キズのケア

2006年05月05日

可愛い子には怪我させよ


われながら過激な表題だと思うが、今の子供達の異常なまでの過保護を目の当たりにすると、今日の子供の日にはついこう叫びたくなってしまった。

このところ、子供の怪我の処置について話をする機会が多い。
消毒は水道水で洗い流せば充分。その後はモイストヒーリングといって、傷をふさいで乾かさないでください。かさぶたをつくればそれだけ治りも遅れ、跡も残ります。
といった湿潤環境の大事さを説くわけだが、最後に必ずこう付け加えることにしている。

怪我をするのは子供の特権と思ってください。
遊びまわるのは子供の務めで、多少危ない目にあいながら、自分で対処する方法を見につける。
多少転んで怪我したり、いたずらして台所で火傷したっていいじゃないですか。

僕は五人の子供がいるので、といっても育てたのは配偶者だが、その経験から言えることは、もし子供が怪我一つしないで育てば、それは奇跡ともいえる。
切り傷、擦り傷、火傷など僕の子供は皆一度は親父の世話になっている。念入りに三度も手を焼かせた子もいるほどだ。
いくら親が気張っても、目が届くのは1割にもならない。後の9割は天上のどっかでどなたかが見張ってくださるとおまかせしたほうが気が楽である。

子供は皆生まれつき羅針盤を持っている、というのが僕の信条だ。
怪我に限らず、危ない目にあうことで羅針盤が働き始める。それを過保護に育ててれば羅針盤が機能しない哀れな人間を作ることになる。
可愛い子には旅させよ”、と昔の人は言ったではないか。
動物の世界はもっと厳しい。獅子は子を千尋の谷に突き落とすという。

今ひとつ世のお母さん方に言いたいのは、だから子供の怪我は親の責任ではないということだ。
不必要に自分を責めないで欲しい。お姑さんも余計な口を出さないで欲しい
傷跡一つとっても、殆どの傷跡は大きくなってからのほうが修正もしやすいし、手遅れということはないし、また手術もしやすくなる。
だが親の気持ちとして、何とか早く傷跡を治して、と自分の罪悪感から修正手術を急がせるのは、子供のためにならない。

子供の日の誓いとして、子供の羅針盤を信じもうちっと伸び伸びと育てましょう。

ただ運悪く怪我をしたときは、その時点で最善と考えられている治療を受けさせるのは親の務めですよ、と最後は湿潤療法に話を落とすことにしている。


2006年04月30日

どんぐりの館

どんぐりが僕の創傷治癒センターシンボルである所以は前に何度か書いた。

日本初の創傷治癒センターの門出を祝って、イギリスのスミスアンドネフュー社の開発部長ロバーツ博士から、夫人手作りの木彫りのどんぐりを渡されたのは10年以上前のことである。
その台座には“大きな樫の木も小さなどんぐりから”というイギリスのことわざが、誕生したてのつつましいセンターへのはなむけの言葉として彫られていた。

その木彫りのどんぐりを始めとして、家には別の木彫りのどんぐり、どんぐりのピルボックス、どんぐりのフォトスタンド、どんぐりのペンダント等々、配偶者の計らいで、どんぐりが溢れている。
どのどんぐりも芽を出してくれないのに、数だけ増えるのは不思議だが、今度やっと銀座クリニックに創傷治癒センターを移し、始めてどんぐりが双葉を開かせたといえる。

どんぐりの水彩画我が家の階段の踊り場には、数年前配偶者が、僕の誕生祝に知り合いの絵描きさんに頼んで書いてもらったどんぐりの水彩画が飾られている。
その絵描きさんの作品が展示されているというので、今日の午後は葉山のレストランに見学に行った。

ラ・プラージュといって葉山の裕次郎灯台の手前の浜辺にあり、江ノ島の彼方に沈む夕日が素晴らしいロケーションである。
レストランの壁にかけられた十数枚の水彩画は花の絵が多かったが、華やかな色使いと達者な筆捌きが印象的だった。
メニューはフレンチでこれもなかなか魅力的だったが、残念ながら昼が遅かったので、ジュースだけ注文しディナーは次回に試すこととした。

じつはロバーツ夫人の木彫りのどんぐりが、新宿から銀座に引っ越したときに見あたらなくなり、センターの存亡に関る大事と必死に探して、先週発見されて医局の棚に大事に飾ったばかりである。

どんぐりをシンボルにしたのは賢明だったと思う。
大きな樫の木も小さなどんぐりから”という格言が励ましになるだけでなく、センター長が転々と居を移すとき、ちょうど三種の神器のようにこの木彫りのどんぐりが付いてまわってくれたため、逆境でもセンターが存続しえたような気がする。

ケストナーの子供向けの物語「エミールと探偵」のなかに、オートバイにあこがれている少年がでてくる。彼はそれだけしか持ってないオートバイのクラクションを後生大事にして、やがて本物を手にしてしまうというくだりがあった。

僕もどんぐりを大事にすれば、銀座の地にしっかと根をおろし、大きな樫の木に育ってくれるだろう。
いやそう育てるのが僕の努めである。


2006年04月29日

雨の銀座

やっと体調が七割方快復したので、今日の午後は銀座クリニックに顔を出した。
銀座は雨だった。

土曜は僕の出番ではないが、先週からずっと外来を休み、どうしても連休前に診ておきたい患者さんがあったからである。
それに、昨日のブログの美女軍団のコメントを拝見して、急に元気が出たというのも本音である。
そして今ひとつ。昨日はお菓子の日であった。

毎金曜日はお菓子の日として、クリニックの美女軍団に差し入れをする慣わしにしていたので、それを今日果たすことが出来た。
今日の銘柄は銀座三越の地下の仏蘭西ケーキ店、ル・コントである。
戦後初めて本格的なフレンチペーストリーとして誕生した懐かしい店である。当時は結構なお値段と思ったが、その後あまり値上げせず今ではほかのニューフェースより割安なくらいなのが嬉しい。

それにしてもお菓子屋、チョコレート店が増えたのには驚かされる。
デーメルロブション、フレンチだけでなく和菓子の叶匠壽庵等毎回違うところ探すのも楽しみの一つだが、一年間は充分ダブりなしでいけるだろう。

外来の患者さんは顔の傷を気にしてこられた。
幼少時の一寸とした怪我の跡で、2センチほど。さほど目立たないが本人が苦にされるのも分からないではない。
じつはこの程度のキズが一番判断に迷うし、また多いものである。

修正手術というのはその効果に限界があり、決して跡方なく出来るわけではない。仕上がりには限度があるので、ある意味で目立つ傷ほど改善度は高いし、目立たぬ傷ほどやる意味がなくなってしまう。
その境目あたりのキズが一番判断に苦しむところである。

このような場合我々は率直に手の内を明かし、もしある程度の改善度を期待されているときは手術は諦めてもらい、もし一寸でもよくなる可能性があるならといわれれば、検討することにしている。

このような線状の傷の場合は、植皮は全く意味が無いがこのあたりをご理解いただくのに苦労するのは、一般の方はあまりにも植皮の効果が過信されているからだろうか。
植皮はまずは皮膚が足りなくて、それ以外にとじる方法が無いときのやむをえない手段だということをご説明して、ご納得いただくようにしている。

その他傷跡に対してはレーザー、ヒアルロン注入等いろいろなことが言われているが、ここまで綺麗に治っている細い白い筋に対しては、今の技術ではいかんともしがたいのが現状である。

と説明しながら、ふと先日の学会で耳にした新しいレーザーの話を思い出した。
やっとにキズ跡に効果のあるレーザーが現れたというのである。それがナンなのか、どのクリニックに入っているか、連休明けに確かめてお知らせすることとした。

そしてこのような場合はいつもの事だが、かずきれい子さんが提唱されている、リハビリメークを試されたらと最後にお勧めした。


2006年04月21日

袋井市

久しぶりの地方巡業だった。

袋井市で場所は静岡の袋井市。出し物は定番のモイストヒーリングである。

去年の中標津といい、意外に辺鄙な町で湿潤環境の話題で人が大勢集まってくださるのはありがたい。そしてまた、初めての土地を訪れるのも楽しみなものである。

創傷治癒の行商人といったところで、40年以上前、留学から戻って形成外科の普及で全国行脚したことを思い出す。まだその頃日本には形成外科の施設は数箇所しかなく、形成外科という名前すら、一般には知られていなかった。

あの頃はスライドや資料を詰まった重い鞄を抱え飛び回ったが、今はメモリースティック一つポケットに偲ばせ、後は会場に準備されたパソコンに差込、液晶プロジェクターでパワーポイントを投影するだけで、大変身軽である。今風、電子紙芝居といったところか。

“今日は新幹線から富士山が綺麗だったでしょう、”着くなり担当の方に言われたが、じつは車窓から一度も外を覗かなかった。
乗車前に駅の書店で購入した、“白洲次郎 占領を背負った男”に読みふけっていたからである。

白洲次郎は一度だけ見かけたことがある。
学生の頃、軽井沢の旧道でビューイックに乗って通り過ぎる後姿を、あ、白洲だと皆振り向いたほど、オーラを放っていた。

帰りの新幹線で伝記を読了し、去年訪れた武相荘の佇まいを思い浮かべ、改めて夫妻の肝っ玉センスに敬意を表した。


2006年04月12日

長生きはすべきもの

形成外科学会長生きにはするものである、今日の形成外科学会のシンポジュームと特別講演を聞いて,つくづくそう思った。

皮膚が崩れてなかなかふさがらないのを難治性潰瘍という。
その最たるものが褥瘡いわゆる床ずれであるが、最近は食生活の変化もあり、欧米並みに足の傷の治りが悪い下腿潰瘍が増えてきた。
原因はまず糖尿病,そして動脈硬化による血行不全、さらに静脈瘤による静脈鬱血などである。

これまではいったん潰瘍が発生すると、文字通りその治療には難航し、たとえ植皮してもまた崩れるか、足の先端が腐って切断を余儀なくされることが多かった。
今日の「難治性皮膚潰瘍に対する治療戦略」では、八人の専門家が最近の治療戦略を網羅的に開陳してくれた。

まず、検査法が格段に進歩し、血流障害の原因と部位がピンポイントで捕らえられ、進歩した血管外科の技術また再生医療の応用でそれに対し根本的な血行再建も可能になった。

また、潰瘍面の治療法も格段に進歩し、その中にはこのブログで繰り返し述べた湿潤療法も含まれているが、植皮せずにキズがふさがることが多くなり、また、壊死に陥った足の切断の必要性も少なくなってきた。
もちろんこのためには、形成外科医だけでなく、内科医、血管外科医、看護士等のチームワークが前提になることは言うまでも無い。

リチャード・クラーク招待講演の演者リチャード・クラークはニューヨーク大学の教授で、僕の10年来の友人である。
彼はライフワークである“スマート・マトリックス”の最近の進歩について大変興味あるレクチャーをしてくれた。

マトリックスというのはいろいろな意味があるようだが、医学的には間質、つまり細胞間を充填し、その支えとなる組織である。
彼が最近のバイオの技術を駆使して考案した人工のマトリックスは、キズを治す繊維芽細胞を活性化して、キズを早くキレイに治すという話である。

これを彼はスマート・マトリックスと名づけている。
まだ、動物実験のレベルだが、早く実用化が待たれる研究である。

ライフスタイルの変化で難治性潰瘍は増加した。
しかし、治療法の進歩はそれをはるかに上回るものがある。

創傷治癒の分野において、ここ数十年の地味な基礎研究がやっと実を結び始めたと言うのが今日の学会報告のメッセージといえる。
“長生きはすべきもの”、と僕が感じたゆえんである。


2006年04月11日

医療メール相談

僕は今二つの医療サイトでカウンセリングを設けている。

ひとつはアンチエイジング・ネットワークで今ひとつは創傷治癒センターだ。

両方で日に5件から多いときは10件ほどの質問が来るが、なるべくその日のうちにと思うがチョッと油断すると、20件ぐらいすぐ溜まってしまう。

前者では肌のアンチエイジングに関する問い合わせ、後者では傷跡に関する相談が多いが、匿名の気安さか、いろいろなタイプの質問が舞い込むので、面食らうことも多い。
中にはケータイ感覚で、“チョッと怪我しちゃったんだけどさあ、どうしたらいいの。すぐおしえて。”などと、作法を知らないというよりどこのどんな怪我だかもわからないので、答えよう無いものもしばしばある。

だが大方は結構真剣な問い合わせで、何とか満足のいくお答えをと努力するが、すぐメールでの回答の限界にぶち当たってしまう。

まず、肌の悩みにせよ傷跡にせよ、拝見しないでものを言えばどうしても一般論になってしまう。
たいていの質問者は、一般論はとうに承知で、その上で自分の場合はどうかと知りたいわけである。

そのためよく聞かれる質問をFAQとして載せているが、やはりもっと具体的なことが知りたいようである。

また、多くの場合は既に主治医が存在する。
そちらのほうが実際に診察しているのだから、こちらより有利な立場にあり、その意見を尊重すべきである。
もし、いわゆるセコンドオピニオンということなら、通常主治医の了解の下、主治医からの資料も拝見しないと、お役に立つ答えは難しい。

そこで結局は質問者の住まいになるべく近い適当な専門医をご紹介するか、東京近辺の方なら当方のクリニックにおいでいただくことになる。

だが、あまり特定の医師やクリニックに偏ると物議をかもすので、今試みているのは安心して紹介できるクリニックを網羅した全国マップ作りである。
質問者がこれを見て、地域別にまた専門別にご自分で複数の候補から選べるようにしたいと思うが、これまたなかなかの難事業である。

医者と患者の相性もあるし、また腕のほどは評判だけではわかるものでなく、かといって診療なり、手術をいちいちこちらが検分させていただくわけにも行かない。
また、レストランやエステと違って、チョッと覆面で試してというわけに行かないのが、ミシュランとは違う医療機関の評価の難しさである。


2006年04月06日

スミスアンドネフュー

スミス&ネフュー僕がそもそも創傷治癒そしてモイストウンドヒーリングにのめり込むきっかけを示すのが、この一枚の写真である。

イギリスはハロゲート。時は13年前

そこで行われた第三回ウンドマネージメント学会にわれわれ6名日本人関係者が招待され、その後、スミスアンドネフュー社の研究所を訪れたときの写真である。
ここでわれわれはモイストウンドヒーリングの特訓を受け、日本に持ち帰ったのがそもそもの始まりである。

そのスミスアンドネフュー社の創立150年記念パーティ駐日英国大使臨席のもと、帝国ホテルで催され、本社から会長、社長以下多数来日された。

写真の左上の若い男はアンディ・ボイスといい、13年前、われわれ夫婦をヨークや湖水地方に案内してくれたが、今は会社の幹部の一人である。

バグパイプ祝賀会前の忙しい時間を割いてアンディと今一人の役員が、オープンしたばかりのわが銀座クリニックを訪ねてくれ、この写真を眺め、しばし昔話に花を咲かせた。

その後、北里大学で創傷治癒センターの設立に際しては、スミスアンドネフュー社はプリンシパル・スポンサーとして手助けをしてくれた。
その際、学術部長のクリス・ロバーツから送られたどんぐりの由来については以前このブログで描いた覚えがある。

懐かしいリユニオンだった。
お互いに年をとったというか、成長したというか。
飲み、食らい最後はバッグパイプの名演奏で宴は閉じられた。


2006年03月26日

北里の古きよき時代

今朝の富士山は素晴らしかった。

泊まっている宿には眺めが無いので、車を走らせ箱根プリンスで朝食を取った。
ダイニングルームの前には芦ノ湖が開けている。
そして湖の対岸の内輪山のバックには、“真白き富士の嶺”が朝日に輝いていた。
しまった、こういうときに限っていつも胸のポケットにあるはずの、ブログ用のカメラを部屋に置き忘れている。

創傷治癒と形成外科マトリックス研究会は九時から一般演題で始まり、締めは11時からの特別講演“創傷治癒と形成外科”。
演者は恥ずかしながら、このブログの筆者だった。

自分の創傷治癒とのかかわりを話しながら、つくづく僕はよき時代に教授業を勤めたと思う。

北里大学の気風も僕の性格にあっていた。
講座制の壁は取っ払われ、風通しは誠によく、予算の枠もあってないようで、最もよかったのは人事が自由であった。
具体的には、形成外科の助教授に医師で無い基礎学者をお迎えすることも許されたのである。

臨床の科でも、研究には基礎実験が必要である。
だが、試験管を振るのはやはり基礎学者にはかなわない。
臨床の教室に基礎学者も参加してもらうことで、我々がベッドサイドで抱える問題に基礎の方々のアイデアと最新技術が直結したと思う。

おかげで僕の教室から輩出した8名の教授のうち、3名は今は本業の基礎学者として日本各地の大学で活躍している。


2006年03月25日

多忙な週末

忙しい週末がスタートした。

コンバテックセミナー昼は新宿のアイランドタワーで、コンバテックセミナーのトップバッターとして、40人ほどの看護師さんのグループに、例のモイストウンドヒーリングの講義をした。
いつも言うことだが、この問題に関しては看護師さんの方が医師より関心が高いし、理解度も進んでいる。
やはり治療の現場で、褥瘡や潰瘍など、治りにくいキズと日夜闘っているのは彼女等だからである。
だが、彼女等がせっかく勉強して努力しても、何だ余計なことをするな、と自分の不勉強を棚に上げて、水を指す医者が絶えないのは情けない。

終了後すぐ、箱根へ向けて東名を突っ走る、制限速度は遵守して。本当かな?。
53回マトリックス研究会出席のためである。

幸い渋滞も無く、あまり遅れずに会場のはずの箱根プリンスに到着すると、そんな研究会はやっていないという。
フロントで方々当たってくれると、湖尻のホテル箱根アカデミーだと分かった。
どうも最近はこういう勘違い思い込みが多いのには参る。

マトリックスというのは細胞の間を埋めている、いわゆる間質と呼ばれる組織で、主体はコラーゲンである。傷の治りに最も関係の深い組織であるが、基礎学者の研究会なので僕のような臨床家にはチンプンカンプンである。
深遠な議論を延々と続ける基礎学者は、世俗の塵にまみれた臨床医の目には仙人のように映り、素人は恥ずかしくて発言も控えてしまう。

夜の懇親会のあとも、 “コラーゲン:健康・老化との関係”というテーマの 特別講演があり、そのあとのポスターセッション(展示発表についての討論)が、もう夜10時というのにまだ続いている。
高齢者は健康と老化に配慮して、途中で失礼してきた。


2006年03月18日

サイト上のカウンセリング

ホームページでカウンセリングを受け付けていると、実にいろいろな質問が舞い込んできて、戸惑いもし、考えさせられもする。

今僕はアンチエイジング・ネットワーク創傷治癒センターという二つのサイトを開いており、それぞれ毎日のアクセスが500から1000ぐらいだが、両方合わせてカウンセリングは、一日に5件から10件は入ってくる。

アンチエイジングでは主として肌の若返りから、美容外科的なことが主だが,創傷治癒のほうは圧倒的に傷跡の悩みが多い。

なるべく僕自身が回答するように心がけているが、間に合わないときや僕の専門で無い事柄に関しては、ほかの先生にも手伝っていただいている。

質問のタイプもさまざまで、専門家でも調べが必要になるものから、ケータイ感覚で、“怪我しちゃったんだけど、どうすりゃいいの”なんていう、いい加減としか言いようのないものまである。

しかし、一番の悩みは一般論はいえても、結局は診て見ないと具体的なことは言いにくいことだ。
フォトを送っていただくと、ある程度は見当がつくが、あまりはっきり言い切ると、診断行為になってしまうので、サイトの上では限度がある。

また、すでにほかの医師や施設にかかっていることのほうが多いので、明らかに問題があると思われる場合以外は、こちらの意見はあくまでセコンドオピニオンとして、参考意見にとどめておいて欲しい。

医師の診察が必要と思われる場合や、適当な医師の紹介を求めてくる場合は、サイトには載せず、直接質問者におしらせすることにしている。

このようにサイトの上でのカウンセリングには限度があり、ちっとも役に立たないとお叱りを受けて落ち込むこともあるが、非常に助かりました、とすぐ返事を頂いたりすると、やっぱりやっていてよかったと思い直す。

一つはFAQを充実させ、そちらを参考にしていただくことと、できれば紹介を受けていただける専門医を網羅した全国的なリストを整備することと思い、これを取りあえずの課題として取り組んでいる。

今ひとつの気がかりは、このようなやり取りが、医師法、医療法上はどういう位置づけになるのか、まだ曖昧な点が多すぎることである。

患者側と医療従事者側、その他有識者のご意見をいただければ幸いである。


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