Happy Job Hunting 

海外のスピリチュアルコミュニティでしばらく暮らした後、帰国。50代でコネなしキャリアなしの職探しをする羽目になりました。その過程も学びの一つとして楽しもうと決めました。 living in the spiritual community, I came back to Japan and started job hunting without any significant career and connections at over 50's. That was a very tough journey but I wanted to enjoy the process. I am writing how to keep the motivation, how to be happy no matter what is going on in our life.

怒りは生きるエネルギー  佐藤愛子「90歳何がめでたい」から

90才何がめでたい












先日退院したときに実家に寄って、90歳の母に会ってきた。


骨粗しょう症なのですぐ骨が折れてしまい、難儀しているが


頭の方は全く衰えを見せず、口だけは達者である。


まあボケないのはありがたいが、


いまだに私が心配していることをぐさっと指摘するという


特技があって、付き合うのが大変な時がある。


その母が「これ貸してあげる。」と言ってくれたのが


佐藤愛子さんの本「90歳、何がめでたい」である。


佐藤愛子さんのエッセイは大好きでよく読んでいたのだが


90歳を超えても毒舌の方は衰えず、

すごく面白く読める。


これを読んでて思ったのが怒りの力。

この人はいつも怒ってる。

社会に怒り、今の風潮に怒り、若い人に怒り、

理不尽な人生に怒り。

そしてその怒りの力で彼女は人生を切り開いてきたのである。

読みながら、う~ん怒りって悪くないのかも?


と思ってしまった。

彼女は夫の作った巨額の借金を背負い、

必死で働いて返したという。

なんで私がこんなことしなくちゃいけないの?と

怒りながらも借金を返しちゃったのである。

直木賞も受賞、本も売れた。

つまり彼女の怒りながら猪突猛進するその姿が

たくさんの人の共感を呼び

それが役に立ったのだ。

いつも彼女のエッセイを読むと怒ってるが

それが潔くてすかっとしちゃうのである。

怒りは悪いことだとされてるが

彼女の場合それは生きるエネルギーになっているのだと思う。

怒りで人生を破たんさせてしまう人と彼女がどう違うか考えてみた。

内にこもってない。それだけかな。

怒ってるけど、自己嫌悪とか、自己否定とかは感じられない。

私はこうなのよ~それで悪いか?悪いというやつは出てこい!

という強いエネルギーが感じられる。

叱られたいというひそかな願いを持つ現代人は

そういう彼女に魅せられるのである。

なんかすごくすっきりした。

怒るのは悪いことではないのだ。

内にこもるのが悪いのだ。自分を責めたり、批判したり、否定したりするので

病気になったり犯罪を犯したりするのだ。

怒りは発散するに限る。

ただし誰かを殴ったりするのでなく

佐藤愛子さんのように自分にしかできない方法で

発散しましょう。

怒鳴っても泣いてもいいじゃない?

人に迷惑かけたくない?

そんなこと気にしない。

大体人に迷惑をかけないで生きてるはやつはいない。

堂々と人に迷惑をかけましょう。

いやあこの本大好き。お勧めです。




こまったさんのカレーライス

012















足首を折ったせいで、通ってた耳鼻科に行けなかったが、昨日やっと行けた。

ここは女医さんなので、そのせいか、待合室にいっぱい童話や絵本が置いてある。

待ってる間にそれを読むのが楽しみである。

私は児童文学には結構うるさいのだが、ここの先生はなかなか趣味がいい。

昨日待合室でふと手にとって読み始めたのが、「こまったさんのカレーライス」。寺村輝夫作。

この寺村輝夫さん、大学時代に人形劇クラブに入っているころから大好きだった。

作者に惹かれて読み始めたのだが、なかなか面白い。

結構詳しくカレーの作り方が載っていて、読み終わるとカレーが食べたくて仕方なくなってくる。

主人公のこまったさんは、いつもいつもこまった、こまったというのが口癖のおくさん。

ちょっとぼんやりしていて、いつも困ったはめにおちいるのだ。

今晩のおかずを何にしようか、考え始める。

だんなさんが会社の同僚を連れてくるのだ。

いろいろ考えるのだが、耳元で飼っているオウムが「カレー、カレー」というのでそれが耳について離れず、スーパーに行ってカレーの材料を買ってしまう。

あれ、なんでカレーの材料を買ったのかしら?

もう作るしかない。で作り始める。

オウムが玉ねぎをゆっくり炒めて・・・・というので、玉ねぎを炒める。

あれっ、水を入れすぎちゃった。どうしようこまった。

旦那さんから電話があって、人数が多くなるという。

結局よかったじゃない?でもそうするとカレールーが足りない。

こまったさんはまたスーパーに行く。なぜかカレールーだけでなくイカも買ってきてしまう。

あら、あたしどうしてイカなんて買ったのかしら?

こんな調子である。

こまったさんは、なんていうか、その時の気分に左右されてどんどん違ったことをしてしまうが、最後にはそれがすべて必要であったことがわかる。

お客さんが到着、いざカレーを出そうとすると、ご飯が炊けてない!すっかり忘れてたのだ。

旦那さんとお客さんは「気にしないで!お酒を飲みながら待ってるから。」と言ってくれ、急きょこまったさんは酒のつまみを探す。

そうだ、イカがあったじゃない!でイカのカレー炒めを作る。これが大好評。

そしてご飯が炊けて、おいしいカレーを皆で頂く。

う~ん聞くだけでよだれが出そうだ。

私はどっちか言うと、直感人間で、何事も深く考えずに行動する方なので、すっかりこのこまったさんに共感した。

テキトーに行動してるみたいで、実は宇宙の導きに従っている。こまったさんはそんな感じだ。

そして失敗ばかりしているけど、可愛くて憎めない。

最後になってみると、こまったさんの失敗はすべてもっと上の成功に通じている。

本当の直感に従えば、こういう風に行けるのかもしれない。

絶対に近いうちにこまったさんのカレーライスとイカのカレー炒めを作ろうと心に誓った。

誰か一緒に食べてくれる人、いないかなあ?

心の目で見る  「魔女のオレンジ猫」


Cat crimes 2











ずっとスコットランドの旅の事ばかり書いていたので、ちょっと休憩して別の事を書きたくなった。

ブックオフで懐かしい本を見つけた。

シャーロットマクラウド作、魔女のオレンジ猫。

魔女関係のお話は大好き。

先日もものすごくドジなスコットランドの魔女が絡むロマンス小説を読んだばかり。

これはものすごく邪悪な魔女のお話。

呪いをかけるときに、自分に呪い除けをかけるのを忘れたため、何百年にもわたって動くこともしゃべることもできずにいすにすわっていなければならなくなった。

そのうちに姿が消えてしまい、だれも彼女を見ることができなくなったが、でもその気配は感じられるため、その家は幽霊屋敷と呼ばれて荒れ果ててしまった。

ところがあるとき、ジェニーという貧乏な若い画家の娘が安い家賃に惹かれてここに移り住む。

彼女には椅子に座った老女が見えた。老女の猫も見えた。

彼女は家主が一緒にそこに住んでいるのだと思う。

一応昔は優秀な主婦だったその魔女は、その娘のために居心地よくしてあげようと、魔法で掃除したり、紅茶とスコーンを出したり、朝食を用意したりする。

ジェニーはとても感謝して、ネコをスケッチして、おいしいものを食べ、3人は楽しく過ごす。

彼女は老女がしゃべらなくても身動きしなくても気にしない。そっとそのままにしておいた方がいいのだろうと解釈し、食べ物を目の前においてあげる。

邪悪な魔女にとっては初めての経験である。

それからいろいろあって最後はハッピーエンドになるが、私はこの貧乏な若い娘が、ほかの誰も見えなかった魔女の姿を見ることができたというのにとても感銘した。

彼女は画家なので、心の目で物や人を見るのだ。

がりがりに痩せて耳もちぎれたみっともない猫を、心の目で見て、栄養が行き渡って幸せそうな理想の猫の姿を描く。

そのうちに猫は本当につやつやとして美しくなっていく。

人や物を見るとき、たいていの場合、私たちは表面しか見ない。

でもそれは本当のその姿を現しているわけではない。

心の目で人や物事を見よう。

心の目で見て、今の姿ではなく、これからなる理想の姿を見てあげよう。

そうすれば、それが本当になる。

オープンで、親切で、思いやりのあるジェニーは最後にはホントの幸せをつかむ。

それは彼女が心の目で人を見て、あるものに感謝し、与えられたものを本当に愛したからだ。

そして邪悪な魔女はついに救われる。

このお話の結末はとても心がほっとする。

このお話の中の呪いは、ひょっとして私たちの心の中の未練や憎悪を表しているかもしれない。

それに縛られて、長いこと身動きできず、何も感じず、何もできずにいる。

この魔女は、突然入り込んできた素直な愛らしい若い娘の役に立ちたいと思い、魔法でいろいろなことをしてあげる。

ベッドのシーツにはラベンダーの香り、ボロボロだった家もきれいになっていく。

誰かのことを気にかけて、何かをしてあげたいと思うことが彼女を変えていく。

私たちも同じである。

誰かのことを気にかける。何かしてあげたいと思う。

それは愛の始まりである。

そしてその愛が彼女を救う。

とても短い話だけど、なかなかに深いメッセージを秘めているとわかった。

魔女のオレンジ猫、お勧めです。

短編集なので、ほかの猫のお話も一緒に入っているけど、でも私がいちばん好きなのはやっぱりこの話。

人生があなたをノックアウトするとき、どうする?「私にもできる銀行強盗」

2009 Findhorn Winter to Spring 131














ブックオフで懐かしい本を見つけた。

「私にもできる銀行強盗」

題名がすごい。

でもって内容もすごく面白い。

この銀行強盗する主人公のキャットはなんと60歳。

全く銀行強盗なんてする人じゃないのだが、あるとき人生のすべてがうまくいかなくなり、にっちもさっちもならなくなってしまう。

何回も人生に躓いてそれでも立ち上がりまた歩いてきた不撓不屈のキャットは今度こそ追い詰められる。

そして絶望的になりそれが彼女を銀行強盗に追いやる。

周到に計画を立て、おもちゃの武器を用意、計画通りに実行したはずが・・・・事態は思いもかけない方向に。。。

ストーリーが猛スピードで突っ走り、全く飽きることがない。

この主人公のキャットがとても魅力的。

自分の年齢が主人公の年齢に近くなってきているのでより共感できるようになっているのかもしれない。

あなたは自分の人生が根本からひっくりかえってしまったことがないだろうか?

今まで大事だったものをみんな失うとか、今までの価値観がひっくり返ってしまったとか、ありえないことが起こってしまうとか、理不尽なことが起こって何もかも失うとか?

この本に出てくる登場人物はみんなキャットを含め、そういう経験をしている。

まあ中にはなにも大したことが起こらないで平穏無事な人生を送る人もいるかもしれないが、大体人生というのは何が起こるかわからないものである。

いい大学を出ていい会社に就職すれば安泰だと思っていたら、その会社がまさかの倒産。失業してしまった。

私の後輩に起こった本当の話。

また母の知り合いの人は70歳になってある投資をしたらそれが詐欺で1億円以上を失い、家も工場も失う羽目になった。これも実話。

仕事を引退したら奥さんと一緒に海外旅行をしようと楽しみにしていたら退職してすぐに病気になって死んでしまった。これも実話。

つまり人生は私たちがコントロールしようとしてもそうはいかないことが多いのである。

キャットは素敵な人と出会い、結婚をしたらそれがひどい奴で離婚する羽目になった。

そこから這い上がり、自立して、やっと仕事が軌道に乗ってきたところで、事故にあい、長いこと仕事ができなかった。

回復したときはもう仕事に戻れず、その後アンティーク修復の仕事に就いた。

それがうまくいくようになり、光が当たってきたと思ったところで、また人生にノックアウトされる。

何だか彼女の人生の道が自分とつながっているように思えてくる。

私もそうだったからだ。

人生があなたをノックアウトするとき、あなたはどうするか?

倒れてしまってもまた起き上がって歩き出すしかない。

生きていくにはそれしかないのである。

別に銀行強盗を勧めるわけではないが、この本の言いたいことは、Do something different. (何か違うことをししなさい)ということだと思う。

キャットは今までにしたことのないことをした。

もう破れかぶれになっていたからだ。

今までと違うことをするとどうなるか?

今までと違う結果がくる。

たとえそれが言葉通りの成功でなかったとしても、違う人に会えて違う世界を経験することができる。

そして思ってもみなかったことを経験することができる。

今までを振り返ると、確かに思い切って全く違うことをやってみた時の方が成果が大きい。

しかしそのためにはリスクを冒す必要がある。

自分が持っていた思い込みや制限を全く捨てる必要がある。

しかしそれを捨てると今度は思ってもみなかった素晴らしい体験がやってくることがある。

私が自分の人生で一番思い切ったことをしたのは間違いなくすべてを捨ててスコットランドのスピリチュアルコミュニティであるフィンドホーンに行ってしまったことだった。

まあまともに考えれば、日本での生活を保ったまま、毎年フィンドホーンを訪れることもできた。

でも私はそれでは嫌だったのだ。もっと長くフィンドホーンに居たかったのだった。

これは痛みを伴った。誰も理解してくれず、孤立無援だった。

そして私は一人で行ってしまった。

怖くて怖くてたまらなかった。

でも結果、怒ってもみなかったような素晴らしい体験をすることができた。

世界中に友だちができた。英語も飛躍的に向上した。

そのままずっとそこにいたかった。

でもそこで人生にキックアウトされた。

ビザ切れのために帰国しなければならなかった。

何の計画もなく、日本でやりたいこともわからず、絶望的な気持ちだった。

日本でコネなし、キャリアなしの職探し。

もともとずっと主婦をしていたので仕事探しは大学以来初めて。

年齢ですべてはねられ、面接さえなかなかしてもらえなかった。

私を置いてくれなかったフィンドホーンを恨み、こんな状況に追い込んだ神を恨んだ。

人生はまっすぐな道じゃない。

曲がりくねっているのが常である。

半年職なしの生活のあと、ようやくゲットしたのが子供相手の英語塾。しかも非常勤。週4日だけ。

その当時のキャリアカウンセラーの先生に相談すると、「何がどうなるかはわからないんだからとりあえず経験だと思ってやってみなさい。アルバイトから正社員になった子もいるんだから。」

それであまり気が進まないながらそこで仕事を始めた。

最初はもう失敗だらけ、子供相手に四苦八苦。でもだんだん慣れてきた。

2年後辞めるときは子供たちが素敵なカードをくれた。ちょっと感動した。

そして気が付いたこと。この2年は私のキャリアになったのだ。もうキャリアなしでないのだ。

いろいろ紆余曲折があって、今はほかの学校で教えている。

でもあの2年があったからこそここにいられると思う。

そして今フェイスブックで交流しているどんどん増えている世界中の友達。

あの時フィンドホーンに行くという決意をしていなかったら彼らはいなかったと思う。

全くネガティブな経験からポジティブな経験が出てくることもあるのだ。

今人生に追い詰められていると思ったら、全く違うことをやってみよう。

少なくとも全く違う経験ができる。

何もしないよりずっとましだし、そこから素敵な出会いや素晴らしい気づきがあるかもしれない。

何があるかわからないのが人生だ。

そしてそれだから面白いのだ。










愛の表現における方言

Iloveyou 画像







「希望を運ぶ人」アンディ・アンドルーズという本を図書館で見つけた。

これは謎の老人ジョーンズがいろいろな人に人生の知恵を教え、彼らの人生をすっかり変えてしまうというお話だ。

この作者、アンディ・アンドルーズは実は元ホームレスで、ある老人に会ったことがきっかけになって人生をやり直し、ベストセラー作家になったという経歴の持ち主だ。

本の中のジョーンズはその老人がモデルらしい。

章ごとにいろいろな人たちが出てくるが、私はなかでも第2章「離婚の危機」にとても感銘した。

中年の夫婦が離婚の手続きに来る。二人とも落ち込んでいる。

愛し合って結婚したのになんでこんなことになったの?もう相手は自分の事を愛してないのだ。だったらどうして結婚を続けていく必要がある?

そこにジョーンズが現れ、なぜか一緒にランチをする羽目になる。そして彼は語り始める。

そして二人が抱えている問題は物の見方の違いに過ぎないと話す。

アメリカ人とスコットランド人が同じ英語を話すのに理解できないというのは、方言があるからだ。

人間も物の見方に方言がある。

自分が愛されているかどうかを確認するのにはいろいろな方法がある。

そして自分が愛を表現する方法と愛されていると感じる方法は同じであることが多い。

この夫婦の場合、夫のバリーがコミュニケーションに使う方言は、承認の言葉だ。愛してる、素敵だね。などという。彼に理解できる方言はそれしかない。

しかし妻にはそれが通じなかった。彼女にとっての方言は親切な行為、つまり庭の芝を刈ってくれたり、家事を手伝ってくれたりすることなのだ。

つまり、二人が相手の方言を学び、少しだけ努力すれば、うまくいくようになるというのである。

これ、すごく納得した。

愛情の表現の方言は人によって違う。

この本では、ジョーンズは4つあるといっている。

もちろん組み合わせやバリエーションはあるが、基本的には4つだという。

ひとつは承認の言葉、動物で言えば子犬だ。いい子だね、よしよしと言ってほしい。

二つ目は親切な行為。動物で言えば金魚。

金魚は触られたいと思ってないし、人がそばにいようがいまいが関係ない。金魚はエサをくれて水槽をきれいにしてくれれば十分。そうやって親切にしてもらうと愛されていると感じられる。

3つ目は肉体的接触。これは肩に手を置いたり。ハグやキスをするというものまで全部含まれる。

この方言を使う人にとっては、相手と触れ合うときに最も愛されていると感じる。自分が愛情を表現するときも同じ方法を使う。

猫みたいなものだという。基本的にえさがもらえなくても大丈夫、でも撫でてもらえさえすればいい。自分でも頭を擦り付けてきて撫でてと言ってくる。

4つめの方言は、相手と質の高い時間を共有すること。ふたりきりの安らぎの時間を求める。

方言を使う人が猫だとすれば、4つ目はカナリアだという。カナリアはエサがほしいわけでも撫でてほしいわけでもない。

カナリアは囀りながらそばでじっと聞いてほしいと呼び掛けている。相手をしてほしいんだ。

う~ん、これはなかなか奥深い考察だ。

自分はどのタイプか考えてみた。考えるまでもない。猫のタイプだ。

触れ合うことによって愛されていると感じるタイプ。これで私がなぜ日本を飛び出してフィンドホーンに行ってしまったか説明できる。

猫だったので触れ合いのない関係に我慢できなかったのだ。多分相手は金魚だったのだと思う。でもそれでは愛されていると感じられなかったのだ。

すべての関係においてこの方言を考えてみて、お互いに相手の方言が何かをわかれば、もっともっと関係が改善するに違いないと思う。

すべては物の見方の違いに過ぎないというジョーンズの言葉はなかなか重みがある。

この章以外にもたくさん印象的なエピソードがある。おすすめである。






人生の不公平と無条件の愛



A street cat named Bob を読んだ。ネットでこの本のことを見つけて猫好きな私は早速注文した。

そういえば、この作者のJames と猫のBobが路上で手を打ち合わせている写真をちょっと前にフェイスブックで見たことがあった。

しかしこの本、読んでみると単なる猫の話ではない。

社会の在り方についても考えさせられる。

飼い主のジェイムズはオーストラリアからイギリスに帰ってきてミュージシャンを目指すものの挫折。

ホームレスになり、ヘロイン中毒になり、転落の人生を送る。

やっとそこから這い上がろうとしているところに彼はやっぱりけがをした野良猫を見つけ、やがて世話をするようになる。

彼が直面する社会の不公平さ、それにすごく胸を刺された。

程度の違いこそあれ、同じような思いを私もしたからだ。

いったん社会から逸脱してしまった人間が元の航路に戻るのはたやすくない。社会が拒否するからだ。

私がスコットランドのスピリチュアルコミュニティから帰ってきたとき、同じ思いをした。別に犯罪を犯したわけではないし、みんなと違うことをしただけなのだけど、家族からは疎まれ、ほとんどの友達とは疎遠になった。

応募した仕事はすべて断られる。コネなし、経験なし、キャリアなしでしかも年がいっている。そしてスピリチュアルコミュニティでの経験は全くカウントされない。

かといってフィンドホーンにいた時にちゃんとした扱いを受けたかというとそれもちょっと違う気がする。

あるトレーニングに応募した。断られた。また応募して断られた。3回目に断られたとき、理由を聞いた。

その理由を聞いてびっくりした。体験週間のゲストがリフレクソロジーを頼んできたので、好転反応がありますがいいですか?と聞いたうえで引き受けた。

どうも彼女は気に入らなかったらしい。期待が大きすぎたのかもしれない。それを自分のプログラムのフォーカライザーに告げたのだった。

それが記録に残っているらしい。

私はショックを受けた。今までそれこそたくさんの人たちにリフレクソロジーを提供してきて、ほとんどの人が喜んでくれていたのに、たった一人文句を言う人がいたからと言って、なんで私がこのトレーニングに参加できないのだ?

他にもいろいろ言われたが、今思うと、彼らは私が気に入らなかった、ただそれだけだったのだと思う。

いくら一生懸命に頑張ってもダメ。最初っからあなたはmain streem にいるとはみなされていないんだから。

そういわれたこともある。

ジェイムズが受ける仕打ちも同じだ。何もしていないのに糾弾される。この悔しさ、すごくわかる。

ホームレスだとわかった時点で何も悪いことをしていないのに仕事は首になる。ホームレスになった時点で一人も友だちがいなくなる。

ホームレスになることはinvisible見えなくなることだという。人間だとみなしてもらえない。ただ無視されるだけ。

路上でギター演奏をして日銭を稼ぐ彼は、なぜか地下鉄の職員から嫌われ、そこで演奏できなくなる。

何も悪いことをしていないのに、誤解され、嫌われ、無視される辛さ。それをジェイムズはつづっている。

裁判所に呼び出され、もう少しで逮捕されそうになる。

路上演奏がもうできないと悟ってジェイムズはBig Issueというホームレス救済のための雑誌を売ることを決意する。

自分とボブを食べさせていかなくてはいかないからだ。しかしそれも簡単ではなかった。

この雑誌を売るのはちゃんと決まったテリトリーがあって、その範囲内で売らなくてはいけないのだが、たまたまボブを気に入ってくれた観光客がテリトリー外で彼に話しかけ、しかもお金を渡したおかげで、規則を破ったと責められる。

何だか可哀想でたまらなくなる。でも彼は怒ることなく淡々とボブと自分のために一番良いことを選ぼうとする。

ヘロインとの戦いの最後の段階、ヘロインの代替薬であるメタジンをやめる時の禁断症状を耐え抜くシーンは
もう壮絶である。

そしてそのつらいとき、いつもそばにいて彼を支えてくれたのが猫のボブだったのだった。

どうして路上生活をしていたヘロイン中毒の人間がこんなに変われたのか?

彼はボブを知ってから、生まれて初めて責任を持つということを知ったのだった。ボブを食べさせ、あたたくしてやり、健康であるように気を配らなくてはいけない。

そしてそれに対してボブがしてくれたこと、それは無条件の愛だった。

動物であれ、人間であれ、無条件で愛されることほど人間を変えるものはない。

ボブはたくさんの人を惹きつけついにはジェイムズは本を出版することになる。それはベストセラーになった。

最近ネットで調べると、2冊目、3冊目の本が出ているらしい。ボブとジェイムズは元気で本のサイン会にはたくさんの人がボブへのプレゼントを持って押しかけたらしい。

ジェイムズは本で得たお金をボブと暮らすためのアパートに使ったほかは全部動物のためのシェルターに寄付したらしい。

この本の最後のくだりに涙してしまった。

I knew the road ahead wouldn't be smooth. We were sure to face our problems here and there- I was still working on the streets of London, after all. It was never going to be easy. But as long as we were together, I had a feeling it was going to be fine.

これからの道はたやすくはないとわかっている。わたしたちはあちらやこちらで問題に出会うだろう。私は結局まだロンドンの路上で働いているし、それは決してたやすくはならないのだ。でも、わたしたちが一緒にいる限り、大丈夫だと私は感じている。

A long way down

A long way down という本を読んだ。これは映画にもなったらしい。

この本は賛否両論だったらしいけど、私は本当にいい本だと思う。

大みそかの晩に自殺するつもりの4人が偶然にビルの屋上で鉢合わせする。

この4人、まったく共通点はない。元人気テレビキャスターのマーティン、17歳のいかれた少女ジェス、人生のほとんどを植物状態の息子のためにささげてきたモーリーン、そして元ミュージシャン、今はピザの宅配をしてるJJ.

共通しているのは大みそかの晩にビルの屋上から飛び降りたいという気持ちだけだ。

鉢合わせしてしまったことで、4人はなぜか一緒にピザを食べ始め、自殺する日を少しだけ伸ばすことに同意する。

それからいろいろなことが起きるが、結局4人は本当の自分の姿をお互いの交流を通して見つけていく。

最後のほうでJJが悟る場面がとてもいい。

そしてたぶん、ここ2,3か月で初めて、俺はあることを正面から受け入れたんだ。

そいつは俺の肚の底、あるいは頭の奥のほうーどっか気づかないふりができる場所にずっと隠れてて、そいつが隠れていることはわかってた。

言っちまうとこういうことだ。つまり俺が自殺したかったのは、人生を憎んでいたからじゃない。人生を愛して
たからなんだ。

本当は、死のうと思っている大勢の人たちは同じように感じているんだと俺は思う。彼らは人生を愛してる。

でもそれが滅茶苦茶になっちまった。だから俺はあいつらに出会ったし、だから俺らは今も生きてる。

俺らは屋上にいたのは人生に戻る道を見失って、、ああいう風に人生から締め出しを食ったからだ。

そうなるとさ、人間、潰れちゃうぜ、マン。だからあれは絶望からの行動で、ニヒリズムからの行動じゃない。

安楽死であって、殺人じゃない。

この気持ち、わかるなあ。人生を愛してるからこそ、その人生が滅茶苦茶になった時、死にたいと思うのだ。

なんていうか、人生はこうあるべきだとかこうありたいというものが自分たちにあって、現実の人生がそれと全く違っていたら、死にたくなっちゃったって不思議はない。

反対に言えば、本当に自分が求めているのはいったい何なのかを見つけること、そしてそれを手に入れること、それだけで人生は変わって見えてくるのかもしれない。

モーリーンの望みはささやかなものだった。海外旅行に行きたい。クイズ大会に参加したい。なんでもいいから仕事に就きたい。

実現不可能に思えていたのに、ひょんなことからそれは全部実現する。

JJは、自分が何を望んでいるのかよくわかってなかったが、ついに理解する。自分は音楽がやりたかったのだ。他のことはどうでもいいのだ。音楽がなければ自分ではなくなってしまうのだ。

ジェスはありのままの自分を受け入れてくれる男性に出会う。要するに彼女が望んでいたのはそれだったのだ。

自分が正しい道にいるとは思えないとき、人は不幸になる。ちょっと立ち止まって、今自分が正しい道にいるかどうか、心に聞いてみよう。

そして答えがNOだったら、勇気を出して正しい方向に進みだそう。

あと少しだけ、頑張ってみよう。あと少しだけ、生きてみよう。

この4人が交わした約束はあと1日だけ自殺を先延ばしすることだった。それが1か月後、3か月後、とのびていく。

そして多分自分ひとりよりも、仲間がいたほうが、あと少しだけ頑張ってみるのがたやすくなるのかもしれない。


運命の気まぐれ

何を隠そう、私はロマンス小説が大好きで、ずっと愛好している。昔と違って、最近のヒストリカルロマンス小説はなかなかよくできていて、楽しめるだけでなく、歴史の勉強もできるし、考えさせられたりする。

最近のお気に入りは、ジュリー・アン・ロングの「恋泥棒に魅せられて」である。

切れ者の弁護士である主人公ギデオンは、浪費家であった父の借金を返し、何とかして家を再興しようとずっと頑張ってきた。

彼の願いは社交界の頂点に立つ高嶺の花、侯爵令嬢のコンスタンスと結婚して、彼女の父のサポートで財務大臣にまで上り詰めること。

しかし、困っている依頼人を助けるという性格が災いしてなかなかお金がたまらない。それにコンスタンスには、新しい財産も爵位もある崇拝者が現れ、彼は焦る。

友人のキルマーティンは、コンスタンスにはライバルが必要だという。エキゾチックで美しいライバルが。

ひょんなことからギデオンはすりの少女を捕まえ、彼女が実はフランス語も話せるし、本も読めるということを知る。美しい目を持ち、ビロードのような声をしている。

彼はこの少女を磨いて貴婦人に仕立て上げ、コンスタンスに対抗させることにする。

この本で面白いのは、ギデオンはすべてに計画を立て、一つずつそれを克服していく。計画にそぐわないものはいっさいやらない。常に未来に焦点を当てている。

一方、このすりの少女、リリーはその一瞬一瞬に生きている。彼女の場合、そうするしかなかったのだ。

二人がかわす会話。

ギデオンは一生懸命社交界の決まりごとをリリーに教えようとするがリリーは懐疑的だ。

「そうね。でも私にはああいう決まりごとが・・・本当のその人に張り付けた壁紙のように思えるわ。誰もが友達で、それでいてだれもが赤の他人で。それに運命の気まぐれは全く考慮されていないわ。」

一生懸命に計画を立ててそれを実行してきたのに、あるとき人生が根本から全くひっくりかえってしまったというようなことが起こる。

いったいあれはなんだったんだろうということが起こるのだ。

この何年か引き寄せの法則を勉強してきたけど、わかったことは、いくら努力しても、人生には私たちが理解できない何かが起こることがあるのだ。

だからといってそれはわたしたちが何か悪いことをしたからとか、ネガティブすぎたからではないと思うl。

人生にはアップダウンがあるのだ。どんな人にもあるのだ。

それに対してどう対処するかは私たちの自由意思に任されている。違いはそこにあるのだ。

なんで?どうして私はこんな目に合わなくてはいけないの?なんて思うことはいっぱいある。

運命の気まぐれはあるのだ。でもそれを災いと思わず、どうやってそれを乗り越えて何かを学べるかというほうに焦点を持っていくべきなのだ。

時にはいちばん愚かな決断が一番賢かったということが後でわかったりする。

このストーリーはそういうことを言っているのだと思う。

自分の心の声に従いなさい。後のことは神様に任せなさい。

もちろんこのお話はハッピーエンド。だからロマンス小説が好きなのよね。






「赤毛のアン」の秘密

図書館で「赤毛のアンの秘密」という本を見つけた。

赤毛のアンの作者、モンゴメリについてかなりショッキングなことが書いてある。モンゴメリの生涯は戦いの連続だったらしい。

赤毛のアンは日本の少女たちにたいそう愛され、今でもその舞台となったプリンスエドワード島を訪れる日本人が絶えないといわれる。

何を隠そう、私も赤毛のアンのファンで、暗記するくらい何回も読んだくちである。でも成長するにつれて、モンゴメリの他の作品のほうが好きになった。

一番好きなのは、「丘の家のジェーン」だけど、エミリーシリーズもかなり好きである。これらは「赤毛のアン」とはかなり傾向がちがう。

私はただ、赤毛のアンのお話が好きで、赤い道とか、リンゴの花とか、イチゴジュース等に代表される日本とは全く違った文化に魅了されていただけだったかもしれない。

この「赤毛のアンの秘密」を読むと、モンゴメリが苦闘の人生を送っていたこと、外から見れば問題がないように見えて実は不幸であったことなどが書いてある。

ショッキングだったのは、彼女の死が自殺だったとあることである。

色んな世間の枠から外れたいと思いながら、結局は枠の中で生きることを選んだアンは実はモンゴメリ自身の投影だったというのである。

愛していない人と結婚して、夫のうつ病を隠しながら、牧師夫人として一生懸命に義務を果たし、その上執筆も続けていたモンゴメリにとって人生は苦難の連続だった。

ひとつだけ、救われる気がするのは、彼女が生涯2人の男性と文通を続けていたことである。

彼女が死ぬ直前までそれは続いていた。彼らとの文通がいかに彼女を支えていたか想像できる。

彼女の小説は通俗小説であり、高い文学性がないと批判されているが、それでもこの赤毛のアンがいかにたくさんの少女たちの心の友になってきたかという事を思うと、モンゴメリの業績は偉大である。

そしてこんなに苦難の人生をこんなに一生懸命に生きて、そして力尽きてしまった女性のことを思うと、涙が出るほどの共感と愛を感じる。

「家事場の女神さま」


Spring in Japan 2012 348














ソフィー・キンセラの「家事場の女神さま」を図書館で見つけた。

実はこれ原題はThe Undomestic Goddess(直訳すると家庭的でない女神という意味)で、もう何年も前にイギリスで購入して夢中になって読んだものだった。

ソフィー・キンセラの小説はとても読みやすいし、共感できる。当時英語にもかかわらず一気に読んでしまったのはそのせいだ。

これで英語と日本語と両方読んだことになる。なんだか誇らしい。

日本語でもやっぱり夢中で読んでしまった。とにかく面白い。そして何かを考えさせてくれる。そして結末はいつもハッピーエンド。明日に希望を持たせてくれる。

イギリストップクラスの弁護士事務所に勤める主人公サマンサは超エリート、パートナーを目指してがんばっているが、実生活はストレスまみれ、しかしそのまま走り続けている。

しかし、パートナー昇進を目前にして彼女は事務所に巨額の損失を与えるとんでもないミスを犯したことに気づき、ショックから逃げ出してしまう。

当てもなく電車に乗りたどり着いた田舎の町で一杯の水を頼もうとある家のドアをたたくと、何と家政婦の求人に応募してきたのだと勘違いされ、成り行きで採用されてしまう。

しかし彼女は全く家事ができない。さあどうするか?

もうほんとに笑わせてくれる。おかしいのは、このサマンサ、最高の学歴でIQも高くて切れ者の弁護士なのに、料理はできるのはトーストだけ、洗濯機の使い方も知らず、アイロンもかけられない。

彼女がしでかす様々な大失敗はほんとに笑える。とはいえ、誰もが一度はこんな失敗をしたことがあるはずだ。

卵を電子レンジに入れて爆発させるとか、赤い衣類と白い衣類を一緒に洗って全部ピンクにしちゃうとか。。。。

そしてサマンサは今まで知らなかったことをだんだん学んでいく。良い教師を得て、おいしい食物をゆっくり味わうことがいかにすばらしいことか、世の中には時間をかけたほうがいいものもあることを知る。

初めて自分で作ったロースチキンのおいしさ、初めて作った自家製のパン。太陽の下で食べるランチ。

彼女はそういうものに目覚めていく。そしてもうもとの自分に戻れないことに気づく。

紆余曲折あって、いったん彼女は元の生活に戻ろうとする。でも最後には心の声に従って、すべての昔の絆を断ち切って新しい生活に踏み出す。

とても前向きなエンディングである。

読んで思ったことは、自分が最近こういう心のゆとりを失いつつあることだ。明け方の光を見て感動したときの気持ち、森の中を一人で歩いていたときの気持ち、それがどんどん遠くなりつつある。

日々の生活に追われてやらなくてはいけないことばかりをやっている。本当にやりたいことをやっているのか?

いつになったらそれをやれるの?

本当の私はなんなの?

サマンサは退職をつげて、最後に弁護士仲間の男性に「君は弁護士なんだ!」と言われるが、言い返す。「私は弁護士じゃない。私は人間なのよ!」

自分探しというのは一生の課題なのかもしれない。

自分が誰なのか、なにをするためにこの世に来たのか、どうしたら人々を幸せにできるのか、そしてどうしたら自分を幸せにできるのか、そういうことを一生かかって探していくのかもしれない。

これはサマンサの自分探しの旅のストーリーでもある。

この小説は舞台がコッツウオルズである。絵のように美しい村の景色も描写され、想像するだけでわくわくする。

もう一度コッツウオルズにも行きたい。ランチを食べているとニワトリがやってくるようなそんなのどかな場所に行きたい。そう思わせてくれたお話だった。

美しい景色、おいしい食べ物、ロマンス、そしてサスペンスもあり、盛りだくさんである。お勧めです。、
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