2006年03月17日

父、永江威一郎 その2

私は、結構無口である。

友人と出かけるというのも、嫌いというわけではないが、約束をしたりとかの段取りが面倒くさくて、敬遠しがち。あながち、私の付き合いは家族とばかり、になってしまう。

この性癖は恐らくは父譲りで、父はあまり多弁なほうではなかった。

父は、その時代に多くの家庭がそうであったように、多くの兄弟がおり、6人兄弟の長男である。父の父は地方の新聞社の記者をしていたらしいのだが、小説を書いていたけれども売れなかったらしい。一生もの書きを続けたという意味で、記者で生計を立て得た父の父は、職業的には幸福者というべきだろう。

父は、あまり多くを語らなかったのだけれど、ときどき話す昔話で印象に残っていることは、
「戦時中、防空壕に逃げるときにいつも末の妹をおぶって逃げていたこと」
「戦時中あるいは戦後直後なのか、旧制の農業中学に通っていたけれども、弁当がなかなかままならず、(父は農家の子でなかったので)昼飯がたべれなかったこと」
「戦争の間考えていたことは、軍役に徴収されて飛行機に乗ることを夢見ていたこと」
「戦争の後、若い時には映画の映像技師をして全国を回っていたこと、また、壱岐島で生活していたこと」

結局、父が成長する前に戦争は終わり、父は全く新しい価値観の中で生きることになる。

父の世代の人々は子供のとき軍国主義の教育を受けながら、ある日すべてが虚構であったことを告げられ、人生の指針を一時的に失った「Lost Generation」であっただろうと思う。いったんロストしたあとに、速やかに軌道修正できた人もいるだろうし、不器用であったひともいただろう。

父は僕が防衛大学に進み、飛行機に乗ることを望んでいて、私も一応その線で迎合したのだけれど、私個人は父の時代の教育を受けていないこともあり軍にはためらいがあったので、ようやく防衛大学と併行して一般の大学も受験させてもらえるように交渉をした。

受験は東京だったのだが、1次試験と2次試験があったので、結構な日数になり、箱根の保養所(姉の勤務先の保養所)にしばらく泊まり、新橋かどこかの東横インに投宿した。父は、私が朝起床できずに失敗することを恐れて、その間ずっと同行してくれた。

私は、東大に合格したので福岡を離れ、それ以来父が亡くなるまでたまに帰省することを除いては、福岡に戻ることはなかった。

オーストラリアのゴールドコーストに住んでいるときに父の危篤の知らせを受け、とるものもとりあえず帰国したのだが、自宅に帰りついたときには遅く、父はすでに亡き人となっていた。その数年前、私がオーストラリアに移り住むことを知らせたとき父は、「そうか」といっただけであったが、母によると、いたく落ち込んでいたらしい。

父が亡くなる数ヶ月ほど前に帰国したときには、父の病態はかなり悪くなっており、父は私のことが判別できないようであった。やせた父と散歩にでて歩いていると、長い間父の手をにぎったり、体を寄せ合ったことがないことに気づき、ぼーっとしている父をしばらく抱きしめた。もちろん父に意識があれば、「おまえ、なんばしよっとや。」と一蹴されるに違いない行為であるけれど、父の現世への意識はすでにほとんどなかった。

父が私の大学受験のときに(私を朝揺り起こす以外には用のない旅で)長い間私に同行した時、何を思っていたのか、知る由もない。





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2006年03月14日

荒川静香選手頑張りました

最近異常に忙しくてブログもなかなかままなりません。

さすがタイムといえるのでしょうか、前回ブログで触れたタイムの記事、日本のフィギャースケートの活躍予想はずばり的中。日本の荒川静香選手、圧倒的な演技で金メダルでした。全般的には日本選手は不調ということだったようですが、荒川選手のパフォーマンスは千金の価値あり、おかげで非常に楽しいオリンピックになりました。非常に美しい演技をこともなげに演じるのを見て、この流麗さに至るまでどれほど激しい努力をしたことだろうと、尊敬するばかりです。

先週末別府に行き泥風呂に行ってきました。建物がレトロで、露天のお風呂もまた男女の浴場が杭とつっかえ棒で区切られただけの昔風で、なかなか楽しい施設です。ぼこぼこと、泥水が湧き出していて、湧き出し近くの泥はかなり熱い。近くに湯の花の製造工場があり天然の湯の花を買って帰り自宅の風呂でまた温泉を楽しみました。別府は観光地ということもありホテル、浴場などサインはどこも韓国語が併記してあります。福岡、大分、九州には特に韓国の旅行者の方が多いものと思われます。

私は戸籍謄本などの翻訳をすることも多いのですが、戸籍謄本の翻訳が必要になる在日韓国人の方も結構多くいらして、韓国の戸籍謄本の英訳などの依頼もよくあります。韓国語、英語のペアはトリッキーで、経済的にしっかりした翻訳のできる方は貴重です。もし心当たりの方がおられましたら、ご連絡ください。

その他観光パンフレットその他の文書でも日韓の翻訳の需要はかなりあって、日本と韓国との交流の深まり(特に九州で顕著なことかもしれませんが)を感じます。私は翻訳の需要として英語のほかに中国語と韓国語とに注目しており、この分野の資源をどう強化していくか、模索中です。







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2006年02月13日

翻訳者とオリンピック

Timeという米国の雑誌がある。読者が全世界的にいるので、話題は比較的世界的レベルの関心事になる傾向があるので、このタイムの記事になるのは、例えば福岡ローカル新聞の西日本新聞の3面記事に載るのとはわけが違い、大変なことだと思っている。さらに、その表紙写真ともなれば一層で、タイムのマンオブザイヤーが誰になるかは、多くの人にとって大騒ぎの問題である。

ついこの間、このタイムの表紙は、Live doorのホリエモンこと堀江氏だった。
確かに日本では彼のかつての人気ぶりもあって大騒ぎの感があったが、本質は中規模程度の企業(マイクロソフト、トヨタとかの世界的規模、世界的影響を与える大企業に比べれば、という意味です。勝手に中規模なんていって申し訳ありません。)微妙に証券取引法を犯して株価を人為的高さに引き上げる行動をしていた、ということで、犯罪の容疑の中身の重篤さは不勉強でよく知りませんが、その企業の規模から考えて世界のタイムが表紙写真にして取り上げるほどの世界的規模の出来事とは思ってもみなかったので、驚きました。

時をおかずして、ついこの間の表紙はフィギュアスケーターの安藤さんでしたか、記事は今年の冬季オリンピック日本のフィギュアスケート選手の活躍を予想するものでした。

最近、世界の動きとしては、政治的には中東に関心が集中している感があり、また、経済的には石油の面から中東、経済発展の原動力として中国、インドが関心を集めていますが、ところが、これら、タイムの表紙を見ると、ひそかに2006年は日本注目の年なのかも知れません。

さて、その冬季オリンピックはすでに始まりましたが、世界の注目に応えて日本フィギュアスケートの選手の皆さんをはじめ、ジャンプ、スピードスケートその他、日本選手の活躍を期待している次第です。

翻訳者としては、今年、日本注目の趨勢にあやかり、ますます多くの翻訳仕事を承りたいものです。



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2006年02月10日

翻訳者と翻訳学校

前に触れたこともあると思いますが、私は不肖ながら英語を教えたりすることもある。フルタイムで教鞭をとることを職にしたことはないので、「教師」とは呼べないと思いますが、いろいろな形で英検とか、TOEICとかの受験準備のクラスを持ってきました。

よく聞かれる質問のひとつに「先生、どうしたら英語ができるようになるんですか?」 英語を教えたことのある皆さんは、どう答えているのでしょう?

僕の答えは、「言われたことを実行する気のない質問はしないこと。」
突き放すような答えかもしれませんが、僕が教えている子達はもうかなり大きな子達で、すでに何年も英語の勉強をしてきている子達なので、いまさらこんな質問をしているのは、真摯な質問というよりは、先生への「あいさつ」みたいなものなのです。

英語は単なる「ことば」なので、勉強のしかたもなにもなくて(なくて、というのは、大方手段は決まっていて、ということです。)、勉強をする意思を持続するか、その意思を実行するかしないか、だけのことです。

先日ジャパンタイムスで翻訳者、通訳者スペシャル記事があり、そこに広告として沢山の翻訳学校が広告をしていました。

翻訳学校に行って翻訳者になるのは至難の業と思いますので、「普通の何々から翻訳者へ」みたいな、安易な勧誘はいかがなものかな、と感じます。
外国には翻訳学部とか大学院のコースもあり、実際一緒に仕事をした人で実に安定した商品をだす方に大学院の翻訳学部を卒業された方がいらっしましたし、翻訳を学問として学ぶこと自体は非常に有意義だと思っています。どうかな、というのは、プロとしての翻訳が一朝一夕で身につくかのような勧誘法はどうかな、ということです。

さて、話題はその先の翻訳者になる技術の習得法、ということになりますが、これはやはり、練習、実践の繰り返し、というのが大筋の答えになるかと思います。翻訳者の方の経緯は各自それぞれでしょうから、小異はありましょうけれども。

スポーツのように、小さい頃から始めるのが最も効果的だと思います。2つの言語を自由に操るには、これがほぼ不可欠条件、とも思えるほどです。

ただし、翻訳がスポーツと大きく違うのは、翻訳は単なる職業だということ。「単なる」という意味は、すべての職業同様、駆け出し、凡庸、その他いろいろなスペクトラムで翻訳業が成り立つということです。スポーツは、勿論ものになるにはdedicationに加えて、才能、が必要ですが、職業には才能なんて必要ありません。もし、翻訳の才能というものがあるとすれば、才能を持ち合わせればラッキーですが、持ち合わせなくてもそれなりがあるわけです、生活の糧ですから。翻訳者には見習い、駆け出し、とてもうまい人、凡庸な人、へたくそ、etc.いろんな翻訳者と翻訳の分野、形が存在します。

さて、翻訳を考えている方への「翻訳のすすめ」になったのでしょうか?
永江



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2006年02月09日

翻訳者と翻訳ソフト

翻訳プロジェクトの募集とかに、よく「Trados」使用、とかよく書いてある。他にもいろいろな用途、種類の翻訳に関する翻訳ソフトがいろいろあって、例えばExiteの翻訳ソフトとか僕は数年前に契約して依頼月々500円チャージされているのだけれど、ここ3年くらい使ったことがない。もう使う必要がないと思ったときに断ろうとしたのだけれど、契約番号だか、支払いのクレジットカードだか忘れていてキャンセルできず、なんだかデータがなくて、その後も契約のキャンセルができないまま、ほってある。オンラインの契約は簡単だけれど、キャンセルするときにややこしかったりする。電話には当然出てくれないし。きちんとしない自分が悪いんですけど。

さて、翻訳ソフト。翻訳ソフトが発展すると翻訳者の出る幕がなくなるじゃないかと、警戒する翻訳者の人も若干いるようですが、大方の印象としては、翻訳ソフトの実力はまだまだ。

僕は、翻訳ソフトを使うこともありますが、用途としては訳抜けを防ぐとか、訳のぶれを防いで用語の統一をするなどの補助的用途にしか使っていなくて、翻訳ソフトを使って作業を減らすというよりは作業は増える状態。最近はむしろ、このようなプラス面の用途を考慮しても、翻訳ソフトを使うことによる品質上のマイナスのほうが大きいような気もしてだんだん、使わない方向にあります。

例えば車ですけど、昔フォードが分業を開発し、それで機械化が導入され始めて市場に浸透するようになりました。車職人がこつこつ車を組み立てているようでは、とても普通の人が買えるような値段にはならないわけです。

翻訳も然りのはずで、僕の現在の翻訳のスタイルでは手間がかかりすぎてお客にとってはお手軽な値段にはならないわけです。コンピューターを上手に使いこなす方は1日2万単語軽いといわれる特許翻訳者の方もいらっしゃるようですけど、ほんとにうらやましいですが、これは多分かなり特殊技能で、多くの翻訳者は、大なり小なりアウトプットの少なさに困っているんではないかと思います。

そういう訳で、僕は今後の翻訳ソフトの進歩に非常に期待をしているひとりで、原稿をいただいたら機械をとおしてラフを作り、それを例えば英日訳なら日本人(機械の精度が上がればかならずしも翻訳者でなくてもいいように思います、むしろ原稿の内容の専門知識をもった人がマル)が、日英訳なら米国人が修正をかけ、出来上がった翻訳原稿を僕が原文と見比べて、誤訳を直す、という形にならないかな、と願っています。それで1日10万単語とかをプロのレベルのアウトプットで仕上げられれば、1単語1円とか2円とかお客さんに経済的な値段で完璧な製品が届けられるようになるのですが。

夢物語、ですかね?



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2006年02月07日

翻訳者のひよこ

見くびる、という言葉がある。

ある人の能力、気力、資質などを実際よりも軽んじてしまうよくある現象。
往々にして自負心の強い人とか、現場を重んじずに理が先行して事実認識を怠ってしまう場合とかに起こりがちである。

かつての英雄豊臣秀吉が晩年に無用な(あるいは官僚石田光成が策したものか)侵略に身をやつしたのは、見くびりがあったのかもしれない。

さて、我が家のペットのニワトリであるが、ひな鳥のウコッケイを譲ってもらい無事に育てている。白色である。

大分大人になってきたので、本能とは強いもので、親鳥がいないにもかかわらず、ここのところ、朝になると「コケコッコー」と鳴き始めた。「コッコッコー」とか、「コケッココー」とか、まだ少し変だけれども、鳴いている。

ニワトリはふんをよくするので、ペットとしては少し飼いにくいが、頻繁に風呂に入れてシャンプーしてきれいにしているので、抱きかかえて遊ぶこともできるし、話かけとか呼びかけとかにも割と反応するし、結構楽しい。

長女は、とてもこまめに「コッコ」、「コッコ」(ペットの名前)と呼んでよく可愛がる。朝飯も、小学校に行く前にキャベツを切ったり、りんごを切ったりしてして準備をしている。学校から戻ると、散歩に連れ出して遊んでやっているようだ。

私は、コッコを飼う前には、子供はほとんど面倒を見れないだろうと思っていた。ペットには可愛そうな思いをさせるだろうと思いながら、しぶしぶ飼うことにしたのである。ところが、子供はいつの間にか大いに成長しているものだということを知った。

私は子供を大いに「見くび」っていた。うれしい誤算である。

つがいにするウコッケイのメス鳥を探しています。





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2006年01月05日

翻訳者と同窓会

はがきが来て、今年は冬季オリンピックの年だと気がついた。

私が卒業した高校は、地方の高校なので、東京に就職する人が多い。そのため、学年の同窓会は、帰省中の時期を狙い、オリンピックの年はお盆に、冬季オリンピックの年はお正月に、開催することにしている。

というわけで、今年同窓会のお誘いのはがきが来て、同窓会に参加した。
私としては、6年ぶりの参加になった。

高校のときは、皆同じ校歌を歌い、ともにマラソンをした仲だけれども、何十年もたつと、それぞれの人生をたどり、それが一同に会して「おまえ、どげんしようとや?」(博多弁です)と、気持ちは若者に戻って話が出来るのは、とても楽しい。

同窓生には、いわゆるぼんぼん、という資産家の息子がいくらもいて、今では家業をついでけっこう大きな会社をひきついで、彼らは社長として大成、活躍している。やんちゃであった、○○君が、今では腹のでっぱった押しも押されもしない○○社長、というのは、おかしなものである。

もう、10年くらい前になると思うのだけれど、帰省したときに(当時私は福岡に住んでいなかったので)「○○君がテレビに出とったよ。経営していた○○会社がバブルのあと倒産、負債を抱えて会社も自宅も全部処分して、家族とも一応離れて暮らしながら今お風呂に入れるバラを売ってるらしいよ。」と母が教えてくれた。何でも以前どこかの旅館に泊まりに行ったときに入れてくれたバラの香りにたいそう感銘して、バラを売って歩いているのだそうであった。

彼は、地元では結構知られた商事会社の息子で、高台の見晴らしのいいところに瀟洒な屋敷があり、高校生の頃の私は勝手に私の勉強の休憩として夜のマラソンコースの経過地点を彼の家にして、時には突然立ち寄ったりしたものである。結構仲がよい友人であったので、彼のこの難儀の知らせは、かなりずっと、気になっていた。

昨日、同窓会で数十年ぶりに彼に再会した。
今では保険の代理店会社を数人で起こしてなんとかやっているとのことだった。 よかった。

バラのビジネスはどうなったのか、聞きそこなってしまった。

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2006年01月04日

翻訳者とひよこ

ひよこを飼うことにしたのである。

上と下の子供は、犬を欲しがり、真ん中の子供は猫を欲しがっている。
彼らは亀も欲しがっている。
私は、動物を拘束するのがきらいなので、また、自分の子供たちが動物を愛玩してくれることに信頼できないので、飼いたくない。

私は、子供の頃にメリーというスピッツを飼っていて、十分に世話をしないまま亡くなってしまったのがトラウマになっていて、絶対に犬は飼えないと思っている。犬を飼うとすれば、放し飼いができるような山の中に住むしかない。でも私は、福岡の市内が好きなのである。やはり、犬は、飼えない。

そこで、

にわとり。。。

compromise としては、なかなかの名案。

にわとりなら、そんなに寄り添ってくることもないだろうし、放し飼いか、最悪大きなケージかなんかを作って出入りするようにすれば、心理的負担少なく共生できそうである。

ただひとつ、問題は、野良猫。
庭には野良猫が出没しているので、少なくともひよこのうちはかなり狙われそうで、猫に負けないほど大きくなるまでサバイブできるだろうか?
いや、大人の鶏になってもやはり、猫にはやられるものだろうか?

にわとりは、ペットとして飼うのは無理だろうか?

子供たちが、動物を十分にめんどうをみれないにしても、それで悲しい思いをするとしても、それも成長の一過程だとすれば、保護者としては(当の動物には大変申し訳ないのですが)あえて経験させてあげたいと思うけれど。

ところでひよこって、どこに売ってるんでしょう?


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2005年12月20日

翻訳者と翻訳の仕事の波

直前の翻訳者のブログで、「現在ひま」と書きましたが、一瞬のうちに一変して大忙し。

すでにお付き合いのある方から依頼されると断るわけにいかないし、(この時期は他に特急でやってくれるところもあまりないでしょうから、断ると困るだろうし、こんなときに限って断るに断れない案件が続くものです。)大事な担当のクライアントは外注にだすのもはばかれるので、自分でかぶるしかありません。

今週木曜日から別府に行く予定にしているし、そのためにルーフラックを買ったり、ライフジャケットを買ったり、準備万端なのだけど。パソコンを持ち込んで旅館に篭ってやるしかないのかな。いつか「ノーといえる翻訳者」になりたい。1日4,000単語を平気でこなせるスピードライターになりたい。

そういうわけでこのところ、不動産の勉強も、全く進んでません。。。挫折してしまうのでしょうか。





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2005年12月14日

翻訳者と師走

地球の温暖化で、だんだん暖かくなっていると日ごろ感じてはいるのですが、しかしここ数日間福岡はとても寒い。さすがは師走です。

師走は、寒いだけでなく、とても忙しい。まず、クリスマスなどで、家族の買い物に忙しい。子供は、知ってか知らずか、長女が「サンタさんに渡しといてね。」などといって(彼女自身の分も含めて)下の子たちが書いた(長女が書かせた?)サンタさんへのお願いリストの手紙などを渡してくる。

忘年会など、集まりが多い。あまり付き合いがいいほうではありませんが、やはりたまには夜更けまで付き合ったりして胃が痛くなったりする。今年は会社では、蟹なべの飲み会にしました。

期末の試験時期で、試験問題を作ったりする。これも、コース別に別々の問題を作らなければならないので結構時間をとられたりする。

そして、普段だと、東京(家内の実家)に車ででかけたりの旅行が増える。そういう訳で例年、師走は忙しい。

幸か不幸か不思議と、仕事は現在ひま。
見積もりは相変わらず忙しいんですけど、お客様にもいろいろオプションが広がっているということでしょうね。
勉強宣言をして、しばらく受注抑制体制にしている影響もあると思いますけど。でも、あまりひまになると給料が支払えなくなるので、極端にひまになるのも考え物なのですけど、やはり忙殺されずゆっくりできるのは心の底ではうれしい。暇なときは広告をすればいいのですけど、ちらしを撒きにいくのも外は寒いし。

そういう訳で暇なときの冬は、九州では温泉に限ります。
クリスマスにかけて別府に行き、思いっきり温泉三昧の予定。
息子は、海で練習。子供のウエットスーツ、ウエット手袋とかなかなか見つからず、買い物が大変。
そして遊んだ後の年末年始は今年は東京に行かず、福岡にとどまって、年末年始の「駆け込み寺的翻訳依頼」を多量に受ける体制を敷くかな。ばりばり稼いで、とりあえず収益の落ち込みをここで巻き戻して来年の勉強資金を作っとこ。



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