平成18年7月 (島根県大田市)
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梅雨の合間か、今日は上天気である。松江発スーパーまつかぜ1号は宍道湖・日本海を右に見ながら太田市へ向う。
この駅名大田市は『オオダシ』と読むので「オオタシ」ではない。昨日の富田城も『トダ』と読む。日本語は難しいものである。
タクシーで大森の銀山資料館までというとハイハイと機嫌が良い。お帰りは何処へでもお迎えに参りますと言う。そうはいかぬ。帰りはバスをよく調べるつもりである。
山間の道になり人家は殆ど見当たらず、行き交う車も少ない。かなり走って漸く大森代官所前に着く。

先ずバス停で龍源寺間歩行きの時刻を調べ、多少時間があるので資料館に向う。
江戸時代幕府の天領、その支配の中心機構がこの代官所である。
長い白壁が続いて、長屋門・門番詰所・仮牢などが続く。門を入ると正面が石見銀山資料館である。古めかしい建物で案内板によるとこれは明治35年に立てられた役所をそのままに昭和51年資料館として開館したものだという。
右手が歴史展示室で、いろいろな文書・代官の像・武具等が並ぶ。左手は鉱山展示室で、当時の坑道での採掘の絵図、様々な採鉱用具、そして最も広い鉱石展示室には福石(銀)無明異(鉄)黄銅鉱・黄鉄鉱・硫砒鉄鉱(ネズミ捕り)などなど。門外漢の当方にはどれが何やらさっぱりわからぬ鉱石類の行列である。


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バス停に行くと丁度龍源寺間歩行きの小型バスが停まっている。乗客は当方一人だけ。走り始めると道路は今までよりさらに狭く所々にバス走行優先と表示板がある。なるほど時々向うの曲がり角に小型車が停車して待っている。山もかなり深い感じがする。
運転手が1時間位後に来ます、坑道の見学は30分位で、入口は・・と至って懇切丁寧である。礼を言って間歩入口への坂道にかかる。ゆるやかな坂道で左右の樹々が高く、木陰を通るときはすっと涼しくて気持ちが良い。まもなく入口に着く。

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石見銀山には多くの間歩があるがこの龍源寺間歩は正徳5年の開発で他に永久・大久保・新切・新横相間歩とともに代官所の直営で『五か山』と呼ばれ、良質の銀鉱石が多く掘り出されたという。

受付で入場券を求め、坑口に行く。山裾にぽっかりと口を空けた暗い抗口の左右は太い丸太で支えてある。

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坑内に入ると所々照明灯はあるものの足元まで十分明るくはない。道の左下が排水溝になっているのか其処が凹んで歩道が少しゆがみ、歩き難い。足元に用心しながらゆっくり歩き続ける。

壁面、特に天井には当時の跡がそのままに残る。削岩機もダイナマイトもない当時のこと、青の洞門の禅海と同じようにひたすら腕力と忍耐心に頼ってこの作業をした坑夫たちの苦労が偲ばれる。

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行く程に穴の形が長方形、半楕円、凸字型と様々になり、所々に通行禁止の横穴がある。
かなり直進してから左に曲がり、坑道も少し広くそして明るく歩きやすくなる。


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向うに長方形の光が見えて出口である。上りとは違う道を下りて行くとやがて先ほどのバス終点に着く。上りと同じく唯一人の乗客となって代官所前に到着。親切な運転手でたくさんある発車時刻表から適当な大田市行きの時刻を教えてくれる。おかげで大森でゆっくり昼食、バス・JRも順調に松江に帰着できた。