永太郎メモ

自分がやった発表や巡検の資料をまとめるためのブログです

今後の予定


4月20-21日
「大内裏を歩く」「平安京一周」

4月27日
京大地理研新歓巡検
「盛り場から見る京都の近現代史:駅前と門前」


5月1日 まいまい京都Y字路コース
【Y字路】Y字路には歴史とロマンが詰まってる!迷路のようなY字路天国・吉田へ
~旧街道、廃河川、路地裏探検!古代・中世・近代から読み解く一大文教エリア~

5月26日 橿原神宮

「平安京一周」4/21(日)

平安京一周

平安京一周

都市・京都の起源となった平安京。
のちに衰退したとは言え、平安京は現在も
京都の都市構造の根底にあります。たぶん。
今回の企画では、平安京の外郭を一周することで、
この古代計画都市の大きさを実感するとともに
現代京都との連続/断絶を探ります。

また、前日にはサブ企画として「大内裏を歩く」を開催します。
平安京にどっぷり浸かる2日間を一緒に過ごしましょう。


メイン企画「平安京一周」 4月21日(日)
平安京の外郭(約20km)を一日で歩きます
集合:9時 京都アスニー「京都市平安京創生館」
解散:16時半頃 平安京大内裏偉鑒門跡(千本一条付近)

サブ企画「大内裏を歩く」 4月20日(土)
平安京大内裏の諸施設を歩きます
集合:10時 JR二条駅改札前
解散:15時頃 京都アスニー「京都市平安京創生館」

どちらの企画も昼食を挟みます。参加無料。要申込(2日前まで)。
人数制限は今のところ考えていませんが、あまりに多いようであれば途中で締め切ります。
参加したい方はお早めに申し込みをお願いします。

参加申込は↓のフォームより
平安京一周参加受付フォーム
締め切りました


以下、企画の経緯や当日の予定など

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都市周縁の食と農


「都市周縁の食と農」

 京都の北野天満宮には、瑞饋祭という祭礼がある。野菜で作られた神輿が出ることで知られ、毎年秋にはその年に収穫した野菜を使って神輿が作られる。小さい頃からよく屋台を見に出かけていたので、私にとっては馴染み深い祭だ。都市部である北野になぜこのような祭があるのか、と昔は思っていたものだが、なんということはない。北野は〝ついこの前〟(もちろん、京都スケールでの〝前〟である)まで農村地帯だったのだ。

 京都の旧市街周辺には、北野のように都市でありながら農村的性格が残る地域がいくつか見られる。今回は、京都における都市周縁の食と農について考えてみたい。

*       *       *

 歴史都市である京都は、それだけ〝長く食べてきた〟都市でもある。平安遷都以来、宮都に住まう非生産者の食事をいかにまかなうかは、消費都市・京都の最大の関心事であった。

 成立当初から(少なくとも理念上は)都市であった平安京は、原則として内部に農地を持たない。宮中で消費される食料は、内膳司と呼ばれる機関が管理する園地で育てられていた。この園地は山科、羽束志(現羽束師)、京北など京都近郊に設けられ、その栽培には平安京で出た人馬の糞が肥料として用いられていた。また、庶民の食料は、都の南端に設けられた東西の市で売り買いされた。

 『平安京はいらなかった』、3年ほど前にそんな挑発的な書籍が出版されたが、事実、平安京は不安定な都市だった。急激な人口流入によって過密になった都市では、飢えと疫病は不可避である。平安末期の養和の大飢饉では4万人とも言われる死者が出た。これについて、鴨長明は「京のならひ、何わざにつけても、源は、田舎をこそ頼めるに、たえて上るものなければ」(『方丈記』)と、地方に食料を依存する京都のあり方を指摘している。

 理念的都市であった平安京が、名実ともに都市となると、「周縁」には近郊農業が発達した。鴨川の扇状地には賀茂なすや鹿ケ谷かぼちゃ、聖護院かぶ・だいこんなど、南西部の湿地帯には九条ねぎ、壬生菜など、それぞれの土壌に適した野菜が育てられた。

 そのほか、「周縁」には京都の外部からも多くの生産物が持ち込まれた。若狭から大原を通り出町柳へ続く鯖街道では、日本海の海産物や洛北の花卉が取引された。現在、出町柳駅周辺に見られる種屋はその名残である。

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 明治時代になると、東京遷都による衰退を防ぐべく、府市を挙げての勧業政策が行われた。その一つが農業政策であり、これもまた「周縁」が舞台となった。聖護院付近には牧畜場が設けられ、ドイツやアメリカから招聘された外国人によって西洋の農業技術の定着が図られた。また、桂村には京都府農事試験場が設置され、桑や茶の栽培が行われた。当時の「周縁」は、遷都の危機に見舞われた京都が活路を見出すフロンティアであった。

 一方、「周縁」は都市問題が顕在化する場でもあった。大正時代には、現在の京都駅裏にあたる柳原村が、京都における米騒動の勃発地となった。柳原で起こった暴動は、東三条、田中、西三条へと飛び火し、軍隊が出動するまでの騒ぎになった。これらはやはり、いずれも京都旧市街の周縁部である。「周縁」は、低い所得、劣悪な住宅、蔓延する疫病といった、まさに「どん底」と言えるような環境にあり、それだけに食の問題が生存に直接関わる問題となった。

 この米騒動以降、日本の各自治体は社会政策に力を入れるようになっていく。京都市においても、食料の安定した供給を目的として公設市場が設置された。その手始めに設置されたのは、北野、川端、七条という3つの公設市場であった。市場原理下では避けられない食の不均衡、それを是正する試みも、「周縁」で行われたのである。

 2018年2月、米騒動の勃発地となった柳原に、「崇仁新町」という屋台村がオープンした。交差点の一角に十六の屋台が出店し、料理や酒を楽しむことができる。ありあわせの材料で作られた簡素な飲食スペースでは、たまたま居合わせた人たちが盃を交わし、地元客と観光客が交流するにぎわいの場となっている。都市の周縁に相応しい空間であろう。

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 都市は消費の場である。その最たるものが、「食」という消費だ。それに対して、農村は都市へ運ぶ食料を生産する場だ。となれば、両者の接触点、すなわち都市の周縁は、おのずと食と農の問題が顕在化する場となる。

 京料理など、雅なイメージで語られがちな京都の食文化だが、それを支えていたのは「周縁」であったことは忘れてはならない。食と農を考えること、それは食卓を通して「周縁」を見ることでもあるのだ。
ながたろう。京都の大学生。まち歩きが好きです。 普段はツイッターにいます。 https://twitter.com/Naga_Kyoto 何か連絡がありましたらTwitterのDMからお願いします。
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