2015年01月31日

醤油とポン酢

 紅葉深まり、肌寒さを感じるようになってくる頃、ちょうど食欲も増してくる。何を食べてもおいしいと思える季節だ。そんなときは決まって各家庭から漂ってくる夕飯の匂いに腹を鳴らす。
 しかし、私の場合は家に帰ってきたところで夕飯が用意されているわけではない。 家族みな生活時間が違うからだ。なので私は仕方なく一人、冷蔵庫にあるもので飯を作る。
 寂しいとは思わない。むしろ自分の苦手なものを食べもなくてもいいというメリットがある。どうせ何時間後には家族も返ってくるのだからずっと一人ではないのだ。
 その日はありあわせのもので味噌汁と魚だった。煮て、焼いて、食う。とてもシンプルな作業だ。
 炊いてある白米と旬の魚(このときは鮭)の組み合わせは最高に食欲をそそる。とくに焼き魚は至高の一品だろう。私は肉のほうがよく食べるが魚も大好きなのである。
 汁をすすり喉を潤し、身をほぐして輝き立つ白米と共に口へ運ぶ。このときばかりは思わず頬も緩み幸せを噛みしめるほかない。
 私は好きなものほど後に残し、最後の一口をそれで終わらせたいタイプである。家族は地震がきて食べられなかったらどうするんだとか適当な理由をつけて先に食べてしまう。そこは個々の自由なので口を挟まないようにしているが、正直もったいないとは思う。
 まぁ、この日は鮭だった。鮭の身をすべて食べ、ほかも綺麗にたいらげ、はたから見ればあとは茶を飲んで終わるだけ、そんなふうに見える食卓にするのにそう時間はかからなかった。しかしここからがお楽しみなのだ。
 鮭の身を包む、皮。グリルで焼き、パリパリと香ばしい香りのする油の乗った皮を、私は毎回最後の一口として取っておくのだ。 
 ほかの部位も美味いが、鮭ならば皮だけ出されても、私は文句どころか満面の笑みで言うだろう。いただきます、と。
 それほど、鮭の皮というものは美味いのだ。この部分だけを提供する店なんかが、私の地元にできないものだろうか。きっと常連第一号になるだろうに。実に惜しいものである。




2015年01月28日

習慣と非習慣

 家に帰る途中で、中学生とすれ違った。学ランの一番上までボタンをはめている大変真面目そうな男子学生だった。
 寒さに身を震わせながら、なぜアイスクリームを買い求めに行ったのか後悔していて、下を向きながら歩いていた。 複雑に入り組んでいる道ばかりがある私の住んでいる場所は、家庭訪問の教師が迷ってたどり着けないほどで、人の通りもほとんどない。だから下を向いていたとしても人の気配がすぐにわかる。
 道の両側に家がひしめき、隙間がまったくない狭い路地を足早に抜けようと、吹きつける風で顔にダメージを負いながら早歩きをしていた。そんなとき、道の先にある外壁に囲まれ右にしか曲がれないところから、件の真面目そうな男子生徒はやってきたのだ。
 彼は目が合うなりこんにちはと挨拶をしてきた。これには驚いたのだ。今どきの中学生が知らない人間に自分から挨拶するなど滅多にない。このご時世、挨拶ひとつでとんでもない目にあったりもあるのだ。挨拶しないのはそんなことが理由ではないだろうが。 
 私は彼の声を聞いてハッとした。返さなければと一瞬にして思考がめぐり、喉が震えた。人間とっさに声は出ないものだ。油断をしているときは特に。
 結局私はすれ違ったあとにしか挨拶を返せなかった。少しも離れていなかったからきっと聞こえていると思う。そう願うばかりだ。
 私は出遅れてしまった恥ずかしさや交流の照れよりも、彼が挨拶をしたのに返ってこなかった、とショックを受けてしまうかもしれない可能性のほうが嫌なのだ。その貴重な素直さを彼には失わないでいてもらいたい。
 久しぶりに人のことを考えたひとときだった。考えすぎの毛はあるがしないよりはマシだろう。
  たった日常の数秒間だけだったが、彼との出会いを私は大切にしたいと思う。その健やかな心、揺るぎなく育つこと祈り申し上げる所存である。
 


2015年01月27日

ささみとにぼし

 猫カフェ、というものに行ったことはあるだろうか。私が初めて行った猫カフェは、猫王国のような体制をとっていた。いろいろな制約を書かれた紙を渡され、それをしっかり読まないと入店を拒否されてしまう。読んだ後は書類にサインをする。約束を守ります、というような内容が書かれた書類だ。その時点でまるで軽い入国申請をする気分になる。ここまでするのか……と正直思ったものだ。
 そんな初体験の猫カフェは、とても癒やされるものだったが、いかんせん昼だ。数いる毛玉はみんなキャットタワーの穴の中やベッドの中に入り込んでしまって姿すら見えない。失礼しますよ、と覗きこまないとお姿を拝見できないのである。
 気持ちよさそうな顔を見ると、手を伸ばし撫でて起こすなんてことは到底できない。出そうになる手を必死にとどめて、気まぐれに起きている猫に猛アタックするしかない。しかし、そのアタックもいとも簡単に避けられてしまうので気持ちは折れる一方だった。
 黙って座っていれば興味を示してくれる猫が一匹くらい寄ってくるだろうに、焦ってそれができなかったのだ。まったくばかなものである。
 とはいえ、姿を見れただけでも入店した価値はあったので良しとしている。かわいいものがたくさんいる光景ほど楽しいものはないだろう。
 まさしく、あの店にいる子たちは猫らしいといえる動物たちだった。マイペースで媚びない、を体全体で表現していた。
 我が家にいる猫も、見習ってほしいものである。手のひらを差し出すだけで撫でてもらえるとすっ飛んでくる、犬のような愛猫だ。そこがかわいいんだが、あまりにもちょろすぎる。
 また、機会があれば猫カフェへ行こう。おやつを出さない限りは無関心。それを味わいに行くのだ。 


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