NadegataPapaのクラシック音楽試聴記

クラシック音楽の試聴記です。オーケストラ、オペラ、室内楽、音楽史から現代音楽まで何でも聴きます。最近は主にオランダの放送局NPO Radio4にある新譜を聴いています。 カテゴリーに作曲家を年代順に並べていますが、外国の現代作曲家は五十音順にして、日本人作曲家は一番下に年代順に並べています。

「安いニッポン 「価格」が示す停滞」中藤 玲 (著)




アラ還の私には「東京は物価が高い」という思い込みがあるが、それも過去の事。東京ディズニーランドの入場料、回転ずしの値段、100円ショップなど各国を比べると、日本は物価が安いことが分かる。
物価だけでなく、賃金も同等に安く、結局それは「日本は貧しい」という事だ。

記事では日本の物価が安いことだけでなく、給与水準が低く優秀な人材が海外に流れていること、安い日本を外資が買い占めに来ていること、水産物などを日本が買う負けていることなどが、これでもか!というくらいに紹介されていて、読んでいて少々気が滅入る。

崩れる日本のお家芸「アニメ」
中国の巨大企業が日本のアニメ制作会社を傘下に持つことで、豊富な資金力を活用してクオリティーの高いアニメを自前で制作し、自社のプラットフォームで独占配信できる。中国企業が日本人アニメーターを採用できるのは、市場の拡大を背景に待遇がよいから他ならない。

「市場が拡大する中国にとって、日本のアニメーターは喉から手が出るほど欲しい。日本の年収の3倍でも軽く出せるので、今後も中国勢からの人材引き抜きは激しくなるだろう」帝国データバンク飯島大介氏

中国大手プラットフォーマーであるテンセント
カラード・ペンシル・アニメーション・ジャパンというアニメスタジオ。東京都町田市にある。中国重慶市のアニメスタジオ彩色鉛筆動漫の日本拠点であり、中国アニメの制作をサポートする。

カラード社はアニメーターを社員として雇用し、新卒給与は業界平均より高い17万5千円。通勤時はフレックス勤務で、業務が集中する時期は残業もあるが、その分ちゃんと代休をとれるなど働きやすい環境にした。住宅手当や交通費も支給。

ネットフリックスはコンテンツに多額の費用を投じており、さらに日本でアニメーターの育成支援を始めている。

日本だけが賃金が安い理由
①労働生産性が停滞している。
②多様な賃金交渉メカニズムがない。
日本企業が優秀な人材を確保できないのは待遇面での違いが大きい。日本は定期昇給や一律のベアなど、横並びが原則。上司より給料が高いなんて周囲が受け入れられない。

声を上げない日本人
転職時も入社時も、価格交渉を明示的にやり取りするという慣習が、日本だけにない。
労働者が入社後も賃上げを求めた人は日本以外(米、仏、デンマーク、中国)だと約7割以上いたが、日本はたったの3割だった。
日本を含むすべての国で、転職時に自分の希望を伝えたことで希望がかなった確率が高くなっている。
①正社員は新卒で入社すると、企業の賃金制度に乗ってほぼ横並びで待遇が決まっている。
②雇用が流動化していないため、他社に比べて自分の賃金がどうなのか分からない。
仮に声を上げても、むしろ不利益を被る可能性がある。

ジョブ型雇用
ジョブ型雇用は、職務分解や職務記述書の策定が大きな負担になる。よって好待遇で迎えたい人材群がハッキリしている大企業向けの雇用形態といえる。

「なぜ選ぶたびに後悔するのか」バリー・シュワルツ(著)

新装版 なぜ選ぶたびに後悔するのか オプション過剰時代の賢い選択術
バリー シュワルツ
武田ランダムハウスジャパン
2012-10-25





第6章 あきらめた機会
①機会コスト
②二者択一(トレードオフ)の心理
③決断を避ける
④機会コスト、二者択一、オプションの爆発的増加
⑤選択と理由
⑥選択がこれほど苦しいのはなぜか?
⑦取り消せる決断ーほんとうの解決にはならない
⑧選択、機会コスト、マキシマイザー

一般的に選択肢が増えることは良い事とされるが、実は選択肢が増えるにつれ人の満足度は下がっていく。多すぎる選択肢は「あっちを選んだ方がよかったのでは?」という後悔を生むのだ。
選択とはすなわち選択できなかったものを諦めることであり、そこには自己責任が伴う苦痛の作業である。このプレッシャーが判断力を鈍らせるのだ。

第7章「もし…していれば」後悔の問題
①オミッション・バイアス
 何かをやらなくて失敗するより、やってみて失敗する方が後悔が大きいこと。
 私達は決断の結果を評価するときこれを軽く見ようとする。
②ニアミス 
 銀メダリストより銅メダリストの方が喜びが大きい。
③結果に対する責任
 結果が上手くいかなくて後悔するのは、それに責任ある人間に限られる。
④後悔と「たられば」の世界 反事実思考
 公開を引き起こすのは客観的事実に限らない。想像力が究極の理想像を思い描き、それが達成できない後悔を増幅させる。
⑤後悔と満足
 後悔するとそうでない時に比べて、決断の後の心理状態が悪化する。
⑥後悔が引き起こす行動
 私達は決断を迫られた時、なるべく後悔しなくて済みそうなオプションを選ぶ傾向がある。
⑦後悔回避
 後悔は決断が引き起こす重要な結果であるだけでなく、後悔に対する見込みが、決断を左右する大きな原因になっている。
 後悔をさせたいという願望の影響は、行動をとらなくなるという形でも現れる。(イナクション・イナーシア:無為慣性)
⑧後悔と「埋没原価」
 埋没原価効果を引き起こしているのは、ただ損をしたくないという願望ではなく、むしろ後悔を避けたい願望だ。
⑨後悔、マキシマイズ、オプション
 後悔に影響する要因
A:結果に自分が責任を負っているかどうか
B:事実とは違う、今よりいい状態を想像しやすいかどうか
 オプションが数が多いと、この二つのどちらにも、明らかにマイナスの方向に作用する。
⑩後悔に利点はあるか?
 決断を真剣に捉えようとする
 先でよく似た事態が持ち上がった時、同じ間違いを避けられる。
 事態の修復を図る。被害を最小にしようと行動を起こす。
 周囲に対するサインとなる。「私は事態を重く見ている」

第10章 選択がうつをもたらすとき
 西側先進国20ヵ国と日本を中心に調査を行ったリチャード・エカーリースによると、若者層の自殺率に見られる各国間の格差ととくに相関が高いと案が得られる要因は、個人の自由と自己管理に対するそれぞれの文化的態度と関係している。つまり、個人の自由を自己管理に価値を置く国ほど、自殺率が高くなる傾向がある。
 うつに対する特効ワクチンとは、家族や市民団体や信仰団体といった社会的なグループや組織に深くかかわり一員となる事。
 自分自身であること、つまり自分の「自己」を特定することと、社会グループの一員であることは、もともと両立しない。社会に深く関与したいなら、自己を従属させるしかない。つまり自分に焦点を当てるほど、他人とのつながりが弱くなる。

第11章 選択にどう向き合うか
1 選ぶときに選ぶ
 過剰なオプションの引き起こす問題を管理したいなら、生活の中で向き合う選択のうち、何が本当に重要かを見極めて、そこに時間とエネルギーを集中させる。
2 選りすぐる人ではなく、選ぶ人になる。
3 満足を心がけ、最大化を控える。
 「まずまず」を受け入れる。
4 機会コストを機会コストとして考える。
5 決断は取り消し不能にする
6 「感謝の心」を実践する
 選んだ品なり経験なりのいい面にもっと感謝して、悪い面にあまりがっかりしないように意識して努める。
7 後悔しない
8 順応を見越す
 私達は、それが繰り返し起こるなら、ほとんどといっていいほど、どんな経験にでも順応する。良いことでも悪いことでも。
9 期待を管理する
 経験に対する評価は、それが期待と比べてどうだったかに大きく影響される。高い期待をかけ過ぎない。
10 他人との比較はほどほどに
11 制約を歓迎する術を学ぶ

「超」入門 失敗の本質 鈴木博毅(著)

「超」入門 失敗の本質
鈴木 博毅
ダイヤモンド社
2012-09-14

1984年に発行された名著「#失敗の本質」を読みやすく解説した本。日本軍の失敗を現代に通じる問題として扱っている。
7つの敗因は次のとおり。
①戦略性
②思考法
③イノベーション
④型の伝承
⑤組織運営
⑥リーダーシップ
⑦日本的メンタリティ

第1章 なぜ「戦略」が曖昧なのか
01 戦略の失敗は戦術で補えない
戦略とはいかに「目標達成につながる勝利」を選ぶかを考えること。日本人は戦略と戦術を混同しやすいが、戦術で勝利しても、最終的な勝利には結びつかない。
02 「指標」こそが勝敗を決める
戦略とは追いかける指標のことである。「追いかける」というより「追求すべき」と言った方が分かり易い。
例 日本軍の指標「どこかの戦場で大勝利すれば勝敗が決まる」  
  石原莞爾の指標「国家の国力、生産補給力で勝敗が決まる」
勝利につながる「指標」をいかに選ぶかが戦略である。性能面や価格で一時的に勝利しても、より有利な指標が現れれば最終的な勝利にはつながらない。
03「体験的学習」では勝った理由は分からない
「体験的学習」で一時的に勝利しても、成功要因を把握できないと、長期的には必ず敗北する。指標を理解していない勝利は継続できない。
日本のやり方は、体験的学習の積み重ねによる体得(偶然の発見)が生み出した成功を一転突破・全面展開する方法。必ずしも戦略が先になくても勝利できるが、その後勝利が劣化することを止められない。
04 同じ指標ばかり追うといずれ敗北する
体験的学習や偶然による指標発見は、いずれ新しい指標(戦略)に敗れる。勝利体験の再現をするだけでなく、更に有効な指標を見つけることが大切。競合と同じ指標を追いかけても、いずれ敗北する。

第2章 なぜ、「日本的思考」は変化に対応できないのか?
05 ゲームのルールを変えた者だけが勝つ
日本は一つのアイディアを洗練させていく錬磨の文化。しかし、閉塞感を打破するためには、ゲームのルールを変える様な、劇的な変化を起こす必要がある。
現代日本企業の弱点
・前提条件が崩れると、新しい戦略を策定できない
・新しい概念を想像し、それを活用するという学習方法のなさ
・目標のための組織ではなく、組織のための目標を作りがち
・異質性や異端を排除しようとする集団文化
06 達人も創造的破壊には敗れる
既存の枠組みを超えて「達人の努力を無効にする」革新型の組織は、「人」「技術」「技術の運用」の3つの創造的破壊により、ゲームのルールを根底から変えてしまう。
07 プロセス改善だけでは、問題を解決できなくなる
ダブル・ループ学習で疑問符をフィードバックする仕組みを持つ。「部下が努力しないからダメだ!」と叱る前に問題の全体像をリーダーや組織が正確に理解しているか、再確認が必要である。
ダブル・ループ学習とは、「想定した目標と問題自体が違っている」のではないか、という疑問・検討を含めた学習スタイルを指す。シングル・ループ学習は、目標や問題の基本構造が、自らの設定とは違っているという疑問を持たない学習スタイル。

第3章 なぜ、「イノベーション」が生まれないのか?
08 新しい戦略の前で古い指標はひっくり返る
イノベーションとは、支配的な指標を差し替えられる「新しい指標」で戦うことである。同じ指標を追いかけるだけではいつか敗北する。家電の「単純な高性能・高価格」はすでに世界市場の有効指標ではなくなった。
イノベーションを創造する3ステップ
①戦場の勝敗を支配している「既存の指標」を発見する
②敵が使いこなしている指標を「無効化」する
③支配的だった指標を凌駕する「新たな指標」で戦う
09 技術進歩だけではイノベーションは生まれない
日本人は体験的学習から過去いくつものイノベーションを成し遂げたが、計画的に設計されたイノベーションを創造するためには、既存の指標を見抜き、それを無効化する指標をダブル・ループ学習で見出す必要がある。
日本は戦後日本人特有の体験的学習を洗練させ、意図しない形でいくつものイノベーションを成し遂げたが、ゲームのルールの中でだけ戦っていたことと、既存の指標を覆す方法を知らなかったことから失速した。
10 効果を失った指標を追い続ければ必ず敗北する
イノベーションは既存の戦略を破壊するために生み出されており、効果を失った指標を追い続けることは、他社のイノベーションの餌食となる事を意味する。高性能とイノベーションは偶然重なることもあるが、本来別の存在である。
勝利に必要な指標を見抜く力があるか
効果を失った指標から離れる難しさ

第4章 なぜ「型の伝承」を優先してしまうのか?
11 成功の法則を「虎の巻」にしてしまう
日本軍と米軍の強みの違いが、大東亜戦争の推移と勝敗を決定した。「型の伝承」のみを行う日本の組織が「勝利の本質」を伝承できていない事で、強みを劣化・矮小化させて次世代に伝えている。
戦闘の中で発生している指標を見抜く能力が高いほど、戦略を純化させる速度も速く、しかも意図的に戦略構築することができる。
日本人と日本組織には過去発見されたイノベーションを戦略思想化し、「虎の巻」としたい欲求がある。
12 成功体験が勝利を妨げる。
インテルがDRAMの戦略選択に苦しんだ理由
①DRAMはインテルの技術的な推進力であったから
②DRAMは最新鋭の工場が製造し、インテル社内の最強チームが担当していたから
③インテルの経営陣がDRAMを自社のアイデンティティと信じていたから
体験的学習の効用をすべて否定するものではなく、両者は併存しなければならない。特定の業務、技術的スキルに関しては「型の伝承」も必要。しかし「型の伝承」と「勝利の本質」は明確に区分されて、共に伝えられなければならない。でなければ、今ある姿を維持することが組織全体の正義となってしまう。
13 イノベーションの芽は「組織」が奪う。
戦時中、レーダーの開発は日本が先行していたが、海軍組織が新技術を軽視したため、強力に推進した米軍に敗れた。
組織が「勝利の本質」ではなく「型の伝承」をしている場合、型の伝承をしている多数派は、イノベーションを発見した少数派を排除しようとする。自分たちが信じてきたことを覆す存在の出現に移るから

第5章 なぜ、「現場」を上手に活用できないのか?
14 司令部が「現場の能力」を活かせない
知らない現場も分かっていると思い込む傲慢さ
①上層部が「自分たちの理解していない現場」を蔑視している
②上層部が「現場の優秀な人間の意見」を参照しない
15 現場を活性化する仕組みがない
米軍は作戦立案をする中央の作戦部員が、現場感覚と最前線の緊張感を常に失うことなく侵攻に邁進できた。情報を確実に中央にフィードバックし、目標達成の制度と速度をさらに高めていく仕組みを作ることが重要。
16 不適切な人事は組織の敗北につながる
「お飾り人事」を徹底排除し、課題と配置人材の最適化を図る。能力のない人物を社内の要職に放置すれば、競合企業を有利にさせる以外の効能はない。
勝てない提督や卑怯な司令官をすぐさま更迭した米軍
評価制度の指標変更は、組織運営最大のイノベーション
人事は組織の限界と飛躍を決める要素である。
人事評と配置は「組織が発する重大メッセージ」

第7章 なぜ「真のリーダーシップ」が存在しないのか?
17 自分の目と耳で確認しないと脚色された情報しか入らない
組織の階層を伝ってトップに届く情報は、フィルタリングされ担当者の恣意的な脚色、都合のいい部分などが強調されていることが多い。問題意識の強さから、優れたアンテナを持つトップは、激戦地(利益の最前線)を常に自らの目と耳で確認すべき。
18 リーダーこそが組織の限界を作る
愚かなリーダーは、「自分ができる限界」を、組織の限界にしてしまう。卓越したリーダーは、組織が持っている可能性を無限に引き出し活用する。
リーダーとは「新たな指標」を見抜ける人物。
戦略を理解しないリーダーは変化できない。
19 間違った「勝利の条件」を組織に強要する
優れたリーダーは「正しい勝利の条件」としての因果関係に、繊細かつ最大の注意を払う。
20 居心地の良さが、問題解決能力を破壊する
「居心地の良さ」とは正反対の、成果を獲得するための緊張感、使命感、危機感を維持できる「不均衡を生み出す」組織が生き残る。指揮を執る人間には「見たくない問題を解決する覚悟の強さ」が要求される。
居心地のよい組織は平時には安定していて安心できる。が、一旦戦場となれば敵軍の意思は最後の段階まで実力を持って抗争することになる。

第7章 なせ「集団の空気」に支配されるのか?
21 場の「空気」が白を黒に変える
「空気」とは体験的学習による連想イメージを使い、合理的な論議を行わせずに、問題の全体像を一つの正論から染め上げてしまう効果を持つ。議論の「影響比率」を明確にし、意図的な「空気の醸成」が導く誤認を打ち破る知恵を身に付けるべき。
22 都合の悪い情報を無視しても問題自体は消えない
①多くの犠牲を払ったプロジェクトほど撤退が難しい
②「未解決の心理的苦しさ」から安易に逃げている
③「こうあってほしい」という幻想を共有する恐ろしさ
情報や正しい警告を受け入れなくとも、問題自体は消えることはない。グループ・シンクやサンクコストの心理的罠にどれだけ早く気づき、方向転換できるかが組織の命運を決める。
23 リスクを隠すと悲劇は増大する
リスクは「目を背けるもの」でも「隠す」ものでもなく、周知させることで具体的に管理されるべきもの。ビジネスでは、リスクを「かわす」のではなく、徹底して管理しなければ、存続していくこと自体が難しくなる。

マーラー 室内楽版交響曲

Mahler: Symphony No. 4 in G Major (Erwin Stein Arrangement)
Skarbo
2013-08-01



マーラーの交響曲はBGM的に流すには編成が大きすぎるな~と思っていたら、室内楽版が何曲かあることを思い出した。編曲になるのでなんとなく邪道な気がして聴いてなかったけど、改めて聴いてみると結構面白い。取りあえずエルヴィン・シュタインの第4番編曲版を。

Symphony No. 4
Debussy
Msr Classics
2011-11-08

ケン・セルデン指揮マーティンゲール・アンサンブルは速めのテンポできびきびした演奏が気持ちいい。 マーラーの室内楽版は各楽器の表情がリアルに分かる所が面白いけど、ピアノが入っているのにはちょっと違和感がある。室内版は何曲かあるが、4番が一番しっくりくる。


ペーター・マンニング指揮ロイヤルコンセルトヘボウ・スコットランドの演奏。アレンジはサイモンで、シュタインの編曲と違っているのが新鮮。テンポは速めだが、所々で揺らして個性を出している。楽器の音色が新鮮なのがいい。ジャミソンの歌声もスケールが大きい。

Mahler 9
Camerata Rco
Imports
2014-10-01


マーラーの室内楽版は4番と大地の歌が有名だけど、9番もあった。クラウス・ジモン編曲版。グスターボ・ヒメノ指揮カメラータRCOの演奏。さすがに上手いです。大編成版と違って大きな広がりはないが、個々の楽器の音や細かい表情がリアルに聴こえて違った趣がある。



同じくジモン編曲の演奏がYouTubeにもある。Pierre-Alain Monotの指揮でNouvel Ensembleの演奏。映像があると少人数でやってるのがよく分かって面白い。演奏はカメラータRCOの方がこなれてて表現の細やかさが感じられるのは、やっぱりセッション録音の強みだろう。

Symphony 10
Mahler / Lapland Chamber Orchestra
Bis
2019-04-05


マーラーの室内楽版。なんと10番もある。補筆したのは指揮者のミケーレ・カステレッティ。演奏はラップランド室内管。編成が13人なので、そんなに室内楽って感じはしない。派手なグリッサンドが出てきたりして工夫の跡が見える。大編成版との違いはあまりない気がする。

マーラー:交響曲第10番
ベルリン交響楽団
キングレコード
2014-10-08


マーラーの10番って聴いた回数が少ないので、他の曲と違って親しみがないというか、馴染んでない部分が多い。レコードも昔は有名指揮者のものがなく、レヴァイン、ザンデルリンク、ラトルくらいしかなかった。なので室内楽版を聴いても、違いがよく分からないのだ。

マーラー:交響曲第9番
マゼール(ロリン)
ソニー・ミュージックジャパンインターナショナル
2005-04-20


私はザンデルリンク盤のCDをよく聴いていたけど、演奏が武骨で色気がないというか、聴いている者を楽しませようという気がなさそうな所についていけなかった。ザンデルリンクらしい?アダージョだけは有名指揮者の物がたくさんあり、マゼール&WPhをよく聴いた。アダージョだけでいい気がしていた。

Mahler: Symphony No.5
Natalia Ensemble
Cobra Records
2017-01-06


まだあるマーラーの室内楽版。今度は第5番。ナタリア・アンサンブルの演奏。有名なアダージョからは、幻想的で広々とした霧は消え、ハッキリした視界が見えてくる。夢見る様な甘さはないが、楽器のニュアンスがハッキリと聴き取れ、イメージが一新されている。

G.Mahler : Symphony No. 1 Blumine
Swedish Society
2011-01-01


エルヴィン・シュタインは4番の他に1番も室内楽にしていた。パウル・マギ&ウプサラ室内管弦楽団。珍しいCDだけど、ライブ録音で音像が遠く、室内楽の面白さが実感でない。細かい楽器の動きが聴こえず、固まりになってしまったら大編成と変わらなく聴こえてしまう。




YouTubeにあるヘルナンデス=ヴァレス/ワシントン新オーケストラの演奏(ジモン編曲)の方が室内楽っぽさがよく出てて面白い。3,4楽章しかないけど。3楽章の不気味さが一層際立つ演奏で、要所でテンポを変えて奇怪さを演出している。映像ではアコーディオンがあるのが分かる

「野蛮な進化心理学」ダグラス・ケンリック(著)




第2章 グラビアアイドルと心の仕組み
 コントラスト効果ー「プレイボーイ」の何が問題なのか?
「コントラスト効果」とは、前後に対比させるものによって、印象が大きく変わるという心理現象のこと。たくさんの美人を見ると、美しさに対する順応水準は変わってくると一般的には言える。グラビアが普通だと思うように脳内補正がかかると、本物の女性の事があまり魅力的に思えなくなってしまう。

実験の結果、交際相手への献身の度合いはグラビアを見たか見ないかで変わってくることが分かった。グラビアを見た男性は、自分たちがパートナーとそれほど深く恋に落ちていないと採点したが、女性の判断は、そんなに簡単には揺るがなかった。しかし、女性は社会的にに優位な男性をたくさん見ると、ちょうど美人を見た男性の様に献身度を低下させたのだ。

大きな成功を収めた同性や、極めて魅力的な外見の同性を見ても、自分がどれくらい社会的に優位か、あるいはどれくらい魅力的だと思うかという自己評価が変わることはなかった。だが、他人からどう評価されるだろうかという推定には変化が見られた。社会的に優位な同性ばかり見せられた男性は、自分が結婚相手としてあまり望ましくないように感じ、魅力的な外見の同性ばかり見せられた女性は、自分が結婚できる見通しを引き下げたのだ。

第3章 殺人妄想
 男はなぜ酒場で殴り合いをするのか? 
男性が暴力を見せつける相手は実は女性ではなく、他の男性達だからだ。こうした行為は男性の序列内における自分の地位を確保するためのものであり、直接的に愛を獲得するためのものではない。

第4章 偏見はなぜ生まれるのか?
 外国人はみな同じ顔 外集団均質化
私たちの大多数の集団のメンバーの識別より、自分が所属する集団のメンバーの識別にずっと長けている。
 機能的投影
自分自身の適応目的に最も適した方法で他人に感情を投影する傾向。例えば自分が「恐れ」を感じているなら、他の人が「怒り」を感じていると考える。
 病気と異邦人

第5章 心はぬりえ帳
 大学生チアリーダーを狙う中年紳士
高齢の女性が私にこんな質問をした。「自分と同世代の男たちは、どうしてみんな「若いネーチャン」の尻を追いかけるんでしょうかね?
女性は子供に身体的な資源を注ぎ込むため、男性は生殖能力と健康に結びつく特徴を求める。
一方、男性は子供に間接的に資源を与えるので、女性はそれらの資源獲得能力に結び付く特徴を求める。そして、男性の資源獲得能力と女性の生殖能力は年齢と関係はしているが、年齢そのものが原動力なのではない。

第6章 ひとつの身体、いくつもの心
人間の脳の中にはしっかりと統一された単一の自己が存在していると考えることさえ間違いなのかもしれない。むしろ人の頭の中には穏やかに結びついた複数の下位自己(サブ・セルフ)があって、そのそれぞれが、神経のハードウェアとソフトウェアの独自の組み合わせによってコントロールされている、と想像した方が理に適っているようだ。

7つの下位自己
チームプレーヤー:提携に関連する問題や好機に対処する。
野心家:地位に関する問題や好機に対処する。
夜警:自己防衛に結び付く問題や好機に対処する。
強迫神経症患者:病気の予防を担当する。
独身貴族:配偶者の獲得に携わる。
よき配偶者:配偶者との関係の維持を担当する。
親:親族の世話に結び付く問題や好機に対処する。

異性愛の男性は思春期を除き、生涯を通じて自分よりも若い女性に興味を抱くこと、そして、その欲望の手掛かりが生殖能力にあることをを発見していた。
また、女性が年上の男性を求めるのは、男性においては年齢が、地位や富をはじめとする優位性を暗示するからだとも述べた。

第9章 クジャクとポルシェとパブロ・ピカソ
 クジャクの羽と性淘汰
進化の力が、生存と繁殖を促進する様な特質に有利に働くのなら、死亡率を上げる派手な羽の様な特質は何故進化したのか。
進化で重要なのは生存ではなく繁殖だ。ある動物が奔放な生活を送り、交配相手を引き付けて子孫を残したなら、その後すぐに若死にしたとしても、進化的見地からは成功だったと言えるのだ。
性淘汰に見られる特色は二つに分けられる。一つはクジャクの飾り羽のようなもので、異性を引き付けることでその動物の適応度を高める。もう一つは鹿の枝角の様なもので、同性との競争の際に役立つことで間接的に適応度を高める。
 人間の場合
女性が男性を評価する場合。男性が従順ではなく、優位にあるようにふるまったとき、彼女たちはその男性を性的に魅力があり好ましいと評価した。
男性が女性を評価する場合。優位か従順かという事と女性の威力とは無関係だった。
地位が高く見える服装は男性の魅力を押し上げる。いいスーツを着てロレックスを腕に巻いた男の方が、ハンサムなバーガーキングの従業員より女性に好まれる。
男性が女性を評価するときは、着飾っていようがラフな格好だろうが、とにかく顔立ちの美しい女性が好まれることが分かっている。
 初デート、無駄遣い、ボランティア
ロマンチックな動機は男性に顕示的な買い物に走らせるが、女性は支出を増やさない。女性はロマンチックな動機によって他人を助けたいという気持ちを助長させる。
ロマンチックな動機が男性を利他的な行動に導くのは、ヒーローの様に見られるときに限られる。ボートから落ちた人を助けようと冷たい水に飛び込んだり、見知らぬ人に襲い掛かっているふりずりーに立ち向かったりするのだ。

「善と悪のパラドックス」リチャード・ランガム(著)


ホモ・サピエンスを特徴づける性質は何か?それは、他の動物に比べて反応的攻撃性(カッとなって怒る)が低く、能動的攻撃性(冷静に攻撃する)が高いことだ。これを著者は「家畜化された種」と呼んだ。
「家畜」という言葉が否定的に聞こえるが、この言葉は昔から使われており、寛容性が高い性質を「家畜化」と呼び、家畜化されている民族ほど優秀と考えられていた。家畜化されてない民族は未開人で野蛮人という事だ。

動物の家畜化はどうやって起こるのか?これを証明したのがドミトリー・ベリャーエフだ。モスクワ中央研究所の毛皮動物部門の科学者だった彼は、従順なギンギツネのみを交配させることで、攻撃性やおびえた反応を示さない個体が出てきた。つまり従順な性質の個体が選別されて交配すれば、従順な性質をもつ種が出来上がるというわけだ。

研究所のギンギツネは人間の手によって選択が行われ、従順な形質を獲得したが、では人間はどうやって従順(家畜化)になっていったのか?神の様な誰かが選別したなんてことはあり得ず、自分で家畜化したのだ(自己家畜化)。

家畜化症候群は、攻撃性の低下が30万年前までに更新世のアフリカで生じ、ホモ・サピエンスを定義する特徴になったことを示している。頭蓋骨が時とともに女性化して、やがて神経堤細胞遺伝子が選択を受けた。

なぜこうした変化が起きたのか?
1 処刑仮説
  ダーウィンが最初に唱えた。犯罪者は悪い資質を広めないように処刑されるか長期間投獄される。暴力的で怒りやすい男たちは残酷な末路を迎える。
 攻撃的な行為を促す遺伝子は常に淘汰の対象になったはずだ。こうして何世代もかけて攻撃性が弱い鋭角な道徳的行動が広まった。
2 辺境な利他主義仮説
3 評判仮説

処刑
横暴な暴君にどう対処するか。他の者にどう思われようと気にしない男を意図的に殺すことで、初めて男たちの連携が影響力を持った。処刑は、そのような男が暴君になるのを防ぐ唯一の方法処刑だった。

攻撃的な男を殺すことで示される社会的支配力は、人間の進化において広範で重要な意味を持ってきた。ホモ・サピエンスの自己家畜化に関する中心的な問題は、反応的攻撃性が特に高い個人が殺される傾向にあったかどうかだ。平等主義的な社会を見ると、独裁者になろうとする者の処刑が体系的に行われてきたという特徴がある。

現代でも、結婚している狩猟民の男性は普通他人の自主性を尊重するが、ときおり他者を支配しようとする者がいて、彼らはチンパンジーのボスと同じく、反抗する者を激しく攻撃することで自分の高い地位を守ろうとする。

刑務所や警察がない世界では、目に余る反応的攻撃は処刑で止めるしかない。つまり、移動生活を送る狩猟採取民に見られる平等主義はすべて、極端に攻撃的な個人が殺されることを内包している。支配的な行為がないことが取り柄の平等主義が、人間がなしうる最も支配的な行為によって維持されているというは、皮肉で不穏な結論だ。

処刑と家畜化症候群
処刑仮説は長期的な遺伝の結果について説明する。有史以前の何千世代もの間、反応的攻撃性の強い人々が多く処刑され、彼らの殺害や抑圧が頻繁に起きたせいで、私たちの種は穏やかで攻撃性が少なく進化した。

特定の個人を計画的に殺すには、言語が必要になるだろう。逸脱者に対する批判やあざけりは、共謀の力の源である噂話がなくては始まらない。そのために言語能力は不可欠で、高度な技術も必要だ。

武器を作る能力より共謀する能力の方が、旧来のボスタイプと新しい下位層の団結の間のパワーバランスを変えたに違いない。

第10章 家畜化がもたらしたもの
反応的攻撃性を抑える選択がそう遠くない過去にあったという仮説からは、人の示す行動の家畜化症候群の多くがペドモルフォーシス(幼若化による幼形形態形成)であることが予測できる。

第11章 善と悪の進化
人間の道徳感覚の独自性。子供は教えられなくても、簡単な善悪を理解する。最後通牒ゲームでは誰もが自己利益の最大化に反した行動をとり、合理的な「経済人(ホモ・エコノミクス)」よりも大きなものを差し出す。

なぜ自己犠牲が発達したのか
1 集団選択 所属集団に十分大きな利益がもたらされるなら、進化上、個人の自己犠牲が選好される。しかし、自己犠牲の根底にある道徳的感情の進化については、別の説明が必要。
2 我々はどのようにして、ある行動は正しく、別の行動は間違っていると分類するのか?
 人は状況次第で別個の原則に従う。世間一般の道徳原則なら何でも従うわけではない。
 「不作為バイアス」「副作用バイアス」「非接触バイアス」がある。
3 人間にだけ善悪の決定的な違いを判断する社会規範がある。

男たちが支配する社会、家父長制の誕生。
 処刑による暴君の追放が可能になった時、男たちの家父長制が成立した。
善悪を心得る者が生き延びる。
 集団の構成員が反社会行動をとれば、誰であれ非難された。故に、自発的な寛容さや友好的な態度で身を守るものが有利になり、向社会行動の見返りは大きかったのだ。
 道徳的な決定に至る方法。先の3つのバイアスは、道徳の判断を誤った時に被る代償が非常に大きいく、その失敗を回避するために発達した。理想の道徳的行為とは、横暴な仲間による非難から個人を守る行為だ。 
 なぜ人間は善悪に敏感で、正しいことをしようとするだけでなく、多大に行動を見張り間違ったことをした人物を罰するのか?個々人が非協力者と見なされないよう、身を守らなければならないからだ。

第11章 圧倒的な力
 能動的攻撃性は人を温厚で寛大な種にしながら、邪悪さももたらした。
「連合による能動的攻撃性」連合は複数の個人が組織的な暴力行為のために実行集団に加わることを意味する。能動的は「自然発生ではなく、興奮状態にも関係ない、計画的または意識的な」行動で目的の達成を目指す。

 計画的な攻撃が意味を成すのは、勝機が十分ある場合だけ。故に、連合による能動的攻撃は、攻撃者が勝てると分かっているからこそ能動的になる。

 人間の能動的攻撃性が高度に発達したおかげで、専制政治の形式が生まれた。「服従」と「主権」はその重要な例である。

 主権は、処罰を受けずに人を殺し、罰を与え、規律を守らせる能力。
 主権者の力は、生死を決する能力と意思、公然の敵や好ましくない者に過度な暴力を加える能力を前提としている。

第12章 戦争
 人と社会を真に独特な存在にしているの「連合による能動的攻撃性」であろう。人類の祖先の間では、社会集団のメンバーに向けた「連合による能動的攻撃性」が自己家畜化と道徳の進化を可能にした。

 なぜ殺すのか?生物学的に意味を成す答えは、殺しを楽しんでいるからだ。進化は他者を殺すことを快楽にした。殺しが好きな者は適応の恩恵を受ける傾向がある。

 戦士も相手も互いにとって危険な存在になりやすい。全ての集団が自力で安全を確保している場合には、隣人を弱くすれば見返りがあるからだ。 

 見返りを意識する必要はなく、殺しを楽しめばそれでいい。生殖行為と同じだ。動物に交尾の結果子供が生まれるという知識はないのに生殖行為を行うのは、それが楽しいからだ。進化がセックスを快楽にしたのは、それを好む方が子供をもうけやすいからである。

 人類が見知らぬ敵を殺して楽しむように進化したという考えは不愉快で有害だ。我々はすでに世界規模でつながり社会的にまとまっているから、人類の未来ではその考えが不要になることを期待したい。

 自信過剰の恩恵。なぜ我々は楽観的な思い込みをするのだろうか?答えは反応的攻撃性の心理にあるかもしれない。ほぼ互角の相手を対戦する決断をした両軍の指揮官は、どもに自軍内での激しい抵抗を予想する。こうした状況では、「集中」と「はったり」によって、自信があればあるほど勝つ可能性が高い。

 自信過剰は信じない者から見れば合理性に欠けるが、兵士を恐れ知らずにでき、敵を怖がらせることができる。

第13章 パラドックス解消
 ルソー派に言わせれば、人類は社会のせいで堕落した生まれつき平和な種である。ホッブズ派に言わせると、社会のおかげで文明化した生まれつき乱暴な種だ。我々は反応的攻撃性が弱く、能動的攻撃性が強い。両派は部分的に正しい。
はじめに
私たちの社会的寛容は「反応的攻撃性(reactive aggression)」が比較的低いことに起因する。 
命にかかわるような暴力は「能動的攻撃性(proactive aggression)」によってもたらされる。私たちの種は、低い反応的攻撃性と高い能動的攻撃性という異なる性質を持っている。 

ヒトは「家畜化された種」と呼んで差し支えない特徴を十分に備えている。その答えはボノボにある。ボノボは「自己家畜化」したに違いない。
なぜ「反応的攻撃性」が低く、比較的寛大で従順な種に自然淘汰が味方したのか?
その手掛かりは攻撃的な個体に他者を支配させない方法にある。ボノボの攻撃的なオスは主にメス同士が協力して行動を起こすことによって抑圧される。

人間の小規模社会では女性はボノボの様に男性を制御しない。その代わりに人間には、攻撃的な男を止める究極の解決方法がある。成人男性が行う処刑だ。処刑の淘汰圧によって自己家畜化が人間の反応的攻撃性を弱めてきた。

何故進化した私たちの道徳的感受性が、批判されることへの恐怖に繋がりやすいのか?批判に対する感受性が進化上成功したから。自己家畜化をもたらしたのと同じ新しい社会的特徴、すなわり、思いのままに人を処刑する協力関係が出現したせいである。道徳意識が発達したおかげで、我々の祖先は非協調の罪で処刑されずに済んだ。

第1章 人間進化における善と悪

私は便秘症



私は便秘症だ。と言っても、世の中には「1週間便通がない」といった剛の者もいるようなので、私の便秘など大したことはないのかもしれない。しかしこの便秘も若い頃からで、大学に行って一人暮らしを始めた頃から始まったような気がする。家で親と住んでいたときはそんなことを考えたことはなかったので、食生活の変化が原因だつたのだろう。
 
大学生の時、とにかく便秘が酷くて、 トイレに行くのが憂鬱だった。あまりに出ないことに苛立って、
目一杯力んだら切れてしまった!。

この時ばかりは、しまったと思った。しかし後の祭り。真赤な血が流れ、生まれて初めてのことにビビッて病院に行った。
 
そこで医者に「どうしたら便秘が治るんですか!?」と尋ねると、バナナを食べろと言われた。その日から私は毎朝バナナを食べている。ついでにリンゴも食べるようになった。朝はパンとリンゴとバナナ。便秘の恐ろしさにすっかリビビッてしまった私は、どんなことがあってもバナナだけは絶やさないようにしていた。

 
あれから40年、いまだに便秘は治らない。この40年の間にいろんなものを試した。ヨーグルト、青汁、プルーン、ケツメイシ(お茶)、お腹の体操、ウォーキング、コンニャクetc・・・どれも最初は効くが、そのうち効果が薄れてきて、最後には元に戻ってしまうのだ。


↑最終兵器は納豆だ。私は納豆が嫌いだった。あの匂いが嫌だ。家族はみんな納豆が好きで、子供達なんか父親に食べられないものがあると知ってこれ見よがし気に

「父ちやん、納豆は健康にいいんだよ。食べたほうがいいよ」

と言い出す始末だ。ええい、シャラクサイ!大人だって嫌いなものはあるんだ!俺は納豆なんて死んでも食べんぞ!と思っていたが、便秘を治すためなら仕方ない、50年の宗旨を変更して食べ始めた。
 
これも、最初は効いた。これで便秘とはサヨナラかと思った。しかし、やっぱりそのうち効かなくなるんだな。いつもと変わらない状態に戻ってしまった。 トホホ・・・

よくテレビの健康番組で、「これで便秘解消!」ってな番組をやっているが、そこで紹介されている方法は、ほとんどすべてもう試したものばかりだ。「ちぇ、そんなものはもうやっちまってるんだよ」とテレビに毒づいている私がいる。


↑さすがにまだ緩下剤のお世話になってはいないが、そのうち年取ってきたら、使わざるを得なくなってくるんだろうな~。年取った親は使ってるもん。それまでは、新たな方法を求めていろんなものを使い続けるのだ。

サン=サーンス「チェロ協奏曲」「チェロ・ソナタ第2、3蕃」Vc:エマルエル・ベルトラン

Saint-Saens: Cello Concerto No.1 - Sonatas Nos. 2 & 3
Emmanuelle Bertrand
harmonia mundi
2017-01-20


エマヌエル・ベルトランによるサン=サーンス・アルバム。ベルトランは、1973年、フランスのロワール県フィルミニー生まれのチェリスト。ジーン・ディプレイスやフィリップ・ムーラーに学び、早くから現代作曲家のアンリ・デユティユーの援助を受けていた。
 
ニコラス・バクリから「チェロのための4つの組曲」を捧げられ、2000年にはルチアーノ・ベリオの「ピエール・ブーレーズのためのシャンソン」を初演した。
 
ソリストとしてや、今回も協演しているピアニストのピエール・アモイヤルとのレコーディングではヨーロッパで高い評価を得ていて、ディアパゾン・ドール、カンヌ・クラシカル賞、モンデ・デ・ラ音楽賞を受賞し、2002年には「芸術文化勲章の騎士」としてクラシック音楽の勝者となっている。また、アモイヤルとは、ディレクターのジーン・ピアットと共に、2005年に「ブロック15」という劇場コンサートを創設した。
 
「チェロ協奏曲」
いいバランスの録音だが、協奏曲の伴奏で主役はチェロということで、オーケストラは抑えているのだろうけど、渾身の力をこめたトゥッティがないので、少々弱く聴こえてしまう。

ベルトランのチェロは、第2楽章のような楽章では、優雅な気品に満ちた歌を聴かせるが、もうちょっと情念のようなものを熱く奏でてもいいのではないかと思ってしまった。ふくよかな音色は暖かみがあっていい感じだ。

第3楽章で音楽が次第に緊迫感を増して行く所なんかは、スリリングな盛り上がりがあってよかった。
全体的に豊かで包み込んでくれるようなスケニル感を大切にした録音・演奏で、それなりに良さはあるが、激しくガツン!と衝撃を与えてくれるような所はない。最後も盛り上がるが、少々予定調和的な終わり方だった。
 
「チェロ・ソナタ第2番」
第1楽章は、所々リリカルでチャーミングなフレーズが出てきて、ロマンチックな雰囲気に浸れるが、全体的にはイマイチ訴求力に乏しい曲のような気がする。ちょっと冗長。私の趣味に合わないだけだろうけど、演奏にも打ち付ける力や、情熱を感じない。これはエネルギーが感じられない録音によるところもあるだろう。
 
第2楽章は、第1楽章に比べるとフレーズに分かりやすい特徴があって音楽がとっつきやすい。結構変わつていて面白い音楽だった。
 
第3楽章は、サン=サーンスらしい抒情的で美しいメロディを堪能できる。ちょつとイージーリスニング(死語?)っぽい所があるが、それでも魅力的なことには変わりない。聴いていてウットリする様な美しい世界だ。
 
第4楽章は結構盛り上がって終わったが、少々型通りの展開という気もした。
 
「チェロ・ソナタ第3番」
この曲は雰囲気が明るく前向きな勢いを感じる。魅力的なフレーズが多いことも親しみやすさを増している。録音も楽器の質感が良く出ていて、ヴォリュームを上げて聴くとこれに豪快さが加わって尚いい。っていうか、ヴォリユームが小さいとこの録音の魅力が発揮されない。ピアノのキラキラした音色が素敵だ。
 
第2楽章は瑞々しいフレーズが美しい曲だが、あまり盛り上がるところがなく終わってしまった。
 
カミーユ・サン=サーンス
①「チェロ協奏曲」
②「チェロ・ソナタ第2番」
③「チェロ・ソナタ第3番」
チェロ:エマヌエル・ベルトラン
ジェームズ・ガフィガン指揮①
ルツェルン交響楽団①
ピアノ:パスカル・アモイヤル②③

「ファン・ド・シエクル」Va:ローレンス・パワー、P:クロフォード=フィリップス

Various: Fin De Siecle
Lawrence Power
Hyperion UK
2016-09-30


世界的なヴィオラ奏者、ローレンス・パワーのフランス近代曲集。ローレンス・パワーは、1977年、イギリス生まれ。ヴァイオリン奏者からヴィオラ奏者に転向するタイプが多い中にあって、パワーは8歳の時、最初からヴィオラ奏者としてスタートしている。
 
ギルドホール音楽演劇学校に学んだのち、ジュリアード音楽院でも研鑽を積み、1999年にプリムローズ国際ヴィオラ・コンクールで優勝した。
 
以後ソリストとして国際的に活躍する傍ら、室内楽にも精力を注ぎ、ナジシュ・アンサンブル、レオポルド弦楽三重奏団のヴィオラ奏者として活動しており、各地の音楽祭への参加し、国際的な音楽賞を受賞している。
 
アンリ・ビュッセル(1872~1973):アパッシオナートOp.34(世界初録音)
ベートーヴェンの月光、最終楽章を思わせるピアノのフレーズで始まる。ロマン派の演奏会用小品って感じの曲で、 ドラマチックな所が聴く者を魅了する。ヴィオラはヴァイオリンと違って切り裂くような高音域がない代わりに、低音域が充実し、中音域も音が太い。これで渋いが力強く、しかも闊達な運動性が魅力になっている。
 
ジョルジュ・ユー(1858~1948):主題と変奏(世界初録音)
知らない作曲家が続く。印象派を呼び出しそうな感触はあるが、やっぱり曲的にはロマン派に属している感じ。悲劇的でテンションが高いが、少々捉え所がない。静かなところでは抒情的なメロディもあった。
 
レイナルド・アーン(1875-1947):独自とフォルラーヌ
アーンは、ベネズエラ生まれの作曲家で、フランスで活躍した。前半は瞑想的な楽想が迷路に迷い込んだような趣があるが、第2部からは少し陽気で躍動的な音楽になる。ユーモラスな中に哀愁が漂っていた。
 
ドビュッシー:美しき夕暮れ  
冒頭のメロディの滑らかな歌い口がとても美しい。アーンのラストの激しい演奏からはとても想像できない音色で、パワーが多くの音色パレットを持っていることが分かる。

ショーソン:月光Op.39
抒情的なメロディが聴かれるもの悲しい曲。ロマンチックな中にも洒落た香りがした。
 
レオン・オノーレ:演奏会用小品(世界初録音)
作曲家の情報が全く分からない。序奏のフレーズは少し陽気で、何となく西部劇の劇伴に出てきそうな音楽に聴こえた。主部に入ってからも同様で、最高音まで使わせる技巧的な曲だった。
 
ヴィエルヌ:2つの小品  
洒落た感じの抒情的な曲。
 
リュシアン・デュロゾワール(1878-1955):ヴィトライユ
この人も初めて聞く名前だ。第2次大戦前はヨーロッパで有名なヴァイオリニストだったがドイツで活躍していたことが災いし、演奏家としての活動が制限され、人知れず作曲家として作品を残していたとか。忘れられた作曲家として、この人の作品を集めたCDも出ている。
 
面白い響きがする和音が使ってあり、近代音楽の特徴を備えている。それでいてメロディは分かりやすく、透明感のある曲想はとても美しかった。
 
エネスコ:演奏会用小品
この曲がこのCDの中で一番勢いがあって聴き映えがした。構成がしつかりしているし、フレーズも一般大衆の心にピッタリ来るのではないだろうか。スケールが大きく、気持ちよく盛り上がった。 
 
ラヴェル:カディッシュ(2つのヘブライの旋律より第1番)
こうやって小品を並べて聴いてみると、ラヴェルの革新性がはっきりと感じられる。独特の語法が生み出す世界は、誰にも似ていなくて、唯一無二のものだ。

それにしてもこのCDジャケットは、なんだが時代がかってるな~

● ビュッセル:アパッシオナート Op.34(世界初録音)
● ジョルジュ・ユー:主題と変奏(世界初録音)
● アーン:独白とフォルラーヌ
● ドビュッシー:美しき夕暮れ
● ショーソン:小品 Op.39
● レオン・オノーレ:演奏会用小品(世界初録音)
● ヴィエルヌ:2つの小品
● リュシアン・デュロゾワール:ヴィトライユ
● エネスコ:演奏会用小品
● ラヴェル:カディッシュ(2つのヘブライの旋律より第1番)
 ローレンス・パワー(ヴィオラ)
 サイモン・クロフォード=フィリップス(ピアノ)
 録音:2015年10月21-23日イギリス、ワイアストン・コンサート・ホール

見た目は忍者か!? 五本指靴下

私は、もうかれこれ20年位前から、五本指靴下を愛用している。今でこそ結構メジャーになって、履いている人を見かけることも珍しくなくなった五本指靴下だが、20年前は全く見かけなかった。それどころか五本指靴下を履いている姿を見つけられると好奇の目で見られ、

「それ、面白いですね(ウププッ)。気持ちいいんですか(ウププププ)」

と言われたものだった。
 
そんな時私はいつも

「こんな気持ちいいもんないですよ。足の指同士がくっつかないので気分爽快。もう普通の靴下なんて履けません!」

と口から泡を飛ばして説明したものだが、聞いた人は「ややこしい奴にややこしい事を聞いちまったぜ」といった顔をして去っていった。
 
確かに見てくれは変だ。自分でも変だと思う。ふと自分の足元に目が行き、足の指が分かれている姿が目に入ると「忍者のようだ・・・」と思ってしまう。これは今でもそう。根本的に足の指が分かれている姿は、エレガントじゃないのだ。
 
しかし現在では、そこまで変な顔はされなくなった。履いている人もちらほら見かける。きっと家でだけ履いている、隠れ五本指靴下マニアはもっと多いことだろう。
 
千代治のくつ下 足首ゆったり5本指 冷えとり シルクソックス 3足セット シルク100%(ゴム無) Mサイズ
千代治のくつ下


↑気持ち良さならやっぱり千代治だ。
私はもっぱら絹製の物を愛用している。絹製は汗を吸ってくれるのでさらっとして気持ちいいのだが、耐性に難点がある。すぐに穴が開いてしまうのだ。それに結構なお値段だ。私は寝る時だけ全絹製を履き、出かける時は絹と綿が合わさったものを履いている。綿が入っているとかなり長持ちする。
 
また私は冷え性なので、冬は靴下を2枚重ねて履いている。内側は五本指の絹&綿製で、外側は普通の靴下。これだと見てくれは普通と変わりないので、人目を気にせず済む。

しかし結構厚くなるので、靴が入らなくなるのだ。その上カイロまで入れたら尚更だ。そのため靴も少し大きめの物を買い、靴下を2枚重ねない夏は中敷を敷いて調整している。結構大変なのだ。
 
↓会社に行くときはこれです。
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