2008 May and June in Findhorn 002















プライムビデオでsuit と言う法廷ドラマを見ていた。

主人公はひょんなことから偽弁護士になってしまった男。

ロースクールを出てないし弁護士資格を持ってないのに

弁護士として働き始める。

記憶力と明晰な頭脳をいかして

弁護士として成功していくが

やがて過去がばれそうになる。

彼は少年のころにいた教会の神父に会いに行く。

幼いころに交通事故で両親をいっぺんに失ったのだった。

彼は神父に言う。

I lost my parents. (私は両親を失った)

と言うが、(その後やけになってぐれていた)

神父は

No you lost your trust.

あなたは(神に対する)信頼を失ったのだ。

と言う。

この言葉にぐっと来た。

これ、すごくわかる気がする。

わたしもそうだったから。

ひょっとして今もそうかもしれない。

受け入れがたいことが起きて

でも受け入れるしかなくて

絶望したことがある。

そしてそれ以来

神に対する信頼を失ったのだった。

祈っても祈っても

努力しても努力しても

望みがかなえられない。

そんなことがあったから。

人生でどうしても受け入れられないつらいことが起きた時

私たちは神を恨む。

どうしてこんなことがおきたのですか?

私のどこが悪いのでしょうか?

こんなこと、残酷すぎます。

あんなに努力してあんなに祈ったのに

どうしてこんな目に合わせるのですか?

でも起きてしまったことは何も変わらない。

立ち上がってまた歩き出すしかないのである。

人生はいろいろなことが起こる。

それをコントロールすることはできない。

でもそれに影響されないで

自分なりに幸せを求めて歩いていくことはできる。

なにかどうしても受け入れがたい辛いことが起きた時

こう言い聞かせる。

これは私が成長するチャンスなのだ。

ここから何が学べるのだろうか?

今までそうやってきた。

そして神への信頼を取り戻したいと思っている。

神を信じることができないのって

とても悲しいことだと思うから。

神への信頼ができないひとに

人を信頼できるはずないから。

ある意味、だれも信頼できないと思ってきた。

それは自分の人生でそう思わざるを得ないことが起きたからだ。

でも、

裏切られても忘れられても

やっぱり信頼の気持ちを失いたくない。

神を信じたい気持ちが私の中にあるから

人を信じたい気持ちが私の中にあるから。

もう一度信じたい。

今はそう思っている。