2016年12月11日

平成28年 御柱祭の記録 篠ノ井「可毛羽神社」    初めて建てた児童の御柱

長野郷土史研究会」では、平成28年(2016)に行われた長野市と上水内郡の御柱祭を調査しました。
その内容は、12月6日(火)発行の機関誌『長野』305号に掲載しました。
その表をもとに小林一郎会長と私は、実際の場所に行って記録することを始めました。
各御柱の記録をしておくことは、大切な歴史の1ページとなります。

今年、長野市篠ノ井地区では2社が行いました。

可毛羽(かもは)神社 長野市篠ノ井字会 4月24日(日)開催
(2016年12月11日撮影)
場所は、こちらを拡大縮小してご覧ください。

拝殿前に建つ3本の御柱。
右が「壱之柱」、左が「弐之柱」、その後ろの小さい柱は「児童之御柱」。
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拝殿内に掛けられた額には「可毛羽神社」と書かれています。
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鳥居の右の建物は、「会区公民館」で「可毛羽神社社務所」でもあります。
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社務所に氏子総代さんたちが集まる時間で、話をお聞きすることができました。
・会地区は700軒ほど。人口は増えている。
・屋根の塗装を終了後行った。塗り替えは、次々回の御柱まで大丈夫だろう。
・柱3本は、小川村の木。
・今回初めて、児童の柱を建てた。小6、中1の子どもたちに引いてもらい、次の御柱に引き継ぎたいと考えた。
・だんだん賑やかになってきて、今回は飯綱から呼んだ馬に、宮司さんが乗った。

「今回、引いた子どもたちが、6年後には高校生になって、引き継いでほしい」という地域の願いがこもった御柱祭。人口が増えている地域だからこそ、できることだと思いました。


naganoetokino1 at 22:33|PermalinkComments(0)TrackBack(0)平成28年 長野市・上水内の御柱祭 

平成28年 御柱祭の記録 小川村「小川神社」    北信地方最大規模の御柱祭と宣伝

長野郷土史研究会」では、平成28年(2016)に行われた長野市と上水内郡の御柱祭を調査しました。
その内容は、12月6日(火)発行の機関誌『長野』305号に掲載しました。
その表をもとに小林一郎会長と私は、実際の場所に行って記録することを始めました。
各御柱の記録をしておくことは、大切な歴史の1ページとなります。

今年、上水内郡小川村では2社が行いました。

小川神社 小川村大字小根山 5月3日(火・祝〜4日)開催
(2016年12月9日撮影)
場所は、こちらを拡大縮小してご覧ください。

拝殿前の鳥居には「式内小川神社」と書かれています。
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拝殿の左側に建つ柱。
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左の柱に掛かった垂れ幕。
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右の柱に掛かった幟。
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大きな通りから続く、長い参道。鳥居には「延喜式内 小川神社」と書かれています。
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鳥居と鳥居の間の石柱には「延喜式内 小川神社」と彫られています。
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境内の案内版には由緒が書かれていて、「北信地方最大規模の御柱大祭として、内外より御神徳を崇められている」とあります。
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平成28年 御柱祭の記録 小川村「澤之宮小川神社」  23軒で建てた4本の柱

長野郷土史研究会」では、平成28年(2016)に行われた長野市と上水内郡の御柱祭を調査しました。
その内容は、12月6日(火)発行の機関誌『長野』305号に掲載しました。
その表をもとに小林一郎会長と私は、実際の場所に行って記録することを始めました。
各御柱の記録をしておくことは、大切な歴史の1ページとなります。

今年、上水内郡小川村では2社が行いました。

小川神社(澤之宮小川神社) 小川村大字瀬戸川 5月8日(日)開催
(2016年12月9日撮影)
場所は、こちらを拡大縮小してご覧ください。

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拝殿前の右には「延喜式内 小川神社 御柱祭 平成二十八年丙申年五月八日」。
左には「御献木」と共に、3名の個人名と桐山区と書かれています。
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神社脇から上がると、拝殿前に4本の柱が建っています。
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拝殿に向かって、右側の2本。
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「小川神社」と書かれた額が掛かる鳥居。
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神社に向かう山道には、大岩の上に小さな石仏が並んでいます。
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一枚岩と土砂崩れ防止の柵。このような大岩が道の両側にあります。
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赤茶色の大岩は、なんだか山姥の顔のようにも見えました。
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山道を下る途中、降リ出した雨の中、地域の方に話をお聞きしました。
・かつては白馬や大町も一緒に御柱祭を行い、氏子は400軒もあった。
・今年の御柱祭は23軒で行ったが、12月までにさらに減って21軒になってしまった。
・宮司は大町市美麻から来てもらっている。
・昭和50年代、現在の本殿を造営した時の奉納者の名前が書かれているが、全て自分の親の代の方々。
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naganoetokino1 at 09:22|PermalinkComments(0)TrackBack(0)平成28年 長野市・上水内の御柱祭 

平成28年 御柱祭の記録 長野市入山「御射山神社」  拝殿前、中央に寄せて立つ2本の柱

長野郷土史研究会」では、平成28年(2016)に行われた長野市と上水内郡の御柱祭を調査しました。
その内容は、12月6日(火)発行の機関誌『長野』305号に掲載しました。
その表をもとに小林一郎会長と私は、実際の場所に行って記録することを始めました。
各御柱の記録をしておくことは、大切な歴史の1ページとなります。

今年、長野市芋井地区では2社が行いました。

御射山神社 長野市大字入山字諏訪宮 5月5日(木・祝)開催
(2016年12月9日撮影)
場所は、こちらを拡大縮小してご覧ください。

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拝殿の額には、「諏訪大神」と書かれています。
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道に面して建つ鳥居。
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鳥居の額には「御射山神社」と書かれています。
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森の中に建つ拝殿。
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拝殿側から見た、入り口の鳥居付近。両側に手入れされた畑が広がっています。
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2016年12月10日

善光寺門前「弥生座」座の会で「東南アジアの重要性」

12月7日(水)夕方6時から、善光寺門前の「弥生座」の異業種交流会「座の会」に出席しました。
第138回例会の卓話は「東南アジアの重要性〜シンガポールを中心に
日本経済新聞の長野支局長・宮内禎一氏のお話でした。

今年最後の会で、東京や千葉からみえた会員もいて大勢が聴講しました。

2003年から2006年にシンガポールに駐在された宮内氏。
前半は、国の基本的なお話や、駐在中に起きた出来事などを紹介しました。
面積は長野市よりも少し小さく、人口は兵庫県と同じくらい。人口密度は、モナコに次いで世界2位とのこと。埋め立てが行われていて、1965年から国の面積は25パーセントも増えているというのには驚きました。

教育を重視しているシンガポールでは、人材が唯一の資源。
何と教科書を欧米に輸出しているとのこと。
また中国とインドを臨む絶妙の立地が、シンガポールの強みとなっているそうです。

宮内氏が滞在中の2004年12月に起きたのが、スマトラ沖大地震とインド洋大津波。最後に、その津波の被害を写真で紹介しました。
「2011年の東日本大震災に、その時の津波の経験が生かせなかったのは残念だった」と語りました。

1996年〜1999年には、バンコクにも駐在していた宮内氏。
後半では、日本にとっての東南アジアの重要性についても語りました。

お話の後は場所を変えて、和やかに懇親会が行われました。
私は今年もバラエティーに富んだ卓話をお聞きして、様々なことを学ばせていただきました。

naganoetokino1 at 22:45|PermalinkComments(0)TrackBack(0)店舗 

平成28年 御柱祭の記録 長野市上ヶ屋「本郷神社」  天空の神社、片側に2本並んだ柱

長野郷土史研究会」では、平成28年(2016)に行われた長野市と上水内郡の御柱祭を調査しました。
その内容は、12月6日(火)発行の機関誌『長野』305号に掲載しました。
その表をもとに小林一郎会長と私は、実際の場所に行って記録することを始めました。
各御柱の記録をしておくことは、大切な歴史の1ページとなります。

今年、長野市芋井地区では2社が行いました。

本郷神社 長野市大字上ヶ屋 4月29日(金・祝)開催(2016年12月9日撮影)
場所は、こちらを拡大縮小してご覧ください。
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拝殿前の片側に寄せて、2本並んだ柱。
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拝殿の額の字は、諏訪大社宮司の書。
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鳥居の下に見える集落、平地区で守る神社です。
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境内から南東方向見下ろすと、右に旭山、真ん中に葛山。左手後方に菅平が見渡せます。
まさに天空の神社です。
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神社に向かう途中、「熊出没注意」の看板。
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電気柵の張りめぐらされた畑。触れると電流が流れるので注意と書かれています。
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2016年12月09日

平成28年 御柱祭の記録 長野市鬼無里「諏訪神社」   男柱・女柱2本が立ち、23回目

長野郷土史研究会」では、平成28年(2016)に行われた長野市と上水内郡の御柱祭を調査しました。
その内容は、12月6日(火)発行の機関誌『長野』305号に掲載しました。
その表をもとに小林一郎会長と私は、実際の場所に行って記録することを始めました。
各御柱の記録をしておくことは、大切な歴史の1ページとなります。

今年、長野市鬼無里地区では1社が行いました。

諏訪神社 長野市鬼無里財又東 5月5日(木・祝)開催(2016年12月9日撮影)
場所は、こちらを拡大縮小してご覧ください。

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「奉納 和協氏子中」と立札が立った柱。
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柱の回りは、たくさんの杭を打ち込んでいます。
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柱の先端の飾り。
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拝殿脇に立てられた奉納者の名前。
「第二十三回丙申 御柱式年大祭」「御柱一対 和協氏子中」
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「諏訪神社」と書かれた額が掛かった鳥居。
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小川に掛かった橋を渡ると立つ「諏訪神社」の石柱。
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平成10年(1998)「信濃毎日新聞記事」より。
鬼無里地区は平成17年(2005)長野市に合併。新聞に掲載された当時は、鬼無里村。
高さ約20メートルの杉の木2本を「鶴の柱(男柱)」と「亀の柱(女柱)」と呼ぶ。
山出しは3月に雪の中で行う。
明治17年(1884)年から諏訪大社の御柱祭と同じ年に開催。
当時は20回目で、4集落、51世帯。


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平成28年 御柱祭の記録 長野市塩生「水内鎮神社」   中学生・消防団の助けで建てた2本の柱

長野郷土史研究会」では、平成28年(2016)に行われた長野市と上水内郡の御柱祭を調査しました。
その内容は、12月6日(火)発行の機関誌『長野』305号に掲載しました。
その表をもとに小林一郎会長と私は、実際の場所に行って記録することを始めました。
各御柱の記録をしておくことは、大切な歴史の1ページとなります。

今年、長野市小田切地区では1社が行いました。

水内鎮神社 長野市大字塩生(しょうぶ)字北畠 5月4日(水・祝)開催
(2016年12月2日撮影)
場所は、こちらを拡大縮小してご覧ください。
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拝殿の右後ろ、本殿脇に建つ柱。
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拝殿の左後ろ、本殿脇に建つ柱。
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2本の柱の下の方には「御神柱」と書かれ、飾りが付いています。
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拝殿に願掛けした品々。その背後に建つ、御柱。
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神社の前の参道。
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神社の近くで、お孫さんのような方に車に乗せてもらって出かける高齢の女性に会って御柱の話を聞きました。「わずか10軒ほどになってしまった。でもお陰さんで中学生や、消防団の人たちに助けてもらって、にぎやかにできた」。
拝殿の壁には、明治21年4月に上水内郡小田切尋常小学校が奉納した大きな額が掛けられていました。奉納された品々から、素朴な信仰が伝わってきました。
長野市立小田切小学校は、若者の流出で平成7年、8年には入学する児童が0になり、平成9年(1997)3月に閉校。長野市立加茂小学校と長野市立松ヶ丘小学校へ分割統合されました。

神社の境内に立つ「小田切八景」の碑。
DSCN3588 (2)小田切八景
水内鎮神社の夜雨
詠人 浅井 冽

み社の
老木の森は
もの古りて淋しさ
そふる夜半の
雨かな
小田切観光協会

『長野市誌旧市町村史編』より
・久保の水内鎮神社の御柱は、平成4年(1992)には氏子30軒で行った。

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2016年12月08日

平成28年 御柱祭の記録 上水内郡 飯綱町「倉井神社」 大人と子ども 紅白で2本ずつで4本の柱

長野郷土史研究会」では、平成28年(2016)に行われた長野市と上水内郡の御柱祭を調査しました。

その内容は、12月6日(火)発行の機関誌『長野』305号に掲載しました。
その表をもとに小林一郎会長と私は、実際の場所に行って記録することを始めました。
各御柱の記録をしておくことは、大切な歴史の1ページとなります。

今年、上水内郡飯綱町では2社で行われました。

倉井神社 飯綱町大字倉井字宮平 4月3日(日)開催(2016年12月8日撮影)
場所は、こちらを拡大縮小してご覧ください。

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拝殿前に建つ、大小2本ずつ、4本の御柱。
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大人と子どもが紅白に分かれて、それぞれ2本ずつ引くとのこと。最後に神社前で合流して境内へ引き上げるのだそうです。向かって左の柱の先端には、赤い色が残っていました。
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神社は石段を上がった高い場所にあります。
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ここは旧「三水村」。3つの用水が流れているのが地名の由来。境内も勢いよく用水が流れています。
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神社の前は、稲刈りが終わった一面の田んぼです。
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ちょうど地元の方がいらして話をお聞きしました。
・2本の柱は「親子の御柱」で、親は大きな柱、子どもは小さな柱を引く。
・親子とも紅白に分かれて、神社前で合流する。
・500名ほど集まってにぎやかだった。
・命綱なしで、人力で建てるので、柱の上から落ちないかと心配して見守っている。

私たち家族は、6年間、この三水村倉井地区に住んでいました。
35年も前に、まだ小さかった子どもを連れて、お参りしたことがあった神社です。
そのことを伝えて、「今日は御柱をお参りにきました」と話したら、「それは神様が喜んでいらっしゃる」と2回もおっしゃいました。御柱には不思議な力があると感じた、ありがたいお言葉でした。

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平成28年 御柱祭の記録 上水内郡 飯綱町「牟礼神社」 冠落としされた2本の柱

長野郷土史研究会」では、平成28年(2016)に行われた長野市と上水内郡の御柱祭を調査しました。

その内容は、12月6日(火)発行の機関誌『長野』305号に掲載しました。
その表をもとに小林一郎会長と私は、実際の場所に行って記録することを始めました。
各御柱の記録をしておくことは、大切な歴史の1ページとなります。

今年、上水内郡飯綱町では2社で行われました。

牟礼神社 飯綱町大字牟礼字裏町 5月8日(日)開催(2016年12月8日撮影)
場所はこちらを、拡大縮小してご覧ください。

北国街道沿いの商店街のはずれから、急な坂を上がった所にある牟礼神社。
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拝殿前に建つ2本の御柱。
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柱の上部を三角に切ってあります。冠落としと言って、腐りにくくするためだそうです。
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「郷社牟礼神社」と書かれた拝殿の額。
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拝殿の裏側に、ぼたもち積みの上にまつられた祠。
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高台にある境内からは、雪が積もった志賀高原の山々が見渡せました。
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12月8日「清泉女学院短大」で今年最後の講義・絵解き

12月8日(木)、「清泉女学院短期大学」 にお招きいただきました。これまでの活動を振り返る機会をいただき、準備をして伺いました。

12:55〜14:25まで、「国際コミュニケーション科」の武田るい子先生の地域社会論の授業で、15名の皆さんにお話ししました。DSCN3885

前半はプロジェクターで、これまでの私の活動「まちづくりは郷土史から」のお話。
後半は2つの絵解きを行いました。(写真は善光寺如来絵伝)
全員の学生さんが、絵解きは初めてでした。

終了後、武田先生から学生さんの感想をいただきました。
(たくさんの貴重なご意見の中から抜粋、要約して掲載しました)
「七福神めぐりが昔からあるものだと思っていたので、今回平成5年から始まったと知ってとても驚いた」
「歴史を伝えていくと、まちづくりにつながっていくということに改めて気づいた」
「個人の力でできることなんて何もないと考えていたが、そんなことはないんだと知ることができた」

「自分の生まれた長野にあるものをもっと知っていきたいと思う」
「もともとある観光地だけでなく、あらたに作り出すことが重要であると学んだ」
「長野の伝統を残していくことが、とてもすばらしいと思った」

「自分の住む地域の歴史を知っていることは、とても誇れること。県外の友人を善光寺に案内することもあるので、話を交えながら説明できたら楽しいだろうなと思った」

「善光寺周辺にはお店に目がいってしまい、多くのお寺があったことに驚いた」
「善光寺表参道と通りの名前を変えるだけで、影響が大きく活気づくと思った」

「1年で、春夏秋冬、善光寺で様々な行事が行われているということを初めて知った。この多くのの行事がずっと続いていくことで、伝統が受け継がれていくと思った」
「『誰もやらないから私がやろう』考えても動くまではなかなかいかないようなことを進めていってすごいなと思った」

「絵解きという言葉を初めて聞いたが興味が持てた」
「文章だけだと難しい部分も、絵があると分かりやすい」

「絵解きと初めて聞いた時は難しそうだと感じたが、
聞いてみるととても分かりやすくおもしろかった」

「一枚の絵に、壮大なお話が描かれていて感動した」
「善光寺の歴史が、絵解きで分かりやすく、おもしろく知ることができた」

「善光寺にまつわる逸話に興味が出て、いろいろ調べてみたい」
「善光寺には何回も行っているのに、初めて知ることばかりで新鮮だった」

「今日の授業で絵解きがどのようなものか知ることができた。
今度は寺に時間を作って行ってみようという気持ちになった」

「善光寺の歴史が絵解きで分かりやすく、おもしろく知ることができた」
「絵解きを聞いて、善光寺が私たちにとってどれだけ大切かということが改めて分かった」

「これから自分の街を調べるにあたって、今回学んだことを生かしていきたいと思う」
「こういう仕事をしている人について、もっと宣伝すべきだと感じた」

武田先生、お招きいただき感謝します。皆さん、熱心にお聞きいただきありがとうございました。感想を拝見して、私の思いが伝わったことが分かり、とても嬉しく思いました。

naganoetokino1 at 21:18|PermalinkComments(0)TrackBack(0)絵解き・講演会 

第11回 NAGANO検定プロジェクトチーム会議に出席

12月7日(水)10時から11時45分まで、「長野商工会議所」で「NAGANO検定プロジェクトチーム会議」が行われました。

「長野郷土史研究会」の小林一郎会長と二人で出席しました。

来年度は、ジュニア検定のテキストブックを作りたいという案が出ています。

長野を学び、長野が大好きな子どもたちを増えることを願って、活発な話し合いが行われました。

naganoetokino1 at 09:30|PermalinkComments(0)TrackBack(0)まちづくり 

2016年12月07日

豊野公民館で今年最後の絵解き「絵解きで伝える善光寺」

12月6日(火)10時から12時まで「長野市立豊野公民館」で絵解きを行いました。
「絵解きで伝える善光寺」の講座には20名定員のところを、30名もがお集まりになりました。

館長さんや職員の方ばかりか、参加された方も一緒に、講堂の舞台に3幅の御絵伝を配置よく掛けてくださいました。中央が「一光三尊阿弥陀如来像」、左が「善光寺如来絵伝」、右が「善光寺参り絵解き図」です。
前半で善光寺如来絵伝の絵解きを行い、後半で善光寺参りに絵解きを行いました。
(写真は豊野公民館)
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善光寺参りのお話は10話。
・お戒壇巡りで犬になった男
・幼馴染と再会した紀州新宮の男
・善光寺のお朝事を始めたという性空上人
・能登の羽咋の豊財院に二人の尼が寄進した般若の鐘
・函館善光寺から善光寺に参拝した牛王麿
・乙姫様が寄進した善光寺の釣り鐘
・最後の善光寺参りをした加賀国宮腰の豪商、銭屋五兵衛
・火災に遭った善光寺を復興して参拝した源頼朝
・長崎から妻子、供の男の4人で参拝した商人、中村吉蔵
・地元に伝わる「牛に引かれて善光寺参り」

終了後は、「鐘鋳川の近くに住んでいたので、お話が懐かしかったです」「今度は違った思いで、善光寺にお参りできます」などたくさんの感想をいただきました。
お招きいただいた公民館の皆様、熱心にお聴きいただいた皆様、ありがとうございました。

naganoetokino1 at 23:05|PermalinkComments(0)TrackBack(0)絵解き・講演会 

平成28年 御柱祭の記録 長野市中条「諏訪社(祠)」 小さな祠の前に建つ2本の巨木

長野郷土史研究会」では、平成28年(2016)に行われた長野市と上水内郡の御柱祭を調査しました。

その内容は、12月6日(火)発行の機関誌『長野』305号に掲載しました。
その表をもとに小林一郎会長と私は、実際の場所に行って記録することを始めました。
各御柱の記録をしておくことは、大切な歴史の1ページとなります。

今年、長野市内では64社で行われ、中条地区では4カ所で行われました。
平成4年(1992)の本会の調査(『長野』164号)では行っていた、諏訪社(中条大字日下野念仏寺)では今回は行いませんでした。
まず中条在住の笠井重光氏に、今年行われたかどうか調査をお願いしました。
その結果、4カ所で開催されたことが分かりました。

諏訪神社長野市中条住良木峯奈良井 5月1日(日)開催(2016年12月4日撮影)
場所はこちらを、拡大縮小してご覧ください。

奈良井思恩公園の「諏訪大社宮(すわたいしゃぐう)」と書かれた祠の前に建つ2本の御柱。その大きさに圧倒されました。右には「伊勢大神宮神社」、左には「金毘羅神社」。1本ずつ柱の周りを、小さな杭で囲んであります。
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右は「伊勢大神宮社」。
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左は「金毘羅神社」。
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更に左手には「秋葉神社」がまつられています。
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もう一社は、両側に石灯籠がある「富士浅間神社」です。
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「思恩公園」の入り口。御柱は、右手にカーブするこの坂を引いて登ったそうです。車一台がやっと登れるような急な坂です。
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お話を聞いた地元の方の庭から眺めたアルプスの絶景。
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聴き取りした方のお話は、次の通りです。
・境内には祠が5社まつられている。
・峯奈良井と上奈良井の2集落で行っている。かつては23戸あったが、今は18戸。
・御柱は、50年ほどの社木の杉の木で10m。
・宮司さんは招かず、地元の方がかわりを務めている。
・今年の御柱は、60名くらいが集まった。次の御柱は何とかできるかもしれないが、高齢化していてその後の継続は難しい。

ちょうどこの日は、中条地区の一斉清掃だったのでしょうか。
各地で山の中の落ち葉を掃き集めていました。

お昼前、この地区の皆さんは、7,8名で車座になってお茶を飲んでいるところでした。
「長野郷土史研究会です。このあたりに御柱が建っている神社はありませんか」と、お聞きすると「この坂の上に建っているからお参りしていっておくれ。お宮がいっぱいあるよ」と親切に教えてくださいました。
その皆さんが建てた御柱は、本当に見事な柱でした。作業を終えて、和やかに談笑している皆さんのお姿から、地域のチームワークの良さを感じました。今後もずっと続けていって欲しい御柱です。

naganoetokino1 at 21:57|PermalinkComments(0)TrackBack(0)平成28年 長野市・上水内の御柱祭 

平成28年 御柱祭の記録 長野市中条「諏訪社」    閉校した分校脇の神社に建つ2本の柱

長野郷土史研究会」では、平成28年(2016)に行われた長野市と上水内郡の御柱祭を調査しました。

その内容は、12月6日(火)発行の機関誌『長野』305号に掲載しました。
その表をもとに小林一郎会長と私は、実際の場所に行って記録することを始めました。
各御柱の記録をしておくことは、大切な歴史の1ページとなります。

今年、長野市内では64社で行われ、中条では4カ所で行われました。
1992年の本会の調査(『長野』164号)では行っていた、諏訪社(中条大字日下野念仏寺)では今回は行いませんでした。
まず中条在住の笠井重光氏に、今年行われたかどうか調査をお願いしました。
その結果、4カ所で開催されたことが分かりました。

諏訪神社長野市中条日高 5月3日(火・祝)開催 (2016年12月4日撮影)
場所はこちらを、拡大縮小してご覧ください。

社殿の前に建つ2本の御柱。
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柱の上に幟がついています。見えにくいのですが、左右の字を合わせると「祝長井」「御柱大祭」と見えます。
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拝殿側から見た鳥居。神社は高い位置にあります。
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神社の脇に建つ「下長井公民館」。背後に諏訪神社の社殿の屋根が見えます。
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長井公民館前の広場脇に建つ「長井分校所」の石碑。
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裏側には、その歴史が書かれています。(拡大してご覧ください)
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昭和53年(1978)3月、分校は閉校しました。

学校があった時は、子ども達も御柱祭に参加したことでしょう。

かつて校庭だったと思われる広場に立って、当時のことに思いを巡らしました。

naganoetokino1 at 09:42|PermalinkComments(0)TrackBack(0)平成28年 長野市・上水内の御柱祭 
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