2016年03月02日

合格実績、あるいは金儲けを教育と呼ぶことについて

日本はOECDでも群を抜いて教育費が安い(国が予算を割いていない)国、ということらしい。
コレを素晴らしいという人もいると思うけど、教育機関に対する教育支出の私費負担割合(同資料最終ページ)はもちろんOECD平均を大きく上回る。
続きを読む

2016年02月17日

東京都、中高入試雑感

数ヶ月も放置してたブログ更新といふものを、ちょっとしてみむとてするなり。
続きを読む

2015年11月16日

「頭がいい」とはどういうコトなのか

偏差値至上主義が批判されて久しいが、「地頭」などという言葉とともに「偏差値では測れない頭の良さ」みたいなモノを積極的に口にする人も増えてきた。一体どういう人やどういう態度を人は「頭がいい」と形容するのだろうか。











閑話休題
地頭:中世の荘園(しょうえん)で、租税徴収・軍役・守護に当たった管理者。後に権力を増して領主化した
おっと、こっちだった
大学などでの教育で与えられたのでない、その人本来の頭のよさ。一般に知識の多寡でなく、論理的思考力やコミュニケーション能力などをいう。

そもそも、頭がいいというのが”他者評価”なのだとしたら、一般的な「頭の悪い人たち」に評価されなければならない。だから、この点から出発しようとすると、ソレはもう結論は見えている。「アタマが悪い人達に、いかにして頭が良さそうに思われるか」である。ではその線引きがどの辺になるのか少し考えてみよう。
高校入試の偏差値、つまり一般的に一番大きな母集団からみて、偏差値60なんて全然大したことないわけだけど、それでも上から1σは16%弱だ。ようするに、下位84%からみればこの程度でも「アタマのいい人」というコトになる。
しかし、世間一般でアタマの良さを”気にする”ような連中はもう少し母集団が上、と見ても良さそうなもんで、大学入試の偏差値60、つまり乱暴に計算して大学進学率50%から高校入試換算上位8%あたりと考えると偏差値64あたりってトコかな。

とまあ、数字あそびはこの辺にして、ココからは俺様の独断と偏見に満ちた、世間のバカどもを切っていこう。
本当にアタマのいい人間、という言葉の定義がまずありきだというのは差し置いて、一握りの天才とはどういう人達なのか。とある番組で、ポアンカレ予想に挑戦した数学者4人を東進の志田先生が「アタマが良すぎて俺なんかじゃ想像もつかないから評価できない」と言っていた。さて、そういった「本当の天才達」(かどうかもわからないけどw)を差し置いて、世間では「知識人」と呼ばれる人達がいる。そう、アタマがいいと「思われている人」達だ。

言葉の定義が曖昧でよくわからない。でも、たしかに「世間からアタマがいい”と思われてる”人達」は存在する。そして冒頭にも書いたように、こういう人達は世間からアタマがいいと”思われるような振る舞い”をしているのであろう、と。
んじゃ何がそうたらしめるのか。例えば学歴もそうだろうし、本を出してる、なんてのもその1つだったりするだろう。そして何よりも「身近な人がそう言っている」というのが、案外バカにできないのではないか。特に、教育が比較的マトモに機能してる日本に於いては「先生が”アイツは賢い”と言った」みたいなコトがかなりのウエイトを占めたりもする。とすると、例えば国語の教科書なんかに載っちゃう人=賢い、みたいな、もっと言えばTVに出てるから、という”有名だから”なんかですら、アタマがいいと思われる要素だったりになり得るわけで。そう考えると、明らかに文系(というか作家)のほうがチャンスが多く、理系のほうが少ないのではないか。まあ某精神科女医みたいに「作家」を謳って”露出を増やせば”、あるいは”賢そう”と世間が思っちゃうパターンもあるけれどw

で実際、なり得るという書き方をしたが、もうすでに”なっている”んだよね。ワイドショーなんかの世俗的な番組で、まったく専門的でない(恐らくその知識すら持っていない)人々がコメンテーターとして露出をし、そこで”ソレっぽいコト”を言っていれば、周囲がなぜかソレを認めてしまう。(いや、バカには後光さえ指していればありがたく思えてしまうわけだから、”なぜか”という疑問は俺の中ではすでに正しくはないな、答え出てるしw)
この辺の現状を鑑みれば、最早「アイツはアタマがいい=アタマ悪い人」と逆張りしてしまってもいいのではないか、と思う程度に現状は深刻だったりするのではないか。もちろん、逆張り芸人は、それはそれで目立てるので、「世間が頭がいいと思ってる人を”バカだという”コト」自体で耳目を集めることも可能だ。そうやって宗旨替えさせてしまえばコッチもの。「世間でアタマがいいというヤツをバカと言える俺TUEEEEEEE」の出来上がりであるw

んじゃどういう態度が望ましいか。もちろんコレに答えはあるのだが、コレを書くのにはいささか余白が足りないようだ。(メンドクサイから諦めただけの人

ただ、少なくともネットの発達で俺個人が一番素晴らしいと感じるのは「どんな考えや意見であっても、即座にその反論を見聞きできる」という点である。今まで、例えば本ってのは「個人の思想のパッケージ」であって、その反論は全部読み終わって、また別のモノを手にとらなければ見えないものだった。でも今は違う。
そういう意味で、例えば俺は、最早「本を読め」って言ってる人なんて大したモンでもないんじゃないかとすら思い始めてるw
ネットのインフラはもうすでに充分整備された。あとは、知識体系を手に入れるのにどれだけ有効な組み立てがなされるかだけ、だと思うんだけど、たぶんこの未来はやってこない。ネットをちゃんと使えるものとそうじゃないものの格差が広がるだけで、その橋渡しが、例えば教育の現場でなされる日は、まだまだ遠いんじゃないかと思う。

毎度のごとく、まったくまとまりがないままでおわり


2015年09月21日

宗教とは「誰が言うか」である。

信者
「特定の人物・団体・物品・事象などを絶対視・神聖視し、それに関するネガティブな事実にすら逃避思考や陰謀論などで擁護する者」の意。
続きを読む

2015年07月26日

SEALDsとあさま山荘事件

その昔、あさま山荘事件について色々調べていたことがあるんだけど、今の学生運動のその先に、やはりこの事件のような悲劇がチラついてしょうがないんだよ。
続きを読む

2015年07月08日

本読め教

『本読め教』でググると俺様が出てくるwwwww
本読め教
続きを読む

2015年01月18日

シビュラシステムと功利主義

二周目にして朧気ながらサイコパスの世界観が見えてきた。
続きを読む