NARCOTIC GREED
March 13, 2017
March 11, 2016
NARCOTIC GREED/Fatal (Remaster Deluxe Edition)
NARCOTIC GREED (Jpn) - Fatal (Remaster Deluxe Edition) CD DIVE104
The Japanese thrash scene has never been held in quite the same regard as those in the Bay Area, Germany, or even the U.K.,but thrash metal's influence most definitely spread to the Land of the Rising Sun in the early-'80s.
Bands like OUTRAGE, UNITED, and AION began making waves in the late-'80s; while Osaka's NARCOTIC GREED - whose origins also date back to 1989 -finally released their first demo, Absurd War, in 1991.
Channeling American acts like Forbidden, Toxik, and Nuclear Assault, NARCOTIC GREED released two more demos between 1992 and 1993-tirelessly sharpening their teeth in preparation for what would become their debut full-length, Fatal.
Released in 1994 with minimal distribution outside of Japan, Fatal unfortunately hit the streets too late for the U.S. market to consume its splendor. Though never leaving its mark on the global metal scene, NARCOTIC GREED had managed to put forth an album of pure, unadulterated thrash metal that—despite never gaining the notoriety it deserved—has become a cult favorite amongst thrash enthusiasts the world over.
Divebomb Records is excited to present this expanded edition of NARCOTIC GREED's Fatal. The deluxe set contains not only the album, but also their classic 1992 demo, Crisis of Ruin-all digitally remastered alongside a 16-page booklet consisting of band-supplied archival photos, complete lyrics, and a brand new interview with the group's driving force, Hiroshi "Warzy" Yamashita. This is a reissue for the fans, by the fans.
FOR FANS OF:
NUCLEAR ASSAULT, FORBIDDEN, TOXIK, OUTRAGE, UNITED
TRACK LIST:
1. As The World Is Burnt
2. Greed
3. Scanning Hell
4. Lost Power
5. Injector II
6. Disruption
7. Future Kill
8. Partial Existence
Bonus Tracks
Crisis Of Ruin (Demo - 1992)
10. As The World Burnt
11. Partial Existence
12. Obsessed Mind
13. Greed
14. Immortal Germ
15. Who’s Your God?
16. Lost Power ~ Crisis Of Ruin
17. Absurd War
AVAILABLE IN STORES MARCH 11TH! PRE-ORDER NOW IN THE DIVEBOMB RECORDS / JACKHAMMER MUSIC STORE!!
January 01, 2016
NARCOTIC GREED 『FATAL』 リマスター盤・再発売決定!
内容は『FATAL』全8曲、プラス、ボーナストラックで1992年8月にリリースされた『CRISIS OF RUIN』全9曲、未発表フォト多数、ワージー氏のロングインタビュー収録のデラックス・エディション!
古きハイトーン・スラッシュ・メタルがe-bayなど海外で高額プレミア価格で取引されている現在、こういった代物がガンガン再発されている。これもその1枚。どのバンドも吐き捨てボーカルばかりで肩身が狭かった時代に、俺はこのスタイルで突っ走ってきた!それがやっと注目される時がやってきた感じがして、今はとにかく嬉しい(いや、この話が来た去年の夏頃から嬉しかった!)
「〜風」というバンドはすぐにできるし、注目もされやすい。ちやほやもされるだろう。しかしそんな音を聴くなら俺はオリジナルを聴く。「インギー風のギター」ならインギー聴くし、「パンテラ風のバンド」ならパンテラ聴く。今なら「Babymetal風」か?笑 興味は無いんで知らんけど、トレンドは所詮トレンドだ。
しかし、いくらリマスターしたとはいえ、古い時代の物なので音は悪い(笑)『CRISIS OF RUIN』も初めはCDにしたかったが、出来上がった音が悪かったので、カセットでのリリースとなったぐらいだ。そのへんは悔いが残る。良いメンバーが集まれば録音し直したいな・・・
February 28, 2014
March 26, 2013
吉本〜!
吉本を観に行ったようで・・・すると嫁シャワさんも大好きな『ダウン・タウン』に遭遇!ラッキーでした(笑)
待ち時間の間には、下にある『AKBカフェ』でお茶。これには某メタルバンドのギタリストが泣いて悔しがると思います。がはは!お客さんはオタクばっかりかと思いきや、意外や意外、女性やおばさん、カップル、子供連れとか色々・・・モニターに映し出される彼女たちの映像にのめり込む方や、片や僕らみたいにどこに目を向ければ良いか戸惑う人も・・・笑 まあ、一度は体験しておけばいいさ〜〜〜
May 13, 2012
December 09, 2010
September 16, 2009
近況報告
さて、最近は「駅」ばっかり紹介して「おっさん、何手抜きしておるのじゃ〜?」とのお叱りの言葉をいただきまくっていますが、ワージーソロアルバム(?)ようやくベース録音の段階まで辿りつきました。
今回選ばれたベーシストは、何かと腐れ縁の『ミュー』君。もとい『ボンバー』もとい、現在は『富樫・モノノフ』でござる「また、こいつか〜」と思われても仕方が無いが、現在のシーン、なかなかガッツのあるベーシストに出会わないんでね〜しょうがないっす(ローゼンのリナ君はいいね!)「ワレこそは」とお思いのベーシストは連絡をお待ちしています。
セッティングはワジドラからSWRに、センド・リターンでBBE。で結局、ワジドラのピンスイッチ(ブースター)の方がゴキゲンだったのでBBEはオフに。我ながら良くできている機能だと思います。
次はボーカルなんですが、実はナークティック・グリードの『ダン』氏が闘病中なんで予定が延びております。ゲストボーカルに外人(from フランス)と日本人(from 美作)が控えております(ほとんど誰だかバレちゃってますね )彼らは準備万端みたいなんですが(笑)メインのボーカルが入らないと作曲した本人も雰囲気がわからないもんで。しばしお待ちください。
しかし彼は器用な弾き方をしますね〜僕は指弾きベーシストの出すトーンが(見た目も含む)好きなので、誘うのは結局彼になっちゃいます。尼子はん、怒らんでな〜
今回選ばれたベーシストは、何かと腐れ縁の『ミュー』君。もとい『ボンバー』もとい、現在は『富樫・モノノフ』でござる「また、こいつか〜」と思われても仕方が無いが、現在のシーン、なかなかガッツのあるベーシストに出会わないんでね〜しょうがないっす(ローゼンのリナ君はいいね!)「ワレこそは」とお思いのベーシストは連絡をお待ちしています。
セッティングはワジドラからSWRに、センド・リターンでBBE。で結局、ワジドラのピンスイッチ(ブースター)の方がゴキゲンだったのでBBEはオフに。我ながら良くできている機能だと思います。
次はボーカルなんですが、実はナークティック・グリードの『ダン』氏が闘病中なんで予定が延びております。ゲストボーカルに外人(from フランス)と日本人(from 美作)が控えております(ほとんど誰だかバレちゃってますね )彼らは準備万端みたいなんですが(笑)メインのボーカルが入らないと作曲した本人も雰囲気がわからないもんで。しばしお待ちください。
しかし彼は器用な弾き方をしますね〜僕は指弾きベーシストの出すトーンが(見た目も含む)好きなので、誘うのは結局彼になっちゃいます。尼子はん、怒らんでな〜
June 16, 2009
ブ男なら覆面じゃ〜
タイガーマスク世代はやっぱり覆面に憧れる。当時は中学年。土曜日の学校では、みんなローリング・ソバットをやっていた。金曜の夜は『ワールド・プロレスリング』があるからだ!笑
ハンター&スワンが抜け、バンドは一時ストップ、僕はそれまでに交流のあったバンド達を尋ね、海外へ放浪しに行く。
その何年か後、何故か帰国してデモを作っていた(笑)当時旗揚げした新興レーベル『WORLDCHAOS PRODUCTION』が我々に興味を持っていたのだ。その簡単なデモを聞かせると「CDを出したい」といわれた。マジっすか〜?!という事で、どうせ出すなら生演奏で。急遽メンバー探しをする。
その当時、帰国した時に腕がなまるといけないので、近所の幼馴染を集めてラウドネスのコピーバンドをやっていた(今YouTubeのすべてのコピバン以上に完コピです。みんな耳コピできへんのか?弾かれへんのはしゃーないけど、音採りができていない。もっとビデオ見て、CD聞いて耳を鍛えなすべき)ベースはそこで手伝っていたボンバー氏を抜擢。彼は若いけど良い音を出していた。テクも必要やけど、これも大事です。
ドラムは昔一度叩いてもらった(記憶がある...)レイジング・フューリーのドラマー樋口氏を打診。その当時、色々ヘルプで叩いていて忙しかったが、無理を言ってお願いした。
録音は名古屋で。エターナル・イリジウムの岡崎さん(僕ら世代はファームのPAの人っていう方が愛着がある笑)が立ち上げたばかりのスタジオ『ZEN』で。雪の降る中、泊りがけで録音をしに行った記念作品『TWICET OF FATE』
僕が考えたタイトルで[twice]と[twist]をかけた造語。日本語タイトルは『運命のふたひねり』ダン氏が良い訳をつけてくれた!!まさに今の俺達にピッタリだ『TWIST OF FATE=運命のいたずら』だけど、もうひとひねりを加えた事で、必死でアルバムを出そうとした訳でもなく、すべてが偶然でトントンと仕上がったアルバム。いつも難航していたメンバー探しもすぐに決まったしね。曲も1ヶ月ほどで全アイデアが出た。ファーストも『FATAL』だったし、僕はバンドメンバーの出会いを、いつも「運命」に感じる。
その後、発売記念ライヴという事で、はるばる北海道まで行ったものだ。しかしレコーディングもツアーも全然写真がない。写真右は青森で撮った唯一の一枚。今はその反動で、どこでも写真撮ってますが。
ハンター&スワンが抜け、バンドは一時ストップ、僕はそれまでに交流のあったバンド達を尋ね、海外へ放浪しに行く。
その何年か後、何故か帰国してデモを作っていた(笑)当時旗揚げした新興レーベル『WORLDCHAOS PRODUCTION』が我々に興味を持っていたのだ。その簡単なデモを聞かせると「CDを出したい」といわれた。マジっすか〜?!という事で、どうせ出すなら生演奏で。急遽メンバー探しをする。
その当時、帰国した時に腕がなまるといけないので、近所の幼馴染を集めてラウドネスのコピーバンドをやっていた(今YouTubeのすべてのコピバン以上に完コピです。みんな耳コピできへんのか?弾かれへんのはしゃーないけど、音採りができていない。もっとビデオ見て、CD聞いて耳を鍛えなすべき)ベースはそこで手伝っていたボンバー氏を抜擢。彼は若いけど良い音を出していた。テクも必要やけど、これも大事です。
ドラムは昔一度叩いてもらった(記憶がある...)レイジング・フューリーのドラマー樋口氏を打診。その当時、色々ヘルプで叩いていて忙しかったが、無理を言ってお願いした。
録音は名古屋で。エターナル・イリジウムの岡崎さん(僕ら世代はファームのPAの人っていう方が愛着がある笑)が立ち上げたばかりのスタジオ『ZEN』で。雪の降る中、泊りがけで録音をしに行った記念作品『TWICET OF FATE』
僕が考えたタイトルで[twice]と[twist]をかけた造語。日本語タイトルは『運命のふたひねり』ダン氏が良い訳をつけてくれた!!まさに今の俺達にピッタリだ『TWIST OF FATE=運命のいたずら』だけど、もうひとひねりを加えた事で、必死でアルバムを出そうとした訳でもなく、すべてが偶然でトントンと仕上がったアルバム。いつも難航していたメンバー探しもすぐに決まったしね。曲も1ヶ月ほどで全アイデアが出た。ファーストも『FATAL』だったし、僕はバンドメンバーの出会いを、いつも「運命」に感じる。
その後、発売記念ライヴという事で、はるばる北海道まで行ったものだ。しかしレコーディングもツアーも全然写真がない。写真右は青森で撮った唯一の一枚。今はその反動で、どこでも写真撮ってますが。
June 15, 2009
第4期ナーコ
まじめに写真を撮ってくれない第4期...ロクな写真が残っていません。
とりあえずKKの後釜をと探していたら「リーダーが店を始めたので忙しく、バンド活動がストップ」という理由で宙ぶらりんだったスナッグル・トゥースのヒロキを誘う。でもその時にはヒロキ自身も「故郷に帰って割烹料理屋を持つ」という目標があったので、とりあえずヘルプでやってもらう。ほんだらベースの諏訪君もバーターで付いてきた。メッサ上手いのに何もしていなかったのでもったいないし。
とりあえず2曲デモを録音。日付を見ると「1993年10月2&3日」1曲はコンピレーションCDに収録の新曲『フューチャー・キル』もう一曲は『アズ・ザ・ワールド・イズ・バーント』
ライヴ活動をやっていくうちに気付いたのは「客がノレない」という問題点。KKの作る曲はプレイする側には弾きがいのある難しいテクニカルな曲が多い。僕もテクニカルな曲を書いてきたけど、スタジオばっかり入っていた初期はそれでもいい。しかしバンドにとってライヴも重要な部分。その両立を考えて僕はバランス良く新曲を作ってました。その考えが気にいらずにKKはバンドを抜けた『フューチャー・キル』はKKではできない曲でした。
聞いて貰えればわかるけど、リズムがノリノリでもギターは難しいっす。ツインギターにできない原因ですわ。弾ける人がみつからない。
この第4期は短かったがバンド全体のグルーヴ感は半端ねぇ〜歴史の頂点です。すごいリズム隊を授かったものだ。当時ライヴでもお馴染みだったDIOの『LAST IN LINE』はドンピシャでした。彼らの貢献は今でも感謝しています。Thanx for HUNTER and SWAN !
とりあえずKKの後釜をと探していたら「リーダーが店を始めたので忙しく、バンド活動がストップ」という理由で宙ぶらりんだったスナッグル・トゥースのヒロキを誘う。でもその時にはヒロキ自身も「故郷に帰って割烹料理屋を持つ」という目標があったので、とりあえずヘルプでやってもらう。ほんだらベースの諏訪君もバーターで付いてきた。メッサ上手いのに何もしていなかったのでもったいないし。
とりあえず2曲デモを録音。日付を見ると「1993年10月2&3日」1曲はコンピレーションCDに収録の新曲『フューチャー・キル』もう一曲は『アズ・ザ・ワールド・イズ・バーント』
ライヴ活動をやっていくうちに気付いたのは「客がノレない」という問題点。KKの作る曲はプレイする側には弾きがいのある難しいテクニカルな曲が多い。僕もテクニカルな曲を書いてきたけど、スタジオばっかり入っていた初期はそれでもいい。しかしバンドにとってライヴも重要な部分。その両立を考えて僕はバランス良く新曲を作ってました。その考えが気にいらずにKKはバンドを抜けた『フューチャー・キル』はKKではできない曲でした。
聞いて貰えればわかるけど、リズムがノリノリでもギターは難しいっす。ツインギターにできない原因ですわ。弾ける人がみつからない。
この第4期は短かったがバンド全体のグルーヴ感は半端ねぇ〜歴史の頂点です。すごいリズム隊を授かったものだ。当時ライヴでもお馴染みだったDIOの『LAST IN LINE』はドンピシャでした。彼らの貢献は今でも感謝しています。Thanx for HUNTER and SWAN !
June 13, 2009
1993年7月12日
ワオ!新潟の次の日っすね。横浜の『7thアベニュー』でのライヴ。ずっとブレイン・デッドと一緒に周ってきたが、この日はナーコティック・グリード単独。対バンはブラスデッドとトーメンター。クリエーターの前身バンドかと思いきや地元のバンドでした(当たり前)横浜の地元2バンドの勢いに、我々は完全アウェー状態でした。そしてショボイ全国ドサ周りツアーをするのが嫌なのか、この日でリズム隊が辞めちゃいます(本当はKKだけ抜けちゃうんですが、最終的には両方いなくなる形になりました)これで第3期が終わってしまいます。何故か運が良い事に、熱心なファンがこの日の音源を録音してくれていて、後日いただいた記憶があり、それは今でもMDに落として保存しています。幻の未発表曲2曲が入っているんですワ〜
June 06, 2009
1993年7月11日
にタイム・スリップ・ショッピング・ダ〜ンス!ア、フア、フア!!(知ってる?)
何やらメモを見ると、ブレイン・デッド(のちのディスプリーズド・パーソン)と行った新潟・ウッディでのライヴみたいだ。着ているTシャツは、どっか外国出身で確か杉並区に住んでいたカルロスのバンド「ジーザス・セイヴ」本人からもらった非常にレアな一枚、ア、フア、フア!(笑)
使用アンプは故障の多かったメサブギー・マーク4。当時はヘッドだけで50万くらいしてたけど、数年後、最終的には円安で半額くらいになってた。よって売った時はカスみたいな値段やった記憶がある。ギターはESP大阪のブランド「プロ・シード」製のレスポール・コピー。最初はオレンジだったボディも色褪せて、今では薄ピンクになった(涙)エフェクトはボスの「ターボ・オーバードライヴ」のみ。要はメサブギーのゴリゴリした音色が嫌いだった。今思えば、初期のマーシャルJCM800+BBE+GE10がベストだった。
何やらメモを見ると、ブレイン・デッド(のちのディスプリーズド・パーソン)と行った新潟・ウッディでのライヴみたいだ。着ているTシャツは、どっか外国出身で確か杉並区に住んでいたカルロスのバンド「ジーザス・セイヴ」本人からもらった非常にレアな一枚、ア、フア、フア!(笑)
使用アンプは故障の多かったメサブギー・マーク4。当時はヘッドだけで50万くらいしてたけど、数年後、最終的には円安で半額くらいになってた。よって売った時はカスみたいな値段やった記憶がある。ギターはESP大阪のブランド「プロ・シード」製のレスポール・コピー。最初はオレンジだったボディも色褪せて、今では薄ピンクになった(涙)エフェクトはボスの「ターボ・オーバードライヴ」のみ。要はメサブギーのゴリゴリした音色が嫌いだった。今思えば、初期のマーシャルJCM800+BBE+GE10がベストだった。
June 05, 2009
1993年7月9日
7日に名古屋でライヴして、一日置いて東京です。
写真のキッズは誰だかわかりますか?その後、某有名バンドで世界中を周っていた人です(名前は彼とバンドの為に一応伏せておきます笑)このときはカワイかったですね〜笑 ホモカップルみたいですが
彼がまだ田舎で高校生だった頃にナーコティック・グリードに出会い、早稲田に合格して上京する事が決まった時期に会ったのかな?確か初対面は何故か名古屋。ライヴハウスの前で常連の女性のお客さんと話していた時に声をかけられ「正統派スラッシャーが女と気軽に話す程ナンパでいいんですか?」と開口一番に言われたのを思い出します(笑)その後、このジャンルで一番の女たらしになった彼からは想像がつきません!あのときは童貞でしたから無理もないか(やっぱり名前は伏せておいた方がいいですね!)
そして時には東京から四国を含む九州までの過密ツアーにもローディーで同行し、一緒に悪さをたくさんしました。あの経験がその後のバンドで役に立ったでしょうか?そうだと嬉しいです。
なぜかこの時に僕だけ彼に連れられて早稲田大学に行った写真がありました。確か僕が当時好きだった「小川範子に会わせてあげる」とか言われてヘコヘコ付いていったのを覚えています(笑)
写真のキッズは誰だかわかりますか?その後、某有名バンドで世界中を周っていた人です(名前は彼とバンドの為に一応伏せておきます笑)このときはカワイかったですね〜笑 ホモカップルみたいですが
彼がまだ田舎で高校生だった頃にナーコティック・グリードに出会い、早稲田に合格して上京する事が決まった時期に会ったのかな?確か初対面は何故か名古屋。ライヴハウスの前で常連の女性のお客さんと話していた時に声をかけられ「正統派スラッシャーが女と気軽に話す程ナンパでいいんですか?」と開口一番に言われたのを思い出します(笑)その後、このジャンルで一番の女たらしになった彼からは想像がつきません!あのときは童貞でしたから無理もないか(やっぱり名前は伏せておいた方がいいですね!)
そして時には東京から四国を含む九州までの過密ツアーにもローディーで同行し、一緒に悪さをたくさんしました。あの経験がその後のバンドで役に立ったでしょうか?そうだと嬉しいです。
なぜかこの時に僕だけ彼に連れられて早稲田大学に行った写真がありました。確か僕が当時好きだった「小川範子に会わせてあげる」とか言われてヘコヘコ付いていったのを覚えています(笑)
June 04, 2009
1993年7月6日
なんとシンちゃんにもらったローゼンフェルドのTシャツを着てライヴやってます(笑)僕はいただいたバンドTは必ずキッチリとライヴで着る派です!だからみなさん、もっとくださいってか?!
なぜかKKは髪の毛をバッサリ切りました。先月の名古屋までは長かったんですが...結果的にこのツアーの後、辞めちゃうんですね。バンドと仕事の両立が難しいのと、家庭の事情と、バンドの音楽性も違ってきたのが原因です。やっぱりツアーとかやると仕事を長期休まなければいけませんし、そんな都合が良い仕事はなかなかありません。僕はトラックに乗って日通にいましたが、歴が古かったし何故か融通がききました。土日祝日は休みでツアーがあれば休み、それでも給料は月5〜60万は平気でありました。まあ、運転だけでなく特殊な物を運んでたし特殊免許も持ってましたので、すぐに代わりがいないというのもありますが、会社には長い間、良くしていただきました。KKは事情があって一人暮らしを初めて、何かが狂いだした気がします。その後、誰とも連絡が取れなくなったというのが今でも気掛かりです。
なぜかKKは髪の毛をバッサリ切りました。先月の名古屋までは長かったんですが...結果的にこのツアーの後、辞めちゃうんですね。バンドと仕事の両立が難しいのと、家庭の事情と、バンドの音楽性も違ってきたのが原因です。やっぱりツアーとかやると仕事を長期休まなければいけませんし、そんな都合が良い仕事はなかなかありません。僕はトラックに乗って日通にいましたが、歴が古かったし何故か融通がききました。土日祝日は休みでツアーがあれば休み、それでも給料は月5〜60万は平気でありました。まあ、運転だけでなく特殊な物を運んでたし特殊免許も持ってましたので、すぐに代わりがいないというのもありますが、会社には長い間、良くしていただきました。KKは事情があって一人暮らしを初めて、何かが狂いだした気がします。その後、誰とも連絡が取れなくなったというのが今でも気掛かりです。
June 03, 2009
セイレム初大阪!
1993年4月20日、東京の男前メタル軍団『SALEM』がやってきた!なんと対バンはナーコティック・グリードとスナッグル・トゥースだ!残念ながらシンちゃんではなく、ケンタとハンター時代でした。みんな、この日の事を覚えているだろうか?是非ホイップを絞る手を止め、お好み焼きをひっくり返す手を止め、想い出して欲しい。
全員男前なのはモチロン、演奏も上手いし曲も良く練られていて渋い。しかしユナイテッドみたいなアメリカンの方が受けやすいのでしょうか?僕は初めてデモテープを聞いた時から、日本でも「もっと」名前が浸透する予感がビンビンしたのですが。
ライヴ後、すぐに東京へ帰る予定だったので、飛田の「天下一品」でラーメン食べた打ち上げを思い出します。みんな元気でしょうか?やはり同じギタリストだった加藤君には、今でもどこかでギターを弾いててくれていたらいいな〜と思ってます。
全員男前なのはモチロン、演奏も上手いし曲も良く練られていて渋い。しかしユナイテッドみたいなアメリカンの方が受けやすいのでしょうか?僕は初めてデモテープを聞いた時から、日本でも「もっと」名前が浸透する予感がビンビンしたのですが。
ライヴ後、すぐに東京へ帰る予定だったので、飛田の「天下一品」でラーメン食べた打ち上げを思い出します。みんな元気でしょうか?やはり同じギタリストだった加藤君には、今でもどこかでギターを弾いててくれていたらいいな〜と思ってます。
June 02, 2009
ここで豆知識?
ナクグリの第1期は俺がG&VOで、KKがドラム、そしてベースにアッシュが入った時点でスタートする。それまではKKと2人でメンバー探し&曲作りで約2年を費やした気がする。
当時ジャーマン・スラッシュを信条としていた我々は、泥臭くてテクニカル、そして野蛮なスタイルを追求していた。それらの融合は当時ではなかなか難しく、メンバーなんか見つかる訳もなかった(でも今考えると今も昔も、その状況は変わらないかも?!)そしてすぐに、テクニックを要しないデスメタルブームが来た。日本人(英語圏以外の国も含め)には英語が出来なくても、すぐに本場のバンドになりきれるという利点も手伝って、何を言っているのかわからないボーカル・スタイルも支流になった。
どんどんと曲が出来上がるにつれ「こりゃ、弾きながらは歌えないな〜」と思いはじめ、涙ながらの脱・トリオ編成宣言。ボーカルを探していた所、ちょうど『スナッグルトゥース』を止めたダンに声をかけた。
その前にボーカリスト1人を見つけ、1度ライヴをした。彼はプレイヤーではなく聞く方だったので、カラオケ感覚ではバンド活動はできない。すぐに連絡が取れなくなり抹消。短い期間でしたが一応、歴史的には第2期がそれにあたる。
ダンが入り一番期間が長かった第3期が始まった。曲のアイディアは充電期間にストックだらけだったので、何度かライヴをした後、すぐにアルバム製作に入った。皆まだ素人だったので、適当に安い録音スタジオを探し、大阪の端っこにある「ベイサイド・スタジオ」を見つけた。幸運にもスタッフは皆良い人だったので事はスムーズに行き、オケはすぐに録音終了。しかしボーカル録りで一本調子の歌にメンバーからクレームが入り、脱退劇になる程のトラブル発生「そんなの事前に話し合えよ」という顔を隠せないプロデューサーを横目に(笑)なんとか録り終えた作品。音質の問題もあり、レコードにする予定だったが最終的にデモテープになりました。メンバー全員、意気込みはデストラクションの「リリース・フロム・アゴニー」を目指していたんですけどね〜
で、そのデモを持って各地にライヴをしに行った。写真右下は、その時のローディ「あきさん」別名「Mr,Road Crue」と呼ばれていただけあって、各地でメンバー以上にハッスル。ライヴのちらしにもなった、この写真を見ても、そのクレイジー振りが伺えるだろう。まあ、これを使う俺もクレイジーだが...
当時ジャーマン・スラッシュを信条としていた我々は、泥臭くてテクニカル、そして野蛮なスタイルを追求していた。それらの融合は当時ではなかなか難しく、メンバーなんか見つかる訳もなかった(でも今考えると今も昔も、その状況は変わらないかも?!)そしてすぐに、テクニックを要しないデスメタルブームが来た。日本人(英語圏以外の国も含め)には英語が出来なくても、すぐに本場のバンドになりきれるという利点も手伝って、何を言っているのかわからないボーカル・スタイルも支流になった。
どんどんと曲が出来上がるにつれ「こりゃ、弾きながらは歌えないな〜」と思いはじめ、涙ながらの脱・トリオ編成宣言。ボーカルを探していた所、ちょうど『スナッグルトゥース』を止めたダンに声をかけた。
その前にボーカリスト1人を見つけ、1度ライヴをした。彼はプレイヤーではなく聞く方だったので、カラオケ感覚ではバンド活動はできない。すぐに連絡が取れなくなり抹消。短い期間でしたが一応、歴史的には第2期がそれにあたる。
ダンが入り一番期間が長かった第3期が始まった。曲のアイディアは充電期間にストックだらけだったので、何度かライヴをした後、すぐにアルバム製作に入った。皆まだ素人だったので、適当に安い録音スタジオを探し、大阪の端っこにある「ベイサイド・スタジオ」を見つけた。幸運にもスタッフは皆良い人だったので事はスムーズに行き、オケはすぐに録音終了。しかしボーカル録りで一本調子の歌にメンバーからクレームが入り、脱退劇になる程のトラブル発生「そんなの事前に話し合えよ」という顔を隠せないプロデューサーを横目に(笑)なんとか録り終えた作品。音質の問題もあり、レコードにする予定だったが最終的にデモテープになりました。メンバー全員、意気込みはデストラクションの「リリース・フロム・アゴニー」を目指していたんですけどね〜
で、そのデモを持って各地にライヴをしに行った。写真右下は、その時のローディ「あきさん」別名「Mr,Road Crue」と呼ばれていただけあって、各地でメンバー以上にハッスル。ライヴのちらしにもなった、この写真を見ても、そのクレイジー振りが伺えるだろう。まあ、これを使う俺もクレイジーだが...
June 01, 2009
「精強即応」
週末は今年1年分の人と会う勢いで、いろいろな人と悪だくみをしました。松ちゃんのように、あまりタイムリーなプライベート話はブログで書くのを止めにしよう。逆に行動が制限されるような気がする。となると過去の事でも書くしかない。
写真は第3期ナクグリ@海上自衛隊、舞鶴海軍でのバンドショット。セカンド・デモテープ『クライシス・オブ・ルーイン』に使う為に沢山撮ってもらった中の1枚。知り合いの中にも自衛隊員が何人かいるが、話を聞くと結構待遇が良いのに驚く。今の若い奴は「夢や目標が無い」という奴が多いが、そういう奴には是非、自衛隊に入るのをお勧めする。そして思う存分日本海沖でぶっ放してくれ!(おっと、口が滑った)
写真は第3期ナクグリ@海上自衛隊、舞鶴海軍でのバンドショット。セカンド・デモテープ『クライシス・オブ・ルーイン』に使う為に沢山撮ってもらった中の1枚。知り合いの中にも自衛隊員が何人かいるが、話を聞くと結構待遇が良いのに驚く。今の若い奴は「夢や目標が無い」という奴が多いが、そういう奴には是非、自衛隊に入るのをお勧めする。そして思う存分日本海沖でぶっ放してくれ!(おっと、口が滑った)
May 29, 2009
December 19, 2006
ハゲあがっとるやないか!
ごきげんに歌っているダン氏@フランス。場所はわからん。本当にフランスには名前もわからない小さな街をたくさん周ったので覚えられない...ベースはミジュ、ドラムはニコラ。
時期はクリスマス、街から街までの間はだだっ広い草原。そこを走って行くと、遠くにUFOが舞い降りて来たように美しい光が浮かぶ(UFOは見たことはない!) 綺麗にデコレーションされた街なのだ。そこを10分ほどすり抜けると、またまた長くて暗い道をひた走る...ていう繰り返し。
こっちではツアープロダクションの会社があって、そこのオーディションに通るとあちこちのクラブでブッキングをしてくれる。ギャラも勿論保障、1ステージいくらと先に金額が提示されている。よってお客を呼ぶのはライヴハウスの仕事。勿論それでお客が来ないと次は呼んでくれないので、プロダクションもバンドも手放しではいられませんけど。
着けば我々はセッティングを始めるが、控室では同時にケータリング(出演者用の食べ物&飲み物)が用意される。町には自動販売機もないしコンビニも勿論ない。ツアー時はほとんどケータリングが我々の主食。内容は水、コーヒー、コーラ、フランスパン、ソーセ−ジ、ベーコン、サラダ+@。@はその場所のさじ加減だ。チキンの丸焼きなんか出てきたら最高、というくらいケータリングはショボイ。本当にヨーロッパでは食べ物の良い思い出がない〜あったかい飲み物&食べ物が恋しくなるよ。
時期はクリスマス、街から街までの間はだだっ広い草原。そこを走って行くと、遠くにUFOが舞い降りて来たように美しい光が浮かぶ(UFOは見たことはない!) 綺麗にデコレーションされた街なのだ。そこを10分ほどすり抜けると、またまた長くて暗い道をひた走る...ていう繰り返し。
こっちではツアープロダクションの会社があって、そこのオーディションに通るとあちこちのクラブでブッキングをしてくれる。ギャラも勿論保障、1ステージいくらと先に金額が提示されている。よってお客を呼ぶのはライヴハウスの仕事。勿論それでお客が来ないと次は呼んでくれないので、プロダクションもバンドも手放しではいられませんけど。
着けば我々はセッティングを始めるが、控室では同時にケータリング(出演者用の食べ物&飲み物)が用意される。町には自動販売機もないしコンビニも勿論ない。ツアー時はほとんどケータリングが我々の主食。内容は水、コーヒー、コーラ、フランスパン、ソーセ−ジ、ベーコン、サラダ+@。@はその場所のさじ加減だ。チキンの丸焼きなんか出てきたら最高、というくらいケータリングはショボイ。本当にヨーロッパでは食べ物の良い思い出がない〜あったかい飲み物&食べ物が恋しくなるよ。
December 06, 2006
1992年11月大阪
ヤンタ鹿鳴館でのライヴ後にみんなで撮りました。ちょうど14年前?
いつもコメントをいただいている「えぬ氏」の為に、とっておきの一枚をみつけました。そうでしょう?だってそうでしょう??
こうして見ると女性のファン?が多いですね〜男前3人(4人編成やろが!?)が揃っているバンドですから!(嘘...)中には某有名な方の奥さんも写っています。
昔からうちはなぜか見た目メタルファン?が少ないです。メンバーが常に新しい事を狙っていたので、そういう人には受けが悪いのかも。客層が独特でした。なぜか写真の様に短大生やらOLさん、会社員ヘッドバンガーが多かったです。あとトラッカー達もするめとカップ酒片手によく応援に来てくれましたわ!メタルな格好しなくても皆メタル好きなんですよね。
そうそう、僕のホームページ「ワージーワークス」昔の写真を追加しました。うんこでもちびってくださいな〜
いつもコメントをいただいている「えぬ氏」の為に、とっておきの一枚をみつけました。そうでしょう?だってそうでしょう??
こうして見ると女性のファン?が多いですね〜男前3人(4人編成やろが!?)が揃っているバンドですから!(嘘...)中には某有名な方の奥さんも写っています。
昔からうちはなぜか見た目メタルファン?が少ないです。メンバーが常に新しい事を狙っていたので、そういう人には受けが悪いのかも。客層が独特でした。なぜか写真の様に短大生やらOLさん、会社員ヘッドバンガーが多かったです。あとトラッカー達もするめとカップ酒片手によく応援に来てくれましたわ!メタルな格好しなくても皆メタル好きなんですよね。
そうそう、僕のホームページ「ワージーワークス」昔の写真を追加しました。うんこでもちびってくださいな〜
December 05, 2006
December 04, 2006
スーパーロック85
まだわいが二十歳の時の大きなフェスティヴァルです。一回目は売れる前のボンジョビが出演したことで有名。その2回目はディオやラフカットetc...この2バンド目当てで行きましたわ。その東京ヴァージョンのDVDを観てます。
歌うめ〜ドラムうめ〜しかしヴィヴィアンが糞ポーザーになりたての時代なのでちょいと残念。彼のファンならレスポールを捨てたヴィヴィアンは魅力が半減...ですよね。その後ホワイトスネイク〜デフレパードとスター街道まっしぐらですが、あんましそそらんな〜
「ラスト・イン・ライン」確かハンター&スワン時代にライヴでプレイしたよな?あれを俺なりに影響されて作った曲「サグ・シティー」(Twicet Of Fate 収録)みんな気づいてるかな?原曲を感じさせない作曲(パクりじゃなく影響)ここが大事です。
何かのビデオ映像で(Hard'n'heavy?? インギーやらジョージリンチやらマイケルジャクソンの女バックギタリスト、ジェニファーなんたら?とか一緒に入っていたオムニバスビデオ)ヴィヴィアンは深めのリヴァーヴ&ディレイでご満悦の機材紹介してました「アンプ直の時よりも音が豪華だよ!」とか言って。しかしめっさうまかった〜あんなにエフェクトで音作らなくても十分うまいのにもったいない。
写真は例のダメなメロンパン。手前のメイプルの方は相変わらずうまい。
歌うめ〜ドラムうめ〜しかしヴィヴィアンが糞ポーザーになりたての時代なのでちょいと残念。彼のファンならレスポールを捨てたヴィヴィアンは魅力が半減...ですよね。その後ホワイトスネイク〜デフレパードとスター街道まっしぐらですが、あんましそそらんな〜
「ラスト・イン・ライン」確かハンター&スワン時代にライヴでプレイしたよな?あれを俺なりに影響されて作った曲「サグ・シティー」(Twicet Of Fate 収録)みんな気づいてるかな?原曲を感じさせない作曲(パクりじゃなく影響)ここが大事です。
何かのビデオ映像で(Hard'n'heavy?? インギーやらジョージリンチやらマイケルジャクソンの女バックギタリスト、ジェニファーなんたら?とか一緒に入っていたオムニバスビデオ)ヴィヴィアンは深めのリヴァーヴ&ディレイでご満悦の機材紹介してました「アンプ直の時よりも音が豪華だよ!」とか言って。しかしめっさうまかった〜あんなにエフェクトで音作らなくても十分うまいのにもったいない。
写真は例のダメなメロンパン。手前のメイプルの方は相変わらずうまい。
December 01, 2006
昔話
事情があって昔の写真を整理中。ついでにバンド時代のアルバムも出てきたので、ワージーワークスに随時アップしようと思う。そういやメンバー写真ってなかったもんな。たくさんのメンバーとやってきたな〜と関心しつつアルバムをめくっております。しかし今の時代はまだアルバムかな?重たくて大きくて保管場所に困ります。かといって全部CDRじゃ、ちょくちょく見れないもんな〜みんなどうしてるんやろ?
クレジットを見ると「1993年4月20日大阪ロケッツ with SNAGGLE TOOTH,ガジム」となっている。13年前か〜髪の毛、長〜っ...兄貴、けんた、ハンターの時みたいです>スナッグル。
この「昔話」シリーズ面白いかもね〜さて今からまた一仕事ですわ〜
クレジットを見ると「1993年4月20日大阪ロケッツ with SNAGGLE TOOTH,ガジム」となっている。13年前か〜髪の毛、長〜っ...兄貴、けんた、ハンターの時みたいです>スナッグル。
この「昔話」シリーズ面白いかもね〜さて今からまた一仕事ですわ〜
November 30, 2006
November 24, 2006
May 18, 2005
NARCOTIC GREED
のアルバム『トワイスト・オヴ・フェイト』2001年の作品なんでもう4年経ちますね。今日は久しぶりに聴く機会があったので感想でも。
まずは気になる所。スネアの音色。これはどこでも言われた(;_;)反省。ほとんど一発録りのギターの粗さ。ソロなんかもっと丁寧に弾けばよかったな〜。あの頃はこの粗さが良かったんでしょう『ヒューマンチェイン』の歌メロがちょい不安定〜
この御時世、こういうヴァラエティーに富んだアルバムは売れ難いと思っていたが、そこはそれ、関西人の独特のノリとパワーで、前作から長年溜めていた曲の中から片寄らずに選曲(やっぱダメやったかな?)ドンカンドンカンのスピード・アルバムでも良かったけど。
しかしプリプロを何度もやっていた曲ばかりなので、パッと録ったにしては全体的に内容の濃いアルバムですね。そこは色褪せていない。さすが俺(^^)ワナビ〜作品だとここに違いが出るねんな〜
プロデューサーを岡崎さんにやってもらった事も大きく影響されてる。メンバーみんな良い刺激になったし、是非機会があればまたお願いしたい人でした。では1曲づつ改めて...
『DTA』アルバム全体を凝縮するとこれ1曲って感じ。サビのメロディは今聴いても失禁もの
『ショットガン・ハイウェイ』ギターは簡単なようで、かなりブッ飛んでる
『デリーテッド・イリュージョン』サビは名作『フューチャー・キル』を越える?
『3:16』ディスク・ヘヴン大阪店長/マーシーの誕生日
『サグ・シティ』後半はラウドネスの『RUN FOR YOUR LIFE』っぽい?
『ダリング・ジェネレーション』これはもっとじっくりと録り直したい....
『ダム・エム・オール』変拍子全開!ライヴではシラける....
『オペレッタ』メタルを聴かない一般人!に評判がメッサいい!!
『ヒューマンチェイン』タイトルが一つの単語、っていう所がグレート!こういうオシャレな英語がこのアルバムには随所に込められているが(タイトルしかり)お堅いイギリス人には不評でした
『エンド・イズ・ニア』終わりは本当に近かった!これは今やれば、もっとブチ切れられるなあ.... 今気付いた...残念
そろそろみなさんに新しい音を聴かせられるかも?今一度、このCDを持っている人は聴いてみて下さいナ(音質はインディーなんでご勘弁を)ちなみに写真はフランスでデモを録音してもらったプロデューサー・アレクシ氏(ex−MISANTHROPE−Ds)岡崎さんの写真がなかった(涙)
まずは気になる所。スネアの音色。これはどこでも言われた(;_;)反省。ほとんど一発録りのギターの粗さ。ソロなんかもっと丁寧に弾けばよかったな〜。あの頃はこの粗さが良かったんでしょう『ヒューマンチェイン』の歌メロがちょい不安定〜
この御時世、こういうヴァラエティーに富んだアルバムは売れ難いと思っていたが、そこはそれ、関西人の独特のノリとパワーで、前作から長年溜めていた曲の中から片寄らずに選曲(やっぱダメやったかな?)ドンカンドンカンのスピード・アルバムでも良かったけど。
しかしプリプロを何度もやっていた曲ばかりなので、パッと録ったにしては全体的に内容の濃いアルバムですね。そこは色褪せていない。さすが俺(^^)ワナビ〜作品だとここに違いが出るねんな〜
プロデューサーを岡崎さんにやってもらった事も大きく影響されてる。メンバーみんな良い刺激になったし、是非機会があればまたお願いしたい人でした。では1曲づつ改めて...
『DTA』アルバム全体を凝縮するとこれ1曲って感じ。サビのメロディは今聴いても失禁もの
『ショットガン・ハイウェイ』ギターは簡単なようで、かなりブッ飛んでる
『デリーテッド・イリュージョン』サビは名作『フューチャー・キル』を越える?
『3:16』ディスク・ヘヴン大阪店長/マーシーの誕生日
『サグ・シティ』後半はラウドネスの『RUN FOR YOUR LIFE』っぽい?
『ダリング・ジェネレーション』これはもっとじっくりと録り直したい....
『ダム・エム・オール』変拍子全開!ライヴではシラける....
『オペレッタ』メタルを聴かない一般人!に評判がメッサいい!!
『ヒューマンチェイン』タイトルが一つの単語、っていう所がグレート!こういうオシャレな英語がこのアルバムには随所に込められているが(タイトルしかり)お堅いイギリス人には不評でした
『エンド・イズ・ニア』終わりは本当に近かった!これは今やれば、もっとブチ切れられるなあ.... 今気付いた...残念
そろそろみなさんに新しい音を聴かせられるかも?今一度、このCDを持っている人は聴いてみて下さいナ(音質はインディーなんでご勘弁を)ちなみに写真はフランスでデモを録音してもらったプロデューサー・アレクシ氏(ex−MISANTHROPE−Ds)岡崎さんの写真がなかった(涙)
March 13, 2005
戦友?!
ちょっとの間、音信不通だったハンターから連絡がきた。1人で電話もかけられない状態なのに悪いね。
よしひこさんからの電話で事情を知った俺は、その半年後、なんとか見舞いができる状態になったという事で、病院を探しあて香川県まで車を飛ばした。
彼の性格から、電話ではいつも明るく振る舞う奴なんで、それほど重くは感じなかったが、病棟での彼をガラス越しに見て、一秒も直視できず一旦駐車場まで戻ってしまった『あれがハンターか?』1人で来た事を後悔した。さて、会いたいのだが足が震えているし、ちょっとでも時間を稼いで自分を落ち着かせたいという事もあって二回目は階段を使った。やっぱり彼だった。
『大丈夫か?(な訳ないわなー)』『あれーさっき来てましたよね?(あかん、ばれてる!)』いつも余裕のある事を見せつけるのは得意じゃないか『いや、ションベンに...(バレバレな嘘やなー)』そこへタイミング良く担当医と看護婦が来た。ひとまずは助かった。
四人でなんじゃかんじゃとしゃべっているうちに(田舎の病院はのどかだなー)いつものペースを取り戻す俺。みんなはもう次の段階へと気持ちを切り替えているんだなー、もう半年以上も経っているし。とかなんとかで二人が出て行った後、二人きりで昔の話しやなんやで盛り上がる。複数で来ていれば俺の性格上、できないであろう、まじめな大人びた話もした。うん、やっぱり1人で来て正解だった。その時点ではすでにそういう気持ちに変わっていた。
その後、嫁さんと子供も来た。写真で見たより大きくなってる。長男はバカだ、おやじ似だ(笑)人懐っこくておもしろい。下の子はおとなしくて恥ずかしがり、嫁さん似だ。どっちもかわいいなー。お父さんの状態がよくわかっていない息子達の笑顔はまだ美しい .....
この出来事は確実に俺の人生を大きく揺るがした。身内の死も何度も体験してきたが、生きているのに体が動かないという辛さの方が衝撃が強いというのを初めて経験した。
『死ぬ気でやる』という言葉も今の俺には重いセリフだ。嫁も子もいない俺には背負うものがないし、まだまだ冒険もできる。ドラマや映画の様にはうまく行かないけど。
よしひこさんからの電話で事情を知った俺は、その半年後、なんとか見舞いができる状態になったという事で、病院を探しあて香川県まで車を飛ばした。
彼の性格から、電話ではいつも明るく振る舞う奴なんで、それほど重くは感じなかったが、病棟での彼をガラス越しに見て、一秒も直視できず一旦駐車場まで戻ってしまった『あれがハンターか?』1人で来た事を後悔した。さて、会いたいのだが足が震えているし、ちょっとでも時間を稼いで自分を落ち着かせたいという事もあって二回目は階段を使った。やっぱり彼だった。
『大丈夫か?(な訳ないわなー)』『あれーさっき来てましたよね?(あかん、ばれてる!)』いつも余裕のある事を見せつけるのは得意じゃないか『いや、ションベンに...(バレバレな嘘やなー)』そこへタイミング良く担当医と看護婦が来た。ひとまずは助かった。
四人でなんじゃかんじゃとしゃべっているうちに(田舎の病院はのどかだなー)いつものペースを取り戻す俺。みんなはもう次の段階へと気持ちを切り替えているんだなー、もう半年以上も経っているし。とかなんとかで二人が出て行った後、二人きりで昔の話しやなんやで盛り上がる。複数で来ていれば俺の性格上、できないであろう、まじめな大人びた話もした。うん、やっぱり1人で来て正解だった。その時点ではすでにそういう気持ちに変わっていた。
その後、嫁さんと子供も来た。写真で見たより大きくなってる。長男はバカだ、おやじ似だ(笑)人懐っこくておもしろい。下の子はおとなしくて恥ずかしがり、嫁さん似だ。どっちもかわいいなー。お父さんの状態がよくわかっていない息子達の笑顔はまだ美しい .....
この出来事は確実に俺の人生を大きく揺るがした。身内の死も何度も体験してきたが、生きているのに体が動かないという辛さの方が衝撃が強いというのを初めて経験した。
『死ぬ気でやる』という言葉も今の俺には重いセリフだ。嫁も子もいない俺には背負うものがないし、まだまだ冒険もできる。ドラマや映画の様にはうまく行かないけど。