最近とみに全くと言っていいほど
怒らなくなった。
そりゃ怒ろうとおもえばいっぱいネタはある。
明らかに理不尽な扱いを受けたときや
バカにされてるんじゃないかと思うことや
なんでこうなの?と思うことは一杯ある。
でも最近はたとえそう思っても
一瞬で忘れるようになってしまった。
だってそんな嫌な思いに時間を費やすのはもったいないんだもん。
そして一番の変化は
人がどう思おうと
どうでもいいと思っている自分がいるのである。
最近は皆が怒っていたり批判していたりするのを見ると
何をそう怒ってるの?
そんなことどうでもいいじゃない?
と思っている自分がいる。
他人の不倫じゃない?関係ないじゃない?
人が何をしようとあなたに関係ない。
その人がどんな考え方を持っているか
どんな性的嗜好があるか
どんな趣味を持っているか
そんなんどうだっていいじゃない?
そんなことより
自分にとって大切なことはなんなのか
どうやって生きるべきか
それを考えよう。
子供が勉強してちゃんといい大学に入ってくれるかどうかは
お母さんにとっては大問題であるが
他の人にとってはどうでもいいことである。
それに大きな目で見てみれば
それも大したことでないかもしれない。
猛勉強して東大に合格して
そのあと抜け殻のようになって何もできなくなってしまったという人がいる。
受験に失敗しようが落ちこぼれようが
本人にとって一番素晴らしい道が
もうすでに天によって用意されていると信じることである。
自分のダンナに愛人ができて
中々家に帰ってこない。
それって奥さんにとっては大問題であるが
他の人にとってはどうでもいいことである。
それにそれはつまりもう実質終わってしまっている
結婚生活にけじめをつけて
新しい出発をするよい機会になるかもしれない。
親がぼけてしまって子供の顔もわからない。
それって子供にとっては大問題であるが
他の人にとってはどうでもいいことである。
それは子供にとって親との関係を
考え直すよい機会かもしれない。
そうやって考えていくと
大問題はよい機会であることがわかる。
そして
みんなにとってどうでもよくない事って
そんなにないことがわかる。
ちゃんと生きていて頭の上に屋根があり
食べるに困らないだけの収入があれば
大抵のことはどうでもよいのである。
隣りの住人や
芸能界の誰彼や
上司や同僚や
親や兄弟に腹を立てる暇があったら
今日の素晴らしい青空を見上げて
風に吹かれて
生きてることを感謝してほしいと思う。
だってそれはギフトであって
いつ奪われるかわからないのだから。
ある年齢を過ぎてから
気づいたことがある。
あと何年この青空をみられるかわからない、
あと何回おいしいご飯を食べられるのか
わからない。
昔と違ってそんなにたくさん残ってないのだ。
だから感謝したい。
そして今を味わいたいと思う。