阪神淡路大震災
2020年1月17日。
25年という歳月が流れても
あの日のことは今も鮮明に覚えています。
そして、あの日の前日のことを
最近とみに思い出すようになりました。
当時はまだ成人式が1月15日と決まっていて
あの年は15日が日曜
そして翌16日が振り替え休日。
私は17日からスタートするという
さんちか(三ノ宮の地下街)の冬セールの
下見に行っていたのでした。
今思うと
なんと暢気で陽気で平穏な1日。
歩き回ったさんちかも
利用した電車も
次の日には壊れて崩れて無残な姿になるというのに。
25年目の1月17日は
どうか穏やかに迎えられますよう。
角松敏生の崩壊の前日を
今一度しっかり心に刻みながら。
「崩壊の前日」
YouTubeで胸にしみる動画がアップされていました。
今年は殊の外
「あの日」が近くに感じられます。
昨夜の特別ドラマ
「BRIDGE はじまりは1995.1.17」を
観たからでしょうか。
震災で崩落したJR六甲道駅、
数年はかかると目された駅や線路の復旧を
わずか74日間で成し遂げた人々の
実話に基づくストーリー。
当時、駅の近くに住んでいた私が
目の当たりにした光景の数々。
実写シーンもたくさん登場して、
あの時の埃っぽい空気や寒々しい風、
むき出しの炎の匂いなどがまざまざと蘇りました。
震災に遭ったことが大変なのではなく、
震災を乗り越えてきたことが
大変で凄いことなのだと、改めて。
阪神淡路大震災
あの日から24年の月日が流れました。
神戸港震災メモリアルパーク
あの日、雨こそ降っていなかったものの、
立ち上る土埃と火災の煙の向こうで
空がどんな表情をしていたか、
涙にかすんだ眼の奥の記憶は定かではありません。
「1.17」
1995年1月17日5時46分
決して忘れることのできない日時。
ベッドごと天井近くまで放り上げられた
最初の縦揺れの一撃と
ありとあらゆる物を倒し尽くした
渦を巻くような横揺れ。
その時から始まった
恐怖と不安と絶望を抱えながらの被災生活。
いったいどれだけ涙を流したことでしょう。
大切な人を亡くした・・
大切な物を失った・・
大事な場所が崩れ去った・・
その度に流した悲しみの涙。
一方で、温かな励ましをもらった・・
支援物資をいただいた・・
ようやく水道が、ガスが、復旧した・・
そんな時に溢れた喜びの涙。
半年ぶりに自宅のお風呂に入れた時、
浴槽の中でわんわんと声を上げて泣いたことを
今でも昨日のように思い出します。
被災生活の無理がたたって入院・手術をした時、
病院の屋上から久しぶりに神戸の夜景を眺めて
復興していく街の灯りに胸が熱くなったこと
その時にも涙が頬を伝いました。
「阪神淡路大震災」
この体験が私を強くしてくれました。
この記憶が私の心を深くしてくれました。
・・だから、まだまだ大丈夫。
心新たに頑張って生きていきます。
阪神淡路大震災 発生
・・あの日は、連休明けの火曜日。
当時はまだ成人式が1月15日と定まっていて
15日が日曜日、16日が振替休日、
そしてまたいつも通りの、ちょっぴり憂鬱な
ウイークデーが始まるはずの早朝でした。
神戸市灘区のマンションにいた私は、
東京出張のために
朝一番の新幹線に乗ろうと
5時過ぎに出かけた主人を見送って
再びベッドで横になりかけたところ。
だから、今でも鮮明に覚えているのです。
ダブルベッドごと天井に放り出されるほどの
下からの突き上げと、
叩き落された直後から始まった
長い、長い、目の回るような横揺れと、
次々と倒れていく家具と
飛び出す引き出し、飛び交う物、物、物。
やっとの思いで家具の隙間から這い出した時、
見えたのは、大きな揺れのせいで
勝手に開いてしまった窓の外。
そこにあったのは、
すべての灯りが消えた、漆黒の闇でした。
ご近所の人たちがみんな外へ出てきて、
誰かがつけたラジオに聞き入ったけれど、
『京都は震度5、大阪は・・』と繰り返すばかり。
神戸のことはひと言も触れないから
私はてっきり他の地方の方が
酷いのだと思っていました。
やがてあちこちから火の手が上がって、
何がしかの音や声は耳に届いていたはずだけど、
救急車もパトカーも駆けつけることなど
出来ようはずもなく、
恐ろしいほど静かでした。
震災が発生した日は
同時に、被災生活が始まった日。
水も電気もガスも一切使えず、
配給に並び、川の水を汲みに何往復もし、
瓦礫で埋まった埃だらけの街を
ひたすら歩いて、歩いて、歩いて。
まず電気が、そして水道が
半年後にガスが復旧して
ようやく家のお風呂に入れた時
私は声を上げて泣きました。
KOBE、こうべ、神戸。
その響きは私にとって特別なもの。
傷つき、立ち上がり、一緒に歩んできた
同士のような思いがあるから。
悲しいことも、辛いことも
いっぱいあったけれど
決して嫌いになることはできない、
ずっと心にある街。
あれから22年が過ぎたのですね・・・
翌朝に起こる大震災のことなど
知る由もなく
私はいつもと変わらぬ時を
神戸市灘区の自宅で過ごしていました。
いつもと変わらぬ
・・とは言ったものの
実際は、1月15日は日曜で成人の日
16日はその振替休日となって2連休。
当時は今ほど冬のバーゲンも早くなく
私はサンチカ(三宮の地下街)へ
翌日から始まるバーゲンの下見に行った
・・そう日記には綴ってあります。
ずっと書き続けている2年綴りの日記帳は
すでに10冊。
当時のページを紐解けば
今も鮮明に街の情景が浮かび
地響きや倒壊する音
炎の焦げ臭さ、土埃の息苦しさ・・
それらは昨日のことのように
よみがえってきます。
あれから20年
もう20年
節目の20年を待たずして
神戸を離れてしまったけれど
私の魂はまだあそこに留まっているよう。
目も当てられないほどに傷ついた街と
今日生きることで精一杯だった人々。
苦しみと痛みを抱えたまま立ち上がり
たくさんの優しさと温もりに涙しながら
死に物狂いで歩んできた・・
そうした姿を直に見て
自身もその中に身を置いてきたからこそ
私は神戸に生まれ故郷以上の
愛情を抱かずにはいられないのです。
「崩壊の前日」は
神戸に一方ならぬ思いを寄せていた
角松敏生が書いた曲
・
・
満ち足りてるはずでも 何故なんだ
足りないこと 知っていても
誰もみなそんなこと気もかけずに
明日がまたやって来ると信じてる
・
・
崩壊の前日に君はどこにいたのだろう
そして今でも僕たちはここにいられる
・
・
今を生きて 今を見つめ
ほらごらん
大好きな街にひとつ灯りがともりだす
でも、英国の詩人ブラウニングは
こうも歌うのです
God's in his Heaven
All's right with the world
〜神、空に知ろしめす〜
〜すべてこの世は事も無し〜
今、改めて思います。
叶わないかもしれない
けれど、願わずにはいられない
どうか平穏な日常が
明日もこのまま在りますように
19年間、
押し入れの片隅に仕舞い込んでいた
白い包み。
引っ越すたび
大事に持ち運んできたものの
とうとう一度も広げる気になれなかった
その包みの中身は
1995年1月17日から約1ヶ月間に渡って
取っておいた神戸の新聞。
あの日の早朝、
始発の新幹線で出張するという
家人を見送るついでに
玄関ポストから取り出した新聞は
振り替え休日明けのごくごく普通のもの。
それを普段通りダイニングに置き
再びベッドにもぐり込んで
しばらく・・
まさか、まさか、
いつものように始まり、
いつものように過ごせるはずだった
日常が一瞬にして途切れてしまうとは。
翌18日の新聞の一面には
1月17日の5時46分となるまでは
夢にも思わなかった
見出しが並ぶ。
「兵庫烈震 死者1300人」 神戸新聞
「阪神大震災 死者1200人超す」 毎日新聞
「捜索・救出 死者1885人」 朝日新聞
各社バラバラの数字に
その混乱と非常さが見て取れる。
死者や行方不明者の数は日に日に増え
4日後の1月21日の新聞には
「死者、不明5千人越す」
初の震度7 判定
倒壊する建物
脱線する列車
寸断された道路
街全体を覆う黒い煙
そして、リュックを背負い
マスクをして歩く人、人、人、、、
でも、残酷な被害状況の傍ら
こんな見出しも
1月22日
「100時間ぶり3人救出」
1月26日
「東神戸に電車乗り入れ」
阪神電車、青木まで復旧
1月27日
「物流動脈つながる」
中国道、10日ぶり全線開通
1月30日
「JR神戸駅以西が開通」
2月1日
「混乱の中 私大入試本格化」
2月8日
「愛の便やまず」
全国から寄せられた救援物資・・
2月9日
「間借りでも うれしい授業」
県立全日制 全校が再開
一面の大見出しと写真をたどるだけでも
当時の記憶がフラッシュバックして
胸が締め付けられる。
涙がこみ上げる。
こうして立ち上がってきたんだ!
こうしてまた前に進んできたんだ!!
神戸の街も、私たちも。
ただ、今はまだ一面を広げるのが精一杯で
2面、3面と読み進めることができない
いつか、いつか、、、
そう、20年の区切りとなる来年は
自らも被災しながら新聞を作り続け、
届け続けてくれた人たちに感謝をこめて
もう一度丁寧に読み返したい。
忘れたい
けど
忘れてはならない
1.17が
今年も巡ってくる。
1995年1月17日5時46分
阪神淡路大震災
あれから18年。
当時、神戸市灘区に住んでいた私は
あの日あの時
朝一番の新幹線で東京へ向かうという
家人を送り出し
再びベッドにもぐり込んだところだった。
だから、
多くの人が眠り半分の中で体験したであろう
恐怖の揺れと倒壊を
鮮明に記憶することができた。
最初にやって来たのは音、
地の底から響く音。
次にそれまで体験したことのない突き上げ、
ダブルベッドごと天井に達するほどの
地からの突き上げ。
これが俗に言う縦揺れ。
そして信じられないような回転、
L字型のマンションでさえ振り回して
立つものすべてをなぎ倒してしまった揺れ、
これが永遠にも感じられた横揺れ。
その後、目にしたのは
夢であってほしいと願ったけれど
夢ではなかった光景。
倒れた家具のすき間から這い出して
洗うつもりだった衣類を引っ張り出し
真っ暗闇の中で着替えて
何とか外に出て・・
あの数分間、いや数十分間にとった行動は
すべて昨日のことのように覚えている。
だけど、本当に切なく苦しかったのは
地震そのものではなく、
地震後に続く日々。
川の水を汲み、
配給の長い列に並び、
ひたすら歩き。
入浴はおろか
洗顔も、歯磨きも我慢して
ひたすら耐え。
マスクとリュックとズック
“3ク”の被災スタイルで
数ヶ月ぶりに大阪へ出かけた時には
煌びやかで何も変わっていない街並みに
「なぜ神戸だけ・・」と
怒りにも似た悔しさと悲しさがこみ上げて
思わず涙があふれた。
愛する人、大事な家族、かけがえのない友、
家、職場、学校、思い出の場所、
失ったものの多さと大きさに
しばらくは打ちひしがれていたけれど
いつの頃からか
失ったものばかりではない、
かわりに得たものも確かにあったのだと
思えるように。
それは人の優しさであったり
励ましであったり
支え合う心と力であったり
「人っていいものだな」
再びそう思わせてくれたから。
ずっと 忘れたい と思ってきたけれど
やっぱり 忘れてはいけない と
今改めて。
東日本大震災の被災者の方々も
いつかきっと
今の私と同じような気持ちになる日が
くることを、私は信じている。
心から願っている。
あれから17年
私の中では“もう17年”でもあり
“まだ17年”でもあります。
感慨が新たになったのは
やはり、昨年の東日本大震災を目の当たりにしたから。
自然の猛威の前に
人間はなんと小さく、そして無力なのでしょう。
そんなやり切れない思いを
今の政治がますます暗く、深刻なものにしているよう。
私が17年前に経験した被災生活など
地震、津波、放射能の三重苦を味わっている
多くの方に比べたらまだ贅沢の域だったかもしれません。
それでも、水も電気もガスも
移動手段も連絡手段も皆無だった日々を振り返ると
苦しくて、切なくて、涙が溢れてくるのです。
いわんや、東北の皆さんの辛さや無念さは。
どうか負けないで、くじけないで、
そして諦めないで!
阪神淡路大震災を経験したものの一人として
思い出したくない
けれど、忘れてはならない
たとえどれだけ月日が経とうと
震災を忘れずにいること。
それがすべての原点になるのだと
今、改めて思うのです。
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