Happy Job Hunting 

海外のスピリチュアルコミュニティでしばらく暮らした後、帰国。50代でコネなしキャリアなしの職探しをする羽目になりました。その過程も学びの一つとして楽しもうと決めました。 living in the spiritual community, I came back to Japan and started job hunting without any significant career and connections at over 50's. That was a very tough journey but I wanted to enjoy the process. I am writing how to keep the motivation, how to be happy no matter what is going on in our life.

教育

役に立たないこと Fを取っちゃった「アメリカの文化」

KKK画像








先日、母校の大学の前学長だった神父とお話した。

その時に、私が在学中唯一とったFについて話すことがあった。

Fというのは Failure つまり落第。

Fを取ってしまうと、もしそれが必須科目だと、もう一度その授業を取らねばならない。

私の唯一の汚点であるFは「アメリカの文化」であった。

英文学をやりたかった私はアメリカの文化などには興味がなかったけど、必須科目だったのでやむを得ずとったのだった。

そして試験の日にひどい胃腸炎になり、欠席。

教授に相談に行ったけど、試験を受けてなければどうしようもないと言われて、もう1年やることになった。

アメリカの文化について2年やることになったのだった。

アメリカの文化というのは、奴隷制度、独立戦争、人権運動などについてのいろんな情報がたくさんつまったものだった。

そこで初めてKKKのことを知った。

これはクー・クラックス・クラン: Ku Klux Klan、略称:KKK)と呼ばれ、アメリカの白人至上主義の団体の名前である。

南北戦争が終わった後、投票しようとする黒人をそれで脅して投票をやめさせたりしていたが、そのうちにだんだんエスカレートして、秘密裏にリンチしたり、段々 残虐の限りを尽くすようになった。

こんなこと、高校までの授業で習ってなかったことは確実である。

よく映画などにKKKのことが出てきたりするが、ぞっとする。

でもって、質問です。

こんなこと知っていて何の役に立つの?

言われそう。

日本にいるんだし、アメリカであっても昔の話じゃない?

何の役に立つんだ?

そりゃ、KKKのことを知らなくてもちゃんと生きていけるし、知ってたからと言って、仕事に役立つとか、お金になるとかにならない。

全く役に立たない。

でもなおかつ、知っていてよかったとおもう。

マーティン・ルーサー・キング 牧師のことも、黒人の人権運動のことも、別に知らなくってもどうってことない。

ここ日本だし。

でも、知っていると人生が豊かになるのだ。

世界がとても広がるのだ。

世の中を違った視点で見ることができるようになるのだ。

それってとても面白いことなのだ。

これ、直接関係ないかもしれないけど、よく大学に行くべきかどうかの議論がある。

何となく大学に行くより、専門学校に行くとか、仕事について社会的スキルを磨くべきだとか、いろいろ意見はあるだろうけど、

私は何となくだとしても、やりたいことがはっきりしてなかったら、大学に行った方がいいと思う。

もちろん大学に行くといろんな出会いがあって、それはすごく大切な財産だけど。

こういう役に立たないどうでもいい知識ばかり増えるかもしれないけど、それはけっして無駄ではないと思うからだ。

人生を豊かにするために大学に行く。それでいいんじゃないかと思う。

というわけで、私はアメリカの文化については1年余分にやったので詳しい。(はず)

もうン十年前になるので、記憶が確かでないところもありますが、ご興味のある方はぜひご連絡ください。

アメリカの文化について語り合いましょう。







自分の夢は自分で実現しよう。

英語勉強画像










今日は初めての生徒さんの体験レッスンだった。

生徒は小学校5年生。メガネをかけた真面目そうでかわいい子である。

お母さんと一緒で、お母さんの説明によると、英検3級を受け続けてずっと玉砕続きだという。

そもそも小学5年で英検3級を受けるということ自体、ちょっと早いと思うのだけど。

今回はどうしても合格させたいということで体験レッスンになったらしい。

取りあえず、英検3級の問題集を少し一緒にやった。

30分くらいやってみてわかったこと。今の状態では英検3級は無理である。

もし受かりたければ、英文法を基礎からしっかり勉強して、そして語彙力ももっと増やす必要がある。

1時間後、お母さんにそれを説明した。

聞けば、県外の超一流中学に受験をさせるつもりで、そのためには小学校のうちに英検3級をとる必要があるらしい。

それで焦って何回も英検を受けさせていたらしい。

お子さんのために最善を望む親御さんの気持ちはわかるけど、ちょっとお母さんが焦りすぎてる気がする。

お子さんの立ち位置がわかってないのだ。

今の状況は3級は無理ということ。県外の一流中学に入学させるというのもかなり高望みな気がする。

それにそれがこの子にとって幸せなんだろうか?

そういうことを考えたことがあるのだろうか?

結局のところ、受験するのはお子さんなのだ。

お話を聞いていて、質問したくなってしまった。

どうしてそんなにお子さんを超一流中学に行かせたいのですか?

中学に行かせても、まだ高校があるし、大学もあるのだ。

今からそんなに必死で勉強させたらどこかで息切れしちゃうんじゃない?

そういう人たちを私はいっぱい見ている。

超一流大学に行き、超一流会社にはいって、そこで力尽きた人たち。

英語だけとっても、問題集をいっぱいやらせるよりも、基礎からゆっくりしっかり教えて英語が好きになってもらいたいのだ。

そうすれば長い目で見れば、英語の成績は伸びるし、将来的にも英語力がつくと思う。

大体、子供は親の持ち物ではないのだ。

親の言うとおりにして親の意見に左右されている子供を見ると胸が痛くなる。

今日会ったお母さんは、ストレスがたまっているように見受けられた。

しあわせそうでなかった。

自分の不満やフラストレーションを子供に夢を預けることで解消しているような気がする。

子供にとってはたまったものでない。

今日会った子はとてもかわいい素直な子だった。

きっとお母さんを喜ばせようとして一生懸命やっているのだと思う。

何かしてあげたいけど、私は教師でしかないので、やれることはあまりない。

ちょっと悲しくなる。

世のお母さんたち、自分の夢は自分で実現してほしい。

子供に過大な期待をしないで、のびのび育ててほしい。

なんとなくはダメ?

英語の画像








英語を勉強していくうえで注意しなければいけないのは、何となく、漠然と意味は分かっている(つもり)の直感を信用しないことだ。

なんたって自分の言語じゃないのだ。わかんない単語を推測してこんな意味かなあと思っていいつもりでいたら全く反対の意味だったりすることがある。

それでもって日本人の場合、わかったような顔をしてにこにこしているので、相手はわかっているものと思い込む。

実は全く分かっていなかったりする。こういうの多いのよね~

先日も生徒と一緒に単語の意味を考えていて、生徒がう~んそれは多分こんな時にこうなってこうなるでしょ、そういうときにこうなるのがその意味だと思う、なんて言う。

何のことかわからない。それにたったひとつの単語になんでそんなに長い説明がいるんだ?ちゃんと一言で言い換えることのできる言葉が日本語にあるのに。

つまり、ほんとのところ、漠然としかわかってないのだ。

でもってこの生徒は、「ママが日本語で覚えないほうがいいって。」という。アホか。

なんでも日本語に転換してから話すようにすると確かに時間がかかるから、英語で考えなくてはいけないというけど、英語の単語の意味がはっきり分かってないのにどうやって話すんだ?

なんか誤解してない?

こういう考え方、すごく浅はかだと思う。それに彼のママは別に英語の専門家でもなんでもないのだ。どこかで聞きかじってきたことをよく知らないのに言うなんて。

自分が日本語で覚えなくて英語が上達したんなら、そういう資格がある。そうじゃないなら黙ってろと言いたい。

日本語だって何となく漠然とわかっていたつもりの事が全然違った意味だったりするじゃない?

舌鼓を打つというのを私は子供のころしたづつみと発音していた。長じてこれは舌鼓であるということを知り、納得した。でも長いこと間違って覚えていた。

いろいろなことわざもそう。助けは人のためならずなんて、全く違う意味で覚えている人がたくさんいる。

私の生徒の一人は、with を which と発音してしまう。何回直してもダメである。

いったん間違って覚えてしまうとなかなか矯正できないのである。箸の持ち方みたいなもので、間違った習慣をつけてしまうと、その後矯正するのにものすごく時間がかかる。

私は23になるまで、間違った箸の持ち方をしていた。大学を卒業して会社に入り、社員食堂で先輩に「あなたの箸の持ち方、おかしくない?」と言われて初めて気づいた。

両親さえも私の箸の持ち方が間違っているのに気付かなかったのだ。

それ以来、お昼ご飯の度に、正しい箸の持ち方ですくった食べ物しか食べないようにした。結果、お昼休みの大半をぎこちなく箸を使って食べることに費やすことになった。

でもおかげで今は正しい箸の持ち方をしている。

何となく分かったつもりでいても、違うかもしれない。すぐ辞書を引こう。

この習慣をつけると間違いが飛躍的に減る。保証します。

正しい怒りの解放のしかた

してもいないことをしたといわれて完全に頭に来た。

どうも私が仕事で相手にしている家族はすごくネガティブらしくて、何を言っても何をしても悪いほうへしかとらない。

全く信じてくれてないのでちょっとでも何かあるとすぐにクレームが来る。しかも相手は別に英語教育のプロでもなんでもないのに、いろいろ差し出口をしてくる。

素人が思うことと、教師が思うことは違うのだ。

このところ完全に悟りの境地だったので、何を言われても受け流していたけど、今日はさすがに切れた。

静かにしてと言っただけなのに、私がうるさい!と怒鳴ったことになっている。そんなこと言ってない。

もういい加減にしろよ。こういうのにもう疲れてきちゃった。

精神衛生上よくないことこの上ない。それでもって自分たちがいかに異常かわかってない。

といっても上司や生徒相手に切れても仕方ないので、やり場のない怒りの持っていきようがなくて、英語の文法の教科書に当たってしまった。

クソッタレ!とさけびながら机に打ち付けた。分厚い本なので、2回や3回机にたたきつけてもどうってことない。

大きな音が出るとちょっとは気が晴れるのよね。

久しぶりだ。

この年でいまだにこんなこと言ってる自分が恥ずかしいが、人間だもの、そういうときもあるのだ。

なんか昔フィンドホーンでインナーチャイルドのワークショップを受けた時のことを思い出した。

怒りを開放するワークでタオルを思い切りベッドに打ち付けるという練習があった。

このワークで怒りが解放されるというより、叫びながらタオルを打ち付けていると肉体的に疲れてきて、そのうちにどうでもよくなってくる。

そうするとちょっと力が抜けた気がするのである。

あの時は翌日肩が痛くてたまらなかった。相当強い力でタオルをたたきつけていたらしい。

教科書には気の毒だったけど、少しは気が晴れた。

しかしまたこういうことがあった時のために、今度はタオルを持参するべきかもしれない。教科書が分解しないように。

考えてみれば、怒ることができるというのはエネルギーがある証拠だ。それは絶対に落ち込んだり悲しんだりしている状態よりは上だ。

それを喜ばなくてはいけない。

数か月前、嫌なことがあって泣きながら友人に電話を掛けたころに比べれば、怒ることができる今の自分って素晴らしい。

回復している証拠である。よかった。



英語教師の悲しいサガ

私は実は英語教員免許を持っている。といっても教育実習以来、中学や高校で教えたことはない。

経済的必要に迫られて仕事探しを始めた時、ほとんどの仕事が年齢制限でひっかかってダメだった。

唯一応募できたのが家庭教師だけ。

そして英語専門の家庭教師になった。この家庭教師という仕事、結構大変である。

普通の教師の場合、授業の前に準備することができる。家庭教師はそれができない。

その日突然生徒が先生これわかんないから教えてと来る。時には全く分からないことも質問される。

その当時私の英語力は錆びついていたので、家庭教師に向かう途中の地下鉄の駅で英文法の本を必死で読み漁っていた。

そして魅了された。面白いのだ。

学生時代ついぞ英文法がおもしろいと思ったことなんてなかったのに、今頃面白くなるというってのも、面白い。

ところがそのせいかどうか、それ以来、いざ自分が英語を話すときに、すぐに英文法用語で考えるようになってしまった。

たとえば、素敵な男性が”I do want you." (あなたがほしい)と言ってくれているとき、「わあ、これは強調のdoだわ!こういう時に使うのね!」と興奮している私。

そんなこと言ってる場合じゃないだろうが?

でもって、また別の時、”Would you like to have dinner with me?"(私とディナーを共にしてくれませんか?)と言われて、”I'd love to." (喜んで)と答え、内心、「やった~、ちゃんと正しくいえた!」と思っている私がいる。

もっと深刻な場面、職場で同僚がわたしのことを非難していて、”That really upsets me."それがほんとに腹がたつの。)と言ったとき、私が何を考えていたかというと、「そうかあ、upsetというのは他動詞として使うんだ。この場合、形容詞じゃないんだ」

いやんなっちゃう。

これ、止められないのだ。自動的に考えちゃうのだ。どうしたらいいのだろうか?

英語で誰かと一生懸命話していて、うっかり文法ミスを犯してしまうと、すぐに「あ、しまった。3人称単数を忘れた。」とか、「過去形にするのを忘れた。」とかしょっちゅう考えちゃう。

ここは時制の一致にしなくてはとか、すぐに考える。

まあ考えなくても正しい文法で話せるのが理想だけど、なかなかそうはいかないのよね。

書くときはともかく、話すときはあんまり文法を考えるとスムーズに話せないので、気にするべきじゃないのだけど、やっぱり英語教師のサガで、つい考えてしまうのだ。

ちょっとでも複雑な文になると、「えっと、これは仮定法過去完了だから、こういわなくちゃ・・・・」なんて考えている私がいる。

これは治らないのかもしれないなあ。

そのせいで、生徒がいい加減な英語を話すと腹が立つ。

一生懸命にミスを治すが、特に海外で生活している子供は文法が少しくらい間違っていてもちゃんと通じるのを知っているので、あんまり気にしない。

「Be動詞が抜けてるでしょ?Be動詞を入れなさい!」「Yesterday といってるんだから、過去形に決まってるじゃない?」と一生懸命に指摘するが、

「先生、気にしすぎ。」なんて言われる。

海外で10年も暮らしていても、間違った文法を平気で使っている日本人をたくさん見てきたので、子供たちにはそうなってほしくない。

わたし、欲張りすぎかなあ。

せめて私自身は正確で綺麗な英語を話したい。まだまだだけどね。



それでも煙草を吸いたい?

またまた生徒の宿題の手伝い。今度は喫煙についてポスターを作るらしい。

ネットでsmokingについて調べると、すごい量の統計がいっぱい。かなりショッキングな写真もあって、こんなの見たら誰も煙草なんて吸いたくなくなるんじゃないかなあ。

タバコが肺がんの原因になるとか、心臓病とかぜんそくとか肺気腫の原因になるということは知っていたけど、タバコが美容にいかに悪いかは、実はよくわかってなかった。

タバコを吸わないで20年過ごした場合と、吸って20年過ごした場合の外見の違いが写真ででてるのをみるとかなりショックである。

肌がくすんでしわが増え、歯は黄ばんで、髪が少なくなる。ショックなのは唇の形が全然ちがってくること。

何だかしぼんでまくれ上がった感じになってしまうのだ。

えーこんなに違うの?と思わず言ってしまうくらい。

女性ならこれを見れば断然禁煙を決意するはずである。

煙草はまた財政的にも大きな負担である。毎日ひと箱の煙草を10年吸い続けると、新しい車を購入できるくらいのお金を使うことになるらしい。

しかも煙草は値上げこそすれ、値下げされることはない。

こんなに悪いことだらけなのになぜ人は煙草を吸い続けるのか?

それは煙草にはニコチンという化学物質が含まれていてそれに中毒性があるからである。

そして吸い続けているうちにどんどん量が増える。つまり、最初は2,3本でよかったのが、そのうちに2,3本では効果が出なくなり、もっと吸わないと同じ効果が出ないということ。

なんでもこのニコチンには、脳を刺激して快感ホルモンを出させる作用があるらしい。でもそのうちに慣れてきてもっともっとたくさん煙草を吸わないとその快感ホルモンが出なくなるのである。こわ~い。

日本の煙草の箱には健康のため吸いすぎには注意しましょうと書いてあるらしいが、外国のたばこの箱にはもっと直接的なメッセージがある。

Smoking kills you.

煙草はあなたを殺す。

はあー。。。。こんなメッセージが書いてあってもそれでも煙草を吸う人の気がしれないが、それだけ中毒性が高いということなのかもしれない。

ある統計によると、煙草の中毒性はヘロインよりも強いという。

十代のころ、好奇心で父のたばこをこっそり吸ってみたことがある。

しかし、私はどうしても煙草の煙を胸まで吸い込めなかったし、すごくまずい味だったし、また吸いたいとは思えなかった。

私の父も死ぬまで煙草を手放せなかった。最後はもう1日に1本くらいだったらしいけど、隠れてこっそり物置の中なんかで吸ってたらしい。

その話をすると、ヘビースモーカーの友人が、「お父さん、もう年でしょ?煙草くらい吸わせてあげなさいよ。」といった。

う~ん、そういう考え方もあるよな。まあ私はあんまりうるさく言わないほうだったけど、妹と母は断固として父に禁煙させようとしていた。

晩年煙草のことで責められ続けた父がちょっと可哀想だった。まあ人間だから一つや二つは弱味があるのが当たり前である。

父は本当にみんなに愛された心正しい人であったが、そんな父も死期が近づいているにもかかわらず、(いや近づいているからこそ?)煙草をこっそり吸っていたのだった。

煙草は映画でも小説でも重要な役割をしている。一種の美学を作り出しているのである。

煙草で一服するそのリラックス感や幸福感は何物にも代えがたいと誰かが言ったことがある。

そんなもんなのかなあ。そういえばフィンドホーンの知り合いの人がヘビースモーカーで、風邪をこじらせて肺炎になり入院する羽目になった。

かなり重症で、命も危ぶまれていたらしい。ところが退院した後で聞くところによると、病院内では禁煙なのにこっそり抜け出して煙草を吸ったらしい。

もう少しで死ぬほどの重病だったのにそれでも吸いたいのが煙草らしい。この気持ちは私にはわからない。

煙草を愛する方々、アンチ煙草派の皆さん、ご意見をお待ちしてます。








差別発言!

Scotland Jan 2010 019














私が人と話していて一番気になるのが、差別発言である。誰かを見下げた言い方、偏見に満ちた言い方である。

新しい仕事についてからこの差別発言をものすごく聞かされていい加減うんざりしている。おばさんとか、年寄りとか、金目当てとか、不良とか。ゲイと言うのも差別発言になる。

これは生徒の場合だけど、あいつはゲイだというと、その人を貶めた発言になるらしい。といっても言ってる本人はゲイがなんだかよくわかってないのである。悪口を言うときにそれを使うと効果的だと思っているだけらしい。

それを聞いているのがすごく不愉快である。一生懸命にそんなことで人を差別してはいけないと言い聞かせようとしているのだが、そもそも親や周りの人間が同じような差別発言をしている場合、私の言うことなんて聞いてくれない。

無力感に襲われる。

だって私はなんせ世界平和と人間はみな平等を掲げたスピリチュアルコミュニティにいたのだ。

普通の社会では差別されるような人間たちがそこにはいて、そういう人たちも同じ人間であり、痛みを知っている分、優しくて繊細な人が多かったのを知っているからである。

今日新しいボスと打ち合わせをしていて、やっぱりこの差別発言が多かった。すごく他人を見下げた発言が多いのだ。もうすごく感じが悪いのだけど、誰も怖くて当人に言わないんだろうな。。。

これは礼儀でもあるのかもしれない。年配の人に年寄りだからといったり、中年の婦人をおばさんといったり、そりゃそのとおりなんだけど、もう少し愛と尊敬を持って表現することはできないのだろうかと思ってしまう。

そういう発言を聞くと、自分がきちんと人間として扱われていないという気分になる。この人はそれをわかってるんだろうかと思ってしまう。

もう最近はあきらめの境地である。自分の聞きたいことしか聞けない人に何を言っても無駄だからである。

言いたいことは沢山あるが、今私にできるのは、この差別発言にいちいち腹を立てたりせず、せめて自分だけは心を静かにしていることだけだ。

ああしんど。

まあ変えられないことにやきもきしても仕方ない。生徒のほうはひょっとしたらまだこの先変われる見込みがあるかもしれない。それを楽しみにやっていくしかない。

私って批判的過ぎると思う?御意見があればお待ちしてます。

あれもダメこれもダメ

私の新しい生徒たちを見て思うこと。過保護。その一語につきる。

物質的な物はいっぱい与えているけど、あれも危ないこれもダメばっかり。ちょっと心配になる。

いくら今危ないものから守ってあげていても、いずれは危険でいっぱいの世間に出て行かなくてはいけないのに、そのときはどうするのだ?

親だっていつまでも生きていて子供を守ってあげられないのだ。そのへんわかってるんだろうか?

その結果過度に潔癖で神経質な子供が出来上がる。慣れ親しんだもの以外はみんな気持ち悪いと感じてしまう。

動物にもさわれない。珍しい食べ物も食べられない。遠くに行くには必ず大人のつきそいがなくてはいけない。

学校と家の往復以外の生活がない。

そんな生活してたら、ストレスがたまって暴力ゲームにはまるのもむべなるかなである。

この子たちをどっか農場に放り込んで、半年くらい過ごさせたらきっといい影響があるだろうなと思うけど、私は親ではないので、それもできない。

あ~あ、英語を教えると言うのも、ただ英語だけの問題じゃないのだ。少なくとも私にとっては。

英語を通して私が人生で学んだことを教えたいのだ。根本的なところが全く違っている相手になにかを教えることができるのだろうか?

いわれた事だけやってればいいのかもしれないけど、わたしは違うことも教えたいのだけど、あまりに土台が違うとちょっと戸惑ってしまう。

この子達に何かを伝えることができるのだろうか?




きっとうまくいく

ブログネタ
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インド映画「きっとうまくいく」をDVDで見た。実はあんまりインド映画に興味はなくて今まで見たことはなかった。お正月なのでまとめて借りることにしてたまたまそのうちのひとつがこれだったのだ。

しかしこれ、なんだかおちょくっているようでいてほろりとするし、現代の教育制度への強烈な風刺もあり、もう時間を忘れてみてしまった。これはすごい。

とにかく楽しいし、面白いし、泣けるし、そして考えさせられる。

日本もインドと同じような問題を抱えているので、ほんとに他人事ではない。

難関を勝ち抜いて工業大学に進学した大学生たちの青春物語である。すべては競争、勝った者だけが生き残る。子供が生まれると、男はエンジニア、女は医者と決められる。それ以外の生き方は許されない。

この映画のなかによく出てくる会話。学生が退学を言い渡されて眼に涙をためていう。「お願いです。セカンドチャンスをください。」

もちろん許されず、彼は自殺を図る。

セカンドチャンスがなければ、もう絶望である。そこで命を絶ってしまう。

日本も似たようなものだと思う。だってセカンドチャンスが許されない社会だもの。いったん社会から脱落すると世間の目が冷たいし、人間として扱ってもらえない。

脱落経験者の私が言うのだから間違いない。

脱落と言うのはもちろん受験の失敗とか、会社をクビになるとか、離婚や別居をするとか、破産するとか、その他もろもろの世間一般とは違うことをすることである。

この映画の主人公の一人のランチョーがいう。「自分が好きでたまらないことをしていれば成功は後からついてくる。心配ない。」

この考え方は心配ばかりしている人間にはなかなか受け入れられない。だってもしそうでなかったら?成功できなかったら?

そしてランチョーのおかげで親友たちはそれぞれ自分の道を歩み始める。彼が背中を押してくれたからだ。

かなりドタバタだけど、たまらなく面白い。ほんとに笑えて泣ける。

ほんとにやりたいことをしない人生なんて生きてるとはいえない。私がそれをわかったのは遅かったけどそれでもわかってよかったと思う。

今だってやりたいことをやれてるわけじゃないけど、少なくとも10年前の私よりは自分の人生を生きていると言えると思う。

今は大変だけど、昔の死んだような人生に比べればずっとずっと幸せである。

人間って残酷なものだ。子供に自分の期待を押し付けるのだ。良かれと思っていても、それが子供にどのようなプレッシャーを与えるのか、本当は子供はどうしたいのか、全く考えてない。

それは本当の愛とはいえないと思う。私がドロップアウトしたときは本当に親に散々言われた。妹にはののしられた。それでもフィンドホーンに行ってしまった。

行く必要があったのだ。どうしても。そして行ってよかったと心から思っている。むしろもし行かなかったら自分はどうなっていたかと思う。

この映画にあるように点を取るための勉強でなく、本当の意味での教育が欲しい。一人ひとりのユニークさを伸ばすような教育、セカンドチャンスを与えてくれる社会がほしい。

この映画のタイトルでみんなの口癖になっているのが、All is well.(きっとうまくいく)である。

なんだか笑っちゃった。これ、フィンドホーンの創始者の一人、アイリーンさんの口癖でもある。そして私の敬愛するHay Houseのオーナーのルイーズ・ヘイの口癖もそうである。

何か困ったことが起こったとき、自分に言い聞かせる。”All is well." 何回も何回も。

これ、私も去年の夏ぐらいからやっていた。不安でたまらなくなると自分で言うのである。”All is well."

そして振り返ると、すべて今まで何とかなってきているのだ。

人生いろいろあるのは当たり前だ。しり込みしそうになったとき、リスクを犯さなくてはいけないとき、自分に言い聞かせるのだ。きっとうまくいく。

心配ばかりしてやりたいことをやらない人生のほうが怖い。やりたいことはみんなやりたい。少なくとも厭なことを我慢してやらない。ありのままの自分で生きていきたい。後悔したくない。

そしてありのままの自分でいることは時として大変なのだ。そんなときに自分に言ってあげるのだ。

”All is well.” と。




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