2014年03月30日

モンゴル神仙邂逅記

笹目 秀和
徳間書店
1991-06
無題3

まだ読みかけの本だが、なかなか面白い本である。
奥多摩の仙人、笹目秀和さんの自伝のような書物であるが、まるで小説のように面白いのだ。いや、小説以上に面白く驚異的な生涯だ。
彼は、22歳で200歳の仙人に会い、それ以降ずっと仙人によって導かれている人物なのだ。

私のような凡人は、神仙や神仏の導きや加護を受けているのならば、その人の人生には何の苦難も存在せず、すべてが思いのままになり、楽々と人がうらやむような幸福な人生を送れるものと思いがちだが、本書を読む限りでは、それは幻覚に過ぎないということになる。

むしろ、天は、苦しみや試練を与えることもあるということがわかった。
その人の魂を強くするため。そしてカルマを浄めるためにだ。

『神の愛は時に峻厳を極める』
『苦しいときは、過去の業(カルマ)の消えゆく時』
上記の言葉は五井昌久の言葉であるが、まさしく笹目仙人の生涯がこれである。

ずば抜けた精神性と霊能を持った出口日出麿も、大本教弾圧事件の際、想像を絶する拷問を受けて発狂してしまう。なぜ彼のような神人が、そのような災難に出くわすのか、なかなか理解できなかったが、本書を読んで、もしかしたら出口師は全てを知ったうえで、敢えてその苦しみを引き受けたのではないかと思えてきた。
「超能力者ならそんな苦しみは避けられるでしょ!」というのは、何も知らない人の発想かもしれない。

五井先生も、最後は血を吐いて苦しみ抜いて死んだらしい。
しかし、彼は「これで人類のカルマが浄められる」と嬉しそうにしていたらしい。
スケールが違い過ぎて、私のような未熟者には、なかなか理解できないレベルの話ではあるが、そういうこともあるのかもしれない。

笹目仙人は二人の神仙に出会っている。
200歳のリョリンライ仙人と500歳のシュロ仙人である。
リョリンライは当時、かなり有名な人物であったらしい。
長寿ではあるが二人とも肉体をもつ普通の人間である。しかし、凡人と違うのは、意識の広がりにあるという。
感知している範囲が宇宙的規模に及び、一つの星が危機に陥っていることから、虫が一匹どこかで踏みつぶされたことまで把握していると、笹目氏は述べている。(P13)

リョリンライ仙師は笹目氏に次のような厳しいことを言った。
『これから先、汝は、我執からくる望みは一切捨てて、天の使命に生きねばならない。しかし天命どおりに生きたからといって、順調に事が運ぶわけではない。魔障の妨害を受け、人々にはそしられ、裏切られ、悲惨なまでに破壊されて、煉獄のような中を歩み続けるであろう。それによって汝は鍛えられ、成長していく。といっても人間には自由意志がある。自分の進む道は自分で選ぶ自由がある。だから我が言うたからといって、あえてこの苦難の道を行かなくてもよい。別の道を選ぶこともできる。
 もう一つの道は安易で、楽ができる。そちらを選べば、汝は安楽と富と名声を手に入れ、世間的な成功を収める。が、短命である。そしてまたふたたび転生してきて、使命を果たさねばならなくなる。けれども、もし今生においてこの煉獄の六十年を生き抜けば、無限の栄光が汝の頭上に輝き、神とともに坐して活動できるときが到来する。どうじゃ!』(P58)

『汝の人生は尽くしても尽くしても踏みにじられ、裏切られ、背かれる。これからの六十年は、精神的にも肉体的にも苦行の連続である。それも並大抵の苦行ではない。しかしこれに耐えられれば成道し、光明輝く人間となるであろう。それを楽しみにして努め励むがよい。』(P54)

仙師の予告通り、笹目氏は11年4か月にわたってソ連の強制収容所に抑留されるなど、常人に到底耐えきれないほどの苦難を乗り越えていく。周りの仲間たちは、過酷な環境と労働で、ばたばた死んでいく。しかし笹目氏は仙人から教わった太陽エネルギー吸収法を実践していたため、元気を保持できたそうだ。

リョリンライ仙師によれば、本当に自分自身の神通力を身につけようと思うなら、60年の修行が必要であるということだ。欲望を起こすたびに、細胞が徐々に霊感を受け付けなくなるので、修行を通して一つ一つの細胞をもう一度回復させていかねばならないのだから、一朝一夕で通力は身につかないということらしい。

しかし、60年の修行が完成していない段階でも、通力を発揮して活動することはできるという。それは仙師の力を受けて神通を発揮するケースだ。しかし、仙師によればこれは良い方法とは言えないらしい。この方法に頼り過ぎると、自分の霊性開発が遅れてしまうからだ。時間がかかっても自分で通力を開発するのが望ましいと仙師は笹目氏に言う。

『自分自身の通力を開発するまでは、耐えきれないほどの苦難にあったら、仙師を念ずることによって打開の道を指示してくださいますか』
『それは約束しよう』(P61)

リョリンライ仙人との出会いから12年後、笹目氏は二人目の神仙、シュロ神仙(500)に会い、ある修行法を授かる。これからふりかかる数々の苦難を乗り越えるために必要な修行法であるが、シュロ神仙は次のように言うと大声で笑った。。
『では、これの実践によって、魔障やもろもろの苦労から解放されるかというと、そうではない。反対にいっそうたいへんになる。どうだ、耐えられるか』(P253)

『汝の場合は、俗世間で修行することが、神意にかなう道なのだ。その道は、常に世のため人のために尽くしながらも、尽くしたその世間に裏切られ、尽くしたその人のためにそしられる。ほとほと世の中も人間も何もかもいやになることがあるだろう。だがそれはみな、主神の試練だ。汝を偉大なるものに成長させるための、愛の鞭だ。希望を失わずに前進していけば、その艱難の中に満ちの鍛錬があり、進歩がある。そうした苦難の道程は、これからなお50年続くであろう。普通の人間には到底耐えられるものではないが、汝は選ばれたるものとして、輝かしい成果を上げることを期待する。苦しいときは、白頭と崑崙を想起せよ!力を与えるぞ!楽しみとしてはげむがいい』(P268)

また、大本教と、笹目氏が会った二人の神仙とは繋がっているらしい。
出口日出麿と笹目氏が会見し、次のような会話を交わす。笹目が日出麿に問う。
『白頭山の呂神仙のおっしゃることには寸分のの間違いもないでしょうね』
『あの仙師は、素尊の御代様として降臨しておられ、一切の俗を離れておられる方ですから、言語動作に寸毫の誤りもないことを断言いたします。』

P64
リョリンライの言葉
すべては前生からの約束によるもの。くれぐれも言っておくが、屈することなく前進せよ。汝は難局に立てば立つほど強くなる男なのだ。どんな目に遭っても必ず打開できる。自分自身を信じよ。』

通力を得るのに、なぜ六十年も必要かという笹目氏の問いに対するロリンライ仙師の言葉(P59)
『ふむ。じつは人間本来の性としては天眼、天耳通くらいの通力は持っているものだ。ところが人間の方が、その能力を振り捨てるような状況を作ってしまった。ここ五、六万年の間に、人間の物欲が増大して、その欲のほうに人間が使われるかたちになった。それで通力を失ったのだ。人間本来の性を完全にもたないと通力は戻ってこない。修行とはその本来の性を取り戻すためのものなのだ。』

mysticart at 22:40│Comments(0) 読書日記 

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