Happy Job Hunting 

海外のスピリチュアルコミュニティでしばらく暮らした後、帰国。50代でコネなしキャリアなしの職探しをする羽目になりました。その過程も学びの一つとして楽しもうと決めました。 living in the spiritual community, I came back to Japan and started job hunting without any significant career and connections at over 50's. That was a very tough journey but I wanted to enjoy the process. I am writing how to keep the motivation, how to be happy no matter what is going on in our life.

不思議体験

クレアセンシェンス

これまでの人生を振り返ると、いろいろアップダウンがあったけど、たいていそばにいる人たちに影響をうけていた。

私は周りにいる人たちに影響をうけやすいたちらしいのである。なんかやだなあと思うけど、そうとしか考えられない。

小学校の頃、5年生になったところで、親友ができた。その子がまたすごく勉強がよくできてしかも人気者だった。

彼女と仲良くなったら急に成績が良くなって学級委員までするようになった。友達もいっぱいできて楽しく遊んだ。

ところが卒業して中学に入り、彼女と離ればなれになると、ガクッと成績が落ちた。彼女は相変わらず人気者だけど、私は地味な子になった。

高校に入って担任の先生が英語の教師だった。たまたままぐれで最初のテストで97点を取ってしまったら、先生は私に英語の才能があると思い込み、英文科に行かせるために特訓を始めた。

まあありがたいことだけど、「先生あたし英語嫌いなんです。」と言いながら引きずられてついには大学の英米科に入ってしまった。

その先生の英語に対するすごく大きな愛のようなものを感じ取っていたからかもしれない。

一番私が感じやすいのは誰かのネガティブなエネルギーである。怒りや悲しみ、欲求不満などを自分のことのように感じてしまう。

ひとの感情をそのまま吸い取ってしまうらしい。スポンジみたいなものだ。

まあ人は多かれ少なかれこの感覚を持っているらしいが、私の場合はかなり強く感じてしまうらしい。

特にネガティブな感情の場合はすぐわかるのである。

ひどい言葉を投げかけられると、胸にナイフを突き刺されたように痛みさえ感じることがある。

そういうことが続くと、胸のあたりが苦しくなる。

フィンドホーンの体験週間に行ったとき、グループの一人がその朝家族に電話をして、彼女の愛犬が交通事故にあって亡くなってしまったということを知り、ひどく動揺していた。

フォーカライザーの一人が急きょ私たちでサンクチュアリに行きシェアリングをしなさいといった。

彼女を囲んで座り、ほかのみんなは「きっと短いけれど幸せな一生だったわよ。」とか、一生懸命に慰めていた。

私は何か言おうとしたのだが、何も出てこない。そのうちにものすごい感情がこみあげてきて、彼女と一緒に泣き崩れてしまった。

この時は自分でもびっくりした。だって私は別に犬が好きなわけでもなんでもないし、特別に思い入れがあるわけではない。

それにそもそも私はすぐ泣くひとではなかったのだ。すぐ泣く女性を軽蔑していた。

しかしこの時は彼女の悲しみが私に乗り移ってきたみたいだった。二人で抱き合っておいおい泣いてしまった。

彼女は後で、一緒に泣いてくれてありがとうと言ってくれた。

この時は涙だったけど、人の感情をすぐ敏感に受け取ってしまう傾向にある。

こういうひとのことをクレアセンシェンスというらしい。

周りにネガティブな人や怒りの大きな人がいると、疲れ果ててしまう。相手が自分のことをどう思っているか敏感に察知するからである。

たいていいい風には思ってくれてない。そういう察知だけは当たるのである。

そうなると、自分を守るためには何をすればいいのか?自分のまわりにネガティブなエネルギーを持つ人を寄せ付けないことだ。

小学校の時の親友のように、私にポジティブな影響を与えてくれて一緒に成長できるような人と一緒にいるべきなのだ。

どうも私の場合、いやな人間や苦手な人間に囲まれていながら、心の平和を保ちハッピーでいるというのは難しいようだ。

人の影響をうけやすいのなら、せめていい影響をうけられるところに自分を置いてあげたい。

それが無理なら、せめて悪い影響を与える人から自分を遠ざけるべきなのだ。

いうのはたやすいけどこれが大変だ。でも最近あまりにもこの毒にさらされた挙句、体のほうに不調が出てきた。

こういうサインは馬鹿にしてはいけない。かみさまからのwake up call なのだ。目を覚ましなさい。なんとかしなさい。このままじゃだめですよ。

さあこのwake up call にどう応えようか?









エンジェルオラクルカード

私がエンジェルカードに出会ったのはフィンドホーンに行ってからのことだった。

それまでの私はそういう胡散臭いスピリチュアル系のシロモノは一切信用してなかったし、疑いの目で見ていたのだった。

そんなものを信じるなんてアホラシというのが私の意見だった。

ところがフィンドホーンではこのエンジェルカードが幅を利かせていて何かにつけてカードを引くのだ。仕方なく私もそれに参加していくうちになんだか不思議な気持ちになってきた。

時々すっごくタイミングよいメッセージがくるのだ。

今でも覚えているが、私がビザの問題で悩んでいるとき、わらにもすがりたくてエンジェルカードを引いた。

でたのは・・・白紙のカードだった。

これでますますフラストレーションがたまってきたので、私はもう一枚カードを引いた。

次は・・・・patience(忍耐)だった。

やめておけばいいのに、それでますます頭にきた私はもう一枚カードを引いた。

最後は・・・・surrender(お任せする)だった。

ここでやっと悟って私は神さまにお任せすることにした。

真剣に引いたときはかなり当たるのである。

最近ドリーンバーチューさんのインタビューのオーディオを聞いていたら、彼女の作ったエンジェルカードの話が出てきた。

彼女がオラクルカードを作ったいきさつや、天使の声に従うきっかけになったことなど、とても興味深かった。

それを聞いているうちにそういえばうちにドリーンさんの著書があったはずだと思い返し、本棚を調べた。

あった!エンジェルガイダンスという本。昔スピリチュアル系の本をあさっていたころ買ったものだ。

そのころ私は神とつながれないことに腹を立てていて、一体どうしたら真のガイダンスと偽のガイダンスの違いを見極められるのだろうかと思っていたので、その本を買ったのだった。

今読むと昔よりよくわかる。神とのつながり方は人ぞれぞれで何かが見えたり、聞こえたり、感じたり、元から知っていたり、いろいろなのだ。

私は何も見えたことはないし、聞こえないし、メッセージは来ないのだと思っていたけど、第6感というか、感じで何かを予知することはあった。

私がつながれないというわけではなかったのだ。

去年から今年にかけていろいろなことがおこり、私は胸が苦しくなる経験をした。それは肉体的な不調というより、ただ胸が重苦しいのだった。

悩んでいた問題をなんとか解決すると、すっと胸が軽くなった。これは私の場合サインなのだった。

それにもかかわらず、また直感を無視することがあり、今度は体調不良としてそれが出た。

最初は胃腸の具合が悪く、胃がもたれたり、ひどい下痢をしたりした。そのうちインフルエンザにかかり、長く回復しなかった。そのうちに喉の感染症にかかり、もっと寝込むことになった。

こんなに長いことからだの調子が悪いのははじめてである。ちょうど今の仕事についてから始まっている。

そして仕事のことを考えると胸が苦しくなり、胃が緊張する。こんなはっきりしたメッセージがあるだろうか?

私たちがメッセージを無視していると、メッセージはもっともっと大きくなり、耐え切れないくらいになる。

そうなる前に何とかしなくてはいけない。でもそれには勇気がいるのだ。

ドリーンはインタビューで言っていた。「たくさんの人たちがお金を口実にしているのを見ると悲しくなる。彼らはお金ができたらやりたいことをやれると思っている。でもそれは反対だ。」

「先ずやりたいことをやるのだ。それからお金がやってくるのだ。」

誰でも人生の目的がある。その目的のために働いていればこの上なく幸せになれる。同時にお金のほうもやってくる。宇宙の法則はそうできているのだ。ドリーンさんはそう言う。

彼女は最初は無名のただの主婦で、エンジェルのガイダンスに従い、大学に行き心理療法士になった。

書いた本がベストセラーになり、あちこちから講演にひっぱりだこになった。恋愛の先生として、マスコミからもてはやされた。

たくさんお金が入ってきたが、本人は幸せではなかった。なんか自分のやるべき仕事だとは思えなかったからだ。

そして天使のガイダンスがあり、「あなたは正しい道を歩んでいない。」といわれ、今まで恐れていたことを思い切ってやってみることに。それは彼女が子供のころからやってきたこと。エンジェルと話すこと。そのガイダンスの受け方について人々に教えること。

そして彼女はあるときもう少しで死ぬような経験をして、エンジェルのメッセージで助けられる。彼女は決心してエンジェルについて語り始める。それが始まりだった。

そして彼女が恋愛の先生としての取材を断ってエンジェルについて教え始めた。これからどうなるか全く見当がつかなかったにもかかわらず、クライアントは増え、収入は以前にも増して多くなった。

なんだかこれって私の人生の目的と違う気がする。もしくは一生懸命やっても報われないとか、収入が全く増えないというのは、多分天使たちが「あなたは正しい道を歩いてませんよ。」といっているのかもしれない。

ハートがわくわくすることに向かって進むと、思いもかけないところから助けがやってきたり、いろんなことがスムーズに進むことがある。それって神さまがサポートしてくれているのだ。

ドリーンさんのようにやりたいこと、人生の目的がはっきりしていると、ガイダンスも受けやすいのかもしれないが、私はああまた直感を無視しちゃったという忸怩たる思いでいる。

先行きの見通しがないまま、今まで先延ばしにしてきたことに取り掛かろうとしている。無謀としか言いようがないが、やってみないであきらめたくない。

このまま胸が重苦しいままでいたくないのだ。人生、もう残された日々のほうが短いのだ。無駄にしたくないのだ。

今日久しぶりにGoddess Cardを引いた。

最初はAbundantia(Prosperity)で宇宙はあなたに繁栄を送っています。心を開いて受け取ってください。
次が
Yemanya(Golden Opportunity)で新しいドアが今あなたに開きつつあります。そこを通り抜けてください。

最後がAphrodite(Inner goddess)ダンスや、セルフケア、そして自分自身の素晴らしさを褒めることによって
あなたの中の女神を目覚めさせてください。














神からの啓示

わたしの友人の一人があるとき神の声が聞こえたという話をしていたら、母が急につい最近自分に啓示(神のお告げ)があったと言い出した。

私がインフルエンザで寝込んでいたときのことである。母は娘のことが心配でどうしようもなくて一心にお祈りをしてから眠りについた。

気がつくと回りはピンクの光に満たされていて、「~ちゃん(私のこと)にローヤルゼリーを持っていってあげなさい」というお告げが聞こえたのだそうである。

起き上がって電気をつけたら回りは真っ暗だった。どうしてピンクだったのかわからない。

とりあえず妹がローヤルゼリーの販売をしているので、大枚をはたいて1箱買い、翌日私のところに持ってきたのだという。

そんな話はローヤルゼリーをもらったときには聞かなかったのでちょっとびっくり。言われるままにローヤルゼリーを飲んだけど、それでよくなったとはあんまり思えない。

ただそのことを知ると、神様はちゃんと私のことを気にかけてくれているのだと思えてちょっと安心する。

だって私は病気の間、何回も何回も神さまにお祈りしたのに何の返事もなかったんだもん。

母に言わせると、こういう経験は初めてではないのだという。

父が死の病で苦しんでいるとき、どうしようもなくてお祈りをしていたら、「任せなさい」という声がしたのだそうだ。

「ああそうだ、もうお任せすればいいのだ。」と思ったらすごく心が軽くなったという。

そんな話初めて聞いた。びっくりだ。祈りの力というのは大きいのかもしれない。

私もいつも祈っているが、母のような啓示を受けたことはない。そういうことがあると神がいるということ、私たちを見ていてくれることにより確信がもてるのではないかと思ったりする。

瞑想の中でたまにすごく静かな気持ちになり、神を近くに感じることがなかったとは言えないが、大体において私は必死でお願いしているほうが多い。

多分それではいけないのだ。

お任せして信じなくてはいけないのだ。

ドロシーギルマンのキャラバン砂漠の愛という本の中にそういう神秘体験のことが書いてある。

私がもがき苦しむのをやめたときーそれが大事なことだったのだろうかー不可思議な力が発揮されたのだ。

「静かに」と私はあせる心に言い聞かせた。「こだわりを捨てること。こだわりを捨てること。」
長い時間がたった。静けさが私と訪れ、時がとまった。

神とつながるためにはこういう姿勢が必要なのかもしれない。

人間の力ではどうしようもないことってある。そういう時はお任せするしかないのだ。

最近はそういう境地に近づきつつある。もう自分の力ではどうにもならないと思うからである。

でも必ず良いほうに向かう、すべてうまく行くと信じて、お任せしたい。そうするとすごく楽になる。



椅子が回る瞑想

2つの仕事を掛け持ちし始めてからヨガや瞑想の時間が取れなくなった。

以前は最低でも20分くらいは毎朝していた瞑想ができない。言い訳だといわれたらそれまでだけど、朝早くて夜遅くて昼間2,3時間だけ空いているというのは、あんまり瞑想に適したスケジュールとはいえない。

とはいえ、毎朝5分だけは必ず時間をとるようにしている。これは私の聞いているHay House World Summit 2013 のオーディオの中にあった短い誘導瞑想で、とても気に入ったので毎日やることにしたのだ。

ほんの5分、でもやると格段に気分がよくなる。宇宙のエネルギーとつながって質問をして耳を澄ます。それだけ。答えはすぐくるかもしれないし、後から来るかもしれない。そしてつながったことに感謝して終わり。

ほんとに数分で済む。講師の女性は瞑想の中で質問をしても大抵は答えは瞑想の中で来ないことが多いという。それはあとで散歩しているときとか、シャワーを浴びているときとか、皿洗いをしているときにふっと訪れるものだと言う。はあ、なるほどね。

わたしはただ気持ちがいいからしているだけで、まだあんまり答えらしきものを受け取っていない。でも毎朝質問していればきっと必ずいつか答えは来ると信じている。

去年私があるオーディオを聞き始めたとき、瞑想中に椅子が回るようになった。

本当に回っているわけではない。回っているように感じるのである。不思議な感覚である。

去年の8月くらいからそれが始まって、それ以来瞑想するたびに回るようになった。多分私がパソコンの前の回転椅子に座っているからかもしれない。床に座って瞑想するときには回らないんだもの。

そしてそれは宇宙のエネルギーとつながれたと感ずるときだけ起こるようである。心が平和でなくて忙しいときにはそれは起こらない。

日常のもろもろを手放してリラックスするときだけ起こる。

毎日の瞑想が5分だけなんてちょっと恥ずかしいが、継続は力なり、きっと続ければ何かポジティブな変化があるはずだ。

同じHay House のオーディオの中にエスターヒックスのものがあった。望みを実現するにはその望みと同じだけの高い波動の持ち主にならねばならないという。

いくら努力しても波動が同じでなくては出会いたいものに出会えないのだ。先ずは自分の波動を高めなくてはいけないのだ。

毎日少しずつでも波動を高めるために何かができるだけでもいい。このままこの短い瞑想を続けたい。

先日9ヶ月ぶりに美容院に行った。ヨガの話になり、そこから瞑想の話になった。

私が椅子が回る話をするととても驚かれた。やっぱり変に聞こえるよね?

Be happy.

最近知り合った友人のメールの中に興味深い話があった。

彼は知的障害者のお世話をする仕事をしていて、そのうちの一人が危篤になった。病院に駆けつけたが彼女はもう意識がなく、反応もなかった。

友人は彼女のベッドの脇で頭を持たせかけて祈っていた。半分眠っているような状態になったとき、どこからか声が聞こえてきた。

”Be happy." (幸せでね) 繰り返し繰り返し聞こえてきたが、彼女は意識不明で話せる状態ではなかった。でも彼はそれが彼女からのメッセージだと信じている。

3週間後、彼女は亡くなった。

頭の中があまりにもたくさんの思考で忙しいと、こういう心の声が聞こえないのかもしれない。本当にハートで人に向かい合ったときにそういう声が聞こえるのだと思う。

違う次元からのメッセージを受け取るのは本当に私たちが困ったときか、本当に心を空にしたときなのかもしれない。

人生で苦闘していて、宇宙からの助けが欲しくて、メッセージが欲しくて、祈って祈っているのに何も来ない。
私の経験では大抵そういう時はダメである。

本当にがけっぷちまで追い詰められて、何も考えられないほどになったとき、時として答えが来ることがある。

もしくは本当に子どものようにすべてを天にお任せする、そういう気分になったときも時としてふっと答えが来ることがある。

未だに人生はわからないことだらけだ。


瞑想と天使とのハグ

このところ、朝食を終えてからインターネットコースのCDを聴くのが日課になっている。もう2回以上聞いたので今度は瞑想のところだけ聞くようになった。

前に書いたけど、CD6を聞いていたときに瞑想中に椅子が回り始めてびっくりした。実際には回っていないのだけど、回っているように感じるのだ。

この現象、その後も続いている。CD6だけでなくほかのCDを聞いていても起こるようになった。

しかも右回りに回っていたかと思うと、反対に回り始め、それから急に止まってしまったり、わけがわからない。なんか自分のエネルギーと音楽のエネルギーとが同調する一瞬があるらしく、それが起こると回りだすみたいだ。

それでもって目を開けると自分は前と同じ場所に座っているわけで、なんだか面白い。

今朝は私たちの守護天使のサークルに参加して祝福を受けるという瞑想だった。あんまり私はそういうVisualizationが得意ではないのだけど、感じとることはできた。今の私が本当に天使の助けを必要としているからである。

天使からのハグを受けなさい。といわれハグでも何でも与えてくれるものは何でも受け取ります。ガイダンスもください。。と祈った。

そしてハグを受けた途端に滂沱の涙に襲われた。自分がいかにそういう愛を示すしぐさに飢えていたかがわかった。天使のハグは優しくて愛にあふれていた。

たった30分くらいの瞑想で、椅子は回るし涙の洪水である。いったいどうなっちゃっているのだろうか?

魔女仲間

これだけ長いこと生きていれば、不思議なこと、理屈では説明できないことが世の中にはあるということがわかってくる。特に私はスピリチュアルコミュニティに住んでいたので、霊的な不思議体験をした人にはたくさん会った。

スコットランドはほんとに魔女が出てきそうな場所でもある。シェークスピアのマクベスの冒頭のシーンは何と私が住んでいたフォレスの荒野という設定らしい。3人の魔女が出てくる場面である。

フォレスには魔女の岩というものがまだ残っている。警察署の前の道路わきにあって、見過ごして通り過ぎてしまいそうな小さな目立たない石だ。

その昔、これまた私が住んでいたクルーニーヒルカレッジという小高い丘の上から魔女と名指しされた女性を釘がいっぱい打ち付けられた樽の中に入れて転がしたのだそうだ。その樽が止まるようにおいたのがその石らしい。それで死んでいたら魔女でないという証拠、死んでなかったら魔女であるということなので、改めて火あぶりになったらしい。。。。。。ううう残酷。

とにかくこれまでにどうしても説明できない不思議な瞬間というのは、誰でも感じたことがあるのではないだろうか。私はものすごく現実主義者なので、あんまりそういうことに敏感ではないほうだと思う。

でもそんな私でも何かを感じたことはある。直感が外れたことは先ずない。

ただ問題なのは、直感を得ようと一生懸命になりすぎると、それが自分の頭が作り出した願望なのか、本当に心の声なのか区別がつかなくなる。そうすると正しい答えが得られない。

何かを始めるとき、それに対していい感じをもてるかどうかというのは直感である。

ある会社に面接に行ったとき、その会社の応接室や廊下の感じがなんだか暗かった。面接に現れた女性はひどくビジネスライクで冷ややか、面接は5分で終わってしまった。もちろん仕事には落ちた。

でもあとで考えると、落ちてよかったかもしれない。帰ってきてからあんなところで働きたくないと感じてしまったからだ。エネルギーが気に入らなかったのだ。

フィンドホーンの私の友人のひとりは自称魔女で、私も魔女仲間だと吹聴している。彼女はあるとき、「あなたはホームケアにいてはいけない。キッチンに行くべきだ。キッチンに行くべきだというお告げを私はあなたのために受け取ったのだ。」と私に言った。

「えー?」思いもかけなかったけど、考えてみると悪いことでもないように思え、キッチンに移るリクエストをした。なかなかうまくいかなくて移るのに半年かかったけど、フィンドホーンの3年半の中でキッチンで過ごした最後の半年は、私にとって最高の日々だった。彼女がお告げを知らせてくれたおかげである。

ノーラ・ロバーツの小説「新緑の風に誘われて」には、魔女の力を持ちながらそれに気づかない若い女性が出てくる。暴力的な夫に虐待され、自分はちっぽけでつまらない存在だと思い込まされてきた。

彼女はある島に流れ着き、そこで魔女の仲間に会う。自分には秘められた力があることに気づき、徐々にそれを学んでいく。

その島の魔女が彼女に魔法のレッスンをする。その場面が素敵。

「魔術の多くは難しい学問のようなものなの。でも、もう少し実践的なものもあるから、試してみない?」
「わたしが?」
「ええ、やさしい魔法を。そうね、空気を動かす術なんか、ちょうどいいんじゃないかしら。」
・・・・・
「慣れればかんたんよ。集中が必要だけど。顔や体をなでる空気を感じて。波のような動きや流れを心の目で見るの。音だって聞こえるわ、風の奏でる音楽が。

疑念は脇においておいて、可能性に思いを馳せるの。意識を集中させて。ゴールはすぐそこなんだから。」

そして彼女は風を起こすことに成功する。

魔法って当たり前の日常生活の中にいっぱいあるのかもしれない。そよ風を起こすことも可能かもしれない。会いたい人を引き寄せることも可能かもしれない。

もうずっと昔、夏至の日に焚き火を囲んで月に願い事をした。焚き火のそばに座っていたら突然生理が始まってしまった。件の魔女仲間の友は「それはあなたが宇宙とつながったという証拠よ。頼むから私にのろいをかけないでよ。」と冗談を言った。

冗談でなく、その晩の願い事は1週間後にかなってしまった。これには驚いた。同時に願い事をするときは注意深くなくてはいけないということを知った。

まさに願ったとおりになったけれど、その結果私の人生がどうなるかの責任は私が取らなくてはいけないのである。

最近私はひょっとしたら自分は前世で魔女だったのかもしれないと思い始めている。優れたサイキック能力を持ったがために処刑されたりすると、その後生まれ変わってもその能力を封じ込めたままにしている人が多いと聞く。全くそういう能力がないという人たちは、封印しているということらしい。

私はサイキック能力は全くないし、未来を見ることもできない。でもそういうことにすごく惹かれる。私の中の何かをもっと開けば、何かが見えるのかもしれない。その扉はとても重くて開くことができない。でも一生懸命それを開こうとしている。

直感で時々何かがわかるのは、ほんの一瞬その扉が開いてまた閉じるようなものかもしれない。

とりあえず今私にわかるのは、今ここにいて目の前にあることを一生懸命やること、それだけだ。どういうわけかきっとそのうちに友人たちに会えるような気がする。今の状態からすると現実的には聞こえないけど。




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