それでも来た道

あの人の見た夢を見れば あの人の翳す太陽を仰げば

一足早く先に34歳になるんだよね。
一昨日は覚えてたのに、昨日の当日に更新するの、うっかりしてた。
眠る前に思い出したのに、夢には出てきてくれなかった。

最近私は自分に似合うものを探している。
服、アクセサリー、髪色
きっと、そんな話を楽しく聞いてくれそう、と勝手に想像している。

今新しい絵を描いてるよ。
この2年くらいのもやもやを、どうしようかと思っていたけど
やっぱり私はそのままの現実からアイデアをひろってくるんだなあって
実感したラフだった。

来年の誕生日か・・・
命日までには数枚完成してるといいな。

誕生日おめでとうでした。

推しとは生きる希望。
あなぎち間違ってないと思う。
人は、約束があれば生きていけるんです。
昔聞いたこのセリフはずっと私の中にある。

昨日思いきり私が推しについてどれたけ好きかを語った。
夜中に1時間近く妄想と語りを繰り返し、
興奮して寝付くの遅かったもんな。
この熱量よ。
なんにせよ今年はチャンスだ。
お金握りしめて、原画を手に入れる。

語ったら、自分の制作についても考えた。
楽しい、好きな空間を作りたいなぁ。
制作のやる気がでと。

人生について?
進む道について、喋った。
大きな幅に、複数の車線。
その数。
全部が同じ進行方向。
私はどうだろう。

会社員を選んだ私は、
もしかしなくてももっと効率的に確実性高く、
この聖域をのびのびと楽しまないといけないのかもしれない。

そう思えば、
朝早く起きたり、制作以外の時間の使い方真剣に考えるかしら。
師匠と呼ぶのなら、
恥じないようにしなくては、と思った。

ないものねだり
物欲に関して以外はその言葉は好きだ。

物欲の先にあるものは、
何もないのかもしれないと、昨日ふと思った。
化粧品、下着、お洋服、新しい文具。
手に入れたり願ったり。
キラキラときめきが私の部屋に増えるのはうれしい。

でも手に入ってしまったら、そこまでな気がしてしまった。
かわいいお気に入りの下着の引き出しを開けるたび
ふんわり香るいい匂いにうっとりするけど
描く、創る。
それに比べれば、
って思った。

良い傾向だと思う。

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このブログ、誰も読んでいないと思って
安心できる。
いつのまにか、始まって25日も経とうとしいる2021年。
今年もまた引き籠る生活からスタートしている。

日記帳には書いたけど。
こっそり彼女のお墓参りに行ってきた。
しまった、お線香忘れたって着いてから気づいたんだけど。
駅から歩いて20分だった。次からも歩いて行こう。道はもう覚えた。
目印になっている市民体育館は閉館したらしい。
文化部一筋だったから、使ったことなんてほとんどなかったけど。
町が変わっていくことが、なんとなく寂しかった。

誰の足跡もついていない、
墓地の雪を踏みしめて、キュギュっと音を立てて
墓前にしゃがんで手を合わせた。

親族でもない、たった高校三年間を同じ学校で過ごしただけの私にとって
お墓という拠り所があって、心からよかったと思った。

心の中で名前を呼んで、何から伝えようって
思いを巡らせていると、いつも心音が早くなる。
目まぐるしい景色が頭をぐるぐるしていく。
結局、逢いたい、逢って話したい、って思って気持ちがいっぱいになって
涙ぐむ。

今年は何となく違った。
決意?宣誓?
そんなのに近かった。

次ここに来て手を合わすときには、
今日よりも自信をもって報告しに来るよ、って。
そんな気持ちだったかも。
11年経っても、すぐに思い出せる声も笑顔も。
思い出にしたくないんだよな、、、記憶。記録にしたいくらい。

亡くなった人には敵わない。
それは私自身もそうだわ、これは。

眺めた日本海の海を思い浮かべながら
夜明けの海を描いてる。
もしかしたら、高校生の時見た真夜中の海かもしれない。
暗くて昏くて吸い込まれそうな、静けさに支配されたあの空気。

あぁ、やっぱり思い出に恋してる。
現実も素晴らしい出来事に会える。
でも今の暮らしは、私の思い出には敵わない。
そういうことだよなぁ。

そもそも自分以外の人って、自分とは違うよね。
前向きな決別。

柴田淳のビルボードライブが中止になったって報せを受けて
一番に浮かんだのは「求めない」という歌詞。
彼女の歌、幸福な人生の一説。
速攻で家の中なのにイヤホンつけてループ爆音再生したよね。

求めない。
自分勝手。
それは本来の姿だ。
私は私の望みを私がやりたいからやる。

LIVEが中止になった瞬間も、お墓参りに似た一つのきっかけになったかも。
本を読みたいと思ったから買う。
絵を描きたいと思ったから描く。
Twitterを見るのがしんどいと思ったから、別アカウントを作って低浮上になった。
最近また、こっち側ものぞいてみようと思えた。
うしろめたさを感じないように、(てゆかそもそも感じる意味が分からん)投稿しようって。
演じることも必要だなっていうことも思ったなぁ。

会社では上手な言い回しを探しがち。
絵やブログ、日記帳の中では、私がしゃべりたい言葉でしゃべる。

10年経っても、
思い出すと喉のあたりがせり上がってくる感覚がある。

横になって冷たい、穏やかな顔。長い睫毛と大きな眼を覆って閉じた瞼。
呼んでも返事のない愛称。
枕元で流れる柴田淳のアルバム。

変わらない景色と思い出を浮かべながら
どうしてか、わたしは日常を歩いていることを、時々かみしめている。

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次の作品の構想を練る。贅沢な時間。

ないものねだり と
さがしもの 

キーワード2つ。

理想、憧れって何だろう?
っていうのを、もう一度ゆっくり、改めて考えてみた。

高い空 うっとりする夕方の光に照らされる雲 細い月 満月
深紅のピンヒール 手触りのいいニット
いちばんに足をそっと降ろす雪の朝
彼女の生き方

あの時、大人になることについて考えていたけれど
わたしはまだ、ずっと手を伸ばしていたいと思う

もう一度、さがしに行くことにした。

お気に入りのリュックを背負ったら
迷子だって(迷うことでさえ)怖くなくなる。

今年観たかった最後の映画、『マチネの終わりに』を観た。
美しい空気と音楽と2人だった。
機微…?っていうのかなぁ。あぁいうの好き。
はぁ?って怒りがあったり、どうしようもない揺れ動きとか、このまま死にたいって思ってしまうような幸福感とか、
そういうすべてがあった。
美しくて、気持ちのいい余韻。。このまま1人でいいお酒とか飲みにいきたい気分。
てゆうか、今年は本当にたくさんの映画を観た。
今更ながら、シネマイレージカードのパンフを回収して帰る。
マジで今更。

ゴジラ2
愛がなんだ
名探偵ピカチュウ
海獣の子供
ミューツーの逆襲
天気の子(4回…)
スパイダーマン
us
蜜蜂と遠雷
空の青さを知る人よ
it
マチネの終わりに

今年見た映画たち。
なんか忘れてる気もするけど、本当によく見た。
たくさんの刺激をもらった。
来年、どうやってアウトプットしようかなあ。

映画をたくさんみたら、原作もたくさん知りたくなった。
小説、文字を目で追って、頭を使って想像力を働かして、創る。
そういう作業が好きだ

今日、すごく久しぶりに絵具をさわった。
運のいいことに紙は風邪をひいていなくて、
描いてしばらく放置しっぱなしだった作品を加筆して
好みの女の子の顔にした。
あぁ、やっぱ落ち着く、心が穏やかになる、安心する。
って実感。

無心で描いていると、無心なようで
頭がフル回転している。
あれを描きたいこれも描きたい。
描きたい…?どちらかというと、残したい、なのかなあ。
遺したい?
でも、誰にっていうのがない。
私が私のことを覚えていたいだけ。

制作テーマなんだろうなあ…迷子っていう言葉が浮かんできたのだけど。。。

年に1度は、必ず彼女の歌声を聴く。
岡山か、今年は大阪で。

彼女が自分たちのステージ上で
堂々と歌いあげて、全力で爆笑して、踊って、
その姿が大好きなのだ。

だから、
私も続けていきたいなぁって、
また不純な動機を思いついた。
私も同じように頑張って、キラキラしてたいなぁって。

さみしかったのかもしれない。

距離は遠くだけど、
私も一緒に続けていきたいなぁ。

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雨で霞んで遠くまで何も見えなかったり、地平線が消えてる景色の中に居ると
「世界が終わってる」って私は言う。
大学の頃からかな…。
社会人になったら、
楽しくて楽しくてずっと笑っていてお腹痛いくらいの時に、
「もう今日死にたい」って言う。

今年の初夏?くらいに気付いた。
心の底から楽しいを感じる多幸感は、私にとっての終末感なんだなぁて。

雨音で目が覚めた今朝、
そんなことを思い出した。

久しぶりに絵を描くなら、雨の絵がいいなぁ。

15歳で出会った友達と、今でも付き合いがある
しあわせ。
安い言い方だけど、出会いも死別も一緒に経験した、大事なともだち。

30代って楽しいね、って思わずつぶやいた。
来月の旅行が楽しいものになりますように。

大人って、もっと大人だと思ってた。
シュッとしてて、自立してかっこよくて、パンツスーツとか似合っちゃう感じ。
それか、お家で子育てなり家事を楽しんでる感じ。

31歳と少しの私は、全然、ふつー。
せいぜい22歳だった私を少し引き伸ばした感じの見た目。
考え方は、少し変わったのかなあ。
タイピングはだいぶ速くなった。
あの頃より物欲が大きくなった。いかんいかん、気をつけないと。

新しいものに対するハードルは、少し下がった。
音楽、服、生き方
考え方をインストールしたからかなあ。

もう少し、思うように生きれたらいいなあ。

好きを、好きのままにしておくのは、
伝えないこと。
伝えたら、好きだった、になっちゃう。

ゆがんでるなぁ。
消えないで、っていう願いに通じると思う。

私の宝物は、共有というより、どこか閉じた中にある。

ここに来るのがとても久しぶりになる。
まごまごしてたら、来づらくなるものだなぁ。
なーんにも変わらずログインも出来てこうして書くことも出来ている。
遡って読んでみると、とてもムズムズするくらい赤裸々な日々だった。

なんかの拍子に、
彼女たちのことを思い出した。

2007.10.12
2010.06.23


社会人になって今年で10年。
いいのか悪いのか、仕事に真面目にやったり合間を見つけて制作したり
制作したりしたり、急にやすんで仕事に打ち込んだり。

今、直近で展示の予定がなく
半年以上描いていない。
仕事が異動になって家から少し近くなって
さて、、、って感じ。
手放しで自由にされたというか、
あんなに時間が欲しかったのに、いざ目の前に差し出されると戸惑ってしまう。

なんの為に描くの?
っていう問いに、本当に今更直面している。
なんの為かぁ…理由がないとダメなのかなあって思ったけど
私は理由があるから描く側の人間だったので無いとダメだなあ。

理由探しっていうのも変だから、
初夏のコミティアに向けて作品を沢山描こうかな
描きながら、、ってか描いてないとわからなさそう。

9年前の6月に亡くなった彼女とは一緒に絵を描いていた。
一緒に美大を目指した。
恋の話を長電話した。
亡くなる半年前に年賀状をもらった。
年始めの挨拶っていうより告白と宣言みたいな内容。
…彼女の為に、っていうと、違う。じぶんの為に描いてるもん。
でも、彼女にもし逢えたら、いつ逢っても胸をはれるように、
っていう理由でもいいかなぁ。

外に理由を作ること自体、依存しているみたいでだめだな。
あくまで自分の為。自分がそれを創りたいと思うから、でいいや。
負けそうになった時にこっそり思い出せるように、忘れないように
彼女がいつも見ているっていう気持ちを、持ち歩こうと思う。

ブログを書くときは絶対写真載せなきゃダメとか、
絵を描くなら上手に描かなきゃダメとか
そういう、自分の中のなんとなくの理想が
ちょっと邪魔だと思ったので
写真は載せません。

下手な状態で何回も練習しなきゃ上手になんてならないんだから
下手でも描くしかないんだよねー、、
絵を描くハードルを下げようと思ってるから、
納得いかなくても続けるようにしよう。。
練習帳なんて誰が見るわけでもないんだから。
と自分に言い聞かす。

なんでだろう…
自分の思ったことを文字に言葉にするのに躊躇うようになってしまった。

思うような自分をできてないからかな。
会社が忙しいから?

....
DIYという趣味ができた。
アトリエを大改造して、自分がこうだと思う部屋を作った。
次はこうしたい、は、ちょっと止まってる。

この本が読みたい、も、止まっている。
でも本は必要だ。買うぞ。読むぞ。

自分が生きていく為に、
まずは1年にかかる費用を知りたいと思って
家計簿をリニューアルした。
アプリより断然良い。
手で書く方が好きなんだなあ。

そんなこんなで、快適な部屋になってからというもの
ぼーっと、座って部屋を満喫する週末を繰り返している。
引きこもり万歳。

そうしたら自分のことをちょっと考えるようになった。

自分がこれまで苦手というかキライというか、好きじゃないなとおもっていたことは
なんでなんだろうって。

ルーチンワークとかそうかも。
習慣を作りましょうって、
自発的な習慣はいいのに、本やTVにするべきって押し付けられると
嫌悪感が先に来てしまう。
そこまで明確じゃないか、えー。。。くらいかな。

でもそれって必要なんじゃないかなって、
思えるようになった。
上手になりたいんだったら、反復。
そりゃそうだよね。

どういう絵がを描けるようになっていたい?
って、ぼんやりでも理想があるのなら
目標←過程に落とし込んで近づいていくべきでは?
って、
考えられるようになった。少しだけ。

不思議だなぁ。。
30歳のうちにそう気付けてよかったのかも。

このブログ、17歳のあたしが作っ場所なんだよね。
また少しづつ、使おう。
毎回そう言って更新しないからな。。。

Twitterが
うまく使えないのなら、ここがあるよ。

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とりあえず仕事しまくってた。
友人にも会った。
福山雅治LIVEの翌日が関西コミティアで、
ハードスケジュール過ぎてびっくりした。
コミティアの終わり際から風邪をひいたらしかった。
冬じゃなくても風邪ひくんだっていう感想。

LIVEかっこよすぎた。
友人から生歌の方が上手いから覚悟した方がいいで的な話を聞いていたけど
マジだった。
音の響き方が全然ちがう。
録画したLINE生中継を1回見てからお母さんにプレゼントしよう。

関西コミティアは、
12年ぶりの長机のこっち側だったけど、
見よう見まねの設置だったけど
楽しかった。
グッズを増やしてまた出たいと思えた。

自分的に超好きなラフも描けて、
早くこの子を形にしたい欲が今めっちゃある。
個展をしないなりにやってみたいことがあるんだ。

仕事をめちゃくちゃ真面目に考えてみるのもそう。
運動も続けている。
大好きな6月も来る。
毎日楽しいなあって、友達としゃべってお酒飲んでしゃべって笑って、
楽しいこと、自分が気持ちいいと思えることを
もぐもぐ、咀嚼しておなかの中から体の中に循環させて
生きていたいなあ。

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風が吹いて、
桜がブワーッて舞って、
過剰表現じゃなく吹雪だった。
視界が一瞬ふさがって、
向かってくる花びらに目をあけていられない。って思った。

こんな漫画かイラストみたいな体験はじめて。

絵に描かなきゃって、
ごく自然に思える。

ずーっと、
去年の秋くらいからずっと
全方位に全力だったのが
(今もあと1週間で仕上げなきゃいけない絵があるけど)
ちょっとひと息。
なんにでもなれる気がする。
真綾の歌にありそう。

あぁ、
晴れやかな絵を描きたい気持ちだ。
めずらしい。 

久しぶりに数日をひとりで過ごして
この時間、自分で思ってるより必要なんだって、
実感を通り越して痛感してる。
無理なく生きれる。

風の吹く日。
花にだってなれる。
そんなタイトルの絵を描きたい。 

文通が流行っているらしいと聞いた。

私はもう、12年ほど文通を続けているけどね。
ふふん、とネットニュースを読みながら得意げになったりする。
卒業するまでも含めればもっと年数は増えるのかしら。

彼女から不定期的に届くその便りは
いつも短い小説のようで
愛にあふれていて
彼女独特のフォントで手書きされている。
ポストに届くたび、ゆうパックを受け取るたび
わたしの宝物がまた1つ1つ増えていく。

メールでも紙面でも
お互い、文末に「またね」を必ず記すようになったのは、いつからだったっけ。
その一言が
どれだけ頼りなく
無責任で
強い約束にもなっていると知ったのは
きっと、共通の友人を亡くしてから。

ありがとう、
今回も無事に受け取りました。
近いうちにわたしも返事を書きます。

だからそれまで元気で。
またね。

さっきから続く、モヤモヤ悲しい原因は多分これだ。

あたしには、「内緒の鳥籠」という宝物があった。
成人式に出ることの出来なかった友人のボイスblog。
昨日の夕方、Bookmarkを整理しがてらアクセスしてみたら
表示されなくなってしまってた。

驚愕というか、すごい大きくて透明な衝撃波をくらったみたいだった。
あの、ふわふわ、可愛い声がもう聴けない。
頭の中で再生するしかないなんて。

なんとなく、主をなくしたwebサイトは、
そのまま残り続けるんだと思ってしまっていた。
でも、そうか、よく考えたら
もう彼女が死んで10年になるのか。
あのblogが更新されなくなって、それだけたてば、
そりゃあ運営側だって体制が変わるわな。

そうか。
……。
もう会えない、という現実を、10年前のように突きつけられている。

受け入れられないほど弱くもなく、
乗り越えられるほど強くもない私達、ってあの子は言っていたけど、

ゴメン、
あたしはこの2度目の別れを受け入れることが出来ないかもしれない。

ねぇ、喋りたいよ。
声が聞きたいよ。
写真の中で微笑むあの子は、
本当に天使のようで、可愛い、可愛い子だった。

絵のことしか考えていなかった。
友達との予定もあまり入れず、自分だけの世界を守ることが
いちばん大事だったころ。

それはそれで幸せだった。

だけど今は、大事にしていた好きなことに対して、
もっと素直?積極的?になったかも。
好きなものを沢山かいてみよう。
自分のことを知っているって、なんとなく大事な気がする。


友達とお酒とご飯、会うこと
絵の具
自分の部屋
髪を整えること
季節のかわりめ。
夏は嫌い
夏の夕暮れは好き
最近は昔より海が好きな気持ちも強い。

そんな感じ…
好きなもの沢山を大事にしようとすると、
同じだけ、私の核にある絵のことも
必死に考えられる。
ある意味自由な気がする。
そんな気がするようになったことは、
成長だと思いたい。

先日、この変境地にあるblogを読んでる人がいると知って
ヤッベ、ちゃんと更新しよっておもった矢先に
意味のわからない更新になってしまったけど。

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その日、どうして部活が休みになったのかはもう忘れてしまった。
いつものように私と彼女は、笑いながら一緒に帰ってた。

通学路で毎日挨拶するおばちゃんに会った時、
畑でキレイに咲いとったけ、持って帰りんさい
と言って向日葵を5本くれた。
ついさっき摘まれたらしい、切り口はシュッととがって、キラキラ蜜が少し光ってた。

ヤバい可愛い、どうやって分けよう
はしゃいでいたら港公園にさしかかる。
いつもここで寄り道して、
もう少しあとちょっと、
話に夢中になって家に帰り着く頃にはもう真っ暗。

雨上がりの海は少し波が立って、東の空も夕方に染まり始めてた。
わ…
彼女からささやかな声が聞こえて、突然走り出す。
私も2、3歩おくれて後を追った。

スカートがめくれるのも気にせず、
階段代わりの瓦礫をつたい防波堤に上り、
向日葵を手にした彼女が夕空を眺める。

その背中が眩しくて、

見て見て!超キレー!

振り返った彼女が空を指して、いつもみたいに笑う。
私だけに向けられた笑顔が、眩しくてうれしくて。

夕日に目を細めたフリをして、
うん、すごいキレイ。って大好きな友人に返事をした。

その日、どうして部活が休みになったのかは、どうやっても思い出せない。
なのに私は、
この日のことを絶対に忘れたくないって、
何年経っても憶えててやるって、
自分と約束をした。


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