前の記事の続き。
NHN関係でついでにもうひとつ。

- Q2. NHNに買収されたとき、現場としてどんなことを期待した?

最初に親会社の森川社長がオフィスを通りがかったとき、僕は畳ユニットを椅子にしており、「会社がまともな椅子ひとつくれないのでかっとなって自腹で購入しました」と軽口叩いたら(だいたい事実) 翌月くらいには全社にアーロンチェアが配られたのはすごいと思いました。それは今でも感謝しておりますがほんとうに現場として期待していたのは椅子が新しくなること、ではなくて、えーと…

成長させるべきエリアへ存分にリソース投入できるようになること、だったな。

…ASIMOの開発者が「歩くとは前に倒れ続けることだ」と言っていたのをよく思い出す。
体重を後ろ足に預けたまま前の足をそろそろ伸ばす歩き方ではどうやっても速度が上がらない。新サービスへの投資もそれと同じだ。

同じ一億の利益をあげるのに「毎月1000万ずつ利益をあげていけば一年で一億になります」という発想ではなく、「最初に一億投資して一年後に二億回収しましょう」みたいな発想が必要だと思うんだけど、社内では長らく「コンテンツ単位で毎月の予算を確実に達成する」という局所最大化に終始してしまっていた感がある。

例えばグループ会社のJLISTINGは自前のコンテンツマッチ広告を持っている。これを成長させていくつもりなら、ニュースやブログなど、自社サイトの枠を優先的に割り当てて足がかりにしていくべきだと思う。でも、実際にはブログの広告枠はグーグルAFCだ。成長途上の自社商品よりGoogleのアドセンスの方が売り上げが大きく確実である以上、まずはアドセンスでこまめに予算達成する、という日々が続いた。新商品を育てるのは、「まずは既存の売り上げを確保した上で」「余力の範囲で」という感覚が基本にある気がした。

あるいは例えばロケタッチ。今でこそ、このサービスに社運を賭けると宣言し(※)、開発は全社体制になったと聞くけれど、最初のスタートダッシュが必要な時期に割り当てられていた人員はディレクター、デザイナー、プログラマ、マークアップそれぞれ一人ずつ、みたいな最小構成だった。

(※) 数年前には nowaという次世代ブログサービスに「社運を賭ける」と宣言しておきながらあっさりと撤退し、何事もなかったかのような顔をしている前例があるので、この会社の「社運を賭ける」は個人的にはあまり信用してない。

会社として「余力の範囲で」「コンテンツが自力で出せる利益の範囲で」新サービスを運用していればリスクは当然ないけれど、それではASIMOのような歩幅で前に進むのは無理だ。

まあこれはある程度仕方ないところもあって、当時の親会社のLDH亡きあと、良い買収先が決まらなければさっさと切り売りされて解体されておしまいというエンディングがかなり現実的だった。だからなんとしても会社の価値を高く見せる必要があり、「単月黒字達成しました」「通期で黒字化しました」という発表をいかに早く出すかが経営上の優先事項だったと思う。

だけど事件から何年も経過して未だに「いまが正念場」「これを達成すれば」「これが片付けば」が口癖になっているのには危機感を感じていた。これは中小規模の会社が陥りがちな低空飛行の罠だ。これじゃベンチャーは名乗れない。
「その日」が実際に来ることは、たいていの場合、ない。その先延ばしにケリをつける期限が差し迫っている気がしていた。