2025年01月31日

鈴木実貴子ズ「あか」について個人的妄想やら。

鈴木実貴子ズがメジャーデビュー、ファーストアルバムを出した。そのアルバムの中の、「あか」について。

多分、「あばら」リリース日から「あか」を狂ったように聴いてる人ランキング一位は自分な気がする。

「あか」の音、詞。ぱっと雰囲気は優しいファンタジーな曲のようで、実際聞くとアルバムの中で一番激しい。

これは本当に妄言なんだけど、「破片」の歌詞が「肉片」として想起されて、いやいや盛りすぎだろう私の脳ミソと思い、けれど聴けば聴くほどに「あか」の実像みたいなのがくっきり物体として自分の目の前に現れる。


私も作詞をするのですが、勝手に実貴子さんのこと同志というか戦友のように思っていて。自分の中にある得体の知れないアレに、極限まで取っ組み合って、一緒にボタボタ泣いて、言葉を拾いあげるような作業だと思っている曲を描くのは。大袈裟と言われようが、時に生きることより譲れない作業。


で、拾い上げた言葉は、別にそのままが一番というわけでなく、その後の行く末はさまざま。そのままにしたり、肌触りだけととのえたり、さすがに直はちょっとという物は手渡しやすい言葉に置き換えたり(時には敢えて過激にすることでポップにする)。


ともかく、人様に触れていいだろうなーのラインを一応合格させることが、私にとって歌を作る作業。多分、実貴子さんも同じような作業をやってるのではないだろうか。


で、私の場合。暗い曲も沢山あるが、曲のストーリーはさておき源泉は自分の中身なわけで、作品としてはエグくならない食後感を目指してる。質量をもたない。そのくらいにすることで、なんとか人前で歌えて、なんとか歌い続けることができる。そして、ステージで奥深くに潜ることができる。


「あか」がリアルとか、そういう話じゃあない。
質量がある、実像がある。
風のようにさわやかに、
確かにそこにあったという残り香がする。

なんなんだ、これは。
私は描けたことないと思うし、
本人は意外と無自覚かもしれないし、
そんなつもりそもそもないかもしれないし。

そして勝手に、
ここまで頑張ってきた実貴子さんへの
ご褒美の曲だと思ってる。
私にとってではなく、彼女にとっての。


ちょっとこの曲は、ずるいなぁ。だめだよー。
多分もっともっと聴くと思う。


変な感想書いて、営業妨害にならんかなーとぐるぐる心配したが、実貴子ズに甘えて結局書き晒すことにした。意外と大人な二人だから、私程度の人間のプロレスには付き合ってくれることだろう。

以上、いちおう人様に見せられるくらいに整えた妄想でした。大量殺人だよーこの曲、肉片だよう。レコ発、楽しみじゃー!



(本当は企画ライブありがとうございましたブログを書く予定だったのに!!!!企画ライブ、ありがとうございました。このように私は相変わらずです)