヨガの聖者もおっしゃっているのですが、食べ物というものが非常に重要で、食べ物を変えただけで、精神も大きく変わるとおっしゃっているのです。

そう。食べ物が体だけではなく、心を作っているのです。

 

(特に分子整合栄養医学と言われる分野で)最近の研究でも、栄養素によって、鬱や統合失調症が改善されることがわかってきましたし、脳の情報処理能力まで、栄養で向上しうることがわかってきました。

 

よって、霊的な成長,向上と言う前に、まずは日々の栄養と運動をチェックするべきなのです。これが抜けていたら、どれほど瞑想、内省しても、祈っても自己暗示にかけても、何の効果もないのです。肝心の、脳を回復、成長させる原材料である栄養素が不足した状態で、どれだけ脳に良いことをしても、脳は成長できません。

 

十分な栄養素を補給するだけで、人間の体(脳を含む)は驚くほどの回復力を見せます。

そのうえでさらに運動をすることで、ダメージを受けた脳が蘇るということが最近の脳医学で分かってきたのです。海馬などはストレスによってやせ衰え、それが色々な病態を引き起こすのですが、栄養と運動によって、脳も回復することが分かってきたのです。

 

スピリチュアリティの土台は栄養と運動であるという結論に至るわけですが、

私が強調する運動には、弛緩法というものが含まれています。

要はリラクセーションのことです。

盲点となっているのですが、実はこの弛緩こそが、精神的な健康状態を保つうえで、または瞑想などの精神的努力を実り多きものにするうえで、非常に重要なものだったのです。

単に「精神集中せよ」という指導をしてしまうと、10人中10人が、精神に力を入れてしまうのです。しかし、スピリチュアルな向上を志す人にとって本当に必要な精神集中というものは、リラクセーションの上に成り立つ集中なのです。成瀬悟策先生は、それを受動的注意集中と名付けています。

よって、この弛緩、リラクセーションを抜きにして、いたずらに精神統一、精神集中、瞑想、祈念などの努力を行っても、正しく行うことができないし、むしろ有害な結果を引き起こす危険性が高くなります。

 

リラックスした精神状態で集中力が高まるとき、その結果は非常に有意義です。

逆に緊張状態(交感神経優位)で集中だけ行うと、その集中力は自他を破壊する方向に働く場合があります。

 

それは人間の自律神経のメカニズムを考えれば当然のことなのです。

交感神経が優位の時、人間は『戦闘もしくは逃避』のモードに切り替わるのです。すなわち命に係わる状態であると体が認識している状態が、交感神経優位の時であり、いわゆる緊張状態です。その状態で、集中力だけ増強させてしまうとネガティブなことが拡大されて感じられてしまうのです。すると、自他に対して攻撃的になったり(戦闘モード)、もしくは、不安感が強くなる(逃避モード)のです。

 

そんなとき、気功、脱力体操や呼吸法、ストレッチもしくは体を温める温熱法などによって十分弛緩、リラックスすることで副交感神経が優位となり、集中力は健全な方向での発達を取り戻します。

 

すると、急に精神の器が大きくなり、いろいろなことがらを受け入れることができるようになります。弛むことによってのみ、人は許せるようになるのです。ゆったりとゆるめば、外部の刺激に対して、一々反発する必要もなくなるのです。そして、脳の中まで緩んでいくと、あまり自己中心的なことを考えなくなります。自己中心的な思考というものも、実は交換神経が生み出す、生き残りをかけた動物的な自己保存の本能だったのです。生きるか死ぬかの時に、生き残るために必要な自己中心的な精神を形成しようとする人間の本能というか体というものは実によくできています。しかし、厄介なことに、この現代においては、ストレスフルな状態が24時間続くため、人体にとっての緊急事態がずーっと続いている状態であり、交感神経が緊張しっぱなしであり、よって理性ではもはや、我々の自己中心的な思考や感情を制御できなくなってしまっているのです。生きるか死ぬかの状態であると本能が判断しているわけですから、そうなるのは当たりまえです。

 

そんなときは理性や意志力で何とかコントロールしようとしないで、栄養を取ったうえで、リラクセーションのための動作法や呼吸法を行ってみてください。体が緩むと、心も緩み、自然と自己へのとらわれが減っていき、期せずして、無念無想の状態に近くなります。「考え方を変えてポジティブになろう!」とか「無念無想になろう!」と思って頑張ってしまうと、逆にそれはどんどん難しくなってしまいますが、単に脱力するだけで勝手にそうなってしまうのです。体を温めることでも弛緩、脱力しやすくなります。ストレスフルな日々を生き、イライラしている方は、毎日、首や後頭部を蒸しタオルで温めて十分に弛めるとよろしい。

 

よって難しい精神世界や哲学、宗教の本を読むのもいいですが、自分を救い、向上させるためには、まず『栄養』『運動』『弛緩』の三つの肉体的、物理的な条件を整えることが非常に重要になってくるのです。

マイケルも栄養と弛緩法によって、本当に精神的に楽になりました。アトピー性皮膚炎まですこぶるよくなりました。

 

心を養う栄養に興味のある方は、オーソモレキュラー(分子整合栄養医学)という分野を勉強なさるのがよろしいし、運動に興味のある方は「脳を鍛えるには運動しかない」という本をお読みになるのがよろしい。弛緩法に興味のある方は、成瀬悟策先生の「動作法」や高岡英夫先生の「ゆる体操」、野口整体などを学ぶとよろしいでしょう。『動作法』は、小児の脳性麻痺をはじめ、発達障害、自閉症、鬱、ノイローゼ、統合失調症にも成果を出している優れた方法です。見た目は体操のように見えるのですが、自分自身の無自覚の緊張に気づき、リラックスする能力を身に着けるための一種の心理療法と捉えるべきものです。

 

栄養

運動

リラクセーションと集中の共存。

この3セットを我々は探求しなければなりません。

それがスピリチュアルな道だったのです。




mysticart at 12:45|PermalinkComments(2) 癒し 
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