2019年01月29日

丹後国のパートナー・チェンジ

昨日の投稿「ひと晩に7回8回問題」へのリアクションありがとうございます。
そういえば「タンゴでの連投に慣れない問題」というのを思い出したので書きます。

サルサ界では、基本的に1曲踊ったらパートナーをチェンジする ━ と教わりました。私が連続で踊るのは、次の曲のジャンル(サルサ・バチャータ・メレンゲ)が別のものになった時、それもごくたまに。特にバチャータ要員の殿方には、その直前から他の女性がたが目星を付けているものです。独占しては申し訳ない。

ところで、丹後国ではちょっと違う。一度誘ったら、礼儀として2~3曲連続で同じ相手と踊るものだ、と聞きました。しかもダンス界の常として男性主導、相手によってはそれこそ7~8曲ぶっ続けということも。なので、主従の「従」=フォロワー側、しかも毎曲パートナーを替える方式に慣れたサルセーラは、一体いつ「ありがとうございました」と別れを切り出せばいいのか(笑)タイミングがつかめないのであります。
初めてミロンガに参加した時、1曲踊ってお礼を言って離れようとしたら相手が当然のことのように続投、そのたび「ありが・・・、あれ?あれ?」とわけの分からぬまま。。。そして、相手のリードの癖を体得してノッてきたな、と感じた頃にアッサリ捨てられる、という(泣)
こちらの国でも、タンゴ・ワルツ・ミロンガと曲のジャンルがあり(サルサ・バチャータ・メレンゲのごとく)。ただ、ランダムではなく、ワルツならワルツだけ、ミロンガならミロンガだけ、連続でかかる「魔の時間」が。
私はワルツが苦手なので、同じく「ワルツかー。いまいち苦手だなー」とつぶやく殿方に誘われた日にゃ、しかも礼儀上連続で、となったら、それはそれは苦行の数曲を過ごさねばならないのです。むろん相手にとっても。

そんなわけで、かれこれ数年タンゴを踊っていないのですが。
パートナー・チェンジのしかたという点では、私にはサルサ方式のほうが気楽に感じるのです。技術が追い付かない以前に、忍耐が足りないのか。恋しい船乗りの帰りを港町でじっと待つポルテーニャ(ブエノスアイレスの女)のやうな忍耐が。。。
サルサとタンゴの両方を踊る皆様。このへんはいかに切り替えておられるのでしょうか?


nadiecomoyo at 21:38|PermalinkComments(0)

2019年01月28日

How many 仏の顔?

最近聞いた話。お気に入りのサル兄に踊って欲しさに、ひと晩で7回も8回もそばに寄ったら「僕は貴女とだけ踊るために1000円払ってここに来ているわけではない」そう言って断られた ━ 断られた本人の体験談としてではなく、ほんの伝聞なのですが。
私から見ても確かに上手な殿方で、引っ張りだこではある。そんな相手によく7回8回いったなあ。。。女性側の度胸にビックリ。男性側も、よほどたまりかねての発言なんだとは思います。が、今後は私、彼に誘われても、私のぶん(入場料÷相手の数、ひと晩20人と仮定して1000円÷20人=50円←細かっ!)は他の女性にお譲りしようと。彼のコスパを下げては申し訳ないので。それに ━ 噂を鵜呑みにしてはいけないけれど ━ 私の中で彼の印象が、ただいま全面ストップ安で。ガセであることを願う。

自分はどうだろう。。。
たとえ同じ相手と繰り返し踊りたくても、和をもって貴しとする身としてはおのずと自制が働くはず。ソーシャルならば周囲との兼ね合いもあるし。
しかし、ひと晩に複数回踊る面子も確かにいる。フロアをぐるぐる回遊して、視線が遭って双方カラダが空いていれば2回3回。なまなかな相手だとお互いに「こんなに何回も誘ったら、『自分のこと好きなんじゃ』。。。ってむこうが誤解するかも、ってこっちが誤解するかも、ってむこうが誤解するかも、って ∞」と堂々巡りしそうですが、そんな面倒もないアッサリした間柄。すれ違った時の曲がちょっとビミョーだったり、どちらか疲れていたり、何となく「潮」ではないなと感じた時は一回休み。軽くハイタッチしてやり過ごすことも。ある意味、ラブ要素アリの反面浮き沈みの危険性もはらんだ王子様より、ずっとありがたい存在です。
正直、最初はひそかに気持ちの駆け引きがあると思うのです。言ってみれば相性、それもカラダの、ってことですからね。誘うの、何回までなら不自然じゃないかな?うるさく感じられてないかな?たやすく色恋に転ぶ人じゃないといいな。などなど。何度も顔を合わせてすり合わせて、自然に構築されていく間柄。うん、モテより稀有。

また、前にも書きましたが、気後れしがちなビギナー男子が私に「ワザが固まるまで練習させてもらっていいですか?」と複数回言ってくるのも大歓迎。お願いされることなんて他にないからね(笑)大丈夫、コワイコワイお姉さんばかりじゃないよー。

もちろん、回数だけ多ければいいというものでもない。
残業から駆けつけて終電も早いあなたの、
膝に爆弾かかえたあなたの、
選曲にやかましくて座ってる時間のほうが多いあなたの、
大事な一曲。
そのとき私は、何曲ぶんもの笑顔で応えましょう。


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2019年01月27日

社交界

苦手意識のあったSNS、思いのほか楽しいですね。
今朝、ふと気付いたのです。社交界だわこれ。そして、久々にスタンダールの『恋愛論』開いたのですが、やはり。。。形式が似ている。
Facebookで他の人達の投稿を眺めていると、長文あり短文あり、備忘録あり愚痴ありノロケあり匂わせあり。。。いくつかのグループが重なったり交わったりくっついたり離れたり。そんな仲にもある程度の礼儀は求められており。なるほど″social″というだけのことはある。
ことに私の場合、「舞踏」といふ要素が色濃いコミュニティに属しているため、いっそうそんな印象が強いのですが。

小5の時の『アンナ・カレーニナ』を皮切りに、田舎じゃ大人でも読まない(というより、読書などという非生産的な行為は推奨されない「文化果つる地」だった)コナマイキなジャンルに傾倒していった私。国語教科書に載ってるやつなんてヌルくて。へっっ(小五病?)
スタンダールもなんだか好きでした。当時はまだ芽も出ない私の中のitalophilie伊太利贔屓の原点。
ワケわかんないくせに昔から文庫で持ってる『恋愛論』。フランス&イタリアの社交界で見聞きする出来事や当時恋していた人妻への想い、スキャンダル、ご婦人には聞かせられないたぐいの小咄 etc. etc. 
やたら注記が多くて、欄外や巻末に「18**年何月何日のP氏の書簡を見よ」とか書いてあるんだけど。当時の仲間内ならまだしも、何世紀も経って読んでるこっちは「誰だよP氏ってw」となる。
あと、ミョーにpassionateな、何を指してるんだか不明な短文があると「あーはいはいなんかイイコトあったのねこの日は」そう解釈して、生温かくスルーするほかはない。
でも、断章の集まりだから、どこから読んでも大丈夫。拾い読みくらいがちょうどいい。こんなところまで、現代のSNSと共通していて驚くのです。


nadiecomoyo at 21:54|PermalinkComments(0)