2005年09月29日

ポリサージャリー

ミロのビーナスおなじみのミロのビーナスだが、この両腕がどんな形だったか考えたことはありますか?

じつはこれを一生の研究テーマにしたドイツ人の学者がいた。
フルトヴェングラーといって、あの有名な指揮者ではない、確か人類学者か美学者だったと思う。
片手を差し出したり、腕を組ませたり、お盆をささげ持つ形をとらせたり、どれもさまにならなかったという結果を一冊の論文に纏めている。

その理由付けは、ミロのビーナスはあまりにも腕のない現状に見慣れているため、我々の頭の中にはすでに、両手の備わった理想的なビーナス像がインプットされてしまっている
そのかたちは、見る人の頭の中しか存在しないが、あまりにも完璧なため。現実の姿で現れると、どれもそぐわない感じになるのではないかという。

じつは美容外科のトラブルの一つに、ポリサージャリーというのがある。客観的にはうまくいっても本人が満足せず、何度も手術を繰り返すケースである。
勿論その中には、醜形恐怖症とかパラノイアといった、元来精神病質の患者も含まれるが、

しかし、それだけだったろうか。
僕らは本当に彼女等の悩みに、耳を貸していたのだろうか、

自分でメスを持たなくなり、ある程度過去の手術や患者を客観的に反芻するようになると、もっと奥深い患者の悩みが聞こえてくるような気がする。
例えば、問題は目とか鼻ではなく、唯もっと美しくなりたい。或いはそういわれてみたい。それがかなわぬので、容貌の特定箇所をスケープゴートにして、文句を付けるとか、

叉は、この世にはありえない、頭の中だけの理想像が出来て、それを唯追い求めているとか。
ちょうどフルトヴェングラーがミロのビーナスの欠けた両腕について洞察しているように。

このような悩みに対して、メスはおろか、並みの医師がどう、対処できるのか、未だ僕は答えが出せないでいる。


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