Happy Job Hunting 

海外のスピリチュアルコミュニティでしばらく暮らした後、帰国。50代でコネなしキャリアなしの職探しをする羽目になりました。その過程も学びの一つとして楽しもうと決めました。 living in the spiritual community, I came back to Japan and started job hunting without any significant career and connections at over 50's. That was a very tough journey but I wanted to enjoy the process. I am writing how to keep the motivation, how to be happy no matter what is going on in our life.

今を楽しむ 今を味わう

002















最近とみに全くと言っていいほど

怒らなくなった。

そりゃ怒ろうとおもえばいっぱいネタはある。

明らかに理不尽な扱いを受けたときや

バカにされてるんじゃないかと思うことや

なんでこうなの?と思うことは一杯ある。

でも最近はたとえそう思っても

一瞬で忘れるようになってしまった。

だってそんな嫌な思いに時間を費やすのはもったいないんだもん。

そして一番の変化は

人がどう思おうと

どうでもいいと思っている自分がいるのである。

最近は皆が怒っていたり批判していたりするのを見ると

何をそう怒ってるの?

そんなことどうでもいいじゃない?

と思っている自分がいる。

他人の不倫じゃない?関係ないじゃない?

人が何をしようとあなたに関係ない。

その人がどんな考え方を持っているか

どんな性的嗜好があるか

どんな趣味を持っているか

そんなんどうだっていいじゃない?

そんなことより

自分にとって大切なことはなんなのか

どうやって生きるべきか

それを考えよう。

子供が勉強してちゃんといい大学に入ってくれるかどうかは

お母さんにとっては大問題であるが

他の人にとってはどうでもいいことである。

それに大きな目で見てみれば

それも大したことでないかもしれない。

猛勉強して東大に合格して

そのあと抜け殻のようになって何もできなくなってしまったという人がいる。

受験に失敗しようが落ちこぼれようが

本人にとって一番素晴らしい道が

もうすでに天によって用意されていると信じることである。

自分のダンナに愛人ができて

中々家に帰ってこない。

それって奥さんにとっては大問題であるが

他の人にとってはどうでもいいことである。

それにそれはつまりもう実質終わってしまっている

結婚生活にけじめをつけて

新しい出発をするよい機会になるかもしれない。

親がぼけてしまって子供の顔もわからない。

それって子供にとっては大問題であるが

他の人にとってはどうでもいいことである。

それは子供にとって親との関係を

考え直すよい機会かもしれない。

そうやって考えていくと

大問題はよい機会であることがわかる。

そして

みんなにとってどうでもよくない事って

そんなにないことがわかる。

ちゃんと生きていて頭の上に屋根があり

食べるに困らないだけの収入があれば

大抵のことはどうでもよいのである。

隣りの住人や

芸能界の誰彼や

上司や同僚や

親や兄弟に腹を立てる暇があったら

今日の素晴らしい青空を見上げて

風に吹かれて

生きてることを感謝してほしいと思う。

だってそれはギフトであって

いつ奪われるかわからないのだから。

ある年齢を過ぎてから

気づいたことがある。

あと何年この青空をみられるかわからない、

あと何回おいしいご飯を食べられるのか

わからない。

昔と違ってそんなにたくさん残ってないのだ。

だから感謝したい。

そして今を味わいたいと思う。






出会いの楽しさ 木曽路


001
















毎年恒例になってきた木曾への旅をした。

朝早く出て南木曽まで列車で行く。

そこから妻籠まで歩く。

もし気力があればそのまま馬篭まで歩く。

空気がおいしいし、この時期は新緑が滴るばかりでとても美しい。

時期によって違うけど

連休のころはまだ桜が咲いていたりする。

そしていろんな出会いがある。

2014年の連休は病気から快復したばかりで

まだよろよろしていた。

南木曽から歩き出したところで

お年寄りばかりのグループと会って

一緒に歩くことになった。

全員70歳以上。。。鍛え上げられている。

しかも彼らの歩く速度がむちゃくちゃ早い。

私はぜいぜい言いながら彼らのあとを追った。

リーダーはとても親切で振り返っては

「大丈夫ですか?」と聞いてくれたけど

大丈夫なわけない。

え~、また上り坂ですか?

いつになったら休憩するんですか?

と愚痴りながらなんとかついていき

ついに南木曽、妻籠、馬篭と歩きとおしてしまった。

私一人ではできなかったと思う。

みんな親切にしてくれた。

いい思い出である。

ある年は駅で駅員さんともめている外国人を発見。

通訳をしてあげて感謝された。

そのまま一緒に歩くことになり、

神学を専攻したというドイツ人の彼と

中山道を神について話しながら歩くという

珍しい体験をした。

007
















今年は体がなまっていて

妻籠についたところでばててきたので

馬篭までバスで行くことにした。

バス停で待っていると

オランダ人の家族がやってきて

お喋りになった。

4人家族で可愛い娘さんはベジタリアンだという。

馬篭の宿に泊まっているらしい。

馬篭でサヨナラをして

そこでしばらく休憩してぶらぶらしてから

今度は中津川に向かった。

そこから列車に乗るのだ。

駅に着くとまたまた誰か外国人が

駅員さんともめている。

駅員さんはある程度英語が話せるらしいが

どうも彼女の言っていることが

理解できないらしい。

話が全然かみ合ってないのだ。

私が助け舟を出してやっと彼女が納得。

改めてあいさつした。

だんなさんと二人新婚旅行中だという。

スペインのヴァレンシアから来たという。

列車が来て名古屋まで1時間半近くの間

ずっとおしゃべりしていた。

スペインと日本の違い。

共通点。

彼女はグルテンのアレルギーなので

小麦粉の入ったものは食べられない。

日本ではグルテンフリーのパンやうどんはあんまり見かけない。

レストランでも食べられるものが少なくて困っているらしい。

お醤油やお味噌にも入っているかもしれないので

うっかり使えないのだそう。

そう言えばお醤油は大豆と塩でできているはずだけど

成分を見るといろいろ余分なものが入っていることが多い。

むかし海外のコミュニティにいた時に

小麦粉アレルギーの人が多いのにびっくりしたことがある。

ともかく、よさそうなレストランを紹介して

お互いにフェイスブックフレンドになって

それからサヨナラした。

世界中にいろんな知りあいが増えるのって好き。

彼らに会ったことで

すごくエネルギーが上がった気がする。

ちょっといろいろ悩んでいて

気力が衰えていたのだ。

自分をジャッジしない人たちとの交流は

ほんとに元気が出る。

そして英語で話せるのって本当に楽しい。

もっとそういう機会があるといいな。

075





宇宙に委ねる

2009 July Findhorn 004














先日フィンドホーン関係のイベントに出て

その時に引いたエンジェルカードが Harmony ( 調和 )だった。

その時は、あまり何も感じず

う~ん、今まで自分の目的ばかり追求して他人のことを考えなかったから

そういうメッセージが来てるのかな?と思った。

でも周りの人と調和を目指すということを考えると

今までうまく行かなくて拒否されたことや

バカにされたことばかり思い浮かんでしまい、

それ以来、悶々としていた。

いったいこれはどういうメッセージなんだろうか?

すべて私が悪い、他人に合わせない私がよくない

だから物事がうまく行かないのだ

とかそんな思考になってしまい

ますます惨めになってしまったのだった。

あれからいろんなシンクロがあり

気づいたことがある。

調和と言うのは他人との調和でなく

宇宙との調和

ではないだろうか?

たまたま5月の初めから

Hay House World Summit 2018の

オーディオを聞き始め、

その中のある本の著者がいっていたことが

今の私にぴったりフィットした。

今なにか悩んでいることや

重荷に感じていることがあれば

それを宇宙にお任せしてみる。

全ては最善のタイミングで最善のことがおきる

と信じる。

そういうメッセージだった。

オーディオの中に短い瞑想があり

それをやってみたら

信じられないほどの平和に満たされた。

そういえば

スカイプ友達のひとりに

自分の悩みを延々と訴えていたら

瞑想するように勧められたんだった。

自慢じゃないが

瞑想はずっとやっていたのだ。

ある時点で辞めてしまっていたのだった。

瞑想したって何も人生は変わらないじゃない。

今までも全く効果がなかったし、

変わらないならやる意味ない!

と私は突っぱねた。

すると彼は 「心が静かになるよ」

と言った。

「瞑想は人生に起こることを変えられないかもしれないが

起きたことに落ち着いて対処できるようになる。」

ふ~ん。。

その時はそんな感じだったけど

散々抵抗した挙句に瞑想をしてみて

やっぱり彼の言ったことは正しかったと思う。

なにも現実は変わってないのに

心が安らかなのだ。

重荷が取り除かれたというか

以前と全く違う。

このまま宇宙との調和を保ちつづ

次なるメッセージに対してオープンでいようと思う。

そしてきっと次のメッセージは来ると信じることも

大切なんだと思う。



もう一度信じたい

2008 May and June in Findhorn 002















プライムビデオでsuit と言う法廷ドラマを見ていた。

主人公はひょんなことから偽弁護士になってしまった男。

ロースクールを出てないし弁護士資格を持ってないのに

弁護士として働き始める。

記憶力と明晰な頭脳をいかして

弁護士として成功していくが

やがて過去がばれそうになる。

彼は少年のころにいた教会の神父に会いに行く。

幼いころに交通事故で両親をいっぺんに失ったのだった。

彼は神父に言う。

I lost my parents. (私は両親を失った)

と言うが、(その後やけになってぐれていた)

神父は

No you lost your trust.

あなたは(神に対する)信頼を失ったのだ。

と言う。

この言葉にぐっと来た。

これ、すごくわかる気がする。

わたしもそうだったから。

ひょっとして今もそうかもしれない。

受け入れがたいことが起きて

でも受け入れるしかなくて

絶望したことがある。

そしてそれ以来

神に対する信頼を失ったのだった。

祈っても祈っても

努力しても努力しても

望みがかなえられない。

そんなことがあったから。

人生でどうしても受け入れられないつらいことが起きた時

私たちは神を恨む。

どうしてこんなことがおきたのですか?

私のどこが悪いのでしょうか?

こんなこと、残酷すぎます。

あんなに努力してあんなに祈ったのに

どうしてこんな目に合わせるのですか?

でも起きてしまったことは何も変わらない。

立ち上がってまた歩き出すしかないのである。

人生はいろいろなことが起こる。

それをコントロールすることはできない。

でもそれに影響されないで

自分なりに幸せを求めて歩いていくことはできる。

なにかどうしても受け入れがたい辛いことが起きた時

こう言い聞かせる。

これは私が成長するチャンスなのだ。

ここから何が学べるのだろうか?

今までそうやってきた。

そして神への信頼を取り戻したいと思っている。

神を信じることができないのって

とても悲しいことだと思うから。

神への信頼ができないひとに

人を信頼できるはずないから。

ある意味、だれも信頼できないと思ってきた。

それは自分の人生でそう思わざるを得ないことが起きたからだ。

でも、

裏切られても忘れられても

やっぱり信頼の気持ちを失いたくない。

神を信じたい気持ちが私の中にあるから

人を信じたい気持ちが私の中にあるから。

もう一度信じたい。

今はそう思っている。












他人と自分をコントロールしようとすることを手放す

009
















いろんな人たちの話を聞いていて最近わかったことがある。

苦しんでいる人たちはみんな人生をコントロールしようとしてる。

こうあるべきだ。こうでなくちゃいけないという思いが強すぎるのだ。

それに現実を当てはめようとして必死で頑張るがうまく行かないので苦しみが生まれる。

多分全く問題のない人生なんてないと思う。

誰にだってアップダウンがあるのだ。

もちろん自分や家族の人生が思うとおりになっていれば問題ないが

そうでないことの方が多いのだ。

でもってこうでなくてはいけないという基準って

人によってすごく違うのだ。

ある人にとっては大學に行くことが当たり前であるが

他の人にとっては当たり前でない。

朝早く起きて掃除洗濯お弁当作りをしてそして仕事に行くのが

当たり前の人もいれば

絶対無理の人もいる。

自分の家族や配偶者や恋人が

自分のあってほしい基準に達しない場合は

どうすればいいのか?

妹が以前入院したとき

私と母はお見舞いに行ったが、

父は行かなかった。

病院が豊橋で遠かったのと

父はまだ仕事をしていたのと

当時妹は父をひどく嫌っていたから

行っても歓迎されず会ってもらえないと思ったらしい。

しかし、妹は未だに

「私が入院したときお父さんは見舞いにさえ来てくれなかった。」

とこぼす。(父はもう亡くなっている)

妹からすれば

たとえ嫌われていても娘が入院していれば

父親は会いに行くべきだという基準があったのである。

これは私自身も似たような経験がある。

私が夫のもとを離れた時

両親は夫の肩を持ち私を精神的にサポートしてくれなかった。

私が必至でサポートを求めているときに冷たくあしらわれたのだ。

そのことを長いこと恨みに思っていた。

実家に転がり込んだ後、無職、無収入の私に

食費として毎月5万入れろと言われ

女中部屋のような北側の狭い部屋に押し込められた。

ことあるごとに「収入さえあればねえ~」と言われながら

せいいっぱいの家事をしていた。

物凄くつらかった。

両親にしてみれば[クリスチャンだったので)

いったん結婚したら

死ぬまで添い遂げるべきだ、神様に約束したんだから。

(両親の基準)

本当に娘を愛していたら娘がどんな道に進もうと愛せるはずだ。

(私の基準)

自分の思い通りにならないと愛せないというなら

それは条件付きの愛でしかないからだ。

こういう自分のなかのこうでなくてはいけないという枠を

手放すと苦しみから逃れる道の一歩になる。


こういうジャッジは他人のみならず自分にも向けられる。

もっとたくさんの収入があるべきなのに

こんな少ししかない自分がみじめだ。

体重が増えてしまってみっともない自分が嫌だ。

年を取ってしまってもう美しくない自分を見たくない。

今、ありのままの自分を受け入れるのだ。

今、ありのままのその人の姿を受け入れて

愛するのだ。

せっかくこの世に生まれてきたのに

その貴重な時間を自分を責めることで使いたくない。

どんな状況であろうと

今、ありのままを受け入れるのだ。

そしてありのままの自分を

俯瞰してみてみれば

思っていたより素晴らしいことがいっぱい見つかるはずだ。










世界を救う前にまず身近な人から助ける

014 - コピー















今朝スカイプで海外の友人と話していた。

彼には破壊的な娘がいて、

なにをしてもダメでどんどん悪化して行って

今や体を壊し、病院に入ったり出たり

アルコールやお酒におぼれ

毎日夜中の2時頃に泣きながら電話をかけてくるという。

彼女は自分の子供が自分を愛してくれないとこぼし、

誰も彼女を愛してくれない

と言ったたぐいのことを繰り返し繰り返しいうらしい、

といっても、薬やお酒で酔っ払っているので

何を言っているのか聞き取れないこともあるらしい。

彼は自分でできる限りのことをやってきたが

全く効果がなく、

娘はアルコールや薬におぼれ、家に来ては暴れまわり

接近禁止命令まで出たという。

彼は言う。

今までいろんなスピリチュアルなことと学んできたが

全くそれが役に立たないことがわかった。

なにをしても効果がなく

困っているのだという。

彼のメンターはバイロンケイティのワークを学ぶために

アメリカに行けと言っているらしい。

私は言った。

そんなことする必要ない。

娘さんはあなたに愛されたいだけなんだと思う。

十分に愛されてないと思ってるのよ。

彼はある時点で仕事をやめ、

スピリチュアルな成長を求めて家を離れた。

スピリチュアルコミュニティに行ってそこに住んだり

霊的な師について勉強したりした。

娘さんがティーンエイジャーのころから家にいなかったのである。

毎年半年か3カ月くらいは家に帰るという変則的な生活だったらしい。

それ以前の仕事でかなり稼いでいたので

退職するときに蓄えがあり

家も奥さんに進呈した。

奥さんとの約束でいつでもそこに帰ってきて住んでいいということになっていた。

彼の話を聞いていて

妹のことを思いだした。

最近のこと、電話で話していて

急に「私は愛されてなかった。」と言いだしたのだ。

お父さんもお母さんもお姉ちゃんの方を好きだった。

私は愛されてなかった。

と言うのである。

そう言えば以前母がシンガポールに行ったときに

わたしにバティックのお土産を買ってきてくれた時に

妹は激怒して叫んで泣いていたことがある。

何もバティックのお土産くらいで泣き叫ぶことないのにと

その時は思ったけど

「ああやっぱりお母さんはお姉ちゃんの方が好きだったんだ。」と

きっと思っちゃったんだ。

友人の娘さんに関しては

少女になったころからずっとあんまり家にいなかった父親のことを

娘さんはきっと恋しく思っていたんだと思う。

彼の注意を引いて

自分のそばにいてもらうために

いろんな問題を引き起こして

そのうちに自分でも収拾がつかなくなったのかもしれない。

この私の友人と言う人は

人を助けるのが好きな人である。

と言うよりそれが自分の人生の使命だと思い込んでいる節がある。

おかげで私も人生の節目でいろいろ助けられて

感謝しているが、

誰か助けを求めている人がいると

すぐに飛んで行ってしまう。

今までどれだけたくさんの人を助けてきたか

知れないが、

多分自分のすぐそばに助けを求めている魂がいることに気づかなかった。

だから今回娘さんの状況が深刻になり

彼が苦しんでいるのも

身近な人の苦しみに対処しなさいという

宇宙からのメッセージかもしれない。

こういうことってよくあると思う。

私がフィンドホーンにいたとき

朝のシェアリングである人が

アフリカの子供たちのことに触れ

子供たちのことを思うと涙が出てくるの

と言っていたが

私はその時、そんなことより私を助けてほしいと思っていた。

すごく苦しい状況に置かれてせっぱつまっていたからだ。

こんな近くに助けを求めている人がいるのに

アフリカの子供たちを思って涙してるのって

本末転倒じゃないか?

私自身だって

妹がそんなに苦しんでいることを知らずに

結構無神経なことを言っていた。

でも今彼女が正直に打ち明けてくれたことがすごくうれしい。

マザーテレサがアメリカに来たとき

インタビューした女性が

「私も何かしたいのです。なにをしたらいいでしょうか?」

とマザーテレサに聞いた。

するとマザーテレサは

「明日朝早く起きて街に出て

助けを求めている人をさがして助けてください。

それがあなたのできることです。」


世界を救う前に、

まず身近にいる人を救わなくちゃいけないのだ。

別れ際に

その友人に感謝された。

何だか気が軽くなったという。

人生は学びの連続だ。

学ばないで逃げてばかりいると

同じような状況がまた起きる。

それも逃げると

もっとひどい状況がやってくる。

私たちが学びを終えるまで。

友人の生活に平穏が来るよう祈りたい。





モチベーションが低すぎると合格しない。

2007-2008Nagoya 046

















私は予備校の非常勤講師をしている。

今は私大の受験が終わって合格発表のシーズンである。

数日前に上司がひとりの学生を連れてきた。

「今のところ大学全部落ちてるから面倒見てやって。」

聞くと浪人生である。

浪人なのに受けた大学全部落ちたなんて、そりゃショックだ。

A判定だった大学さえも落ちたという。

今は2次募集の大学を受けるつもりらしいが、

どこの大学のどこの学部を受けたの?と聞いてみると

色々な大学の色々な学部を挙げた。

学部が全部違う。経済学部だったり、法学部だったり、4つか5つ全部ちがうのである。

「いったい何になりたいの?何をしたいの?」

と聞くと、

とりたててないという。

唯一はっきりしていることは、父親の経営する会社を将来継ぐということだけ。

大学くらい出てないとまずいということで

受けるらしい。

どうして落ちたか、わかった。

モチベーションが低すぎるからだ。

いつもこういうとき思いだすのが

私が初めて家庭教師をしたときの生徒である。

保母さんになりたいのだが、

英語の成績があまりに悪くて

このままじゃ保育科に行くことは無理だと言われていた。

会ってみるとなんと高3なのに

英語で1から20まで数えられない。

現在形、過去形、未来形も知らない。

この子を9カ月で短大に行けるようにしてくださいということだった。

親御さんに言って中学の英語の教科書を取り寄せてもらい

一から勉強し直した。

なかなか厳しい道だったが

彼女はどうしても保母さんになりたいという夢があり

そのおかげで必死で勉強してくれた。

夏休みの間にやっと中学英語の教科書を終了。

途端に成績が上がってきた。

そして秋になるとはやばやと

短大の保育科の推薦を勝ち取ってしまったのだった。

英語は3から4に

ダメだと言われていた推薦も得て

無事に保母さんになる道に行けることになった。

もうかなり前の話なので彼女はきっと

保母さんになって頑張っていると思う。

どうしても保母になりたいという強い思いが

それを可能にしたのだ。

自分がデパートに行ったと考えてみるとよい。

欲しいものがわかっていればすぐに買える。

何をお探しでしょうか?と聞かれても

えーっとあれがいいかな、

これもいいな。

いやあっちの方にも行ってみます。

何が欲しいかわからないんです。

なんて言ってちゃ、

いつまでたっても何も買えない。

件の生徒に質問を重ね、

小さいときに何がやりたかったの?

と聞くと

「警察官になりたかった。だから最初は法学部を選んでました。

警察官になるには法学部がいいと聞いたから。」

ちゃんとあるんじゃない?

夢があるならそれに向かっていけばいい。

お父さんの会社を継ぐにしても

その前に外の世界で修業したほうがいい。

やってみればいいじゃない。

そう励まして別れた。

終わった後上司がやってきて

「○○くんね、どうしても山本先生がいいっていうんだよ。

日曜日に教えられる?」

日曜は予定が積んでいたがOKした。

最近の子は最初からあきらめているような子が多い。

夢を実現できるようなお手伝いがしたいのだ。





嫉妬や不公平や確執を乗り越えるには?

Dec 2010 Findhorn Park 014


















オーストラリアの友人とスカイプ通話をした。

あちらはもうすごく蒸し暑いらしい。

こっちは寒くて仕方ないのに~

なぜかフィンドホーンの共通の知り合いの話になり、

何年も前にその彼女がワークデパートメントから追い出されたという話を聞いた。

ちょうど私がフィンドホーンを去るころだったからよく知らなかった。

実はその彼女とは昔一緒に過酷なプログラムをやった間柄。

どうして彼女が追いだされたのか聞いたら、彼女が強くて美しくて意志が強かったからという。

他の女性たちは彼女に嫉妬していたので力を合わせて彼女を排除したのだという。

まあそれは彼の解釈なので他の人から見れば違うかもしれないとは思うけど

コミュニティの中でうまくやっていくのはそれだけ大変だということである。

なにか物事が起こった時

私たちは自分の解釈で判断する。

件の彼女だって、私の友達に言わせれば美しくて強いから

嫉妬されたということになるんだろうけど、

女性陣から見れば、何でも自分でやろうとして自分勝手だということになる。

パワフルな女性と言うのは何時も目障りなものなのだ。

特に他のパワフルな女性にとっては。

だからその存在を排除しようとする。

最近フェイスブックであるページを見たら

ある人が投稿していて

たくさんの人がこのコミュニティに対して不満や怒りを抱えている。

たくさんの人が傷心を抱えてこのコミュニティを去ったとあった。

こういうことをSNSで言うことはかなり勇気を伴うが

それをあえて言うということはよほど腹に据えかねたのだろう。

私はこれは本当だと思う。

私も傷ついて去った一人だから。

ただ、当時は自分に問題があるからこんなことが起こるのだと

自分を果てしなく責めていた。

何年もたって自分とは折り合いをつけ

コミュニティに関しても

素晴らしい場所だけどそこに住む人たちは

ただの普通の人なんだということを理解したけど

それには長い時間がかかった。

今回そのページを読んで、思ったことは

「ああ、変わってないな~」ということ。

相変わらず不公平や確執があって

それを何とかしようとあれがいいこれがいいといってる。

私は改革に必要なのはメソッドではないと思う。

考え方を完全に変えなくてはいけないのだ。

自分たちと同じような人ばかり受け入れるのをやめるのだ。

これは人生も同じ。

今まで食べていたものと同じものばかり

食べてないで新しい食べ物にも挑戦する。

新しい趣味に挑戦する。

怖くて仕方ないことをやってみる。

そういう態度が必要なのだ。

同じような種類の人ばかり受け入れるから

保守的になり、自分と違う人を受け入れられない。

そうするとインターナショナルコミュニティといっても

名ばかりのものになってしまう。

新しい血が必要なのだ。

以前ある日本人のメンバーと話していて

私がつらい経験をしたと話したら

彼女は「わたしはそんなネガティブな経験をここでしたことはない。

私のここでの経験はみんなハッピーなものばかりだった。」

と言われてすごくショックを受けたことがある。

言外に

「あなたがネガティブな経験をしたということは

それはあなたに問題があるからでしょ?」

という意見を感じたからだ。

これには落ち込んだ。

まあ、コミュニティでの経験は人それぞれなので

比べることはできないけど

私と同じように傷ついて去ったひとは多い。

実際にたくさんの人に聞かされた。

その時にその人に必要な経験が与えられるということなんだと思うけど、

なにかネガティブなことが起きた時

それが全部自分のせいだという考え方は

どうもついていけない。

いろんなことが起こるけど

それにどう反応するかが人生を決めるカギとなるんだと今は理解している。

人を人がジャッジするのってすごく難しい。

仕事の面接なんかも同じ。

今まであんまりにも拒絶されてきたので

私はもうこれからは自分の足りないところを直すのでなくて

ありのままの自分をもっと褒めてあげなくてはと思っている。

ダメなところを直すなんて言ってたら果てしなくなっちゃう。

それよりも良いところを伸ばす方がいいに決まってる。

もうあそこがダメだ、ここがダメだと言われるのにうんざりしちゃったのだ。

と言うことで

私はもう欠点を直す気はありません。

もっともっと自分を愛してあげて

褒めてあげたいのだ。

欠点も何もかもひっくるめて自分を大好きでいたいのだ。

欠点を直さないと付き合えないという人は

どうぞご勝手に去ってください。







過去を手放す

angry cat








妹と会って何時間か話した。

話していると必ず、

いつもある事件についての話が出てくる。

妹に会うたびに

この出来事について聞かされる。

会うたびにそのことを話すのって

結局その痛みを手放せてないということではないかと思う。

妹はカトリック信者なのだが

精神障碍者を助ける活動をしていて

カトリックの他の信者の方から

物凄くひどい非難と中傷を受け

罵倒されたのだという。

ショックを受けた妹はその活動をやめてしまった。

そしてことあるごとにそのことを話す。

精神障碍者を助ける活動は

彼女の本当にやりたかったことだったらしい。

でもそのおかげで体調を崩し

あきらめたのだという。

妹に言わせると精神障碍者については

偏見が多く、一般の人は恐怖感を持っていて

それもあって非難されたらしいが

キリスト教徒でありながら

人を助ける活動をひどい言葉で罵るなんで

ありえないと妹は思ったらしい。

教会の全部の人がそういうわけじゃないでしょ?

と私は言ったのだけど

妹は「そんなことない!」と叫ぶのである。

その出来事がすごくショックであり

すごく傷ついたことはわかるのだけど

どうしていつもいつもそのことを再現して

痛みをまた味わう必要があるんだろうか?

「もう忘れなさいよ。」

と私が言っても

「またあんな目に合わないように覚えておく必要がある。」と

妹は聞き入れない。

そりゃだれだって傷ついたことがある。

だけどそれを毎日毎日繰り返し思いだして

自分をまた傷つける必要ってあるんだろうか?

もう何年もたっていて

妹も変わってるし、その人たちも変わってるだろうし。

グループの中で吊るし上げを食らったと

妹が言うのを聞いて、

そう言えば私だって同じ経験があるじゃないかと思いだした。

すっかり忘れてたのだ。

不愉快な経験や辛い経験は思いだしたくないから

普段は忘れてるのだ。

何だ、私だって同じような経験があるけど

何回も何回も繰り返して

こんなひどい目にあったと言ったりしない。

そりゃ私にも問題があったんだろうけど

私を寄ってたかって批判した相手にも問題があるとわかってるから。

すごくすごく不公平な扱いを受けた。(スピリチュアルコミュニティなのに!)

でもそんなことはもう忘れたいのだ。

だってその一方で

すごく素晴らしい人に会ったり

すごく美しい経験ができたりしたのだから。

人生は完璧じゃない。

嫌なこともめんどくさいことも

辛いこともたくさんある。

でもその一方素敵なことも

楽しいこともうれしいこともあるんだ。

嫌なことは忘れてこれから起こる楽しいことに集中しよう。




夢をあきらめたくないひとに。 映画「5%の奇跡」

5%の奇跡









たまたま日曜の仕事が1コマだけだったので


久し振りに映画を見に行った。


映画はビデオではよく見ているが


やっぱり映画館はわくわく感が違う。


二つ候補があったけどひとつは時間が合わず


5%の奇跡と言う映画にした。


この映画の内容に魅かれたからだ。


5%の視力しかない青年が

一流ホテルに応募し研修をするというストーリー。

他人事でなくて見ていた。

実は私は昔からずっと目が悪くて

左目は手術して以来、よく見えない。

視野が半分くらい失われてしまっているので

左目だけだと字も読めない。

だからもろ入り込んでしまった。

床に置いてあるものが見えなくて蹴っ飛ばすとか

段差があるのに気が付かず転ぶとか

向こうから歩いてくる人があいさつしているのに気が付かないとか

しょっちゅうである。

もう身につまされてしまった。

私の場合は主人公のサリーほどではなく

右目はまだ見えるのだけど

全く他人事とは思えない。

そんな障害があるのにかかわらず

夢をあきらめきれず

果敢にチャレンジする主人公にエールを送りたくなる。

出来る仕事はマッサージ師くらいだと言われながらも

夢をあきらめたくない彼。

自分に重ねあわせてしまい感動。

このストーリーにはモデルがいて

本当にあった話だという。

そしてそれだけでなく

調べてみると原作者も同じ5%の視力しかないのに

それを隠してホテルに勤めていたという。

本当にやる気さえあれば

そして助けてくれる友達がいれば

道は必ず開ける。

そんなお話しである。

とても力づけられる。

お勧めです。






今年何もやり遂げられなかった私が唯一やり遂げたこと

Scotland Dec 2010 054














2017年も終りに近づいている。


今年ははっきり言って厳しい1年だった。

何もかも自分の思っているようにはいかなくて、

ショックなこともあり、

久し振りに号泣した。

色々なものが(人が)私を離れていった気がする。

手放す年になったと言えるかもしれない。

私は実はいろいろなことに挑戦するが

ちゃんとやり遂げたことがあまりないのだ。

これが私の課題かもしれない。

しかしやり遂げられなかった理由は

単に私が怠慢だったからではない。

ビザの問題だったり経済的な問題だったり

自分ではどうしようもないことで貫徹できなかったのだ。

それを思うと悔しくて泣きたくなる。

去年はずっとそういう気持ちでもがいていた。

然しそんな私でもことしやり遂げたことがひとつだけある。

今年1月から始めたフェイスブックページ Words for your heart 
https://www.facebook.com/nadeshiko1955/である。

最初は毎日投稿するつもりはなかったのに

何故かそういうことになってしまい、

毎日楽しく?苦しみながら投稿を続けた。

投稿することが私のミッションのようになった。

そして誰かが反応してくれたりメッセージしてくれたりすると

とてもしあわせな気分になる。

今現在読者は559人になった。ありがたいことである。

基本的に写真はすべて私が撮ったものにしているので

写真のストックが無くなったらどうしようという恐れは

いつも付きまとっているのだが

とにかく続けようと心に決めていた。

このページのおかげでたくさんの新しいフレンドができ

色々な交流ができるようになった。

少なくとも1年は続けようと思っていたが

もうすぐ来年の1月で1年になる。

でも私ができる限り続けていきたい。

もう生きがいになってしまったのだ。

これからもWords for your heart をよろしくお願いします。

https://www.facebook.com/nadeshiko1955/

12月31日の投稿です。

The sun is gone,
but I have a light.
Kurt Cobain

太陽は行ってしまった。...
でも私には灯りがある。
カート・コバーン


Scotland Dec 2010 051


日本は息苦しい!


215
















ここ2か月くらいの間に

日本の社会について日本人について

いろんな人と話す機会があった。

いちばん最近は私の妹である。

妹は15年ほど前にイギリスに留学していた。

そこで病を得て帰国したのだが

イギリスにいた時の方が自由で幸せだったという。

日本では何を言っても聞いてもらえなかったのに

どうしてここではみんな聞いてくれるのだろうと思ったという。

日本ではみんなと同じことがいいことになってる。

違うことを言ったりしたりすると、

寄ってたかって叩きのめされる。

今の日本の在り方に疑問を持って

なんとかしたいと行動を起こしても

聞いてもらえないどころか

完膚なきまでに叩きのめされて

もういいやとあきらめの境地になることが多い。

妹は妹で

精神障碍者のためになにかしたくて

一生懸命に活動したらしいが

カトリック教会のなかでありながら

ひどく残酷なことを一杯言われて

その活動を停止した。

それ以来、もういっさいそういうことはしないと誓っている。

もうひとり、

先日何十年かぶりに会った

大学の後輩。

聞いた限りでは妹と同じ。

今の日本の社会に絶望していて

でも自分では何にもできないと思い落ち込んでいる。

今できることは一日一日を生きていくことだけだと言っていた。

たしかに今の日本は息苦しい。

私もスコットランドから帰国してすぐは

日本のすべてが嫌で嫌でたまらなかった。

これってずっと日本にいる人にはわからないと思う。

みんな枠の中に押し込められて

レールの上を走り続けている。

ずっとレールの上を走るのもつらいが、

いったん外れるともっと生きづらい。

一時はすごくつらかったが

結局自分は日本の社会にはフィットしないんだと

自分で認めてからはだいぶ楽になった。

私は予備校で働いているので

受験生を見ていると気の毒になる。

でも、だからと言って絶望していない。

みんなけなげに頑張っているのである。

こんな息苦しい社会でもちょっとした優しさや

愛や思いやりがあるのである。

それがある限り絶望するのは早いと思う。

そして私一人だけでは何もできないし

社会を変えることはできないけど

ほんのすこしずつでも

私ができる限りのことをしていきたいと思っている。

ずっと続けていれば

たくさんじゃなくても

なにか変化を起こせるかもしれない。

私は絶望はしていないのだ。

キリスト教では自殺を禁じている。

どうしてかと言うと

それは絶望を意味し

神に対する信頼を失ったということになるからだ。

今の日本は生きづらいが

でもそれでも希望を持って

一日一日を大切に生きていきたい。

そしてできるだけ楽しみたい。

それが私の望みだ。

078




夢を持ってはいけない?

Holiday 2008 Oct 171















ブックオフで本を物色していたら

死ぬ前にしたいことリストという

シリーズの本があった。

70を過ぎたおばあさんたちが

死ぬ前にしたいことをリストにして

ひとつずつやっていこうというもの。

まあこれは映画などでもあるし、

珍しい話じゃない。

この本ではおばあさんたちが

ひとつずつリストを実行していった結果

残ったのがみんな

とんでもないことや恥ずかしいことばかりだった。

その一つがセクシーな衣装で写真を撮るということ。

そのどたばたの中で誰かが殺されるというミステリー仕立ての小説らしい。

私ももう若くないのでリストを作るべきだとふと思った。

書くというのが大事らしい。

でもって私がリストに書くものってなんだろうか。

と考えると真っ先に来たのが

オーロラが見たい。

その次が死海で泳ぎたい。

それから着物で写真撮影したい。

本を出版したい。

何で死海が出てきたかと言うと

先日見たビデオで湿疹を患うヒロインが

死海で泳ぐといいとアドバイスされて

死海に行きそこで浮かんでいるというシーンが

とても印象的だったからだ。

死ぬ前にやりたいことリストに

死海で泳ぐことが入っているというと

それを聞いた妹が

「実現しそうもない夢ばかり見るのはやめたら?」

といった。

「あなたはいつも考えずにどんどん次へ次へと

行くけど、その後始末してないじゃない。」

もっと地に足をつけろと言いたいらしい。

夢ばかり見てる姉を見てるといらいらするらしい。

まあ妹の言うことにも一理ある。

計画性なしに突っ走ってきたので

やりたいことをやり遂げられずに来たことが数知れず。

別にそうしたかったわけじゃないけど

やりっぱなしになっちゃったことがたくさんあるのは確かだ。

でも私の人生でやって後悔したことってあんまりない。

そりゃやらなければもっと経済的に安定してたかもしれないし、

もっとお金もセキュリティもあったかもしれないが

その経験をしたことは後悔してないのだ。

やっておけばよかったと思わなくても済む。

やったからこそ分かることもある。

それに私は実現しそうもない夢を見るのが好きだ。

どうして実現しないと言い切れる?

実現しそうもない夢がかなったことだって

何回もある。

もうずっと昔のことだ。

ある旅行雑誌で素晴らしく美しいお城の写真を見つけた。

すごく印象的な景色で魅了された。

こんなお城行ってみたいなあ。

そう思った。

それだけ。

お城の名前さえ憶えてない。

何年もたってから

スコットランドに来て

友人に招待されStoneheaven と言う場所に来たとき

列車の窓からそのお城が見えた!

友人に頼んで連れて行ってもらった。

まさに私が雑誌で見たお城そのもの。

長い時間かかったけどやっと見られたのだった。

夢がかなった瞬間だった。

かなえられそうもない夢だっていいじゃない。

ひょっとしたらかなうかもしれない。

かなわなくても夢をもっているだけで

人生は豊かになるのだ。





修道院の思い出

015
















昨日妹と母と一緒に多治見の修道院に行ってきた。


最初は木曾にドライブと言う話だったのが、90才の母も一緒に行きたいと言いだし、だったら近場でいいところがあるということで多治見になった。

ここの修道院は以前若いころに2回ほど行ったことがある。

よく覚えているのは25才のころ、大学の人形劇クラブの後輩を訪ねて行ったときのことだ。

その後輩は絵を描いていてささやかな展覧会をしているので見に来てほしいといわれたのだった。

詳しいことは覚えてないが屋根裏の部屋に行ってそこの壁にかけられた絵を見せてもらった。

そのとき、私は知らなかったのだが日曜だったので、階下の礼拝堂で弦楽四重奏のコンサートがある日だった。

コンサートが階下で始まった。

ビバルディの四季である。

階下で行われているコンサートを屋根裏で聞いたことがおありだろうか?

妙なる調べにうっとりした。なんという幸運。神に感謝した。

その時私は失恋していて絶望の底にいた。

気がまぎれるかもと思って多治見まで来たのだった。

その時のことは忘れられない。

神は私のことを忘れてないのだとメッセージをもらった気がしたのだった。

後輩は無口な青年で神学部に属していた。

でもその時はもう大学に行ってなくて修道院で手伝いをしていると言っていた。

「来てくれてうれしいよ。」と彼がぽつりと言った。

クラブのメンバーで多治見まで来たのは私だけだったらしい。

何を話したかも憶えてないが、ただ聞いてくれた。

それっきり彼に会ってなかった。

どうしてるかもわからなかった。

何十年もたってから、大学の前学長であった神父さまと定期的に会うようになって

お話ししているうちに彼の話が出た。

私は最後に会ったときの状況から勝手に

彼はドロップアウトして大学をやめてしまっただろうと思い込んでいたが

なんと彼はちゃんと神父になっていたのだった。

多治見の修道院にいると聞いて

一度会いに行きたいと思いながら延び延びになっていた。

ウン十年もたってるし、

向こうが覚えているかどうかも定かでないのに

会いに行っていいのかどうかわからなかった。

勇気がなかった。

でもホントは再会してあの時のお礼を言いたかった。

落ち込んでいた私がビバルディの妙なる調べを聞けたこと

生涯忘れられない瞬間をもらったことに。

今回修道院を訪ねた時

おせっかいの妹が「○○神父さまはいらっしゃいますでしょうか?」と

聞いてしまった。

たまたま彼は留守でいなかったけど

電話で少し話すことができた。

最初は私のことがわからないようだった。(当たり前である)

人形劇時代のニックネームは?と尋ねられた。

そうよね、皆ニックネームで呼び合ってたから。

ホントに思いだしたかどうかわからないけど

よく名古屋に来るとのことなので

その時にご連絡くださいと名刺を置いてきた。

会って話ができるといいな。

私にとっては奇跡みたいなことだった。

ほら、よくあるでしょ。

世の中でどんなことが起ころうと

この人が元気でこの世に存在していると思うだけで

励まされるという人がいるのだ。

今回電話で話せて、

ちゃんと彼が存在していることが確認できた。

それだけでもすごく励まされた。

ちょうどその前日にショックなことがあり

これがなければすごく落ち込んでいたはずだけど

そのおかげで感謝でいっぱいである。

神さまはちゃんと見ていてくれるのだ。








人のエネルギーを吸い取ってコントロールする人  「盗まれた魔法」メアリー・ジョー・パトニー

magic














アマゾンで文庫本を注文した。

以前読んで面白かった本の続編である。

これはイギリスの18世紀のお話で魔法を扱う魔導師の争いについて書いている。

魔導師はたいてい代々続く魔力のある人たちで

でもその魔力を自分の欲のために使わず他の人のために

使うよう誓約をしなければならない。

この本ははぐれ魔導師の話である。

つまり制約に反して自分の欲望のために魔法を使い

自分自身は大して魔力がないのに他の純粋な若者たちを

とりこにして魔力を奪い、

それを使って強力な魔法をかける。

表向きには内務大臣でもあり

イギリスでの強大な権力を求めている

読んでいるうちにこの魔力というのを

エネルギーと言い換えれば、現代でも同じことが行われていると

思ってしまった。

ヒロインのメグはあるときこの魔導師にとらえられ

拘束魔法をかけられて

見た目も醜くされ、頭の動きも鈍くなり

ボンヤリメギーと言われていた。

彼女の仕事はただ一つ。

ご主人様が彼女の魔力を必要とするときに

そこにいること。

それが起こるとぐったりして何も考えられなくなり

何日も寝込んでしまう。

ご主人様は彼女の魔力を吸い上げて

強大な魔力をつくっていた。

そしてメグはいつもバカにされ

誰にも愛されず構われす生きていた。

以前の記憶は全くない。

そんな状態の彼女が、あるとき真っ白なユニコーンに出会い。。。

という、まあロマンチックな小説なのだけど

これって人が他の人をコントロールするときに

使う手だと分かる。

お前はダメだ バカだ。なにをやってもうまくいかない。

ブスだ デブだ 

こういうことをずっと言われてると

本人はそのことを信じ始めてしまう。

小説の中では拘束魔法と言うのががんじがらめにかかっていて

逃げようとしてもうまくいかないということになっているが、

自分はダメだ だからここにいるしかないのだ

このひとについていてもらうしかないのだ

と思い込むように仕向ける。

これをやっている人って結構たくさんいると思う。

夫と妻だったり

上司と部下だったり

恋人同士だったりで

これはたくさんあると思う。

小説の中では

その魔導師とつながっている管を切るなり

結ぶなりしてエネルギーを吸い取られるのをストップする。

そうするとヒロイン本来の姿が現れる。

賢くて強くて美しい。

このエネルギーコードについては依然オンラインコースで学び、

ワークショップでもやっているので

すごく納得できる。

エネルギーがなくてぼんやりしていたら

それは誰かがあなたのエネルギーを吸い取っているのかもしれない。

その人とつながっているエネルギーの管を切らなくてはいけないのだ。

切ってしまうと本来のあなたの姿が現れる。


この小説、夢中で読んでしまった。

私たちの体はたくさんのひととエネルギーの管でつながっていると言われている。

自分のエネルギーを吸い取ってしまうような関係の相手とは手を切ろう。

心の目で見てみてその管をすぱっと刀で切るのだ。

小説にあるようにもし切れなければ

何か所か結んでもいい。

とにかく相手とエネルギーが流れないようにするのだ。

日本は制約が多い場所で

親や上司や先生に管でつながれていて

エネルギーを吸い取られ生ける屍の様になっている人が多い気がする。

こういう人たちは自分が本来の自分でなくて

エネルギーを吸い取られていることに気が付かない。

ああなんだかすごくわかる!

3年前までの上司がそういう人だった。

まわりの人たちは彼女がいないと生きていけないように

訓練されていた。

私は彼女とうまくいかず、結局1年で辞めてしまったが

その間、病気続きだった。

あのまま続けていたらどうなっただろうと思うと

ぞっとする。


本はメアリー・ジョー・パトニーの「盗まれた魔法」です。

この前編の「今宵、魔法をかけて」も読んでおくとわかりやすいです。










幸せってなに?

044














すごく久しぶりに何もない休日。

このところ全く何もない日がなくて疲れていた。

といっても他のみんなのよう1日中働いているわけでない。

夜の仕事なので午前中や午後は結構ヒマなのである。

でも夕方や夜に仕事があると、やっぱりリラックスできないのだ。

その前に買い物しなくちゃとか、夕飯作っておかなくちゃとか、

気が抜けないのだ。

今日は一つ嬉しいことがあった。

海外の友人と電話でつながったのだ。

昨日の朝、スカイプに着信していたのを知っていたけど

その時は忙しくて返信できず、今朝かけた。

向こうは真夜中、こっちは朝。

あんまり長く話せなかったけど、つながれてよかった。

また秋に日本に来られるかもしれないという。

先回は1日だけだったけど、今回はもう少し長く居られるかも?

嬉しいけど、なんか私たち織姫と彦星みたい。

1年に一回かよ?

ま、全然会えないよりずっといいよね。

ちょっとだけ掃除をして午後買い物に行った。

歩きながら考えていた。

幸せってひょっとしたらなんかすごいことが起こることでなくて

日常のちょっとしたことなのかもしれないな。

コンビニの定番スイーツの新しいものが発売されただけでハッピーな人もいるし

朝ミルクをもらいに野良猫が来てくれただけでうれしいひともいる。(私)

歩道沿いに咲く花を見てそこにくる蝶を見ただけでしあわせな人もいる。

そりゃ、通帳を見て、今月どうやって生き延びようかと思っているときに

そんな悠長なことやってられないと思うかもしれないが

そういうときこそちょっとした幸せを発見することが大事なのだ。

そういう幸せを積み重ねていくのが

いつか大きな倖せを引き寄せるコツなのかもしれない。

私は英語を教えているが

パッと見ただけで幸せな生徒とそうでない生徒はわかる。

幸せな生徒は話してるだけで幸せになる。

ワタシなんてこの年になっても

いつになったら幸せが来るのかと落ち込むことが多いけど

彼はいつも楽しそうで光り輝いている。

そして今の自分は幸せだと言い切る。

なんか感心した。16歳でそれが言えるなんてすごい。

人生でなんかすごいことを成し遂げないといけないという

変な思い込みが私たちにある。

でもどうなんだろう。

たとえひとりでも誰かを幸せにするということが成し遂げられたら

それだけでもすごいことなんじゃないだろうか?




ルイーズ・ヘイの人生 

louise-white-1


















ヘイハウスの創始者ルイーズヘイさんが亡くなった。


90才だから大往生と言えるのかもしれないが、


心のよりどころを失ったような気持になり、涙してしまった。


彼女ほどたくさんの人を助けてきた人はいないと思う。


不幸な生い立ちで、親に虐待され、レイプ被害者でもあり、

貧しさとも戦い、

人生後半、思考が現実を作ることを知り、

自ら実践してどんどん人生を変えて行った人。

私が感銘を受けたのは

そもそもルイーズが有名になったのは

そのころまだ偏見の的だったエイズ患者に門戸を開いたからなのだ。

彼らを励まし、心の持ち方によってエイズにも打ち勝てると教えた。

彼らの心の支えになったのだった。

ルイーズは自宅のリビングを解放し、

毎週彼らとミーティングを持った。

入りきれないほどになり、

もっと大きい場所に移動。

もっともっと人数が増えて最終的には巨大なホールで

集まりを持つまでになったという。

みんながエイズ患者を避けていたころに

彼らのために自宅を開放し、

ハグして励ましていた彼女。

彼女は60歳でヘイハウスを創設しCEOになった。

年も関係ないと教えてくれた彼女。

年を取ってからダンスを習いだしたり

絵を習ったり、いつも新しいことに挑戦してきた。

もっともっと生きて私たちを励ましてほしかったのに。

彼女のもっとも有名な本、You can heal your life.

の後半にはThe list と言う部分がある。

身体の症状とその原因 そして新しい思考パターンが書いてある。

全ての症状は私たちが思考で作り出しているという考えなのだ。

いま自分が抱えている症状をこのリストで探してみると

物凄く腑に落ちるのである。

たとえばフィンドホーンに滞在していたころ

私は3年半で5回も救急病院の世話になった。

いかにも多すぎる。

accident と言うところを見てみると

Inabilitey to speak up for the self. 

自分のために率直に意見を述べることができない

とある。

Revelion against authority 権威に反対する啓示

権威に反対しているけど率直に意見を述べることができない

これってフィンドホーンにいたころの私じゃない?

もう一つ調べてみた。

これは今の症状。

ここ2,3年、咳ぜんそくの様になって咳が止まらない。

漢方も試したけどいまいち。

Coughs を見つけてみてみると

A desire to back at the world  (世界に向かって吠えたい欲望)

See me! Listen to me!  (私を見て!聞いて!)

その通りじゃない。笑ってしまった。

新しい思考パターンは 

I am noticed and appreciated in the most positive ways. I am loved.

私は注目され、感謝されている。一番ポジティブな方法で。私は愛されている。

あまりの当たっているのでびっくりする。

是非一家に一冊そろえてほしいと思う。

ルイーズが教えてくれことは多い。

今自分ができることは何か?

どんな人を助けることができるだろうか?

何もすごいことをする必要はないんだ。

自分の周りにきっとあなたを必要としている人がいる。

ルイーズが自宅のリビングで始めたように

出来ることから少しずつ始めて行けばいいのだ。

そう考えさせられた。

ルイーズ、ありがとう。

あなたの教えは忘れません。

安らかに眠ってください。








毎日投稿の苦しみと効果 Words for your heart

早いもので、私のフェイスブックページ Words for your heart (あなたに贈る言葉)

https://www.facebook.com/nadeshiko1955/

を始めてもう7か月になる。

最初は毎日更新するつもりがなかったのが、なぜかそうなっていた。

まだ知らない人に説明するとこれは写真と引用のページで、

英語と日本語両方で書いてある。

人生生きているともうこれ以上進めないと思うことがあるものだ。

私の場合、2011年にスコットランドのスピリチュアルコミュニティから帰国して

茫然自失、これからどうしたらいいかわからず絶望していたとき、

フェイスブックのページにとても助けられた。

昔の私と同じようなそんな人たちにまた立ち上がって進み続ける勇気とヒントを

与えることができたらと思い始めたのだった。

引用は英語の本やネットや映画から引っ張ってきてるけど

日本語の訳がないことが多いので

私が自分で適当にやっている。

そして写真はすべて自分が撮ったものである。

過去にスコットランドで旅をしたときにたくさん撮りためた

写真を見せることができてとても幸せだ。

毎日は結構大変だけど

毎日というのは、影響も大きいのだとわかってきた。

よくブログを毎日更新している人がいるが、

毎日という効果は絶大なのだとわかってきた。

私はブログは毎日更新できないけど

これは毎日更新してる。

なんだかもうライフワークと言うか、生きがいになってしまったのだ。

そして毎日新しい発見がある。

こんな言葉があるんだと感心したり

昔の写真を掘り返して、

こんな写真があったんだと思いだしたり

その引用の作者が実はどういう仕事をしたのか探し出したり

納得したり驚いたり感激したりの繰り返しなのだ。

だれが読んでも感心する言葉とか

誰が見ても感嘆する写真がいつも投稿できるとは限らない。

私がそのときぴんときた言葉とか

心に触れた言葉を選んで

写真と組み合わせるのだが

時にはこんなのを投稿していいんだろうか?

と悩むこともある。

何日も悩んでいてある日やっと投稿。

思いのほか反応が良かったり。。。

ネガティブな言葉はいけないかと思いきや

そういう言葉に共感してくれる人もいる。

毎日が学びである。

これのおかげでたくさんのひととつながれた。

海外の同じような活動をしている人たちとも

お友達になれた。

感謝である。

現在までの投稿の中で

ダントツ1番人気を誇っているのが

これ。

Then she spoke again















Then she spoke again,

“But you don’t think I’m silly do you.

That’s why you’re here in this place

and why all the other people are here too.

You’re all here to remember who you really are.
...

” She paused, looked into the distance, and then said,

“We are all here to remember who we are”.

  John's story "Darren and Donna's game"

それから彼女はまた話し始めた。

「でもあなたは私のことを愚かだとは思わないわよね?

だってそのためにあなたはこの場所にいるのだから

そしてだからほかの人たちもここにいるのだから。

あなたはここに自分が本当に誰であるかを思いだすために来た。」

彼女は遠くを見つめながら息をついだ。

そして言った。

「私達はみんな自分が誰であるか思い出すためにここにいるのよ。」

 ジョンの物語 「ダーレンとドナのゲーム」


これは実は私の長年の友人が私に送ってくれた短いストーリーの中からの抜粋なのだ。

実際にあった話で、

彼が1970年代にスコットランドのフィンドホーンに滞在したときの体験を書いている。

とても感動的なので本人の了解を得て

一部を投稿することにした。

なんか私も感無量である。

これからも続けていきたい。

応援お願いします。






安全なるシンガポール風チキンライスを食べるための困難な道のり

シンガポール風チキンライス















先日友人とスカイプで話していた。

彼は出張中でベトナムにいた。

あんまり食べ物がよくないという。

次はシンガポールに移動だというので

シンガポールでの本物のシンガポール風チキンライスが食べられるじゃない?

と言うと、一言

「自分のうち以外ではチキンは食べない。」

と言う。

ポークもビーフも同じらしい。安全でないからという。

つまり放し飼いのオーガニックなチキンでない限り

食べないことにしているという。

そう言えばスコットランドにいたころ、

大きなスーパーでは、オーガニックチキンというのを売っていた。

しかし、日本では多分ネットで探さない限り

買えないと思う。しかもかなり高い。

私はあんまりこだわる方ではないが

その私でさえ、アメリカ産の牛肉や豚肉を買うのを避けてるのだから

まあ理にかなってないこともない。

この友人は家の外では

一切肉は食べず、魚か野菜で済ますのだそうだ。

まあ海外ではベジタリアンメニューが充実してるから

それもいいかもしれないが、日本では至難の業である。

それにそんなこと言いだしたら、魚だって養殖はダメになるし、

きりがない。

まあ私はこだわらないひとなので

どっちでもいいんだけど

よくオーガニックの食品を買っていたのは

そっちのほうがおいしいからだ。

これは確かだ。

キッチンで働いていたころ、

オーガニックバターは高いのでやめようという話が出たが

みんなの強い反対によって中止になったことがある。

オーガニックチキンの方がおいしいし、

オーガニックのバターの方がおいしい。

でも値段が高い。その辺のバランスを取っていかなくてはいけない。

残念ながら経済的にはあまり余裕がないので

食べるものをすべてオーガニックにできないし、

食いしん坊なのでベジタリアンにもなれない。

でも、振り返ってみると、結構健康に気を遣って食品を選んでいる。

醤油は醸造用アルコールが入ってない昔ながらのしか使わないし

オイルはオリーブオイルとごま油だけ。

マーガリンは使わず、バターのみ。

まあできるところからしていくしかないんだよね。

件の友人はせっかくシンガポールに行くのに、彼の方針のせいで

シンガポール風チキンライスは食べられないのだ。気の毒に。

おいしいのにね。

ついに会話の終わりに私は言った。

「わかった。」

「スコットランドのスーパーにはオーガニックチキンが売ってるから

そこでチキンを買って

私が作れば、食べられるよ。」

しかし私は日本に住んでるし、

いつスコットランドに来られるかわからない。

気の長い話だけど、

本当に実現したければできるよね?

と言うことで約束。

実現可能かどうかはともかく

なにかを楽しみに待つということは素敵なことだ。

今のうちに何回か作って練習しておこうっと。






必要なものは必ず帰ってくる。

2007アイオナ 096
















先日、ヨガのクラスの前にある店によってバーゲンになっていた黒いブラウスを買った。

お財布がさみしいので、せっかくバーゲンになっていてもあまり買えないのだけど、

これはかなり安かったし、なおかつ体に合ったので、

購入した。

ところが、ヨガクラスを終えて帰ろうとしたら

ブラウスを入れておいたビニールのバッグがない!

カルチャーセンターに戻って、聞いてみたが

ない。

せっかくなけなしのお金で買ったのに

もうなくしちゃったの?

大した値段じゃないけど、気に入っていたのに。

あきらめなくちゃいけないの?

と考えが堂々巡りした。

ここに来る前にどこに行ったか思い出してみた。

カフェに寄った時はちゃんと袋を持っていた。

そのあと、そういえば9階で一休みしたとき

椅子に座っていた。

急いで9階に行ってみると、

ベンチのそばにポツンと袋が。

ほっとした。

3時間近くもほっておいたのにちゃんとあったのだ。

それで過去の出来事を思い出した。

本当に必要なものはちゃんとあなたの元に戻ってくるということ。

フィンドホーンでFP(ファンデーションプログラム)をやっていた時

エレイド島での合宿があった。

これは私にとって本当につらい体験だった。

その時の話はこれ。http://livedoor.blogcms.jp/blog/nadeshiko1955/article/edit?id=811477

最後の日にお別れパーティがあり

そのとき私はヨガのポーズを披露した。

逆立ちである。

するときに邪魔になるので、していたネックレスを外して

隣りの人にあずかってもらった。

終わった後返してもらったけど

どうもその時ネックレスがちゃんとはまっていなかったらしく

翌日帰ろうとしてネックレスがないのに気付いた。

散々探したが見つからず、

こういうネックレスがあったらそれは私のですから

とエレイド島の人たちに頼んで島を後にした。

これはラリマーという明るいブルーの石でできたネックレスで

お気に入りのものだった。

思い入れがあったのですごく悲しかった。

何の連絡もなく日々が過ぎ

そのまま私はFPを終了して日本に帰国。

帰国後の厳しい生活に直面してネックレスのことは忘れていた。

3か月後、FPのフォーカライザーから封筒が送られてきた。

なかにネックレスが入っていた。

どういう経緯かわからないが見つかったのだ。

フォーカライザーが日本まで送ってくれたのだった。

奇跡だと思った。

このネックレスは私のところに戻ってきてくれたのだ。

これは友人や恋人にも言えると思う。

本当にあなたのところに来る運命ならば

必ず彼らは戻ってくる。

戻ってこないということはそういう運命でないということだ。

すごくまれだけど、

もし本当にそういう運命なら

彼らは来る。

あせって誰かを追いかける必要はない。

私の場合も昔親しかった友人から連絡があった。

何年も全く音信不通になっていた。

それから時々話をするようになった。

去年は8年ぶりに1日だけだけど会うことができた。

私にとっては奇跡のようだった。

失われたと思っていた交友がまた戻ってきた。

失ったと思っても本当は失っていないのかもしれない。

これもあれもなくしたと思っていても

本当はなくなってないのかもしれないのだ。

そう思うとすごく心が軽くなる。

周りを見回してみよう。

なくしたと思ったものが実はなくしてないのかもしれない。

本当に必要なものは必ずあなたのもとに帰ってくる。

帰ってこないものはもう必要ないものなのだ。










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