2005年09月22日

マンハッタンの定宿

戸口に山高帽を被ったドアマンが居なければ,これがホテルだとは誰も気がつかないだろう.

五番街とアメリカ街の間,44丁目でビルの谷間に窮屈をそうに立っている古ぼけた石造りの二十階建ての館は,よく見るとなるほど玄関の庇にホテル・アルゴンキンと印されている.
アルゴンキンとゴンにアクセントをつけてタクシーの運ちゃんに言わないと通じませんよ,とここを定宿にしている演出家の従兄弟に言われたのをおもいだす.

世界の都ニューヨークだ.ホテルはそれこそ星の数程あろう. まずウォールドルフ・アストリヤ.それよりシックなセント・レジス.その他,ケネディ一族のたまり場のカーライルなど,あまり我が国ではしられていない高級ホテルがセントラル・パークを取り囲むように林立している. その中でこのアルゴンキンは所謂高級ホテルではないが,いささかユニークなホテルとして知られている.

1902年の創業以来,雑誌ニューヨーカーの編集者の溜まりとして,又著名な作家や劇作家達の常宿として,洒落ていて暖かみのある,ホテルというよりは日本語の旗籠屋に近いイメージのものとして人気を保ってきた.

20年ほど前、娘とニューヨークを訪れた際、前からの従兄弟の薦めもあり、遅ればせながらそのアルゴンキンに始めて宿を取ったのである。

ごつい木の扉を押し開けて中に入ると、あたりはほの暗く,使い込まれた時代物の家具がしっとり落ち着いた感じを出して,ホテルのロビーというよりは,古い館の居間を感じさせる.右手の奥の小さなカウンターがフロントで,そこでチェックインして昔風のごつい部屋の鍵を受け取った.

エレベーターも時代物で,ボーイが丸い手回しのハンドルをぐるりとまわすとギー,ガタンと動きだす.
部屋もなかなかいい感じだ.骨董品のような家具やスタンド.三つの中一つはつかない電球.暑くもないのにかかりっぱなしのクーラー. だが不思議と安らぐ感じはなんと表現したらいいか.

まあ素敵!丁度お祖母ちゃまのお持てなしって感じ.それもイギリスの田舎家でってとこかな.
娘の言葉がピッタリだった.

このホテルの今一つの魅力はブロードウェイのすぐ傍にあることだ.
隣がタイムス・スクェアでその先はもう劇場街.
キャッツ,コーラスライン,スターライトエクスプレス.ともかく40軒を越す芝居小屋がタイムス・スクェアの回りに犇めいているが,皆歩いて行ける距離だ.
お目当ては当時大人気のオペラ座の怪人だったが,勿論半年先まで売り切れ,当日売りなどとんでもありません.とフロントで言われ,
じゃ,娘よ.42 ストリートにするか?
オッケー,
という訳でゆっくり昼寝をとってから,夜のブロードウェイに繰り出した.

日本でも再三公演があったから,筋は皆さん御承知でしょう.
田舎からスターを夢見てブロードウェイに出で来た女の子が,努力とツキでやっとトップの座を射止めると言う,まことにアメリカ人好みのサクセス・ストーリーだ.
主役は勿論上手だが,その他大勢の粒揃いの事.
全員のタップで始まる幕開けの稽古場のシーンから,唯もうそのド迫力に圧倒されっぱなしだった.
うーん,これじゃ一寸まだ日本では無理ね.と言うのが最近ダンスに凝っている娘の感想だった.

翌朝の朝飯はロビーの奥の明るいダイニング・ルームである.白い壁にロココ調の赤い椅子が可愛らしい.

中央のテーブルには出勤前のビジネスマンが二三人.年寄り夫婦が一組壁際の席に.そして部屋の片隅でキャリアウーマンらしきブルネットの美人が,カフェオレクロワッサンを前にして書き物をしている.
自分でもカフェ・オレクロワッサンを頼みながら娘が言った.
“若い女が一人で朝飯を食べていて,サマになるホテルは珍しいわね.”

“じゃこれから我々もここを定宿にするか”、僕もクロワッサンを齧りながら娘に言ったものである。


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