2005年09月23日

どんぐり異聞:創傷治癒センター誕生記

ドングリこの奇妙な木彫りはドングリである。

径三センチ長さ十センチほどの樫の実が、5センチほどの台座に支えられている。その台座には何か英語が刻まれている。よく見ると、

From little acorns mighty oak trees grow

と書かれている。これはイギリスの格言だそうだ。

この由来を語ることがわが創傷治癒センターの歩みを語ることになるが、まず話を1992年の英国に戻したい。

処はハロゲート。ヨークシャーの中心にある森に囲まれた、人口七万ほどの静かな田舎町である。
我々はここで、スミス&ネフュー社の招きで、第二回Wound Management Symposium に参加していた。我々というのは、当時での北大の大浦教授、慶応の相川教授、女子医大の野崎教授、川崎医大の森口教授、北里大学の黒柳助教授を加えての六人である。

三日間の学会を終えて後、我々はヨークに移動し、スミス&ネフューの研究所を見学する事となる。

スミス&ネフューは御承知オプサイト、コンバテック社デュオダームとともに、当時、湿潤療法の先陣を切っていた。

他の五人の方はいざ知らず、それまで僕は実のところ、湿潤療法に疑いを持っていた。
端的に言えば、キズはかさぶたを作って直すのは間違いで、傷口から染み出るいわゆる浸出液を温存し、湿潤環境で治すべきだ、という学説である。
何か臭い物に蓋で、感染を誘発するのではないかというおそれを抱いていたのは僕だけではない。
これはその頃の、古典的な外科医の共通な認識でもあった。俗に、人間は慣習の奴隷というではないか。

しかし、丸一日使っての、研究所スタッフ総出のレクチャーにより、ジョージ・ウィンターのモイスト・ウーンドヒーリングのコンセプトは僕の全身に染み渡り、古典的医療から解放してくれたのである。

理論はよくわかった、それで実際は、と問いかけると、学術部長のクリス・ロバーツ博士は、カーディフを見学なさい、ご案内しましょうという。

当時カーディフの大学には、キース・ハーディングという若い内科医が、創傷治癒センターの旗印を掲げ、モイスト・ウーンドヒーリングを軸に、創傷治癒と取り組んでいた。
対象はケロイド、褥創、下腿潰瘍と多岐にわたり、信じられないくらい大勢の患者を、スー・ベイルという看護婦と二人でこなしている。
しかも、その合間にラボでも基礎研究を精力的に行っている。これからの創傷治癒の発展は、ひとえに細胞生物学にもとずく、バイオの世界だからである。

実は、とキースは話してくれた。
二年前、このセンターの開設に当たっては、スミス&ネフューが全面的にバックアップしてくれたという。まず、半年をかけて世界中の主な創傷治癒センターを見学し、構想を固め、オストミー(人工肛門)を専門にしていたスー・ベイルを引き抜き、ウーンド・ケア ナースに仕立て、スタートしたところだという。

これはうらやましい、産学協同はこうじゃなきゃならん、日本にもあってしかるべき、と僕はクリスをけしかけた。

よーがす、と彼は言った。いや、よーがす、という日本語を言うはずはないが、クリスやキースがウェールズ訛りで話すとそう聞こえたから面白い。

帰国して早速僕は、大学当局と交渉を始めた。病院長は救命救急の大和田教授で、わかりはいい。幸い、医学部長は僕の同級の、佐藤教授だったので、話は早い。
運営はすべて企業の基金でまかない、場所は小部屋を一つ、工面してもらうこととなった。その基金で、分子生物にたけた優秀な研究員を一人、リクルートすることもできた。

僕はクリスに書いた。こう言うわけでスタート出来そうです、本当にささやかな規模ですが。ついては、オープニングにお招きしたい。

ささやかなセンターで、ビールとするめのささやかなお披露目に、クリスはヨークから駆けつけてくれた。
お祝いに手渡されたのが、この木彫りのドングリである。奥さんのヘザーの手作りだそうな。
そこに彫られた格言、

大きな樫の木も、小さなドングリから。」

は、ささやかな創傷治癒センターの門出に真にふさわしい、餞の言葉であった。

あれから10年。
やっとわが国にもドングリが、いや湿潤療法が根付き始めた。


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