Happy Job Hunting 

海外のスピリチュアルコミュニティでしばらく暮らした後、帰国。50代でコネなしキャリアなしの職探しをする羽目になりました。その過程も学びの一つとして楽しもうと決めました。 living in the spiritual community, I came back to Japan and started job hunting without any significant career and connections at over 50's. That was a very tough journey but I wanted to enjoy the process. I am writing how to keep the motivation, how to be happy no matter what is going on in our life.

2016年12月

2016年の振り返り 私こんなに活動的だったっけ?

Scotland winter 2008 010















昨日の夜まで仕事だったので、

あんまり今年を振り返る余裕はなかったけど、

やっと今日休みになり、大急ぎで振り返ってみた。

今年は吉兆混合だった。

まず1月に右足首を骨折。

これも笑っちゃうけど、友人にクラシックのコンサートに招待されて

2階席の通路を歩いているときに転倒して骨折したのだ。

コンサート会場から車いすで病院に行く羽目に。

松葉づえが取れたころに今度は食中毒。

ちょっとないほどひどい症状だった。

それがやっと治って少しは健康にいいことしないとと思って

7月にハイキングに参加。

それが意外ときつくて完全にばててしまった。

帰りは歩けないほど疲労困憊。

そのあとで股関節の痛みが出てこれは12月の今も治ってない。

痛みはひどくなる一方である。

何か意味があるのかもしれない。

仕事に関しては予備校の仕事があまりにも少なくて全く生活できないので

古巣の英語塾でのクラスも担当。

自分でも英会話の個人レッスンをするようになった。

仕事用のページを作り、メニューも考えた。

ただ、英語を教えることがいまだに自分のミッションだと思えない自分がいるので

本当にやりたいことをどうしたらできるのか考え、

女性企業家カフェと言うのに参加。

そこで励まされてワークショップを始めることにした。

枠を抜け出して自由になるワークショップ。

何人かの方が参加してくださって

やってみるとこれが自分のやりたいことなんだと実感できた。

このワークショップは第3弾までやり、来年が第4弾である。

https://www.facebook.com/events/1459837030710875/

英語に関してももっと気軽に英語を話してもらいたいと思い、

英語お茶会も開催した。これも3回やったかな。

去年2015年には念願のスコットランドへの旅を寄付で実現して幸せだったが

それが実現してしまった後、私は次に何をやったらいいのかわからなくなってしまった。

悶々としていた私を見かねて妹が母校南山大学の元学長である

リーマー神父を紹介してくれ、定期的にお話するようになった。

これは何が変わったかよく言えないが私にとってすごく安らぎだった。

夏にはラジオにも出演。

016
















とにかく何でもよさそうなものには手を出していた感じ。

40days program というオンラインコースに3回参加。

その上8月から時空力プログラムと言うオンラインコースも始めた。

何が変わったかはよくわからないが

9月ごろから予備校でクラスを一つもらって教えることになった。

以前集団クラスで教えていたのが、

はずされて以来もらえなかったのだ。

(字が小さいとか、さんざんフィードバックされていた。

直属の上司が私の授業を気に入らなかったらしい。)

その上冬期講習もやることになった。これは初めて。

なんだかやっと講師として認めてもらったような気がする。

まあ、実はこれもどうも他の講師がやりたくないと言って

ハッキリ言うと誰かの代替要員だったらしいが

でもやったもの勝ちでしょ?

クラスを外されたときすごく悔しかったけど

集団クラスを教えるのは好きなのでもし今度機会があったらぜひお願いします。

と言っておいたのが1年以上もたってから効いてきたということらしい。

他の先生が「集団クラス教えたいんですよね?」と聞いてきて「はい」と言ったら決まった。

(どうもやりたい人がいなかったらしい。。。)

まあそういうわけで予備校の仕事は忙しくなったが、

その割には収入がよくない。

いわゆる高額商品を考えなくてはいけない。

私も若くないのであっちに行きこっちに行きして教えるのには限度がある。

しかしとにかくほんの少しだけ仕事関係には薄明かりが見えてきたという感じである。

人間関係も悪くないし。

今年の私にとってのハイライトは

ずっと音信不通だった友人と8年ぶりに会えたことである。

日本に来るのはさんざんすったもんだがあって

やっと1日だけ可能になった。

でもその1日を楽しく過ごした。

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なんだか今までの心の奥底に押し込めていた疑問を一気に解消できた。

聞けなかったことを聞けて話せなかったことを話せた。

実を言うと8年も前なので

年を取ったし太っちゃったし、、とくよくよしていたが

会って見たら8年が全くなかったみたいだった。

そして今の私の方がずっといいと言ってくれた。

私にとってはそれがとっても大きかった。

いろいろあったけど、あったからこそ今こうして会えたんだと心から思えた。

本当の意味で過去に丸を付けることができるようになった。

友人はもう帰ってしまってはるか遠くの国にいるわけだけど

この世界のどこかに私のことを覚えていて気遣ってくれる人がいるのだと知っているだけでも

すごく心強いのだ。

何となくほんのり心があったかくなる気がする。

というわけで盛りだくさんの2016年でしたが、

ポジティブにそして

静かに終えることができそうです。














人生における強制終了 それも無駄じゃなかった

Holiday 2008 Oct 001













最近過去を振り返ることが多い。


そして私の人生の分岐点と言うと、いつも真っ先に思い浮かぶのが

すべてを捨ててスコットランドのスピリチュアルコミュニティであるフィンドホーンに行ってしまったときと、

今度は3年半の滞在のあと、日本に文字通り何も持たずに帰国したとき。

どっちもすごく怖くて怖くてたまらなかったけど、

どっちが怖かったかと言うと、もう文句なしに帰国したときだ。

これからどうするか全く何の展望もなし。

今やっている時空力のオンラインセミナーの佐藤由美子先生じゃないけど

まさに強制終了だった。

帰りたくなかった。絶対に帰りたくなかった。

他の選択肢がないかいろいろ画策したけど

結局帰国。

アラフィフで コネなし キャリアなしで 一から仕事探しをする羽目になった。

この時が一番つらかった。

家族の反対を押し切って行ったので

家族は全く頼りにならず、

ひとりきりで孤独だった。

今思うとよく生き延びたと思う。

半年間無職で、貯金はどんどん減っていくし、

フィンドホーンにいた時のように心が通じ合う友達もいなかった。

どんな人に会ってもなんか違うと感じてしまうのだった。

フィンドホーンで知り合った友人たちとのように深いつながりが感じられず

それも悩みの一つだった。

あれから5年。

まあ貯金はなくなったけど、少なくともまだ生きてるし、

それなりに一生懸命に真剣に自分の人生を生きてきたと胸を張って言える。

帰国してからの5年はあまり喜びのない日々だったけど、

でも無駄ではなかったと思う。

日本のこの生きづらいせせこましい社会の中で

どうやって自分をしっかり持って前向きに生きていくのか

そんなことを学んだからだ。

よくやったねと自分に言ってあげたい。

もう自分を責めるのはやめたい。

あの強制終了もきっと意味があったのだろうと今だから思える。

先日フィンドホーンで知り合った昔の友人が日本に思いがけなく来てくれた。

会う前は8年前と比べると老けちゃったし、太ったし。。。とくよくよしていたけど

会って見たら、私が前よりもずっと成熟してよくなったとほめてくれた。

なんだか尻切れトンボのまま彼と会えなくなった過去も

許せそうな気がする。

全てはうまくいくと信じ、

宇宙の采配にゆだねて

リラックスして生きていきたいなあと思う。



オープンソウルワークショップ ボディーワーク編
1月14日です!ぜひ参加してください。

第1回から私たちの中にある枠を外して自由になるワークをしてきました。

今回はボディーワークをします。からだと心は密接につながっています。
私は個人的にもう30年以上ヨガをやっており、この経験を生かしてワークをしたいと思いました。

まずシェアリングをして今の状態や問題を明らかにしてから、体をヨガやダンスなど軽い運動でほぐし、それから仰向けになって深い瞑想に入ります。ただ椅子に座っているだけよりも、体を柔らかくしてからの方が何倍もリラックスして内面とつながりやすくなります。

どうしてもはずせなかった枠をその中で見ていく。どうしても許せない人をその中で許す。どうしても忘れられない思い出をその中で手放す。

そして手放した後、今度はそのスペースに素晴らしい未来を入れていきましょう。自分が心から望んでいること、そうなったらいいなと思っていることを全部願ってください。制限はありません。

そして幸せになっていいという許可を自分に与えてください。あなたにはその価値があります。...

動きやすい服装でお越しください。ヨガと言っても本当に軽い運動なので心配する必要はありません。

新しい年を迎え、いらないものを手放して新しい素晴らしいことを迎えるためにぴったりのワークです。あなたのお越しをお待ちしています。

日時:1月14日(土) 1:00~3:00
場所:アロマフォレスト今池
名古屋市千種区今池4丁目16-27くどうビル4F
費用:3000円
講師:山本元恵 
お問い合わせ、お申し込みは motoe1955@hotmail.com
または09060728554 山本元恵 まで

ブログ:Happy Job Hunting
http://blog.livedoor.jp/nadeshiko1955-faith/

「怒りに関する6か条」  私どうして怒らなくなったの?私流の怒りとの付き合い方

003














前にも書いたけど、最近とみに怒らないようになった。

これは別に私がすごく落ち着いた性格の別人になったという意味ではない。

相変わらず短気で切れやすい私のままである。

でも、たとえ切れてもすぐ回復するのである。

ていうかすぐ忘れる。

そもそも切れなくなってきた。

あんなに怒りが私の課題だったのにどうして?と考えてみた。

「1」 怒りをぶつけても全く自分のためにならない。人が寄ってこなくなるだけだ。その上怒りをぶつけた相手からは10倍くらいのお返しをされる。全く割に合わない。

私は本当に怒りを抑えられない人で、さんざんそれでひどい目にあった経験あり。

コミュニティにいた時に、たしかに理不尽な扱いを受けたこともあるけど、怒りをぶつければそれが解消するかと言ったらそうじゃない。却って怒りをぶつけた相手にこっぴどく復讐され、悪い評判を立てられ、さんざんな目にあった。

大切な仕事は任されず、仲間外れにされ、その上唯一の心の支えだったボーイフレンドにも去られた。

その後の人生もそう。怒るだけエネルギーの無駄なのだ。これってよくないのかもしれないが、怒りでさんざんひどい目にあってきたので、もうそんな目にあいたくないというのが本音。

10倍返しの復讐が返ってくるのがわかっていてあなたは怒りをぶつけますか?


「2」 そもそもなんで怒るのか?あなたの中にこうでなくてはいけないという枠があってそれにはまらないひとを批判するのだ。価値観というのは人によって違うので、それで人を判断して怒るのはお門違いである。

たとえば今年の不倫騒動。不倫は罪だ。絶対にするべきではない。という考えの人は不倫する人を非難する。

私は別に不倫擁護者ではないが、一応もう日本では法律に触れているわけではないし、他人がプライベートですることにいちいち目くじら立てるのってどうかと思う。

そんな暇があったらもっと自分を磨くために使えと言いたい。

私は不倫を非難する人たちはみんなひがんでいるのだと思う。

つまり、不倫したくてもできない自分(モテない自分)という現実があり、それで不倫する人に余計腹が立つのである。

つまり嫉妬しているだけ。真実は醜いものなのだ。その真実をちゃんと認めたらどう?

多分長年結婚しているカップルの中には、他の人との恋愛があって初めて維持できる結婚というのもあるのではないかと思う。

長い関係の間に一人二人心惹かれる異姓があってもおかしくない。

何が正しくて正しくないかは人それぞれによって違うのである。それを裁こうとするなんておこがましいと思う。


「3」 怒りを感じる相手の立場になってみるとわかる。たいてい思いやりのないひどい行為をする人はすごく不幸なのである。その人のことを理解できるようになると、ああ可哀想な人なんだと思えるようになる。


私は長年許せなかった女性がいた。許しのワークをするたびにあの人だけは許せないと思っていた。

それが或るとき、一瞬でそれが消え失せてしまった。

私が彼女がいかに不幸せだったかを理解したからだった。

相手の立場を理解することができるようになると、許しは簡単になる。



「4」 人生は短い。残りの人生を怒って過ごすより楽しく笑って過ごしたいじゃない?嫌な相手からは距離を置き、大好きな人たちと一緒に生きていきたいよね



嫌な相手のことを無理やり愛さなくてはいけないと思い、苦労している人がいるが、そんなことはする必要はないと思う。

時が来れば許せるだろうし、そうでなければ無理やり自分の心をねじ伏せる必要はない。それってとても不健康である。

なかには本当にただ距離を置くしかない相手もいる。それはそれで仕方ない。

そんなことに時間とエネルギーをつかうよりももっと賢い時間の使い方があるはずだ。


「5」 期待しない。期待しなければがっかりすることもない。がっかりしなければ怒ることもない。どうでもいい人がどうでもいいことをしたってどうってことない。

執着したり、期待するのをやめる。

淡々と毎日を過ごし、なにがなんでもこれがなくちゃとか、なにがなんでもこうしなくちゃというこだわりを捨てる。

こだわりを捨てるのが大切である。

まあ私の場合は、期待が大きかった分、落胆も大きかったので、過去の経験からもう期待しないし、こだわらないようになったということかな。

誕生日に何かもらうのを期待して、なにももらえなかったらがっかりするけど、何も期待してないときに思いがけなくプレゼントをもらったらすごくうれしいよね?

人生に対してもそういうスタンスで行きたい。でも望みを捨てているわけじゃない。

必死で何かにしがみつくのをやめたということだ。


「6」 人生にはどうにもならないこともある。それを受け入れること。何もかも思い通りにならないから人生は面白いのだ。

不幸や災難を避けようとして人生をコントロールしようとしている人がいる。ある程度まではそれもうまくいくかもしれないが、必ずしっぺ返しが来る。

いい時もあれば悪い時もある。波があって当然だ。可もなく不可もない人生を送りたいなら別だけど、それじゃ死んでいるのも同然だ。

そして人生の荒波が来たとき、笑ってそれに対処できるようにしておきたい。どんなことも楽しんじゃうという姿勢が大切だ。すべての不幸を避けようとすること自体が無駄である。

大体不幸に見えて実は恵みだったということはよくあることで、不幸を恵みにできるかできないかは、私たちの考え方や裁量にかかっている。

すごく印象に残っている言葉がある。

「私たちは人生を理解せずに愛することができる。」

時として人生は難しく理解できない。

どうしてこんなことが起こったの?なぜこんな目にあったの?

理解できない。

でも理解できなくても人生を受け入れて愛することはできる。

理解する必要はないのかもしれない。

せっかく生きているんだから、理解できなくてもいい、人生を愛して行きたい。

これさえあれば~、これさえなかったら~をやめる。

Scotland winter 2008 027














これさえあれば幸せなのに~ってよく言いません?

反対にあれさえなかったら今幸せなのに~とも言いますね。

つまりお金さえあれば幸せなのに~とか、

結婚さえできれば幸せになれるのにとか、

あの親さえいなければ人生変わっていたかもしれなかったのに。。。と私たちはよく言っちゃう

でも

それって間違ってるのよね。

だってお金があっても不幸せな人はいっぱいいるし

結婚しても幸せでない人もいっぱいいる。

壮絶な過去があっても今幸せな人はいる。

だからそれをゴールにすべきじゃないと思う。

ゴールは幸せになることにすべきなのだ。

それは別にお金がなくても

恋人がいなくても

今すぐできることだ。

たとえば、今あんまりお金がないし、

恋人と呼べる人もいない。

そして今夜は雨が降って寒いし、暗いし、淋しい。

でもひとつだけいいことがある。

こんな日に恋しいと思える人がいる。

その人が今そばにいてくれたらどんなにいいだろう。

そう思えるだけでも幸せだ。

その人が自分をどう思っているかは関係ない。

もう誰かを好きになれないとおもっていたそんな自分が

誰かを恋しいと思える、それだけで奇跡なんだ。

それだけで幸せだ。

これで幸せになるという目標は達成。

こんなふうに幸せをどんどん作り出していけば

そのうちにもっと大きな倖せも来るはず。

どう思う?

今の状況を感謝して幸せを感じるのも大切だと思う。

フィンドホーンの創始者のひとり、アイリーンキャディの伝記を読むと

それについて考えさせられる場面が出てくる。

彼女は乳飲み子を抱えてたった一人島のコテッジに取り残されたことがある。

頼りにする夫は仕事探しに行ったまま帰ってこない。

お金もなく知りあいもいない。

きびしい冬をどうやって乗りきるのか?

赤ん坊を抱えていては仕事探しもできない。

絶望的な状況である。

或るときから彼女は今自分に与えられていることに感謝を始めた。

窓から見える青い空に

親切に助けてくれる隣人に

健康で可愛らしい赤ちゃんに

彼女は感謝した。

そして感謝すべきことがたくさんあることを発見。

それをずっと続けていくと忘れていた神とのつながりが復活。

そしてある日奇跡が起こる。

クリスマスの日に夫が帰ってきたのである。

「私の喜びの杯はあふれた」と彼女は書いている。

読んでいるだけでありありと

いかにその時に彼女が幸せだったか感じられる。

人生ってそんな幸せを感じる瞬間を重ねていくものではないだろうか?

何かを達成したり、認められたりするのが目的でなく、

(もちろん、それはそれで素敵だけど)

そんな幸せを感じる瞬間をたくさん持つことを目的にしたいと思う。






「逃げるは恥だが役に立つ」 自己肯定感のドラマ

逃げるは恥だが役に立つ










ドラマ「逃げるは恥だが役に立つ」をやっと見た。

私のうちにはテレビがないので、ネットで第1話から続けてみた。

これ、大人気なのもうなずける。

ヒロインのみくりが大学院で心理学を学んでいたので心理学的な考察も多い。

よく出てくるのが自己肯定感。

ヒロインと暮らすタカマサさんは自己肯定感が非常に低い。

35歳で童貞。女性とお付き合いしたことがない。

みくりもまた就職戦で全敗した過去があり、自信が持てない。

これって自己肯定感をいかに持つかというドラマなのかもしれない。

はたから見ると自信に満ち溢れているように見えても

実は本人はくよくよしていたりする。

そして自己肯定感が低いと

自分の中に閉じこもったり、他人に冷たく当たったりする。

すべて自分を守るためである。

しかし、人生というのは守ってばかりというわけにはいかない。

ヒロインの叔母がいうように、「人生、何が起こるかはわからないのよ。」

それにホントは閉じこもっているように見えて実は心のそこで

自分を認めてほしい、受け入れてほしい、愛してほしいと

思っているんだ。

自己肯定感の低い人は、えてして相手を批判したり

貶めたりして優越感を得ようとする人が多い。

たとえば、学歴に劣等感がある人がいるとしよう。

部下に自分よりはるかにいい大学を出た人がいる。

その人を徹底的にいじめて悪いところばかり指摘し、

その人が落ち込んだり悩むのを見てやっと自分の優位性を自覚できる。

気づかずにこれをやっている人は多いと思う。

私の以前の職場の上司がこの手の人で、

もうものすごく理不尽な扱いを受けた。

いわゆるパワハラである。

これって私に問題があるというより、

その上司に問題があったと思う。

相手の欠点や弱点を指摘して非難することによって

相手のエネルギーを奪い、自分が優位にたつ。

エネルギー的に言うといわゆるエネルギーバンパイアである。

その上司と働いている1年の間はひどく苦痛だった。

病気にもなった。

やっとやめた後は爽快な気分だった。

今は理解できる。

その人の中にものすごい劣等感があり、自己肯定感がひどく低いということを。

なにか不愉快なことがあった時、すべて自分のせいだと思うのは

間違ってる。

自己肯定感の低い相手のせいかもしれないのだ。

ドラマではみくりはたかまささんのほんの小さな褒め言葉で

しあわせを感じる。

認められたと感じるのである。

2人は一緒に少しずつ、少しずつ、

自己肯定感を高めていく。

それがすごく可愛くていじらしくていいんだなあ。

小さなことに喜ぶ。

それが秘訣の一つかもしれない。

たかまささんが網戸が綺麗になって部屋が明るくなったと言ってくれた

それだけでみくりはうれしい。

そんな小さなことに気が付いてくれた、認めてくれたことがうれしいのだ。

あなたのこんなところがいいとか、

こう言ってくれてうれしかったとか、

日々のちょっとしたことを認めてほめてもらえるだけで

自己肯定感は上がるのだ。

これはもちろん自分でもできる。

ほんの小さなことでも、

ああ私ってけっこうやるじゃない?

と評価してあげるだけでも違う。

自分に対する評価は多分一番厳しい。

でも少しそれを和らげてあげて

自分をほめてあげるとエネルギーが変わり、

他人にも優しくできる。

そして他人に優しくできれば

他人から帰ってくるエネルギーも優しくなる。

いいことばかりである。

自己評価、大切です!








戦う女だった私  もう怒らないよ だって割に合わないんだもん。

Findhorn June 2011 017















今日は週に一度の休みの日だったので、

現在受講中のオンラインコースの動画を見ていた。

それで急に腑に落ちたことがある。

或るとき急に理不尽な理由で仕事を首になった女性の話だった。

どうしても納得できない。どうしても許せない。

でも講師の先生が

会社はクビの理由をいろんな理由をつけてるかもしれないけど、

実はそれは人間関係かもしれませんよ。

とおっしゃったとたん、わかった。

つまり、その人を気に入らない、その人ともう働きたくない

雇いたくない、というのは個人的な感情である。

それを正当化するために、

この人はこんなミスをした、とか、いろんな理由をつける。

それは好きじゃないからクビにするという罪悪感を和らげるため。

これ、すごくわかる。

そしてやっとわかった。

私、どうして自分が受け入れてもらえなかったのか、さんざん悩んだ。

どこが悪いのか、どうすればいいのか、そんなに私は悪い人間だったのか?

私は一生懸命働いたし、まじめだったし、うそもつかなかった。

でも気に入ってもらえなかった。

そして結局みんなはただ私のことを好きでなかったからだろうと結論付けた。

いろんなもっともらしい理由を言われたけど、どれも納得できなかったからだ。

問題はどうしてみんなは私を好きでなかったかだ。

その当時の私は戦う女だったからだ。

理不尽な扱いを受けるとすぐに批判し、ぶつかっていった。

どうしてわかってくれない?と涙にくれ、怒りに燃えた。

戦う女というのは世間受けがよくないのだ。

みんな、そこから一歩引いてしまう。

コミュニティに住み始めて最初の一年を戦っていたおかげで

あいつはそういうやつだという前提が広まり、

その後どれだけ一生懸命に努力してもそれを変えることができなかった。

そして私は何も持たずに帰国する羽目になった。

思いだすたびに怒りと悲しみに囚われた。

まあ、コミュニティの人たちは、

当然でしょ、あの人がスタッフになれるわけないでしょ、

高望みしてたのよね。と思っていたかもしれないが、

私にとっては人生をかけた賭けだったのだ。

その賭けに負けたのだ。

これってすごくみじめである。

そしてどうして受け入れてもらえなかったのか

どうして、どうして?と延々自分に問いかけていた。

やっとわかった。

私がすごく批判的で、怒ってばかりいたからだ。

帰国して5年以上もたってからやっと答えがわかった。。。

振り返っていまのわたしはどうか?

コミュニティでの経験や帰国後の経験から

怒るのは割に合わないということがわかってきたので

最近の私はもう怒らない。

あんまりがっかりしてきたのでもう期待しない。期待できない。

期待しないので怒らない。

まあ、ちょっとばかり心の入れ物の容量が大きくなったのかもしれない。

時々、なんかおかしいことがおきると、

なんなの?と思うこともあるけど、

怒るのもあほらしいのですぐ忘れる。

この5年で自分を愛することを学んだのかもしれない。

自分を愛することができたら、

他人を愛することも少しずつできるようになる。

ちょっとは前進してきたのではないかと思って

嬉しかった。

もう自分をいじめるのはやめよう。

がんばったねと褒めてあげなくちゃ。

そして理不尽な扱いをするやつはどこにもいる。

でも人と愛を持って接触していれば

そういうことも減るはずだ。

今の職場でも理不尽な扱いを受けたけど

人間関係を強くしていくうちにそれが改善されてきた気がする。

私のための場所と仕事をちゃんと宇宙が用意してくれると信じよう。








切り捨て御免をやめよう 小さな奇跡も評価する



切り捨て御免










最近過去を受け入れるワークをしている。

なんだか昔のことが急に何もかも無駄じゃなかったと思えるようになって、

そうなると何となく幸せ感があり、安心できて、なおかつ明日に希望が持てるのである。

ところが、あるセッションを受けていたら、私が今をちゃんと受け入れてないと指摘を受けた。

つまり、現実は仕事や収入や人間関係などでまだまだ望みには程遠いので、

せっかくちょっといいことがあっても

これって大したことじゃないと切り捨ててしまう傾向があるのだ。

切り捨て御免。これが私のやり方だった。

クライアントさんがひとり増えた。

せっかく臨時収入が入ったのに病院での検査などの臨時出費があったので

全く貯金は増えず。

ちぇっ。これで評価はゼロである。

昔なじみの海外の友人と8年ぶりに会い、定期的にコンタクトを取るようになった。

それだけでもすごいことだけど

なかなか返事が来なかったりすると

やっぱり落ち込んで その出来事にバツをつけてしまう。

去年、フェイスブックで寄付をお願いして念願のスコットランドへの里帰りを果たした。

自分では一銭も払わず、寄付だけで行けちゃったのだ。

これってすごいことだし、とても感謝しているし、

私にとっては大きな転機だった。

しかし、私の中のもう一人の私は

「またスコットランドに行きたいけど、

さすがにこれ、何度もできないよね~

今度行くときは自分でお金を作らなくちゃ、いつになることやら~。

あ~惨め。」

と言ってるのだ。これでマイナス。

自分に対してはみんなかなり厳しい眼で見てるのである。

ひとつの事実だけでも見る人によって評価はすごく違うのだ。

振り返るとこの1年、私はかなり頑張ってきたと思う。

スコットランドへの旅の報告会も2回やったし、

英語お茶会も3回やった。

長年の夢だった心をテーマにしたオープンソウルワークショップも3回やった。

それに対して私は

自分に足りないところばかりに焦点を当てて引き算をして、

結局〇をつけることができてないのだ。

でもほんの少しの成功だとしてもそれを本心から喜ぶ姿勢が大事だと言われた。

数年前の状況から考えると相当ましになっているし、

何より心がずっと落ち着いている。

お金がないということに焦点を当てると

益々お金がない状態を引き寄せるというのも

頭では分かっているのだけど

はっと気が付くとお金がないからこれが買えないとか

これができないということばかり考えている自分に気が付く。

最近は過去に丸を付けることができ始めたので

かなり心がリラックスしているのだけど

現在今起こっていることに対して

なかなか丸がつけられない。

予備校で冬期講習のクラスを任された。

壁に貼ってあるリストを見ると

最初誰かほかの人の名前が書いてあってそれを消して私の名前になっている。

つまり最初は誰かほかの人の担当だったけど

その人ができなくなったので

急きょ代役として私が駆り出されたのだ。

これを知った時は結構ショックだった。

そういえば秋に任された日曜のクラスも

誰かほかの人ができなくなって私に頼んだらしい。

そう思うと私っていつも代役なんだという前提ができあがり

それでもって落ち込む。

まあ理由がどうあろうとクラスがもらえただけでもいいし、

ちゃんと仕事をすればいいだけなのだけど

人間ってすぐネガティブな方に傾いてしまうのよね。

予期しない仕事をもらったということはラッキーなんだと思わなくちゃいけないんだろうけど

なかなかそう行かないのだ。

世の中にはほんの小さな変化を喜び、

何かいいことが起こる前兆だとか、大げさに感激する人がいるけど

私の場合それは全くない。

乙女座のB型なんで、ひどく実際的なのだ。

目に見えることしか評価しない。

そんなことに感激してるなんてバッカじゃない?と内心思ってる。(ごめんなさい)

奇跡というのは、ほんとに奇跡らしいものしか信じられない。

たまたま3000円臨時収入があったからといって奇跡とは思えない。

まあ30万だったらそう考えてもいいかも。

となると自然奇跡は少なくなる。

う~んこういう考え方がいけないのかなと最近思うようになった。

この切り捨て御免の考え方を変えないといけないのかもしれない。

切り捨てた小さな奇跡も集めれば大きな奇跡になるのかもしれないのだ。




















人生について 辛口談義

001















年取ったせいかフェイスブック見てると

私よりずっと若い人たちがすごく上から目線で私はこうなのよ!

あなたは私を見習うべきよ。なんて感じの投稿をしているのを見ると、

なんか大丈夫かなって思うのよね~

そりゃ年は関係ないのかもしれない。

若くて美しくて成功している人たちへのジェラシーかもしれない。

でもここまで生きてくると、人生いろいろあるのよということが分かってくる。

自分はうまくやってると思っていると突然ひっくり返されたり、

あるとき人生の転機が来てまるっきり正反対の方向に行く羽目になったり、

何が起こるかわからないんだ。

まだ20代や30代でわかったようなこと言ってる人を見ると、

何だかハラハラする。これから何が起こるかわからないのにそれでいいのか?なんて思っちゃう。

これってひがみかな。

いろいろ潜り抜けてきてそして人生こうなのよって言ってるならわかる。

まだ上面しか人生をかじってないのになんでそんなに偉そうに言えるのかなあ。

ま、上面しかかじってないからそういえるのかもね。

別に私が人生を深く理解していると言ってるわけじゃないです。

だっていまだにわからないんだもん。

ただちょっと気になってしまったので。

たまには言いたいことを言ってもいいかなって。

昔FBフレンドのひととチャットしていた時に

その人が人生にはGod's time (神の時)があると言っていた。

いくら一生懸命に努力しても

時が来ないと実現しないのだ。

そして神の時と人間の時は違うのだ。

なんでこんなことが起こったのよ?と神を呪いたくなる時だってある。

でも多分それはその出来事から何かを学ぶように

神が言ってくださっているのだ。

私はその昔、引き寄せの法則グループに所属していた。

リーダーの男性はいろんな事業を成功させ

引き寄せグループの国際的なネットシステムを作り上げ

ありとあらゆる夢をかなえ、贅沢三昧をしていた。

ある意味こうすれば成功するという成功者のシンボルだったのだ。

一回彼に会ったことがあるが全くスターのような存在だった。

ところがそれから1年足らずして彼は詐欺の容疑で起訴され

いまだに塀の中である。

豪邸も高価な車も売りに出されたという。

真偽のほどは私にはわからないが、

ひとつ言えるのは人間の力には限度があるということだ。

私たちにできるのは今をせいいっぱい生きること

そしていつでも希望を持って生きることだけだ。

いわゆる成功者と言われる人たちもよく調べると闇の部分が必ずある。

ルックスも声も抜群、人気絶頂の歌手が休業を宣言した。

ファンだったのでちょっとショック。

そうしたら子供の一人が白血病にかかってしまい、

子供と一緒にいてやりたいからだという。

ああ、人生ってバランスとれてるんだと思ってしまった。

もしすべてうまくいって何も起こらなければ、

私たちは人生について何も学ばないだろう。

でも大したことなくてだらだら人生を送って死ぬ人だっているじゃない?という人もいるだろうけど

多分神様は学ぶ準備ができた生徒にだけ試練をくれるのかもしれない。

かといってただただ苦労するだけの人生なんて嫌だよね

私が学んだのは、生きているうちにこの場所でできるだけ楽しく過ごすということ。

もうそれだけだ。

仕事をできるだけ楽しくする。

少しでいいからおいしいものを食べる。

朝の太陽に感謝する。

もう他人がどう思うかとか

世間体がどうとか、どうでもいいんだ。

私は私の道を行くのだ。











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